【信じようと、信じまいと】『戦闘機の保険』など全50話【19】ロア – 噂話集 – 嘘のような本当の話

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【信じようと、信じまいと】『戦闘機の保険』など全50話【19】ロア - 噂話集 - 嘘のような本当の話 信じようと信じまいと
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信じようと、信じまいと【19】全50話  ロア – 噂話

 

通常、軍用機に保険はかからない。引き受ける保険会社が無いからだ。
しかし、イスラエルのとある保険会社だけは、綿密な調査と、高額な掛け金を条件として、
戦車や戦闘機に対する保険を受け入れている。
不思議なことに、この会社の保険がかかった軍用機が、敵に破壊された事例は一件も無い。

 

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1122年(前後)に自ら即身仏となった升階法師は、土中に埋められた箱の中に入った後、35日間鈴を鳴らしたと伝わっている
この即身仏は、法師の遺言に従って120年後に掘り出されてある寺の本尊とされているらしい
掘り出された当時の法師の死体は、まだ眼球が残っている程みずみずしいものだったと言われている
因みに人間が生き延びれる期間は、水無しで8日・水分のみありで20日ほどらしい

 

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東北のある地方都市に、様々な怪しい噂のある峠がある。
ある人はトンネル内で出口にたどり着けぬ怪異があったと言い、ある人は決して頂上にたどり着け無かったと言う。
それを聞き、ある若者二人ががその峠に上ってみた所、何も怪しい事は起こらなかったそうだ。
降りてから話し合った所、峠で彼らが見た自分の影が、全くの逆方向に伸びていた事を除けば。

 

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1764年、フランスのカルパントラス村に後年「悪魔を瓶詰めにした男」と呼ばれた男が生まれた
名はベヌビギエといい、彼は降霊会に出席してから怪現象が起きるようになり、それをノミの姿を借りた悪魔のせいだと信じ、
牛の心臓に針を刺した上でたっぷりと睡眠薬をかけ、それにたかってコロリと眠るノミを瓶詰めにする事に終生を費やした
彼は死ぬまで悪魔の征服者であると信じていたが、そのみすぼらしい風体と狂気じみた発言は、周りの者には悪魔に敗北した者にしか見えなかった
ロシアの話。

 

□ □ □

 

ペレストロイカによる情報公開で明らかになった事だが、気象衛星と称した軍事衛星をいくつも打ち上げていたらしい。
ただ、その大半が失敗し鉄屑になったのだが、うち何件かに関しては「行方不明」扱いになっている。
軍事機密の塊であるはずなのに、追跡調査が行なわれた様子もない。ただ、記録にはこう書かれている。
「反応途絶のあと、突然データを受信。解析の結果、音声データと判明。再生したが女性の呻き声しか入っていなかった」

 

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宇宙を最初に飛んだ女性は旧ソ連のヴァレンチーナ・テレシコワだが正確には
彼女は宇宙から帰ってきた最初の女性なのである。テレシコワの成功の2年前にソ連は
男女二人乗りの月面衛星船を打ち上げたが推力不足のために地球周回軌道にとどまり、しかも
それを回収することに失敗した。ソ連当局はこの悲劇の飛行に関して完全なる沈黙を
通したが西側の追跡ステーションもこの不幸なカップルの最期の通信を傍受していた。
宇宙を最初に飛んだ女性はついに帰らなかったのである。

 

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アメリカには金融政策の決定や銀行の監督をするFRBという組織がある。
その組織の議長が交代するとき、世界規模の経済的大混乱が起こるというジンクスがある。
かの世界恐慌やブラックマンデーでの株価暴落など、その実例は枚挙に暇がない。
今年、そのFRBの議長が交代した。今の所何事もないが、はたして…?
なんか無粋なツッコミが入るようになってから人が少なくなったような気がするなぁ。
まぁ、雑談するよりロアだよロア。

 

