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絶対に立ち入ってはいけない日本の『禁足地』22ヶ所

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絶対に立ち入ってはいけない日本の『禁足地』22ヶ所 オカルト
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禁足地とは、その地にまつわる歴史や宗教上の背景から、絶対に立ち入ってはいけないとされる場所のことです。

聖域でもある禁足地には、入ってはいけない理由が明確でない場所も存在します。
神社神道では、神域を示す結界の境界線を示すために、境内や社では意図的に段差を設けたり、柵、鳥居や注連縄などを用いられています。また古来より郊外の集落につながる道の辻などに配置された道祖神、庚申塔、祠、地蔵などの石仏は、神域との結界の役割をしていたともいわれています。
他にも沖ノ島などは社(やしろ)や森だけでなく島全体が神域となっていて禁足地になっている場所もあります。

ここでは、日本に存在する聖域・神域と言われる禁足地、恐怖を感じさせる禁足地を紹介していきます。

 

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絶対に立ち入ってはいけない日本の『禁足地』

 

 

「沖ノ島」福岡県宗像市

 

「神の島」と呼ばれ、島全体が宗像大社沖津宮の御神体で、今でも女人禁制の伝統を守っている。また、男性でも一般人は毎年5月27日の現地大祭以外は上陸を基本的に認められず、その数も200人程度に制限されてきた。世界遺産登録に際して、島への接近・上陸対策の強化をユネスコから要請されたため、2018年からは研究者らを除く一般人の上陸は全面禁止とすることを宗像大社が2017年7月に決定した。

沖ノ島は不言様(おいわずさま)とも呼ばれており、島の中で見たものや起きたことは他言無用とされてきました。

年に1度、5月27日に行われる沖津宮現地大祭の日に一般人の上陸を認めていますが、その際には以下のような厳しい決まり事が設けられています。

島に入れるのは男性のみ。女人禁制
上陸前に禊をすること
島内で4本足の獣の肉を食べてはいけない
島にあるものを外部に持ち出してはいけない

「腹切りやぐら」神奈川県

禁忌のやぐら

・心霊スポット名:腹切りやぐら-はらきりやぐら
・住所:神奈川県鎌倉市小町3丁目

名前だけでも近づきたくないです。
腹切りやぐらにまつわる伝説

東勝寺跡にある「腹切りやぐら」は、元弘3年(1333年)に新田義貞に攻め込まれ、敗走した北条高時が自ら一族郎党800余人と共に自決した場所である。
東勝寺跡は現在ハイキングコースとなっているのだが、腹切りやぐらの近くを通ると気分が悪くなる人が続出しているらしい。
他にも、落ち武者の幽霊の目撃談が数多く報告されている。

しかしこの周辺に住んでいる方は

近隣に住む方から話を聞いてみると“ただただ静かなところ”だと言う。それが近年になり、深夜に訪れる方々の騒がしい行為に、ほとほと頭を悩ませている様子も伺えた。

画像にもあるように参拝以外の立ち入りは禁止ですので悪ふざけで行くのはやめましょう!!

以下、ネットでの書き込み。

 

夥しい血を吸った 禁忌のやぐら(岩窟)

鎌倉駅東口から徒歩20分、自然に囲まれたハイキングコースにある、その古びた立て札の前で足を止める人は今では少ない。

ただし、近くに住宅街があるにもかかわらず、その付近は一種異様な静けさをたたえている。
あぜ道は先細りで狭くなり(その幅50㎝という場所も)、その横は切り立った崖で、それがなおさら不気味さを演出しているようだ。

ここを通る人の中には気分を悪くして引き返す人も多いという。

崖と曲がりくねった細道に幻惑され、パース感覚が狂うからだ。

いわゆるパース酔いである。現地の人でもときどき足を滑らせるというから注意が必要だ。

ここはかつて東勝寺があった場所として知られている。

同寺は、13世紀前半に鎌倉幕府の三代執権北条泰時が創建した寺院だ。

元弘3(1333)年、新田義貞らの鎌倉攻めの時、北条高時以下の一族郎党約800名がここに立てこもり、火をかけ、壮絶な自害を果てたといわれる場所でもある。

通称、腹切りやぐら。
「やぐら」といっても、盆踊りなどで立つあのやぐらではなく、岩窟のこと(正式名称は「宝戒寺二世普川国師入定窟」)。

そして武士にとっての自害とは言うまでもなく切腹のことである。

800余人が、高さ2m、幅3mもない、深さ100m程度の洞穴の中で、腹を十文字にかっさばいて果てたのだ。

夥しい血は悪魔の口のように洞窟を真っ赤に染め、幾筋の川となって大地に流れ込んだという。

しぼり出させるうめき声は反響し合い、こだまとなってはるか三里先の村落にまで届いたと伝えられている。

そして寺院を焼く炎は遠目には赤い金屏風のように見えたとも。

大正の初めころまで、洞窟を掘ると三つ鱗の印のある北條氏ゆかりの瓦に混じって人骨が発見されたらしい。

寺はその後直ちに再興され、室町時代には関東十刹の第3位に列する名刹となったが、戦国時代には廃絶したといわれている。以後、長らく顧みるものもなく、不気味な洞窟とそれにまつわる怪談だけが残った。

その怪談とは、曰く「血だらけの武者の亡霊を見た」。曰く「やぐらの近くに散らばっている落ち葉を触ったら人間の血がついていた」云々。

現在は足利尊氏ゆかりの宝戒寺の管理下にあり、供養のためか無数の卒塔婆が立てられているが、この中にときどき赤い卒塔婆が混じっていると、これまた怪談じみた都市伝説がまことしやかに伝わっている。

卒塔婆に「高倉健」と回向主の名を記されたものを散見する。

あの俳優・高倉健(本名・小田剛一)その人である。

実は健サンのご先祖はこの地で没した北条氏豪族のひとり、苅田式部太夫篤時(北条篤時)だったりするのだ。

篤時は自刃する際、まだ幼いわが子を哀れみ、岡山経由で北九州に逃した。

その子孫が後世、筑前(福岡)で両替商を営む小田家となり、それが健サンの実家なのだという。

律儀で人情家として知られる健サンだが、700年も前に不幸な死を遂げたご先祖様の供養をかかさないとは、いかにも彼らしい。

むろん、正式の手続きを踏めば、誰でも供養の卒塔婆を建立できる。

 

