【信じようと、信じまいと】『泣き地蔵』など全50話【44】ロア – 噂話集 – 嘘のような本当の話

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【信じようと、信じまいと】『泣き地蔵』など全50話【44】ロア - 噂話集 - 嘘のような本当の話 信じようと信じまいと
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信じようと、信じまいと【44】全50話  ロア – 噂話

 

「泣き地蔵」という不思議な地蔵があった。普段は静かな顔つきなのだが、夕方に見ると泣き顔や困り顔に見えるのだ。
泣き顔の時には次の日雨が降り、困り顔のときは雪が降った。何も降らない日は地蔵の顔はそのままだった。
人々は地蔵を見て明日の予定をたてていたが、ある日地蔵が今までに見たことのない満面の笑顔の日があった。
1945年8月5日、広島での出来事である。

 

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1959年1月イランのテヘランでフセイン・メシャエクと地元消防署は彼の家で
世にも忙しく、かつ、不可解な日を過ごした。1日のうちに18回も別々に火の手が
上がり、そのどれもが原因のわからないものだった。フセインにとってもっとも不幸
だったのは彼の下着も火を出したことだった。しかも彼がそれを着ている間に。

 

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栃木県某市の小学校で、飼育小屋の鶏が死んでいるのが発見された。
何かに食いちぎられたような跡があったのと、小屋の金網の一部が破れていることから
野良猫の仕業だろうと判断されたが、不可解な点が二つ。金網が明らかに内側から破れていたのと
その鶏の産んだと思しき卵の殻があったことだ…まるで何かが孵ったばかりのような。

 

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平成(ひらなり)、昭和(しょうわ)、大正(おおまさ)、明治(あきほ)という名前の四兄弟がいた
彼らは四人とも立身出世し、その地方の名士として人々に長く慕われていた
しかし二男の昭和が火災でひどい火傷を負って死ぬと、残された三人もまるで後を追いかけるように相次いで病死したという
ちなみに彼らの名前と功績が記されているのは約1300年前、奈良時代に書かれた文献の中である

 

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ビルの五階にあるオフィスで残業をしていたN氏はある日眠かったため目を閉じたまま廊下突き当りの手洗いへと向かった。
手洗い場と廊下は床の材質が異なるため足音が変わるはずだが、いつまでたっても足音は変わらない。
不審に思い目を開けた瞬間彼の足は宙を切り、彼の体は五階の高さの空から真っ逆さまに墜落した。
幸い命に別状は無かったが、もし目を閉じたまま歩き続けていたら彼はどこにたどり着いたのだろうか?

 

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バブル時、山口県の山奥に、複数の家が建てられることになった。
下見のために訪れた人達のうち、7人目が建築予定現場に足を踏み入れた瞬間、溶けるように消えてしまった。
慌てて辺りを探し回り、捜索願も出されたが、見つかることはなかった。
その後、何事も無かったかのように工事は続行された。その建てられた家達は、廃屋となって未だ存在する。

 

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阪神タイガースの応援歌として知られる「六甲おろし」。
この歌には天皇家がかつて六甲山に隠した秘宝の所在が暗号で示されているという。
一説には「六甲おろし」に隠されたこの秘宝は「やまたのおろち」に縁のある品、
すなわち正史の上では壇之浦に沈んだとされる叢雲剣の真剣であるともいう。

 

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2000年、2月18日。イギリスに住む男性の家の隅に、1m前後の白い柱が出現した。
その柱のようなものからは、数時間おきに「ここじゃない、ここじゃなかった」という低い声が漏れていた。
翌日になると柱は消え去っており、それがあった場所には石灰が一握り残されていた。
その柱は、その後一週間に渡って近所の家や公園にも出現したのだという。

 

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この前、見知らぬ人に「お前、背中に人乗ってんぞ」と言われた。
それから急に肩が重くなったような気がした。
自分も同じように見知らぬ人に「お前、背中に人乗ってんぞ」と言ってみた。
それから肩が楽になった。

 

