心霊ちょっといい話『邪魔をする猫』など短編全10話

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心霊ちょっといい話『邪魔をする猫』など短編全10話 不思議な話
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思い込み

ちょっと祖父の部屋の写真が見たくて、小さい引出しを開けたところミニサイズのノートが出できました。
私は生まれたばかりのときに祖母の家に預けられましたが、なぜか泣き喚いて祖母を入院させています(ノイローゼで)。
だから祖母は、私の事を孫の中も気にかけていないだろうと物心ついた時から思っていました。亡くなってから、夢(?)に出てきても兄の事を思ったからか、私の生前の祖母に対する罪悪感からか(入院させた事)と思っていました。
私は祖母に好かれてはいなかったという事をその時までずっと思って生きてました。
でも、その出てきたノートには私の体のサイズが細かく書いてあって、脇に編物の計算がしてありました。
当時学校で買った絵の具にあったエメラルドグリーンと言う、私の覚えたてでリクエストした色も書いてありました。
毎年私の好きな色でセーターを編んでくれてたのに、ずっとその事忘れてた。
おばあちゃんごめん。私の今までの思い込み、どうか許してください。
セーターまだ大事に持ってるよ。自分でそれも忘れてた。情けないよ。
もう着れないけどね

 

 

優しい犬

前に飼ってた犬の話。私が高3のときに死んだんだけど、すごく勘が鋭いというか、びっくりするぐらい人間の気持ちの分かる犬だった。心霊とはちょっと違うかな……。

中学生から高校生まで、私は俗に言う苛められっ子だったんだけど、学校で辛いことがあった日に限って、私が帰ってくると、必ず鎖を外して家の門の所で座って待っててくれた。
いつも外で飼ってたのに、私が部屋で泣いてると(1階だった)、何処からか入ってきてたりした。

その犬が死んだのは、夏休みで、模試の日だった。
行くには行ったけど、やる気の無い受験生だったから(笑)、試験中に居眠りしてたら、犬が夢に出てきて「ゴメンな」って言った。
帰ったら、もう死んでた。

夢とは言え、犬が喋るってところが嘘臭いから、偶然だったんだろうね。
でもそのときは、最期まで私のことを心配しててくれたんだなって思った。

 

 

邪魔をする猫

祖母が亡くなった日のことなんですが。
夜中に危篤の知らせを受けたので、母と病院に向かおうとしました。
駐車場に行くと、車の下に猫が数匹入り込んでいてなかなか車が出せません。
もうイライラしてきて、怒鳴ってネコをどけて車を発進させました。
10メートルくらい進むと、車の前に急にネコが飛び出してきてはねてしまいました。
車を降りて見てみると、そのネコはうちのネコだったんです。
かなりの勢いではねてしまったので、もうすでに死んでいました。

家に連れて帰りたかったんですけど、祖母のことがあるのとたぶんパニクってたんでしょう、そのコをそのままにして病院に行きました。
その後、病院から祖母の体と一緒に帰って来た時にはネコはもうその場所にいませんでした、不思議です。
車の下のネコといい、飛び出してきたネコといい何故か私が急ぐのを止めていたように思えるんです。
もし、あのままあせって病院に行っていたら途中で事故にでもあっていたのかな?
ひいてしまったネコは私の身代わりになってくれたのかな?身勝手な解釈だとは思うんですがそんな気がしてきました。
ごめんね太郎ちゃん、こんな飼い主を許して。

 

 

病気を持っていった

私の実家の犬話を。

私が実家を離れて一人暮らしをしていた頃、実家では大きな雑種犬を飼っていました。
しかし母と仲の悪い祖母(姑)が同居を始めた頃から犬の調子が悪くなって行きました。
食欲は無くなり下痢が止まらなくなり、大きな体が段々小さくなっていくと母は涙ぐみながら仕事で中々帰れない私によく電話をかけてきました。
何軒もの病院にも連れて行ったのですが原因不明の病気と言われて、とても珍しい血液の病気だと判ったのは死ぬ2週間ほど前でした。

最後の日、いつものように母が車に犬を乗せて病院に連れて行き、衰弱がひどく入院させることになったので、手続きを終えてから母が家に戻ってから、なぜかとても胸騒ぎがしたそうです。
急いで病院に戻ると、安心したように母の顔を見てから犬は息を引き取りました。