 

「犬鳴峠」福岡県

 

※ネットでの書き込み

殺人事件や死体遺棄が 多発する魔の峠

その名もどこかおどろおどろしい犬鳴峠は、福岡県宮若市と同県糟屋郡久山町との境を跨ぐ峠である。ここは西日本有数の心霊スポットとしても知られ、その筋のマニアの訪問が絶えないという。
峠周辺は交通の難所で、冬には積雪や路面凍結のため、交通事故も多く発生する。

また、旧道の一部は犬鳴ダム建設時に地盤が沈下し、ごみの不法投棄や暴走族の溜まり場となったりするなどの問題が発生したことから、旧道トンネルは閉鎖。

現在その入り口は厚いコンクリートブロックで覆われており、その外観は異様な雰囲気をたたえている。

閉鎖されている道路は道幅が極端に狭く、一部では崖崩れなどで通行が非常に危険であるため立入禁止。

無断で立ち入った場合、法律・条例等で処罰の対象となるが、その禁を犯して侵入する心霊マニアに地元住民、警察が頭を悩ませているという。

都市伝説によれば、トンネルの入り口付近に「白のセダンは迂回してください」という看板が立てられているというが、現在それは確認できない。

なんでもこの付近では、白いセダンでの事故が多発しているとのことである(また、ここを白い車が通るとなぜかシートがぐっしょりと濡れるという「怪談」も聞く)。

実際、旧道のあたりは急カーブが多く、ドライバーには注意を呼びかけてはいるが、白い車に限って事故が多発しているという事実はないというのが、地元の話である。

また、旧道トンネルの横に普通では絶対見落としてしまうような畦道があり、その畦道を上っていくと道は先細りで狭くなっていき、さらに上っていくと、そこには地図に載っていない村落があり、畦道の途中には「この先、日本国憲法はつうじません」といった内容の立て札もあるという。

また、その村落の広場にはボロボロになったセダンが祀られているという話もある。さらに奇妙なことにその周辺では、どこのメーカーの携帯電話も圏外になるという現象も報告されており、この場所からもっとも近いコンビニの公衆電話は110番が通じないとも言われている。

一説によると、この村(犬鳴村)は江戸時代以前にとても酷い差別を受けていており、そのためにいつからか外界との接触を一切断ち、その村だけで自給自足するようになったとのことである。

また女性の絶対数が少ないため代々近親相姦を繰り返し、村民は遺伝的に特異な体質(足が極端に速い。耳が尖っている。夜目が利く。

また言語に現在の日本語から喪失されてしてしまった母音がある)を有するようになったともいわれるが、むろん、古文書や寺の過去帳にも、そのような事実を証明する記述は一切見つかっていないという。

だが、なぜかこの地域で猟奇的な事件がよく発生するのは事実のようで、昭和63(1988)年12月、自動車を窃盗しようとしていた少年ら5人が、それを見咎めた車のオーナーでもある知り合いの工員(当時20歳)を拉致監禁、工員が逃亡を図ったため、リンチの末両手両足を縛り、旧犬鳴トンネルで全身にガソリンを浴びせ生きたまま焼殺するというむごたらしい事件が起こっている。

犯人グループはすぐに逮捕され、主犯は無期懲役判決を受けている。また平成12(2000)年には、この付近で死体遺棄事件が発生しているという。やはりここには不気味で怪異な磁力が存在するのであろうか。

 

「オソロシドコロ」長崎県対馬市

 

対馬固有の「天道信仰」の聖地であり、古来より禁足地とされています。

オソロシドコロ=恐ろし所との名のとおり、聖地・龍良山にある、立ち入ること禁じられた原生林で、その龍良山の中でも、神様が祀られているとされる場所は立ち入りが禁止される禁足地帯となっています。

天道法師を祀った石塔が『表八丁角』、その母親を祀るのが『裏八丁角』といわれています。
天道法師のお墓がある「八丁郭」には決してお尻を向けてはならず、参拝をした時には後ろ向きに歩いて帰るという決まりもあるのです。

オソロシドコロに入る前には、塩で身を清め、山中では物を落としても拾わない、大声を出さない、転んではいけないという決まり事があるそうです。

誤って森に入り、『表八丁角』『裏八丁角』の石塔を見てしまったら、履いていた草履を頭にのせ『いんのこ(犬の子)』と唱えながら後ずさりして戻らなければ、命を落とすとされています」。また、鳥居をくぐる時には自分の履物を頭にのせて、「いんのこ、いんのこ」と唱えながら通らないといけないとも言われています。

 

 

「常紋トンネル」北海道

北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線にある単線非電化の鉄道トンネル。
昭和の最後までSLが運行されていた路線で鉄道ファンには撮影の絶好ポイントとして知られていたそうです。

常紋トンネルにまつわる伝説には、以下のようなものがある。

人柱が発見されたトンネル

昭和43(1968)年、北海道をマグニチュード8・2の十勝沖地震が襲った。
各地に巨大な被害をもたらしたこの地震で、常紋トンネルも壁面が崩落する被害を被った。

大正3(1914)年に開通してから、老朽化していたトンネルは損傷が激しく、昭和45(1970)年になり、本格的な改修工事が行われることになった。古い壁面を剥がして、全面的に改修する大規模な工事である。

そこで作業員たちは、見つけてしまったのだ。
壁面の奥に埋め込まれるように立ったままの姿の人骨を……。
それだけではなかった。資材の置き場をつくるために、トンネルの周囲を整地していたところ、次々と人骨が掘り起こされたのである。

以下、ネットでの書き込み。

 