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岩手県の山奥にあるその村には、手足などを事故や病でなくした場合、
更に山の奥にある社にお参りをしてくると、山の神が再び手足を生やしてくれるという古い言い伝えがあった。
とある民俗学者がその伝説に興味を持ち、社の管理をしている家にその言い伝えに関することを教えてくれるように頼んだのだが、
そのとき見せてもらった絵の人々の手足は、どうみても機械にしか見えないものであったという。

 

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とある県のK町では10年程前まで数十万年前、原人が住んでいたとされていた。
ところが改めて調査を行ったところ、原人の骨が実は12世紀後半の人間の骨であることが明らかになった。
ただ原人のうちの数体はまるで鳥の嘴のような形の口を持っており、河童のそれに似ていなくもなかった。
現在K町では原人はいなかったことは認めているものの、その不可解な骨は河童の骨ということで大事に保管しているという。

 

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顔は猿で胴体は狸、トラの手足に尾は蛇という奇妙ないでたちの生き物をご存知だろうか。平安時代の前期に“それ”は存在していた。
村一番強かった男がある日、虎には勝てぬだろうと言われて虎を素手で倒してき、その証として自分の手足に虎の手足をつけ、蛇には勝てぬと
言われて蛇を捕まえ服従させたとして己の尻に押し込んだ。男が住む村は狸を神の使いとして奉っており、流石に狸には手は出せぬだろうと噂され、
ついに狸に手をかけ、毛皮を剥いで着たところ神の怒りにふれ、人では非ずと猿のような顔になってしまった。これが平安後期に描かれた鵺の元である。

 

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1998年、イギリスの民家の倉庫から400年程前のものと思われる設計図が発見された
「自動暦」と題されたその設計図には、奇怪な形をした部品の寸法と、それらの組み立て方が記されていた
とあるエンジニアが設計図をもとに装置の復元を行うと、西暦と日付を表示する機械が出来上がった
しかしこの装置には奇妙な欠点があった。2050年を経過した辺りで歯車が噛み合わなくなり、装置が表示を止めてしまうのである

 

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1998年、アメリカで竜巻が発生した。とはいえ竜巻自体はアメリカでは珍しい事ではなく、
発生地点から数キロ離れた民家では、ホームビデオを回す楽観的な家族さえいた。しかし暫くして、撮影者とその家族は驚愕する。
天から伸びた真っ白い竜巻の先が、ピンク色に染まり始めたからだ。竜巻はどんどんと変色してゆき、遂には雲の一番上までピンク色になってしまった。
真昼間の街に暴れ狂う、ピンク色の竜巻。この撮影者は、その時のフィルムを、今も大切に保管しているという。

 

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1913年ドイツのマンハイムに話す犬がいた。 といってもアルファベットが書かれた文字板を使ってだが。
この犬は簡単な足し算、引き算もできた。 権威ある学者が調査した結果、よくあるインチキはなかった。
この犬は人間がする簡単な質問に答えた。 あるとき調査に来た学者の女性秘書が「何かやって欲しい事が
ありますか」と質問したところ、「おまえのしっぽをふってくれ」と答えた。

 

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過去に多くの科学者により人間の死についての研究がなされているがイギリスの
W.J.キルナー博士はデシニアンという染料で染めたフィルターを通して人間が放つ
放射線を観測する研究を行った。それによると人間の周りは10センチほどの霊気で
覆われており、その色や強さは、その人が重病になると変化し死の瞬間に消滅するという。

 

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ある村に水の意志を聴く事でその流れを読み取れるという男が居た。男の言う通りにすれば漁はうまく行き、
事故も起きない為、その男を信頼する者も多かった。嵐が村に襲った時も男は「外には出ず、家の中に居ろ。」
と言うので皆は安心して眠りについた。その翌日、大津波で村が滅んだというニュースが流れた。
生存者は居らず、家屋も波にさらわれたのか全壊していたという。ただ一つ、男が住んでいた家だけを無傷で残して。

 

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生命と物質との関係を研究しているある科学者がチェコにいた。
その実験方法というのは、ランダムに点灯するようにプログラムされたライトを設置した小箱に鼠を入れるというものである。
実験の結果は、鼠を入れていない時と比べると明らかに光る回数が多かったという。
また、その結果は何度実験しようと変わらなかったという。

 