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これまで起きた航空機事故のうち、約4%は「原因不明」であるとされている(2000年当時)。
各国の航空業者は「ノーコメント」として公式に認めていないが、「原因不明」のうち14件の「墜落原因」だけは判明しているらしい。
関係者の話によると、機体の破損状況などから考えて、航空機が「何か」と「正面衝突」したとしか考えられないのだそうだ。
我々の頭上には、レーダーに映らない巨大な「何か」が、今も漂っているのだ。
1863年、イギリスの考古学者ボン・カーター興はストーンヘンジの近くで石版を発見した。
それは見たこともない象形文字で書かれており、以来彼は30年間解読を試みたが叶わず死んだ。
時は流れ1982年11月、ケンブリッジ大学の考古学チームがついに石版の解読に成功した。
それにはこう記されていたと言う。
「痔の薬あります」
アメリカ・サンフランシスコの消防隊には、山火事を消す事を目的とした「消火ヘリ」がある。
バケツ状の消火槽をヘリから吊るし、大量の海水をすくい上げ、火災現場へまいて消火する…という方法を繰り返すのだ。
1984年8月22日、山火事が発生したため消火ヘリが直ちに出動。みごと鎮火したものの、現場から焼死体が発見された。
さて、その焼死体は何故か海パン姿だったという。

 

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五感のうち、視覚を失った人は他の感覚が研ぎ澄まされ、敏感になるという。
近年、インターネット人口の増加に伴い、奇妙な統計が国に報告されている。
パソコンに向かう人の臭覚が、驚くほど発達しているのだという。
ストレス説や電磁波説など、想像的議論ばかりで、原因の解明は進んでいない。

 

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男は毎朝聖書を適当に開き、目に付いた文句をその日の教訓としていた。
ある朝、いつものように彼は聖書を手にとり、ページをめくろうとしたが聖書を床に落としてしまった。
その拍子に印刷会社の名前が入った奥付けがはずれて彼の目にとまった。
今、彼はその印刷会社の株を買って儲けた金で、悠悠自適の生活を送っている。

 

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ルルドの泉、という聖地がある。聖母マリアが現界し、ある少女に泉の事を伝えたと言われている。
湧き出る水を飲めば、病は完治し、怪我は早く治り、心が清浄に満たされるという。
事実この泉の周りには、以前使っていた松葉杖や車椅子が感謝の意を込めて、何十も置かれている。
奇跡と称されるルルドの泉だが、不思議なことに義手や義足は置かれていない。

 

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1810年、ムンロ師はスコットランド、トルジールの牧場で大集会を開いた。
彼が説教を行った大地にはくっきりと彼の足跡が残ったが、その後なぜか
足跡の部分にだけは不思議と草が生えず200年近く経った今日でもはっきりと
その部分を確認することができる。

 

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1938年、アメリカでの事。ある数学者が、拳銃自殺しているのが発見された。
机の上には何かの数式が書きこまれた紙が散らばっており、数式のそばにはひどく乱れた文字で
「私は…を発見した。神様、恐ろしい」という意味不明な文が書きこまれていた。
紙は飛び散った学者の血と脳漿で汚れており、数式の判読は無理だった。学者は何を発見したのか。
734に触発されてつくってみますた。

 

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1782年ダニエル・ベルヌーと言う学者がスイスに居た。この学者は生まれてこの方、母がすぐ死んだり、窃盗にあったりと不幸続きだった。
ある日、学者は論文を数枚残し行方不明になった。その論文の一部にはこう書かれていた。
「幸せをつかむにはエネルギーが必要である。そのエネルギーにはエネルギー保存の法則がある。だから、幸せの総量は人それぞれ生まれたとき既に決まっている。」

 

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月面着陸の映像はNASAがキューブリック監督に
撮らせたというのは有名な話。
しかしキューブリックのリアリズム追及姿勢により
現地ロケを敢行せざるを得なくなったのはNASAの誤算だった。
1926年、ペルキナノカの小村で謎の生物が発見された。
二本足で歩行し、非常に軟弱な体格をした奇妙なその生物は村民により捕獲された。
驚くべきことに檻の中でその生物は言語らしきものを喋りある程度の知能を有する事がわかったがすぐに死んでしまった。
その生物は有史以前、我々が陸に上がる前に地球を支配し、既に絶滅したはずのポムに酷似しており、水の中で呼吸できなかったという。