本当に人柱が発見された 最恐の幽霊トンネル

北海道の新旭川駅から網走駅を結ぶ石北本線。

急勾配の続くこの路線は、昭和の最後までSLが運行されていた路線で、鉄道ファンには撮影の絶好ポイントとして広く知られていた。
同時に、途中に存在する常紋トンネルには古くから伝説があり、それはトンネルに幽霊が出るという噂だった。

曰く「深夜に列車に揺られていると、トンネルが近づいた途端に、青白い顔をした着物をまとった乗客でいっぱいになり、トンネルを出ると消えてしまう」

「機関士が人影に気づいて急ブレーキをかけたのだが、てっきり轢いてしまったと思ったら、誰もいなかった」というものだ。

全国各地のトンネルには似たような伝承があり、ここもその類のようなものだと思われていた。しかし、それは伝説ではなかった。

昭和43(1968)年、北海道をマグニチュード8・2の十勝沖地震が襲った。

各地に巨大な被害をもたらしたこの地震で、常紋トンネルも壁面が崩落する被害を被った。

大正3(1914)年に開通してから、老朽化していたトンネルは損傷が激しく、昭和45(1970)年になり、本格的な改修工事が行われることになった。古い壁面を剥がして、全面的に改修する大規模な工事である。

そこで作業員たちは、見つけてしまったのだ。

壁面の奥に埋め込まれるように立ったままの姿の人骨を……。

それだけではなかった。資材の置き場をつくるために、トンネルの周囲を整地していたところ、次々と人骨が掘り起こされたのである。

しかも、多くの人骨は折れたり、砕けたり、明らかに暴行を受けたあとがあったのだ。

その数は一説には500体以上とも言われている。

話は、常紋トンネル建設中に遡る。

旭川から網走までを繋ぐ石北本線の建設が急がれていた頃、トンネルがある北見峠は人家もなく、原生林が広がる難所だった。

ヒグマも出没し、大量のアブや蚊に悩まされる中での工事は、困難を極め、そんな不毛の地で安く使える労働力、それは「タコ」労働者たちだった。

それは、現在では考えられない過酷な奴隷労働の世界だった。

そこで働くのは、借金のカタや、あるいは甘言に騙されて本州から送り込まれた労働者たちで、朝から晩まで過酷な肉体労働を強いられた。

当時の証言によれば、重労働は1日15時間以上も続き、休みは1日もなかったという。

食事の時間も座ることは許されず、立ったまま食べさせられ、またそれでも賃金をもらえるのならいいが、僅かな賃金も、食事代、布団代、タバコ代など様々な理由をつけて収奪されるのだ。

夜は施錠された牢獄のような宿舎に監禁され、昼間は監視されながらの作業が、終わりなく続いていく。

当然「騙された!」と脱走を試みるものもいるが、周囲はまったくの原野である。

逃げても人里まで辿り着くことはままならない。

捕らえられた脱走者には見せしめとして、リンチが待っていた。

殴る蹴るならまだマシな方で、夏には裸で木に縛り付けておくというリンチもよく行われた。

夜になると、アブや蚊が群がってきて、身体が虫さされだらけになるのだ。

3日も縛られていると、かゆさと痛みに耐えきれず、そのまま発狂するか衰弱死してしまう。

そうしたリンチに恐れをなして、恐怖に怯えながら従順に作業を続けていても、病気になればおしまいである。

治療も受けさせて貰えず放置されて死んでしまえば、そのあたりに穴を掘って、埋められてしまうのだ……。

はからずも、幽霊が単なる伝説ではないことが、証明されてしまった希有な例である常紋トンネル。

今では慰霊碑が建立され、無念の霊を弔っている。

しかし、現在でも、この地は人気の少ない原野が広がる地域である。もしも、深夜に人気のない列車に揺られていれば、彼らに出会うこともあるだろう。

21世紀になっても、ここは心臓の弱い人は決して近寄ってはならない、立入禁止地帯なのである。

 

 

「新城島」沖縄県

通称、人魚島と言われている。

上地島港には「来島者へお願い 1.無断でお宮に入ったり、勝手に願い事をしてはならない」と書かれた看板がある。

年に一度のアカマタ・クロマタと言われている豊年祭は、部外者はかなり厳しく制限されていて、関係者以外は行っても追い返されると言われています。
島民に扮してお祭りに潜入した学生が、島民からリンチを受けたとか、盗撮したカメラマンが謎の死を遂げただとか、都市伝説的な噂もあるようです。

以下はネットでの書き込み。

島民以外は立入禁止 秘儀・奇祭の島

沖縄の八重山諸島のA島は、K島とS島の二つの島からなる離島で、住民は両島を合わせてわずかに十数人に過ぎない過疎の島である。

この島は、古来より人魚を祀る島という伝説が残っており、人魚を守る神社や、神が通るとされる道が今でも信仰として生きている。
人口はわずか十数人の島だが、年間2000人あまりの観光客が訪れるため、島のあちこちには信仰の場を穢さないための注意書きが示されている。

K島港には「来島者へお願い 無断でお宮に入ったり、勝手に願い事をしてはならない A島公民館長」と書かれた看板が掲示されており、また、神社の周辺などには「写真撮影禁止」「住民以外の立ち入り禁止」の看板もある。

特に、厳しく禁じられているのは、神社で勝手に願掛けをすることである。

八重山諸島に伝わる御嶽信仰は神に仕える女性を中心に行われるもので、かってに神を拝むことも戒められているのである。

住民でも女性以外は、信仰のすべてを知ることができないという、極めて特殊な土俗信仰が生きるこの島でもっとも謎めいているのが、旧暦の6月に行われる「アカタマクロタマ」と呼ばれる奇祭である。

この祭りの期間、普段は過疎の島は村の出身者などが帰島してきて、滞在者は数百名あまりに膨れあがる。

同時に、島に血縁のある者以外はすべて上陸を禁止されるのだ。

まさに、秘められた島で行われる秘祭だ。その様子は、撮影することも写生することも、録音することもすべては禁止されている。

漏れ伝わる情報や、八重山諸島の他の島で行われている祭りから推測される、この秘祭の実情は次のようなものだ。

祭りの中心である、アカマタとクロマタと呼ばれる2柱の神は、全身を草に覆われ、だるまやフクロウのようにも見える南方系の意匠のかぶり物である。

その背丈は180㎝ほどと大きく、アカマタは赤面をクロマタは黒面で、どちらも縦長の鼻に丸い目と細かいギザギザの歯を持ち、目と歯の両端に細長いヒゲもあるというものだ。