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二股の木の枝で水脈や金鉱を見つける話もオカルトだが脇腹の痛みでそれを行った人物がいる。
ボブ・ダニエルは良質の地下水脈の上に立つと両脇腹に鋭い痛みを感じ、水脈の深さや地層の
種類までわかった。その能力は以前からあった持病の脇腹の痛みの薬として医者から睡眠薬を
処方されて以来身について、これで600以上の井戸を失敗なく堀り当てた。

 

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岩手に住むある男性が、家の中で携帯電話をどこへ置いたか忘れてしまった。
一階にある電話から携帯へとかけてみると、階段の踊り場にあった携帯電話が着信音を鳴らした。
男性は携帯電話を取った時に、気紛れで通話ボタンを押し、耳に押し当ててみた。
そこから聞こえる音は、自分の笑い声だった。

 

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日本のある数学者が不吉とされる数字を集め、ある規則に従って電話番号を作り出した。
彼はその番号に不服だったが、彼の友人は面白がってその番号に掛けてみた。
友人が野獣のような悲鳴を上げたかと思うと、耳から血を流し死んでしまった。
その番号の始めのくだりは「777」だったという。

 

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18世紀初頭、メキシコの地に赴任してきたフランシスコ・ヒメーネス神父は現地人から奇妙な話を聞いた。
現地人の話によるとメキシコの奥深くには巨大な竜がいて、迷い込んだ人間を驚かすという。
面白がったヒメーネスは数人の仲間を連れてその場所に向かったが、あるのは巨大な岩だけで他には何もない。
その話を現地人にしたところ、彼はその場所には岩など存在しないと言ったという。

 

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1872年11月4日にイタリアから出向したメアリー・セレナ号はその消息が途絶えていたが、
その丁度一ヵ月後に海上でデイ・グラチア号発見されたが、
不思議なことに中には誰もおらず、争った形跡も遭難していた痕跡も見当たらず、
入れたばかりのコーヒや食事が残ったまま乗員だけが忽然と消えていたという。

 

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上記のメアリー号だが別の逸話も存在するのはあまり知られていない。
発見されたメアリー号は船全体が嵐に被われたように水浸しで、船体は酷く歪み、至る所に争いの跡があったという。
デイ・グラチア号の船長はメアリー号を発見した時、首を傾げた。
同じ航路を辿ってきたグラチア号は船舶を水浸しにするほどの嵐など一度も見かけなかったからだ。

 

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ユタ州のラスキー夫妻が庭でバーベキューをしていると、隣の家の男に「こんばんは」と声を掛けられた。
彼が家に戻った後で、夫妻は顔を見合わせて笑った。「おかしな奴だな。まだ昼前だと言うのに」
ラスキー氏が夕食を終えて庭に出ると、隣の男が出かけるところだった。氏が「こんばんは」と声を掛けると、
男は不思議そうな顔をした。「おかしな奴だな。まだ昼前だと言うのに」とでも言いたげに。

 

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リンダ・スレッサー伯爵夫人はある日、出入りの貿易商から「若返りの乳液」を買った。老いたる夫人は侍女を呼び
身体のどんな皺でも消してしまうと言うその乳液を全身に塗らせた。翌朝、夫人の顔に刻まれていた皺は魔法のように消え失せ、
肌も十代の娘のような瑞々しさを取り戻していた。だが、夫人には喜びを言葉に出すことが出来なかった。
彼女は重篤な痴呆状態になっていた。どうやら、脳の皺まで消してしまったらしいのだ。

 

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探偵のベルモンド氏は、被害者の妻に尋ねた。「一体、ご主人の死体をどこに隠したんです?」
「これを使ったんですの」夫人は、小さな薬瓶を取り出した。ベルモンド氏の家にもある、ありふれた市販薬だ。
「奥さん、いくらなんでもそれで人間の死体は消せますまい」ベルモンド氏は笑った。
「あら、でも」夫人はその、消化薬の瓶を手にとって微笑んだ。「人間の食べた物なら消してくれますわ」

 

