心霊ちょっといい話『鳥の弔い』など短編全5話

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心霊ちょっといい話『鳥の弔い』など短編全5話 不思議な話
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涙のわけ

 

私は霊媒・憑依体質で、信頼している霊能師の先生の下で色々学んでます。
学ぶといっても、殆ど精神統一(瞑想)なんですけど。
瞑想は気持ちを落ち着けるのには良いのですが、霊感があったりすると一人でするのは危険なので、信頼できる霊能師とかお寺で座禅とかした方が良いらしいので。

で、その精神統一の時に未熟な私はいつも居眠りしてしまいます。
この前居眠りした時に、「やばっ!又寝ちゃったよ」と起きて顔をピシピシ軽く叩いてたら、右肩に誰かの手が優しくのってきて・・。
「え?誰?」と振り返ったら誰も居ず・・。
「やだなぁ、洒落にならないよ」とまた目を瞑ったのですが頭の中で亡くなった祖母や祖父や子どもの頃に可愛がって貰った

おじちゃん、おばちゃんの声で「ありがとう」「お前は良い子だなぁ」
と聞こえてきて・・。
その内涙が出てきて、自分では嬉しいのか何なのか分からない涙が。
もう止まらなくなってきて、霊能師の先生が話しかけてくれた時には嗚咽まであげる位に泣いてしまって。(鼻水もダラダラでした)
後で先生に、私が声の事を言わずに「凄い恥ずかしかったぁ」と
笑って言ったら、
「あれはあんたが泣いたんじゃないんだよ。あんたのご先祖達が‘供養してくれて嬉しい’って嬉し涙を流してたんだよ。あんたを通して泣いてるんだよ。良かったなぁ。
こういうのは嬉しい事だよなぁ」
と言ってくれました。
先祖供養といってもお墓参りを欠かさないとか、お線香あげるとかお経唱えるとかなんだけどね。
しかも、お経は気分でやらなかったりするんだけど。
でも、なんか嬉しかったです。
嘘でも嬉しい。

 

 

鳥の弔い

 

10年前、私が高校生の頃の話です。
学校の帰り道、自転車で走っていると道路の真ん中に何か落ちていました。
住宅街の道路で車の通りも少なく、私は何だろう?と近づいてみました。
それは死んだムクドリでした。
特に体に傷などは無く、くちばしの端から少し血が流れていました。
最初はスルーしようかと思ったのですが、ここに置いたままだとカラスや猫にいたずらされたり、車に潰されるかもしれないと思い、自転車の前かごにそのムクドリを入れ、持って帰りました。
家に帰ると母にそのことを話し、この数日前に死んでしまった飼い鳥のお墓の横に埋めることにしました。
お線香とまだ残っていた小鳥のえさ、スコップ、花を持って埋めにいきました。
ヒヨドリは以外に体が大きく、穴を掘るのが大変でしたが、なんとかお墓を作ることが出来ました。
土をかける前に、持ってきたエサを穴に入れました。
お線香とお花をお供えし、手を合わせて帰ってきました。
そして次の日の朝。
いつものように起きてカーテンを開けると、窓の外に見える電線に(部屋は2階なので目の前に電線がありました)
今まで見たこともないくらいたくさんのヒヨドリが端から端まで、しかも3本の線全部にびっしりとまっていたのです。
何年も暮らしていてこんなことは初めてで、いつもスズメ、はと、カラスが2,3羽くらいなのでびっくりしました。
ヒヨドリたちは鳴きもせず、ただじっととまっていて、その間すごく静かで、多分1分もなかったかもしれないけど私には長い時間に感じられました。
その後ヒヨドリたちはぱらぱらと散って飛んでいってしまいました。
あれはなんだったんだろう・・・?
母に話すと「仲間がお弔いのお礼言いにきてくれたんじゃない?」と言いました。
私も情景が異様だった割に怖いという感情が一切なかったのでそうだと思いました。

 

 

別れじゃない

 

以前、一人暮らしをしていたころに見た夢。
実家で飼っていて病死した犬が俺の部屋にひょっこり現れた。
なぜかは分からないけど、水を欲しがっているのが分かったので、水を飲ませた。
犬は喜んでたっぷり飲んだ後、またどこかに行ってしまった。

目が覚めたら朝だった。
これまたなぜか、実家に電話しなければと思い、親に夢の話をした。
それを聞いた親が言った。
犬はとある共同の供養塔に入れてたのだが、数日前に慰霊祭があった。
親はお供えに水を用意していったのだが、祭壇前がとても人大杉だったので、水をそのまま持って帰ってきてしまったそうだ。

「あの水を飲みたかったんだね。。」

と最後に親がしみじみと言っていた。
それ以来、死=別れでもないんだなー、て思うようになったよ。

 

 

牡丹の花

 

うちで最初に飼ったハムスターのちびは死ぬ時に家族が揃った頃、寝床からよろよろと出てきて(もうかなりの老ハムだった)死んでしまった。
あの時は「ちびちゃんは皆に挨拶してから天国に行ったんだよ」と皆で泣いたんだけど、
その後、庭の野牡丹の木の根元に親と一緒に「今までありがとう」と泣きながらちびを埋めた。

翌日、野牡丹の木に一つだけ花が咲いた…だけどそれは植えたばかりの苗に近い木だったし、ましてやその時期は花の咲く季節では無かった。
そしてたった一つだけ咲いたその花はひと月近く散ることなく咲き続けた。
それが散ったのはあまりに落ち込む私を見かねた知人が新しい子をプレゼントしてくれて
「ちびの分までこの子を愛してあげよう」と決めた翌日だった。

夢に出てくる事は無いけどなんとなく不思議な話だった。

 

 

夢の中では

 

高校の時の友達が亡くなった。
彼は中学の時いじめにあっていたが、
それでも とてもいい奴で元気で明るい奴だった。
死とは無縁だと思っていた奴だった。
そんな彼が死んだ。夜の街中での突然死だったらしい。
数日後、彼が夢に出てきた。
自分「おっ!なんだ、やっぱり生きてたのか!」
彼 「あたりまえじゃん。あれ冗談だよ」
自分「ハハハ、お前が死ぬわけ無いよな」

目が覚めた。
当たり前だがやはり彼は亡くなっていた。
夢の中の彼のはしゃぎっぷりが生前の姿を思い出させる

 

□ □ □

 

私も父が死に、葬式も終わってちょっと経った頃、父が帰って来た夢を見たことがあります。
「今日は何日?」と父に尋ね、命日の後の日付けだったので、“ああ、良かった!”と心底思ったことがあります。
目が覚めた時はつらかったですね。
まだ12歳になったばかりで、とても良い父でしたし、急に亡くなったので、お別れさえ言えなかった。
あの喪失にじっと耐えた子供の自分を思い出すと、大人になった今は、ちょっとしたつらさなど、“何とでもなる”という気になります。

 

□ □ □

 

俺は高校時代の親友が亡くなった時、そういうのがあったよ。
そいつ、大学の校舎から墜落死しちゃったんだ。事故でさ。
その頃、俺は家を出て働いてたんだけど、なんとなく実家に戻ってたとこに電話がかかってきて、その死を知らされた。

葬式が終わって数日後、そいつが夢に出てきた。
公園沿いの一本道で俺とそいつが左右から歩いてきて、道に白線がひいてあるとこで挨拶をして別れた。
俺は奴が死んでいるのを知っていて、奴は「じゃあな」と手を振って去っていった。
あれから、もう20年近くになる。

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