この神を下ろす儀式の実態はまったく不明だが、おそらくは御嶽で神下ろしの儀式が行われ、かぶり物をした巫女が、神の依り代として村の中をめぐるようだ。

神は、夕方になると数十人の太鼓を叩く人々を伴って村の家を一軒ずつ訪問する。人々は、口々に歌いながら、アカマタとクロマタを呼び歌い踊るという。

神々は「ナミダ」と呼ばれる精霊が宿った人々によって先導されて移動し、夜が明けるころには、村からは消えていくという。

この祭りが、決して島の外の人々には口外してはならないことになった理由は定かではない。

一説にはかつては、祭りを通じて男女が交わる行為も行われており禁じられたからというものもある。

いずれにせよ、前述のように外部の人間が祭りを見物するのは、ほぼ不可能だ。

かつて、ある大学教授が島に潜入して撮影を試みたこともあるというが、潜入を手引きした島出身の若者は謎の事故死を遂げ、教授宅は不審火で全焼して記録したフィルムも灰燼に帰したとされる。

この事件が偶然の出来事であるか否かは明らかでないが、島の人々が祭りの秘儀を決して外には漏れないように必死であるという事実ゆえに、様々な形で尾ひれがついて伝わっているようだ。

これまで、いくつかの雑誌などで、この島の祭りの様子を撮影したと称する写真が出回っているが、それが本物であるという確証はどこにもない。

依然として、この祭りは秘密のベールに包まれた立入禁止イベントとなっているのである。

 

「石上神宮」奈良県

 

石上神宮は、大和朝廷発祥の長い歴史を持つ古社です。
この神社には本来、本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」などと称して祀り、またそこには2つの神宝が埋斎されていると伝えられていました。

1874年(明治7年)の発掘を期に、出土した刀(布都御魂剣)や曲玉などの神宝を奉斎するため本殿を建造(建造のための1878年(明治11年)の禁足地再発掘でも刀(天羽々斬剣)が出土し、これも奉斎した)。1913年(大正2年)には本殿が完成した。禁足地は今もなお、布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれています。

 

「エシュロン」青森県

近づく者は射殺する秘密の基地

青森県の三沢基地にあるこの球体。
エシュロンはアメリカ合衆国を中心に構築された軍事目的の通信傍受システム。同国の国家安全保障局主体で運営されていると欧州連合などが指摘している一方、アメリカ合衆国連邦政府自身が認めたことはない。収集・分析・分類・蓄積・提供の各機能によって構成されていると考えられている。

周りの柵からして嫌な臭いしかしません。
エシュロンにまつわる伝説

ある新聞社の記者によれば、英語ですぐに立ち去るように命令し、撮影を止めさせようとする米兵に対して、自分たちが立っている道路は基地の外であると主張したところ、銃口を向けて来たという。

彼らは、基地を撮影しようとする者を「スパイ容疑」で射殺することにも躊躇しないのだ。
多くの米軍基地を取材している軍事ジャーナリストたちも、不審人物に本気で発砲する気で警備が行われているのは、日本国内では三沢基地のこのエリアだけだという。

果たして、ほんとうに三沢基地の内部にエシュロンは存在するのか?日本人が決して立ち入れないこの施設の謎は、未だに解明されていない。

相手はお化けじゃないけど怖いですね。にしても撮影したら射殺されるのにこの画像を撮った人は誰なんだろう。

以下、ネットでの書き込み。

 

近づく者は射殺も! 極秘盗聴システムの基地

2011年9月、ジャーナリストの池上彰が出演した番組で解説し、一気に存在を知らしめた「エシュロン」。

それは、アメリカが中心になって構築された、世界のあらゆる情報を集める通信傍受システムである。

フジテレビが報じたこの番組『池上彰緊急スペシャル 世界が変わった日』は、これまで一般メディアでは、語られることのなかったエシュロンの正体を徹底的に解説したのである。

池上が、危険を冒してまでエシュロンの存在を語ったのは、ジャーナリストの使命としてなのか、あるいは政治的意図があるのかは明らかでない。

それでも、池上が「青森県の三沢基地にエシュロンの傍受施設が存在する」と暴露したのは、衝撃的だった。謎のベールに包まれたエシュロンとは、なんなのか?

エシュロンは、米国・英国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドの5カ国で運営しているとされる、通信傍受システムだ。

このシステムは、アメリカの国家安全保障局が主体で運営をしており、携帯電話・メール・無線・FAXといったあらゆる情報を蓄積することを目的にしているという。

そうした膨大な情報に対して「アルカイダ」「爆弾」「自爆」などのキーワードを打ち込めば、関連する情報や、発信者・受信者まで一度に表示することができるという。

いわば、個人のメールのやり取りや、携帯電話での会話内容まで検索できる、ハイパーな「Google」と考えるとちょうどいい。

その存在は、21世紀初頭から噂されていたが、存在が確認されることはなかった。

というのも「そのような膨大な情報を集めたとして、必要な情報を選択できるはずがない」と考えられていたからだ。

だが、インターネットの急速な発展は、それを可能にした。進化した検索システムは、膨大な情報の中から必要なものを瞬時に選び出すことができるようになったからだ。

その能力は、1分間に300万の通信を傍受できるという。もはや、すべての情報はアメリカに筒抜けになっているに等しいということだ。

アメリカは、公式にエシュロンの存在を認めたことはない。

ゆえに、現在でも「単なる都市伝説だ」と主張する人々も絶えない。

しかし、エシュロンの傍受設備があるとされる、青森県の三沢基地を訪れると、やはり「あるとしか思えない」と誰もが気づくはずだ。

エシュロンの傍受システムの根幹をなすとされる、白いドーム状の施設があるのは三沢基地の一角にある在日アメリカ軍三沢基地姉沼通信所だ。この通信所は、冷戦時代より対ソ連・中国に向けた通信傍受システムが設置されていたことでも知られる場所だ。