犬はとても母になついており、母は「あの子が最期に私を
呼んでくれた」と言っています。
そして犬が逝ってから、病気がちの祖母の具合が良くなりました。

もしかしたら偶然かもしれないけれど、私には犬が家族の代わりに病気になったとしか思えないのです。
今でも犬と一緒に撮った写真は居間に飾ってあります。
今度犬が大好きだったパンを持ってお墓参りに行こう・・・
(犬の名前は辛くて書けませんでした。御容赦を)

 

 

 祖母にそっくりなおばあちゃん

私には生まれた時からかわいがってくれていた祖母がいました。
若い時から苦労していた祖母は私が小学生の時にボケてしまい、その後、肺炎をこじらせて亡くなりました。
私はボケてしまった祖母に冷たくしてしまったりしていたので、亡くなった時自分を責めました。
あんなにかわいがってくれたのに・・・と
葬儀の日は泣きっぱなしでした。

そして10数年が経過し、私は高校の卒業式を迎えました。
部活を掛け持ちしていた事もあり、たくさんの花束を貰って帰りました。
駅前の店で、抱えきれない程の花束を持っているのがつらかったので紙袋を買い、近くのバス停のベンチで荷物の整理を始めました。
すると、ベンチの端っこに座っていたお婆さんが話しかけてきました。
「今日卒業式なの?おめでとう」と・・
眼を上げると、なんとその方は亡くなった祖母にそっくりでした。
思わず言葉に詰まってしまった私はろくにお礼も言えませんでした。
ただ一言「ありがとうございます」と小さな声で答えただけです。

他人のそら似だったとしても、私は祖母がお祝いしに来てくれたんだなと今では思っています。
ありがとう~おばあちゃん。
時々想い出すからね。

 

 

ものを食べる姿

三年前に母が亡くなりました。
49日前だったと思うけれど、ある晩夢に出てきてくれました。
何故か家の外の階段で、私が一人で焼肉食べてまして、これがものすごく美味しい!
喜んで食べていると後ろから「美味しい?」と声がします。
振り向くと母が階段に座ってニコニコ笑って見ています。
「うん!」と返事すると、また嬉しそうに笑ってました。

目が覚めてから、「そう言えば昔よく私が美味しそうに
物を食べるのを見るのが好きだって言ってたっけな。」
って思い出して泣いちゃった。

 

 

愛猫の死

 

我が猫も急性腎不全でみるみるやせ細り、部屋の隅や押入に隠れるようになりました。

死期を悟って隠れてるんだな、と寂しく思いましたがトイレにも自力で行けなくなったある晩寝ている私の横に体を押しつけるようにして寄り添ってきたのです。
痙攣も始まり、獣医さんに電話すると朝の三時だったにもかかわらず病院に連れていって下さいました
(自発呼吸が出来ないので起動確保・点滴などをするため)

二時間後状態が思わしくないと連絡があり、行くと今にも消えかかりそうな心拍数がやや戻って獣医を驚かせました。
数十分後亡くなりましたが、意識が戻ったり、寄り添ってくれて自分を家族だと認めて、死を看取らせたんだなと思うと哀しいですが、嬉しかったです。

その後、なかなか立ち直れないでいると夢に出てくるようになりました。
抱き上げようとすると、するっと逃げてそうさせてはくれないんですが…
その後も「会いに来て欲しい」と思う晩には必ず夢に出てきてくれます。
(見たい夢を見ることが出来る器用さは持ち合わせていません)
実家の母にその話をすると、今晩自分も試すとの事。
(母は生前の頃から、一度も猫の夢を見たことがないのです)
その晩、猫がちょこんと膝に乗ってくれる夢を見たそうです。
本人も驚いていました。

 

 

 いつもの会話

母方の従姉妹は6歳の時交通事故で亡くなりました。
叔母はすごく気丈な人なので通夜の時も葬儀の時も誰よりきりきり働いて、まさか死ぬとは思わないから娘のブラウスを3枚も買って来てしまった、お店に返しに行かなくちゃ、などと言って笑っていました。
でも実際にはすごく傷ついて悲しくて、家で一人の時にはいつも泣いていたそうです。
そして夢でも幽霊でもなんでもいいからもう一度会いたいと心底願ったけれど従姉妹は一度も出てきてくれませんでした。
そしてさすがに叔母も諦めていた13年後のこと。
夢の中で叔母が一人居間に居ると、従姉妹が部屋に入ってきたそうです。
もちろん当時のまま、小さいままです。
けれどあんなに会いたいと思っていたのに叔母は夢の中では従姉妹が死んだことをすっかり忘れていて、ただずっとどこかに行っていたという感覚しかなくて何も考えず
「あんた今までどこおったん」
と訊きました。
すると従姉妹は
「いっつもここにおるじゃない、お母さん何言いよん?」
と言って笑い、叔母もそういえばそうだったなと納得したそうです。