 

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南アフリカでダイヤモンド鉱脈が見つかった。
その埋蔵量は1兆カラット以上といわれた。
しかし価値が暴落する恐れがあるため、その鉱脈は国際的に管理され、
ダイヤモンドは今の価値を保ち続けているという。

 

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2001年、イタリアでの出来事。フィレンツェへ向かっていた列車が、ローマへ着く前に緊急停止。
車体の一部が破損していた事、車掌が途中車外へ投げ出され死亡していたことからテロの可能性も疑われた。
しかし、車掌の遺体には説明の付かない変化があった。著しい老衰が見られたのだ。
いったい車内で何が起こったのか?

 

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1321年、フランスの貴族、ランビュアズ家に伝わった記録。
「その何かは流星のように見えた。轟音とともに近くの森へ落ちた。従者を連れて見に行ったところ、
大きな銀の皿のようなものが落ちており、近くには異様に目と頭の大きい人物が倒れていた。
すぐに手当てをしたが、まもなく死んでしまった。」

 

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チューリングテストというものがある。人に近い感情を持ったコンピュータをテストする方法である。
2003年、ロシアの科学者ボリコフがテストをクリアしたコンピュータの開発に成功したという。
しかしある日、ボリコフはコンピュータを破壊し、次のような言葉を残して自殺。
「その領域に触れてはならない」

 

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1988年、アメリカ、カリフォルニアでの出来事。
あるガソリンスタンドで、爆発事故がおきた。原因は極度の乾燥による静電気。
幸いなことに爆発が直撃したはずの店員と車の運転手は無傷。人々は神のご加護の賜物であると喜んだ。
しかしちょうどその事故から2年たった日、二人とも火気など存在しないところで焼死してしまった。

 

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人間の魂が21グラムなのは有名な話しである。
幽霊や死後の世界を研究しているある科学者がいた。
一般的に心霊スポットと呼ばれる場所に計りを置いた所、針が21グラムをさした時に写真をとると光が写りこんだりしたが針が0をさした時は何も写らなかった。

 

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エジソンが生前、霊界と通信出来る機械を造ろうとしていた話は知っている人は多いのではないだろうか?
しかし途中まで出来上がっていた機械はどうなったかご存知だろうか?
かの有名な残虐者のヒトラーは時折、電話のようなモノで会話をしていたと言う噂がある。彼は体からオーラが出ていたとの証言などが残されているが果たして…

 

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ゴキブリは人類の天敵である。毎年最新の技術を駆使してゴキブリ用の殺虫剤をつくらなければ早くても翌年にはゴキブリには殺虫剤はきかなくなる。
生物は進化するものだがゴキブリほど進化を繰り返しつつも姿をほとんど変えない生き物は珍しい。
すなわちゴキブリは常に人間の上を行く生き物なのである。百獣の王とされるライオンでさえ人類が絶滅させようとすればわけはない。
昔は地球を我がもの顔で支配していた恐竜でさえ絶滅したほどの危機もゴキブリは逃れているのである。
この事からして人類が生きていけない環境になってもゴキブリが生き残ってもおかしくはない。…そう、今の地球上にはいずれ人類を超える可能性をもつ生き物はゴキブリだけなのである。
この事実を人類は本能で認識している為に攻撃力もこれといった害のないはずのゴキブリに異様なまでに拒否反応をおこすのである。

 

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膣内に出す場合とそれ以外に出す場合で精子の量が違うのは証明済みであるが、ある実験では「自分は父親になるような身分ではない」などと受精を否定するような信念の持ち主は一般の人に比べ精子の濃度は薄いと言う結果が出た。

 

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ケネディー大統領が暗殺された際に夫人が飛び散った脳みそをかきあつめた。しかしかきあつめたのは夫人だけではなかった。
拾った脳の一部を持ち帰りDNA鑑定をした人物がいた。鑑定の結果はどう考えてもケネディー大統領のものとは考えにくかった。
鑑定した人物は翌日車を運転中に些細な事で逮捕された。普通なら罰金で済むような違犯だったらしい。それどころか法に触れているかもあたかではなかったとの話。
だが下った判決は死刑。これだけおかしな事件だが新聞にすら載らなかった。
果たして本当に暗殺されたのはジョン・F・ケネディーだったのだろうか