基地の周囲には沼が存在するが、基地の壁に沿って一般道路が通っており、通信施設群を間近に見ることはできる。

普通に通行しているだけならば問題はなさそうな道だが、基地に近づく者はすべて監視対象にされているのだ。

これまでも、何人かのマスコミ関係者が基地に近づき、エシュロンの傍受システムと噂されるドーム状の施設を撮影しようと試みたが、立ち止まったりカメラを取り出した途端に、基地の中から警備兵が飛び出してきて、英語で威嚇してきたという。

ある新聞社の記者によれば、英語ですぐに立ち去るように命令し、撮影を止めさせようとする米兵に対して、自分たちが立っている道路は基地の外であると主張したところ、銃口を向けて来たという。

彼らは、基地を撮影しようとする者を「スパイ容疑」で射殺することにも躊躇しないのだ。

多くの米軍基地を取材している軍事ジャーナリストたちも、不審人物に本気で発砲する気で警備が行われているのは、日本国内では三沢基地のこのエリアだけだという。

果たして、ほんとうに三沢基地の内部にエシュロンは存在するのか?日本人が決して立ち入れないこの施設の謎は、未だに解明されていない。

 

 

「八幡の藪知らず」千葉県

古来より知られる禁足の地

タタリの藪知らずとも呼ばれる八幡の藪知らずは、千葉県の国道14号沿いの市川市役所の向かいに位置する。この藪には、一度藪にはいったら二度と出てこられなくなるという伝承がある。

人通りは多いみたいです。
八幡の藪知らずにまつわる伝説

タタリの藪知らずとも呼ばれる八幡の藪知らずは、国道14号沿いの市川市役所の向かいに位置する。この藪には、一度藪にはいったら二度と出てこられなくなるという伝承がある。古くから伝わる伝承の他にも、藪の竹を切ろうとした者が大怪我をしたり、変死してしまったという噂もある。藪自体はけっして大きいわけではない。奥行き幅とも18mに過ぎないのだ。文献によると少なくとも江戸時代にはこの大きさになっていたそうだ。
しかし、こんな小さな藪にも関わらず、入ったら必ず迷ってしまう禁断の森として数百年の時間を越えてもなおその霊的な力は衰えていないのだ。

はいらないようにしましょう!

八幡の藪知らずは別名「祟りの藪知らず」とも呼ばれています。藪と言っても面積は狭く、その奥行と幅は共に20m足らずしかありません。

しかし、一度入ったら二度と出てこれなくなると恐れられているのです。決して迷ってしまって出てこれなくなるのではなく、神隠しにあってしまう人が多いのだと言われています。

江戸時代には現在の状態であったという八幡の藪知らずは、藪の中の竹を切った者が変死したという伝承もあり、現在もこの一角だけ、鬱蒼と竹が茂っています。

以下、ネットでの書き込み。

 

入ると二度と出られない 禁足の森

千葉県市川市にある「八幡の藪知らず」は、古来より知られる立入禁止スポットだ。

ここが、立入禁止となっている理由は“禁足地”とされていることにある。
禁足地とは、古くから使われる言葉で、神様のための特別な場所を指すものとされる。

山そのものをご神体として祀っている神社では、山そのものを禁足地としている場合がある。

そういうことから、非常に神聖で荘厳な場所を想像するが、実際に八幡の藪知らずを訪れてみると、驚くことになる。

場所は、JRの本八幡駅から徒歩5分ほどの距離で、交通量の多い国道に面した市役所の向かいにある、こじんまりとした森がそれだ。

広さは、縦横ともに18mほど。
一部が道路拡張で削られたというが、江戸時代の文献に記された当時から、広さはあまり変わっていない。

ちょっとがっかりしてしまう雰囲気の単なる林なのだが、ここには江戸時代から続く伝承がある。

それは「この藪に足を踏み入れたものは、二度と出てくることができない」というものである。

実に、この伝承こそが数ある禁足地の中で、八幡の藪知らずを有名にしている理由だ。

しかしながら、前述のように、森になっているとはいっても、とても迷うような広さではない。よほどの方向音痴でも、森の中で方向を見誤ることはないだろう。

それにも関わらず、二度と出られなくなるという伝承は、いまだに根強く信じられており、森の周囲には人が入れないように厳重な柵が作られている。

では、なぜこの場所は禁足地として畏敬の念を抱かれるようになったのだろうか?

江戸時代からの伝承で数多く語られるのは、ここが貴人が利用した場所、あるいは墓所だからという説だ。

この説は多種多様で、日本武尊の陣屋として使われたため、畏れ多いと考えられて禁足地となったという説もあれば、平良将(平将門の父)あるいは、平将門の墓であるという説もある。

また、平将門の家臣が、この地で将門の首を守りつづけて、泥人形になった逸話と結びつけて語られることもある。

さらに、この場所はかつては命に関わる危険な場所だったという説もある。

一つは、藪の中が底なし沼となっているというもの。

もう一つは、中央部の窪地から毒ガスが出ていたというものだ。いずれの説も、この地の郷土史書である『千葉県東葛飾郡誌』に記されているものだが、現在は沼も見えないし、毒ガスが発生する事件も起こっていない。

もう少しまともな説としては、現在は別の場所にある葛飾八幡宮がこの場所に建っており、神事に使う池があったことから禁足地に定められ、時代が過ぎる中で伝承が失われたというものもある。

ともあれ、江戸時代を通じて「二度と出られない」伝承と共に、様々な説が唱えられ現在に続いているが、いまだに決定的な答えは出ていない。

しかも、禁足地といいつつも昔から度胸試しに入ってみる者も多かったのは確かなようだ。

ちなみに、時代劇で知られる水戸黄門も八幡の藪知らずに足を踏み入れたとされる。

水戸黄門が、どういう理由で入ってみたのかは不明だが、藪の中で水戸黄門は、次々と妖怪に出くわしたという。

まったく臆することない水戸黄門だったが、伝承の通り出口が分からなくなってしまった。

そうしたところ、困った水戸黄門の前に、白髪の貴人が現れ「この場所は、人間の入る場所ではない」と告げられ、気がつくと外に出ていたという。

実際に足を踏み入れたら水戸黄門と同じような怪異に出くわしてしまうのだろうか?