その時叔母の頭に急にブラウスのことが浮かんで、訳の分からないまま
(当時叔母はブラウスを返したことはもう何年も思い出してなかったそうです)
「あんたのブラウス返しちゃった、ごめんね、またもらってくるね」
と言ったら、従姉妹は
「いらんよ、私はこのまんまでいいよ、これ好きだから」
と着ているブラウスを指さしたそうです。そして
「ありがとう」
と言ったそうです。
叔母はそこで目が覚めて、夢の中で従姉妹が着ていたのは亡くなった時着ていたブラウスだったと初めて気付いたそうです。

それからはたまに従姉妹が夢に出てくるようになったと話してくれました。
ただしこちらが落ち込んであなたの所に行きたい、死にたいと思ってるような時は絶対出てきてくれない、こっちの気がふっと切り替わったときに会いに来る、と笑っていました。
小さな従姉妹の顔を私は今はもうあまり思い出せないのですが、これを聞いた時は涙が出ました。

 

 

祖母と犬

祖母は犬を飼っていた。
遊びに行くとその犬は孫の私をいつも大歓迎してくれた。
両前足をあげて私の上半身にかけて一生懸命顔をなめようとした。
私は顔をなめられるのがいやで,逃げていたが,後から後から犬は私の顔を目がけて飛びついてくる。
こうやって犬と一緒によくばたばたしてたものです。

この犬は家の勝手口にいたが,犬がいた頃は,その家には玄関からでなく,勝手口から入る習慣だった。
小さな頃で良く覚えていないが,私もその犬を愛していたのだと思う。

ある日とうとう祖母が亡くなった。

すると同じ日に,その犬も死んでしまった。

直前までそんな兆候はまったくなかったのに。

祖母の家にはその後も祖父らが住みつつたが,文字通り火が消えたように寂しくなってしまった。

合掌

 

 

男が涙を見せるとき

誰が言ったか忘れたが、男が涙をみせていいのは、財布を落とした時と
母親が死んだ時だけだそうだ。
そんなわけで、人前ではほとんど泣いたことのない俺が
生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。

お袋は元々ちょっとアタマが弱くて、よく家族を困らせていた。
思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。
非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。
高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。
その間実家に帰ったのは3年に1回程度だった。

俺も30を越え、いっぱしの家庭を持つようになったある日、お袋が危篤だと聞き、急いで駆けつけた。
意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。

そんな母親が臨終の際言った。
「ダメなおかあさんでごめんね」
精神薄弱のお袋の口から出るにはあまりにも現実離れした言葉だった。
「うそだろ?いまさらそんなこといわないでくれよ!」
間もなくお袋は逝った。

その後葬式の手配やらなんやらで不眠不休で動き回り、お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中のこと。
家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。
かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。みな笑っている。
裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で家族の名前と当時の年齢が書いてある。
それを見た途端、なぜだか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。
30過ぎの男がおえっおえっ泣いてる姿はとても見苦しい。自制しようとした。
でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。

俺は救いようがない親不孝ものだ。格好なんて気にすべきじゃなかった。
やり直せるならやり直したい。でもお袋はもういない。
後悔先に立たず、とはまさにこれのことだったんだ。

その時妹の声がした。
「お母さん、笑ってる!」
皆布団に横たわる母親に注目した。
決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。
うっすら笑みを浮かべているようにさえ見える。
「みんな悲しいってよ、お袋…。一人じゃないんだよ…」
気がつくと、そこにいた家族全員が泣いていた。

…あれから私はことあるごとに両親は大切にしろと皆に言っています。
これを読んだ皆さんも、ご健在であるならばぜひご両親を大切にして下さい。
でないと私のように親不孝の咎で地獄行き決定になってしまいますよ。

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