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1968年。満月の晩、当時5歳だったトム・キャンベルは眠れぬ夜を過ごしていた。無理に寝ようと強く目をつぶった彼は、
不意に瞼に光を感じ、目を開くと朝になっていた。もう一度瞬きすると再び夜になり、彼は面白がって何度もそれを繰り返した。
そのうちに眠りに落ちたトムが再び目を開けたとき、彼は自分の身体と寝室の景色の異変に気付き、飛び起きた。
一晩のうちに45歳になっていたトムは今も、書いた記憶のない自身の日記を読み返し、失われた40年を取り戻そうとしている。

 

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「無口で、冷たい人」ルカ・ステイツマンは友人たちに、自分の婚約者についてそう説明していた。
だから彼女たちが実際にルカのフィアンセに会った時には、彼がお喋りで明るい、義理堅い人物であることに
一様に驚き、ルカに訊ねた。「二人っきりの時は、冷たくなるの?」ルカは首を振った。
「ううん、もうすぐ冷たくなるの」彼女の婚約者が交通事故で死んだのは、その翌日のことだった。

 

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正倉院には、奇妙な装飾が施された人間の頭蓋骨が保管されている。聖武帝の治世に
新羅より伝来したとされ、後頭部に彫られた不思議な文様に帝も大いに心惹かれたと
言われているこの髑髏、宮内庁は現在、「贋作の疑い有り」として封印している。
髑髏に彫られていたのが、ユーラシア大陸を中心とした精緻な世界地図だと解ったためだ。

 

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永享四年。管領家支流の名門・室生家では当主と嫡子が相次いで没する不幸に見舞われた。
当主は風で倒れた庭木の下敷きになり、嫡子は突風に煽られて落馬。その日はどちらも自身の誕生日だった。
陰陽師に伺いを立て、「風、忌むべし」と告げられた次男は誕生日、屋敷から一歩も出ずに過ごした。
しかしその夜、彼もまた死んだ。死因は溺死だったが、場所は風呂であった。

 

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「ジェイムズの呪い」。ウェールズの旧家テイラー家では、当主の子にジェイムズと名付けると、
必ず20歳を前に死んでしまうと言う。18世紀末の当主・チャールズは酔狂な男で、わざわざ
自分の長男にジェイムズの名を付けた。ジェイムズは病気一つせずに20歳の誕生日を迎えたが、
その日、チャールズの妻が自殺した。息子が夫の子でないことを隠し続ける自信がなくなったためという。

 

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メキシコの漁師町。旅の男が酒場の女と恋に落ちた。二人は情熱的に愛し合ったが、ある日から
ぷつりと男の姿が見えなくなった。女は新しい男が出来て、まもなく身重になった。だが十月経っても
子は生まれず、女の腹はふくれるばかりで、やむなく切開で子を取り上げることになった。
女の腹を割き、医師は絶句した。中には、あの旅の男の死体が詰まっていた。

 

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ニューヨークのミラノというレストランには、いつもふらりと現れては
客たちに聞いたこともないような不思議な話を語って聞かせる名物男がいた。
彼が姿を見せなくなってから、常連たちはその愉快な友人について語り合った。
だが彼らはみな、男の話の内容どころか、その顔すら思い出せなかったという。

 

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某大物俳優のN氏は幽霊になった経験の持ち主だという。 軍隊でマラリアに罹り、野戦病院で死亡
したものと誤診され死体置き場に置かれた。 ついで火葬するために運びかけた時、目玉が動いたので
生きていることがわかり、危うく火葬をまぬがれたが事件は彼が死体置き場に横たわっているときに起こった。
彼の生霊が軍服を着て東京の実家に帰って、玄関の戸を開けて入り、家人に会っているのだ。

 

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1948年2月オランダ商船メダン号からSOS信号が発せられた。「乗組員が次々死んでいく、次は自分・・」で
信号は途切れた。救助隊がメダン号に乗り込んだところ、そこは遺体置き場の様相を呈していた。
どの死体の顔にもひどい恐怖の色がうかんでおり、飼い犬までもが牙をむき泡を吹いて死んでいた。
詳しい調査のため港に曳航しようとしたが火災を起こし、多くの謎とともに海中深く沈んでしまった。

 