この場所を心霊スポットと考えて、肝試しに近づく者は多いが中に足を踏み入れたことを報告する者は、誰一人としていない。

 

 

奥の院「御廟(ごびょう)」和歌山県高野山

 

和歌山県にある高野山は全て真言宗総本山の寺院「金剛峯寺(こんごうぶじ)」の境内となっており、多数の寺院やお墓などが立ち並んでいます。大きく分けると6地区が存在し、その中の「奥の院地区」のさらに奥に禁足地が存在します。

そこは「御廟(ごびょう)」と呼ばれ、真言教の開祖である「弘法大師空海」が今も修行をしている場所だとされています。

この御廟に立ち入りを許されているのは、空海のために朝晩二回の食事と衣服を運ぶ事を役割とする「維那(いな)」と呼ばれる僧侶のみで、維那は、御廟の中での事は一切他言無用とされています。

高野山には織田信長をはじめとし、有名な戦国武将や皇族のお墓、慰霊碑が点在しています。

 

「ポルターガイスト団地」

十数年前に騒ぎになった住宅

この団地ではポルターガイスト現象が起こるそうな
○ 食器が勝手に飛び出した。( お皿が横に飛ぶ )
主婦が見ている前で、磁石式の開閉扉が勝手に開いて、中の食器が飛び出した。約2メートルの地点まで飛んだ。そうしたことが一度だけでなく、何回も起きた。
○ 磁器のお茶碗の一部が、四角くナイフで切り取ったように割れた。
○ 玄関のドアが開く音がした後で、下駄箱がひとりでにあいてしまう。そうしたことが何度も起きた。おちょくられているような気がした。
○ テレビのチャンネルが、勝手に変わる。
○ コンセントが差していないヘアドライアーから、熱風が出ていた。
○ シャワーが勝手に出ていた。気が付いて止めにいくと、水はとまっているが床は濡れていた。
○ のこぎり、金槌、階段を上る音などが聞こえた。
○ ある時、女の人をみた。ふと気がつくと消えていた。
○ 窓のカーテンが、ひとりでに開いた。しかも、一気に開くのではなく、四段階に分けて少しずつ開いた。それが住人が見ている眼の前で起きた。

なんでこんな現象が起こるのでしょう・・

以下はネットでの書き込み。

 

今も健在! 恐怖のポルターガイスト団地

〝ポルターガイスト〟とは「騒がしい霊」という意味のドイツ語で、超常現象に興味がある人たちにとっては、もはやおなじみの言葉である。
この「ポルターガイスト」という言葉が、映画や小説などの創作の世界ではなく、真実だけを伝える(はずの)立派なニュース番組で取り上げられたことがある。

それが1999年から2000年にかけて岐阜県のT町にある、何の変哲もない町営住宅で起こった「ポルターガイストマンション事件」だ。

報道したのは、当時のテレビ朝日を代表する報道番組、久米宏が司会する『ニュースステーション』。

さらには、フジテレビや日本テレビなどのワイドショーも飛びついたことで、全国的には無名であったT町は、一躍その名を知られることになった。

怪現象が起こると言われた町営住宅は、鉄筋コンクリート造りの4階建て。家賃も2LDKで約3万円という低価格だったこともあり、若い夫婦を中心に入居希望者が殺到。完成して1ヵ月も待たずに24部屋全てが埋まった。

そんな人気住宅に怪現象が起こり始めたのは、全て世帯の入居が完了した直後の1999年4月頃。

はじめの頃は一部の部屋で玄関が勝手に開いたり、天井から物音がする程度の話だったという。

しかし瞬く間に怪現象は団地全体に広がり、全24世帯のうち10世帯が早々に引き払い、文字通りゴーストマンションと化してしまうのであった。

最も被害が大きかったのは404号室で、食器棚のガラス扉がガタガタと音を出して突然開き、中から茶碗や皿が何枚も飛び出すという、まさにポルターガイストの典型と呼ぶべき現象が相次いだ。

またこの住宅の自治会長を務めた101号室の男性宅でも、「カーテンが開く音がしたので見ていたら、誰も触っていないのに少しずつ開いていった」など、にわかには信じがたい怪現象が頻繁に発生したという

さらには「夜に4階の階段で黒い髪のグレーの服を着た知らない女性を見た」「ベランダで白い影が動いた」など、霊の目撃情報も噂されるようになったことから、祈祷師を呼ぶ事態にまで発展。

その祈祷師は「30年ほど前に自殺した女性の霊がいる」と語り、実際にその頃にこの辺りで自殺した女性がいたため、幽霊騒動はさらに過熱していった。

祈祷師が霊を祓った後も怪現象は収まらない。ある日、3階に住む主婦とその上の階に住む主婦の2人が、自治会長宅に血相を変えて飛び込んで来たことがあった。

「夜9時過ぎになると1日おきに上の階から子供がトントン飛び回る音がする。4階の主婦に聞いたら子供はもう寝ていて音がするわけないという」

これはこの3階の主婦の話だが、その後も3階に住む他の主婦も、子供の足音やテーブルを引きずるような音を確認。後日上の階に尋ねると、夜は怖いので別のところに泊まっているとのことだった。

あのスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏も噂を聞きつけ、早々にこのマンションを訪れている。彼は「多くの戦国武将や雑兵らの霊が徘徊していて、それがポルターガイスト現象の原因」という霊視をしたという。