 

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20世紀初頭、あるヨーロッパの小国で小さな洞穴が発見された。
内部に東洋的な建築物を伴っているということで呼ばれた専門家は愕然としたという。
なんとそれは1802年に起きたとされる海南地震で埋没した中国の南宋時代の遺跡そのままだったのだ。
一体、地中で何が起こっていたのだろうか。

 

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1977年12月、アメリカのニューハンプシャー州ロンピットでの話。
数学者のケリー博士は、知人のノーストン博士(天体物理学者)から「自分で書いた覚えの無い論文について質問を
受ける」と相談を受けた。数日後、彼はFBIに「児童ポルノ所持」の容疑で逮捕され、以後二度と会うことはなかった。
しばらくして、ケリー博士はある疑問にぶつかった。自分はいつ、どこでノーストン博士と知り合ったのだろう?

 

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2006年7月5日、北朝鮮が発射したテポドンを含むミサイル6発が日本海に落下した。北朝鮮側は10発を発射したと
公表したが、4発は不発だったと思われる。だがアメリカの軍事衛星は7発目のミサイルが発射された瞬間を捉えていた。
ところが7発目を途中でロスト。海に落下した様子も、どこかに着弾・命中した様子は無い。
果たして7発目は何処へ行ってしまったのだろうか。
1968年、神戸で嶋村晃行という初老の男が二十年の歳月を経て過去に戻れる装置を発明した。
その試行実験は地元の新聞記者達が面白半分に見守る中始まった。
嶋村が装置に入り二十年前に戻ると宣言しスイッチを入れた直後、何と嶋村は忽然と姿を消したのである。
慌てふためく新聞記者達の中から一人の老人が立ちあがり、前に出てこう言った。
「作るのに20年、証明するのにまた20年かかってしまった」
2003年の夏、ある塾の中学3年生が、福島県の安達太良高原の合宿所へ夏合宿に行った。
三日目の夜、男子生徒の部屋の窓に男がへばりついているのが見つかる。
生徒は先生の一人だと思い、窓を開けてみたが窓の向こうに人はいなかった。
その顔はあまりにリアルで、呼ばれた講師、他の学生も目撃し、消えていくまで携帯のカメラで一部始終が撮られている。

 

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SF小説家 フィリップ K ディック。
彼の小説に、船乗りの友人から伝え聞いた
「ロア」をモチーフに書かれたものがいくつかあるという。
時には「ユービック」、時には「ヴァリス」
そして「パーマー・エルドリッチ 3つの聖痕」…
ディックは生前、「ロア」に関するコメントは一切拒んだが、
没後に出版された手記で告白、様々な波紋を呼んだ。

 

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1967年の日本の話。
あるローカルな討論番組で一人の科学者が「催眠術」というものを真っ向から否定した。
彼は「所詮、集団催眠は非人道的な実験に過ぎない。今にわかる」といって生放送中に退席してしまった。
当然、何百本という抗議電話が殺到したのにも関わらず、書類に残った偽名すら、誰一人として彼の名前を覚えている者はいなかった。
何故人々は彼の名前を忘れてしまったのだろうか?

 

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2000年6月、とある人物がタイムマシンを発明し、オークションに出品した。
ところがオークションが終了する前に、同じタイムマシンを出品する人物が現れた。
「私はタイムマシンを落札し使用したが、使い心地が非常に悪いので誰か引き取って欲しい」ということだった。

 

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京都の大学で汚水の流れを追跡する実験が行なわれた。
小型カプセル型の発信機をトイレに流し、モニターでカプセルの現在位置を確認していた。
汚水と共にカプセルは下水管を流れ、汚水処理場から淀川に流れた。
その後カプセルは淀川を下り、大阪の浄水場から家庭の水道管を流れたところで追跡不能になったという。

 