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都内T区にあるRマンションの迷惑な話。
どの住民も一階に降りるときには必ずエレベーターを使うという。
何故か階段を使って二階から一階に降りると、決まって二階に降りてしまうという。
403号室の住人は「火災と停電が最も怖い」と語ってくれた。

 

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1963年8月、チリのタクナから西に約5kmの場所に直径約100mの大穴が出現したという記録ノートがある。
記録ノートは大穴の場所らしき所に落ちていた。ノートの文章と拾得者の筆記体は同一だが1873年には、まだ生まれていないという。
ノートには、夜に大穴の底を覗くと無数の光がちらちらと輝いてた。という観察や考察の文章、それと一枚のスケッチが描かれていた。
大穴の底を描いたらしきスケッチには、大小の生々しい無数の目玉がこちらを見つめるように書かれていたという。

 

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神田神保町の古書店には今も古い習慣がある。
厚さ約5cmの表紙も中身も無い白い本を見つからないように本棚へ長い期間隠しておく。
すると、本や客に影響されて、白い本が見たことも無い一冊の奇本へと変化するという。
しかし、期間中に見つけたり見つかってしまうと、たちまち元の白い本へと戻ってしまうそうだ。

 

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4月前半、新潟県の田んぼで面白いものが見れるらしい。
明け方の薄暗い中、地中から案山子のようなものが数本生えているという。
ある程度明るくなると案山子のようなものは一斉に素早く地中に潜ってしまう。
地元では蛇だと言われているが、果たして何なのか?

 

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1956年春のある晩、19才の息子ハリーが真夜中になっても帰宅せず母親は不安な気持ちで
ベッドに入った。 そして夢を見た。 息子がかすかに助けを呼んでいる夢だ。 朝の四時に母親は
息子を探しに出かけた。 田舎道をあてどもなく何マイルも車で行き来し、ある橋でスリップ跡を見つけた。
落ちた車に息子が閉じ込められていたのだ。 ハリーは母親が助けに来ることはわかっていたという。

 

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若いインド人のヴェドは3歳のとき脳膜炎で完全に失明したが
自転車にも乗れたし、ひとりでヒッチハイクもしてまわった。
なぜそんなことができるのか。自分でも正確に説明できないらしい
のだが皮膚を通して物が見える「顔面の視力」があるのだそうだ。

 

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南アフリカに住む20才の青年ジミー・ドブルインを見舞ったポルターガイスト事件は程度がひどすぎた。
通報を受け駆けつけた警官二人の目の前で2kgほどもある花瓶が2mも飛んで床に落ちて割れた。
次にジミー青年の白いシャツの胸に深い切り傷が現れ、彼は苦痛のあまり悲鳴を上げた。
目に見えない何者かに切られたその傷は外科用のメスですっぱり切られたようであったという。

 

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1950年。アイオワの農夫カーネギーは人の良い飲んだくれだったが、飲み過ぎると時折「入電だ!」と口走り、
ユニークな『未来のニュース』を語ったという。ニュースの日付は半世紀以上も先だったから確かめようもなく、仲間たちは
NYのビルに飛行機が突っ込むだの、黒人の大統領が生まれるだのという荒唐無稽なホラ話を楽しんでいた。
彼は60年に酒場で心臓発作を起こして死んだが、死の間際に友人たちは彼が「2015年以降、入電無し!」と叫ぶのを聞いたという。
弁護士のケン・オコナーはある日の帰り道、白い服の老人に「オコナーさんのお宅はどちらかな?」と呼び止められた。
彼は自分がオコナーだと名乗り老人を自宅に案内した。家に着くと、いつの間にか老人は消えていた。翌日、ケンは
サッカーくじで1000ドル儲けた。「あれは福の神だったに違いない」その次の週にも、ケンは見知らぬ老人に家を訊ねられた。
ケンは嬉々としてまた老人を案内した。翌朝、彼はベッドで冷たくなっていた。前夜の老人は、黒い服を着ていた。
その大学講師は、駅前の古書店で面白い本を見つけた。倒叙物の推理小説で、タイトルも作者も聞いたことがなかったが
彼はその本を購入した。後に、口論の末に婚約者を殺してしまった彼は、その小説のトリックを使って罪から逃れようとした。
だが自宅を訪ねてきた刑事の名刺を見て悲鳴を上げ、その場で自供した。刑事の名前が作中の探偵と同じだったから、
という自白の理由に捜査員たちは笑ったが、彼が本を買ったのは、主人公の殺人犯が自分と同姓同名だったからなのだ。
千葉県のある病院の外壁には、「幻の壁画」と呼ばれる落書きがあるとされている。描いたのは
末期癌で入院していた美大生で、彼女はその絶筆を描き上げ、絵の前で死んでいるのを朝になって発見された。
闘病の苦しみをそのまま絵にしたような禍々しい壁画には遺族さえも絶句し、絵はすぐに消されたのだが、
今でも何人もの夜勤の看護師や夜の見回りに出た警備員が、浮かび上がる壁画を見ているという。
始皇帝兵馬俑。発掘された八千体に及ぶ兵俑の顔は一つとして同じ物はないというが、1982年の調査時にこんな記録が残っている。
発掘中、調査団の学者の一人によく似た顔の兵俑を発見したのを皮切りに、次々と発掘メンバーにそっくりな兵俑が掘り出されたという。
中国人だけでなく、同行していた日本の学者や、指導者格のイギリス人研究者まで瓜二つの兵俑が見つかったのだが、一人だけ
結局「自分の」兵俑が見つからない作業員がいた。後年発見された始皇帝の肖像画は、その日雇いの農夫にそっくりだった。