江原氏だけでなく、その後も〝自称〟霊能者たちが全国から殺到し、「ここは数百年前には処刑場で、数多くの人が殺された」「茶碗や皿が飛んだのは、手裏剣で殺されたのを訴えているからだ」など、眉唾ものの持論を展開。中にはお祓いのために、100万円以上の志を要求する不届きな輩も登場するなど、住民を混乱の渦に陥れた。

そして2001年、メディアでも活躍する有名女性霊能者S氏のお祓いによって、この怪現象騒動は一時沈静化を見せるが、翌年の夏には再び怪現象が発生。

新たな証言では、「子供が武士の兜をかぶった50歳ぐらいの男と一緒にご飯を食べたと話している」という、江原氏の霊視を思い起こさせる証言も飛び出している。

2012年を迎えた現在でもこの町営住宅は存在し、残った住民たちは〝ポルターガイスト〟と共存して生活を続けている。しかし被害が顕著であったいくつかの部屋は、今でも空き室のままだという。

 

 

「のろいの自殺橋」群馬県

湖底に人間が吸い込まれる橋

群馬県にあるこの橋
群馬県に数ある心霊スポットのなかで「あそこは近づかないほうがいい」といわれるほどらしいです。
人工湖とはもちろんダムのことで、ダムの底にはかつて人々が暮らしていた集落が沈んでおり、このあたりに古くから住んでいた先祖たちが眠る墓地も深い水の中にある。

この湖の底で眠るのは集落の先祖と自殺者たちだけではない。ダムの工事でも数多くの作業員が命を落としており、ダム周辺には彼らの魂を祀る慰霊碑が建てられている。

「ダムが建設中の間に多くの方が事故で亡くなったのは事実のようですが、そんな事故のひとつにみせかけて、何人もの人が殺されたという話も聞いています」

取材を進めていくうちに、さらにいやな噂にぶち当たる。それはこの人工湖の上流には、かつて処刑場があったというものだ。罪人の首を落とすたびに上流から下流に向かって髪の毛が流れていくことから、この川が「髪流川」と呼ばれていたこともあるという。

このダムを上流にしばらく登ると、あの御巣鷹山に突き当たる。御巣鷹山とは、1985年8月12日、520名もの犠牲者を出した史上最悪の日航機墜落事故現場のことである。

・・・ここは本当にやばそうです

以下はネットでの書き込み。

 

魔の人工湖にかかる 呪いの自殺橋

いたるところで心霊の目撃が噂される北関東の群馬県。そんな群馬県の数ある心霊スポットの中でも、誰もが「あそこは近づかない方がいい」と口を揃えるのが〝自殺橋〟と呼ばれる、とある湖にかかるK橋だ。
かつては噂を聞きつけたテレビ各局がこぞってかけつけその恐怖の全貌を紹介し、全国の数奇者たちを喜ばせたが、今では刺激的なネタを追い求めるテレビ屋たちも近づかない、アンタッチャブルな恐怖スポットとして知られるようになった……。

何人もの命を水面に落とした赤い吊り橋だが、真に恐ろしいのはこの橋の下に広がる人工湖。水不足で湖が渇水すると、湖底から自殺者の物と思われる車だけでなく、何年も前の自殺者の遺体が発見されることもあるという。

人工湖とはもちろんダムのことで、ダムの底にはかつて人々が暮らしていた集落が沈んでおり、このあたりに古くから住んでいた先祖たちが眠る墓地も深い水の中にある。

この湖の底で眠るのは集落の先祖と自殺者たちだけではない。ダムの工事でも数多くの作業員が命を落としており、ダム周辺には彼らの魂を祀る慰霊碑が建てられている。

「この慰霊碑のそばでは、作業着を来た男性の霊と思われる姿が多く目撃されています。おそらくダムの工事で亡くなった作業員の方の霊ではないでしょうか」

そう語るのは心霊スポットに詳しい心霊マニアのT氏。彼はこの湖の底に眠る魂は、自殺者と事故死者だけでは決してないと断言する。

「ダムが建設中の間に多くの方が事故で亡くなったのは事実のようですが、そんな事故のひとつにみせかけて、何人もの人が殺されたという話も聞いています」

取材を進めていくうちに、さらにいやな噂にぶち当たる。それはこの人工湖の上流には、かつて処刑場があったというものだ。罪人の首を落とすたびに上流から下流に向かって髪の毛が流れていくことから、この川が「髪流川」と呼ばれていたこともあるという。

これらのエピソードだけでも、この湖が〝ヤバイ〟ことを裏付けるのに十分である。しかし、このことを決定づけるスポットがすぐ近くにあった。

このダムを上流にしばらく登ると、あの御巣鷹山に突き当たる。御巣鷹山とは、1985年8月12日、520名もの犠牲者を出した史上最悪の日航機墜落事故現場のことである。

「ダムの底には集落の先祖たちの魂だけでなく、事故で無くなった作業員、殺されて湖に捨てられた被害者、自殺者、そして墜落事故で亡くなった方たちの無念や怨念が沈んでいるのでしょう。そんな霊の魂を不幸にもキャッチしてしまった方たちが、この湖に吸い寄せられるように訪れ、そして橋の上から身を投げる。このK橋が〝自殺橋〟と呼ばれるほど自殺者を生むようになった裏には、そんな秘密が隠されていたのです」

前述のT氏は独自の分析によってそのように解説してくれた。

恐ろしいのはK橋から見下ろす湖底だけではなかった。この付近にはいくつかの廃墟が残されており、そこも誰もが恐れる恐怖スポットとなっている。その中でも特に恐れられているのが「A邸」と呼ばれる廃墟。ここで起こったと噂される一連の事件は以下の通り。

「一家心中が二度ほど立て続けで起こった」

「ダム建設のためにこの地に移住してきたA氏一家だったが、突然父親の精神が崩壊。包丁で家族全員を殺害した後に自殺した」

「父親がある理由で夜逃げをし、その直後妻が頭から熱湯をかぶり、橋から身を投げた」

これらはあくまで噂で、真偽の程は定かではない。しかし、テレビ局が一切この近辺に近づかなくなった直接の原因は、この廃墟を撮影した際に、誰から見ても水面に顔半分だけが浮かぶ霊の姿が、ハッキリと映り込んでおり、あまりの鮮明さ故に映像がお蔵入りなったことからだと言われている。