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日本のとある大学で、その生態を観察するため海亀に発信機をとりつけて放流した
その海亀は浅瀬の一定区域を漂流するように泳いでいたのがレーダーで確認できたが
3ヶ月ほど経過したある日、研究員達は驚くべき現象を目の当たりすることになる
陸地を時速100kmで北上しているのが観測されたからだ

 

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紀紀元5,6世紀のころ、キリストの再臨が強くさけばれ、近東諸国に柱上の聖徒派と称せられる人々が現れた。
彼らは一刻も早くキリストの栄光を仰ぎみようと、高い山の頂や岩の上、あるいは円柱の上で、来る日も来る日も時をすごした。
その一人の「柱上のシモン」と呼ばれたシリアの聖者は、アレクサンドリアにあった大理石の円柱に登った。
直径90センチに満たない円柱の上で、実に69年という長年月を過ごし、その間 一度も地上に降りなかったという。

 

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お笑い芸人の演目の一つに、「ショートコント」と言うものがある。
「ショートコント」と宣言し、タイトルを言い、数個の台詞でオチがつく寸劇である。
実はこのショートコント、コンビ「U.N」が最初に考案したものであり
他の芸人がこれを一回演じるごとに、彼らに7円の権利料が入るのだという。

 

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1992年アメリカのイリノイ州で起こった連続通り魔事件。
被害者のひとりである少年が死の間際に犯人の名前を口にしたことにより事件は早期解決された。
ただ、生前少年と犯人との間に接点は無くそもそも背後からの一撃で顔すら見ていなかったはずの少年が
どうして犯人の名前を口にすることができたのかはいぜん謎のままだ。

 

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島根県にて高校生たちの草野球に乞食がやってきて一打席だけ立たせてくれと頼んだ。
どうせ三球三振だ、と投手は頼みを聞き入れ渾身のストレートを放った。
バンッ!次の瞬間打撃音が耳をつんざき打球は場外どころか空の彼方へと吸い込まれた。
皆が呆気にとられるなか乞食は小躍りしながらベースを回るといつの間にか姿を消した。

 

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16世紀初頭。スペイン人がカリブ海を探索していたころ、船の積荷の中でも命綱といえる
食料の入った箱にはほぼすべて同じ製造業者の鍵が掛けられていた。
わずか20年後、鍵穴にぴたり合う形のくちばしを持つ鳥が出現する。すぐにスペイン人に
よって絶滅されらたが、のちにこの鳥のことを知ったダーウィンも進化の一例とはしなかったという。

 

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1987年、カナダのバクーバーに住むネイ氏は毎晩溺れる夢に苦しめられ、
いつしか彼は「寝たら溺死する」という妄想に取り付かれ不眠症になってしまった。
見かねた友人はネイ氏を精神科医にかからせ、ネイ氏は妄想と不眠を克服することが出来た。
しかし、ある晩バーで居眠りをしたネイ氏はそのまま帰らぬ人となってしまった。
司法解剖の結果、ネイ氏の死因は肝炎であった酒に溺れた結果の。
1995年、メキシコのある田舎町の下水道で凶暴なカミツキガメが発見された。
どうやらペットとして飼われていたものが下水道に捨てられたらしく、しかも下水道の中で少数ながら繁殖してしまっていた。
町長は専門の業者に駆除を依頼しようと考えたが、その町の配管工が「ついでだから」とひとりでカミツキガメを全部退治してしまった。
その配管工の名前は「マリオ・J・ガラード」だった。

 

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埼玉県Y町のある小学校には「村瀬さん」という用務員が働いている。
彼はもう十年もその小学校で働いており、生徒たちからも人気者で、その学校の生徒なら誰でも一度は彼と遊んだ経験があるほどだった。
だが、その学校にはいままで一度も「村瀬」という名の用務員は勤めておらず、教師のだれも「村瀬」という人物を見たことがない。

 