 

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イギリスのドッジスンヒルという田舎町で殺人事件が起きた。
記録によると107年ぶりの殺人事件だそうで、町はちょっとした祭になった。
ヤードの刑事が来ると、住民が次々に「私が犯人だ!」と名乗り出るほど盛り上がったらしい。
しかし真犯人はすぐに見つかった。ただ1人、名乗り出てこなかった男が犯人だったのだ。

 

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アウシュビッツ収容所などで行われていた事を示す正確な資料は公表されていない。
当時のソビエト軍が、資料などをほとんど押収してしまったからである。
米英の調査委員会は、破棄されながらも焼け残った書類の一部を復元したのだが
「蘇生」「増殖」「処理できず」という言葉が繰り返されているだけで、結局何も分からなかった。

 

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日本の霊能者がテレビの企画でウィンチェスター家の「迷宮屋敷」を霊視することになった。
ウィンチェスター夫人が悪霊をなだめるため、死ぬまで屋敷を増改築し続けたそうである。
屋敷の図面を見た霊能者は中には入らないほうが良いです」とTVスタッフに警告した。
入り口から夫人の部屋に行くまでの道順が、偶然にも悪魔を召喚する魔法陣になっていたという。

 

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タイムマシンの可能性が話題に上る時よく持ち出される「親殺しのパラドックス」というものがある。
自分が生まれる前の時点で自分の親を殺したら自分は生まれず親も死なず自分が生まれて親は死ぬというものである。
あるアメリカに住む男性は父親とその知人から銃を持つことを禁じられ、所持することが出来ずにいる。
彼の父は若い頃暴漢に襲われたことがあるのだが、暴漢が銃を持っていたら間違いなく助からなかったのだという。

 

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かつて群馬県に「弥平どんのお宮」と呼ばれる建築物があった。文献によると「お宮」はいくつかの
石造の高層建築物から成り、遠くから見ると巨大な熊手のようだったという。一人の農夫がその生涯をかけて
築いたという「お宮」も安政の震災で崩れ、蒲生君平の筆とされるスケッチがにその姿を残すばかりだが、
そこに描かれている物に眉をひそめる人も多い。スペインのサグラダファミリア聖堂そのものなのだから。

 

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かつて佐賀県に「艦隊島」と呼ばれる四つの島があった。長崎の軍艦島を捩った通称だが、埋め立てによる
直線的な海岸線と、漁民のための集合住宅のシルエットは、朝霧に霞むと本当に四隻の軍艦のようだったという。
この艦隊島、1944年、一晩にして合計千人近い住人ごと忽然と姿を消した。海底火山の噴火による
地盤沈下と推測されるが、お国の危機を救うため島が本当に出航したのだ、と語る人は少なくない。

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