もしこのレポートを読んでこの橋の場所を突き止めたとしても、決して訪ねることはしないでほしい。訪ねた結果、どんな出来事がおこったとしても、本誌は責任を負うことはないのでご了承いただきたい。

 

 

「久高島のフボー御嶽」沖縄県

 

沖縄久高島にある禁足地です。久高島第一の聖域であり、男子禁制となっています。

古くから先祖の魂が還る神聖な場所として普段は立ち入ることを固く禁じられています。

琉球の創世神アマミキヨがつくった七御嶽の一つとされ、フボー御嶽は7つの御嶽の中でも最も神聖なものとして扱われています。

 

「剣の池」長崎県

 

長崎県にある「辰の島」といわれる無人島の奥地にある神聖な場所です。壱岐の7不思議の一つとも言われています。

立ち入りを禁じられた禁足地ではありませんが、地元の人しか行かれないような奥まった場所にあります。

剣の池には、「異国人の幽霊が現れる」「人間の言葉を話す巨大な牛と遭遇した」「剣の池には壱岐海人族の王が隠した宝が眠っている」など様々な逸話が残っており、池を覗くと「いちばん欲しいもの」が浮かび上がり、それに手を伸ばせば引きずりこまれる呪いも伝わっています。

 

 

「人穴富士講遺跡」静岡県

 

静岡県富士宮市人穴にある富士講に関わる史跡群で、富士宮市指定史跡。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。
人穴は角行が16世紀から17世紀にかけて修行を行い、浅間大菩薩による啓示を得、また入滅した場だと伝わる。『吾妻鏡』によると、「浅間大菩薩(浅間大神)の御在所」とみられていたという。

ネット発祥の都市伝説によると、人穴浅間神社の鳥居を車で通過すると「帰ってこられない」「帰り道に事故にあう」「心霊現象にあった」などの体験談があり、これらのことから都市伝説的な禁足地とされているようです。

 

 

「新開の森」滋賀県

 

滋賀県近江八幡市にある新開の森は「シガイの森」とも呼ばれている有名な心霊スポットです。この森の木を伐採すると祟りがあると言われているため、不自然な形で小さな森が残されています。
この場所は、戦国時代に「織田信長が首切りの処刑場として使っていた」「城を抜けだして遊んでいた女中の首をはねた」などの言い伝えが残っています。聖域としての禁足地ではなく、立ち入ると恐ろしい目に合う禁足地のようです。

 

 

「三輪山」奈良県

 

三輪山は、日本神話に登場する大物主大神を祀る大神神社によって、ご神山として扱われてきました。

三輪山は古くから「神宿る山」とされ、三輪山そのものが神体であるとの考えから、神官や僧侶以外は足を踏み入れることのできない、禁足の山とされてきた。江戸時代には徳川幕府より厳しい政令が設けられ、平等寺の許可がないと入山できなかった。明治以降はこの伝統に基づき、「入山者の心得」が定められ、現在においてはこの規則を遵守すれば誰でも入山できるようになった。なお三輪山は国有林と民有林であり、大神神社の境内には属さない。史跡指定されているのは麓の境内のみである。

現在でも三つ鳥居から辺津磐座までは禁足地であり、三輪山に参拝する際には麓の大神神社の拝殿から仰ぎ拝むといった手法を採る。ただし以下の規則(掟)を遵守すれば、入山して参拝することができる。

三輪山の中では、「転んだのに服が汚れなかった」「登山前より登山後の方が体が軽くなった」といった不思議な経験をする人も多くくいるようですが、山内でのことは他言無用とされているそうです。

 

 

「出雲大社の八雲山」島根県

 

出雲大社の本殿の裏にある八雲山は、山そのものがご神体であると考えられており、禁足地とされています。

この山に須我神社奥宮があり、スサノオノミコトが祀られていることからこの山を聖域として立ち入りが禁じられていのではないかと考えられています。

 

 

「氣多大社」石川県

 

氣多大社の本殿の背後には、1万坪もの広大な原生林「入らずの森」といわれる禁足地があります。

縁結びの神様として人気が高い氣多大社ですが、どうして禁足地があるのでしょうか?

氣多大社自然林が生い茂っています。これが「入らずの森」であり、古くから神域として神職以外の立ち入りが禁じられていました。

400年以上も前から神官の他は何人も立ち入りできない聖域とされ、その神官でさえ足を踏み入れるのは大晦日に神事を執り行う時のみで、目かくしなど厳重な祭式に従うことを要求されるそうです。

 

 

「新田神社」東京都

 

新田氏ゆかりの神社で、畠山国清に依って謀殺された新田義興(新田義貞の次男)を祀る。平賀源内が考えた矢守(破魔矢)の発祥の地 。

参拝が可能ですが、拝殿の裏側に新田義興を埋葬した塚があり、この円墳のある一体は立ち入りが固く禁じられています。

もし立ち入れば祟りがあるといわれており、「荒山」「迷い塚」とも呼ばれています。

 

 

「初鹿野諏訪神社のホオノキ」山梨県

 

「祟る木」と恐れられるホオノキ。

「甲州市の某神社にある神木のホオノキには、祟りがあるとされ、「枝払いをしただけで亡くなった」「葉っぱをとっただけで集落が水害で流された」などの言い伝えがあり、落ち葉の掃除もできないそうです。
このホオノキはJRの線路にせり出しているのですが、祟があるとされているため掃除や枝払いができず、線路上に屋根を設置するという措置をとったそうです。

 

 

「煙島」兵庫県

 

煙島は淡路島から150mほど沖合に行った場所にある小さな無人島です。普段、上陸出来ない禁足地され、上陸するには許可が必要とされています。

煙島には一ノ谷の合戦で敗者となった平家の敦盛の首塚が祀られており、「上陸してこの首塚に供物をしないと祟られる」「首塚に触れてはいけない」などの言い伝えがあります。

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