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WW2直前の一時期、迫害されたある民族を救うために一人の外交官が政府の支持を無視して
その民族の亡命を全力で支援した。彼の力で安全な第三国への亡命を果たし、戦後自分達の国を
作り上げたその民族は、外交官を探して彼の国の政府に問い合わせたが、その政府の回答は
「その様な名前の外交官はいない。その時期の外交官に該当する名前の人物はいない」だった。
ぶっちゃけ、この話はとある有名な実話の一部です。
1980年、オーストリアのウィーン広場にあらゆる行動を「逆回し」する大道芸人が現れた。
まるでビデオを逆再生したかのような完璧なパフォーマンスに、
連日広場には人だかりが出来ていたが、ある日を境に彼は全く姿を見せなくなる。
誰もが彼の事を忘れていた数ヵ月後、同じくウィーン在住の女性が広場のベンチで身元不明の赤ん坊を発見した。

 

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1911年、樽に入ったままナイアガラ瀑布から落下し、無事生還して
世間をあっといわせた冒険家ボッビー・リーチは1927年4月29日
ニュージーランドのクライストチャーチ市の通りを静かに歩いていたとき
捨ててあったバナナの皮を踏んでころび、一命を落とした。

 

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第一次世界大戦中のソ連軍研究施設に残されていた資料の中に、
「ドアの向こうに知らない女がずっと立っている気がする」と
訴える精神病患者が激増した時期があった、という記録がある。
奇妙な事に患者全員が、紅い瞳をした女だと医者に話したそうだ。

 

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1978年の12月にイギリスのある病院が、双子を身ごもった妊婦に帝王切開手術を
行ったが、一人しか入っていなかった。手術は無事成功したが、なんと女性は
2ヵ月後に二人目の男の子を出産した。この事件は地方新聞の記事になったが、
後日談がある。18年後のある日、弟が兄と母親を殺して埋めたのである。

 

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前世紀のエジプトで、皇帝の横暴から国中の本が全て焼かれる事件があった。
しかし学者たちは偉人の発見を後世に残そうと、岩に内容を掘ったといわれる。
最近になって、ある研究者がその一つを見つけたが、読めるのは一文しかなかった。
「現代では当然の時間旅行や核エネルギーも、1000年後には子供の玩具にすぎないだろう」

 

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10世紀のフランスで刺激に飽きた支配階級の貴族の間に、ある演奏が流行した。
「楽譜では表すことができない最高の贅沢」と言われたその曲を、今は誰も
耳にする事はできないが、興味本位で当時の演奏方法を調べた者は後悔するだろう。
最初の一行はこうだ。「―用意するものは安上がりである。奴隷を10人とよく切れるナイフ―」

 

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昭和52年、山形県のある村で奇妙な殺人事件が起こった。女性の皮が全てはがされて
いたのである。猟奇殺人だと断定した警察は数多い遺留品から、逮捕は早いと考えていた。
しかし慎重に捜査を進めた警察が、犯人の異常性に気づくのは遅かった。
安アパートの風呂場で自分の皮をはぎ、女の皮を着て死んでいる男が発見されたのは三日後の事だった。

 

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1986年のスイスで、ある老夫婦が家を格安で売りに出していた。新婚のカップルが訪ねて
きて、商談は成立した。そのとき老夫婦は、一つだけ約束してほしいとカップルに言った。
「地下室の扉だけは、絶対に開けないでください。一応、開かないようにはしてありますが。」
若い二人が住み始めて20年経つが、未だに地下室の扉はみつかっていない。

 

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アフリカの奥地に人を殺せる呪術があるという民族があり、面白がったアメリカのTV局が無断であるタレントを
殺してほしいと依頼を持ち込んだ。その事は話題になり訴訟寸前にまで発展したが、本人が死なないので、
いつしか忘れられていった。しかし、その後タレントは失踪してしまう。最後のインタビューで彼は言った。
「ぜんぶ話題づくりのやらせだったんだ。だけど、あれから毎夜、同じ夢をみる。恐ろしくて口には出せないけれど。」

 

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19世紀のウィーンに、バッハの生まれ変わりと言われた天才ピアノ作曲家がいた。
しかし物心付いた時から極端に人と会う事を極端に嫌い、作曲の依頼も手紙で打ち合わせて楽譜を
送りつけるといった徹底主義で、クライアントも彼の顔すら知らなかった。
「最後くらいは、自分のために作曲したい。」と言い残した彼の遺作は、腕が二本では絶対に弾けない曲だった。

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