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心霊ちょっといい話『モノを大切に』など短編全10話

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心霊ちょっといい話『モノを大切に』など短編全10話 不思議な話
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散歩

4月初旬、桜が満開の日、愛犬たちと散歩に出かけました。
いつも行く堤防を歩いていた時、右手下方に顔見知りの小父さんと愛犬のドン君の姿が見えます。
小父さんは不治の病で入退院を繰り返していましたが、その姿は元気そうで颯爽と歩いていました。
先日スーパーでその小父さんの奥さんに出会いました。
立ち話をしていた時に、小父さんが亡くなられたことを知らされました。
小父さんが亡くなられてからはドン君は極度の散歩嫌いになったそうです。
3月初旬、まだ肌寒い時期に病院で急逝されたとのことでした。

私が見たのは幻影だったのかな?怖いと感じなかったし不思議な気持ちです。
きっとドン君を心配した小父さんが散歩に連れ出したのね。
ドン君を残して亡くなった小父さんの気持ちが痛いほど判った。

 

 

心意気

私の祖母(と母や伯父達)に、聞いた話です。

祖母は若いころ、日本舞踊のお師匠さんをやっていたそうです。
多いときでは20人近いお弟子さんを抱えていて、年に1回、踊りの発表会の様なものがあったそうなのですが、ある年に、お弟子さんの一人が、発表会を前にして不幸にも亡くなってしまいました。
とても熱心な方で、祖母も他のお弟子さんもとても残念がっていたそうですが、発表会当日、誰ともなく

「せっかくですから●●さんのスペースを開けて踊りましょう」

という話になり、その亡くなった方のいつも踊っていたスペースを一人分空けながら踊ったそうです。
そして後日、その発表会を撮影した写真が上がってきてびっくり。

なんと、その空いたスペースにうっすらと、その亡くなったお弟子さんが微笑みながら、踊っているのが写っていたんだとか。
これを見た祖母もお弟子さん方も「ああ、●●さんも楽しそうに踊れて、良かったねぇ」と嬉しくなり、記念にその写真を焼増して、大切にとっておいたそうです。

残念ながらこの写真は、戦火で焼けてなくなってしまったそうですが、母や伯父達も小さい頃見せてもらったことがあるらしく、

それぞれ「うちには昔、すごい心霊写真があったんだぞー」

と笑って自慢をしていました(笑)。

 

 

モノを大切に

うちの母が(現在70歳)嫁入り道具に父親(私にしては祖父・故人)が下駄箱を作ってくれたそうだ。
その下駄箱(家にずっとあったので私もよく知っている)を、家の改装の時にいよいよ捨てようと思ったところ、二人がかりで持ってもビクともしないという。
何度かトライしたけどダメで結局あきらめたそうだ。

「しょうがない、これをこのまま道具入れにしようか・・」

と言ったとたんスッと持ち上がったという。

改装の際、地下に移動した時は二人で楽々持てたそうです。

 

 

お地蔵さんが・・・

私は二十歳の頃石屋でバイトしてました。ある日あるお墓に工事に行くと、隣の墓地に自分の母親位のおばさんがいました。

なぜかその人は私の働く姿を見守るように見ているのです。その人の墓は最近の仏さんだなってのは雰囲気でわかってました。
少し話を聞くと最近バイク事故で息子さんを亡くされたとか…。
同じ位の子を見るとどうしても…。わかります。痛いほどそのおばさんの心情はバカな私にもです。

おばさんは帰りに、

「これ息子に供えたのだけどよかったらおやつに…」「親よか先に死んだらだめだよ」

はい、気ぃ落とさず元気で帰って行くそのおばさんの後ろ姿を今でも覚えてます。
三時の休憩にそのおやつを食べようとすると離れた所で働いていた隣県の同業の親方が近づいてきました。

「今そこに地蔵さんが手をつないでおりてきてるから…」

「墓所の向こうに六地蔵があるからそれをそこへ…」と言い残し戻って行きました。

私はそんなことねーべー。と自分の親方に言うと、

「いや、あの人は死ぬ程の大病助かってから見える人らしいから言われた通りにしろ」

と…その頂いたおやつを地蔵さんの所へ供えました。

 

 

友の墓石

その日の現場(墓地)工事を終え、翌日の段取りに会社に帰ると「明日はここに行ってくれ」と図面と製品の墓石を案内されました。

石の裏に刻まれた名前は二年前事故で亡くなった友達です。
この仕事をしていればこんなこともあって不思議ありませんが、この時はそう思いたくはありませんでした。
すかさず私は社長に

「これ俺の友達だから最後まで担当させて下さい」…
「そうか、いい仕事しろよ!」

工程上最低日をあけて三回は行くので担当が代わる可能性があったのです。

当日はあいつの好きだった銘柄たばことコーラを朝買いました。あいつを思い出し、飲み、吸いながら心の中で

「おう待ってろよう、りっぱの作ってやるからよう」

などといいながら仕事をしました。数日後完成。私は納骨が終えた頃を見はからい訪れると花が飾られてます。
さらに数日後あいつの夢を見ました。
前歯のない顔で笑いながらエロ本をくれる夢…そんな奴でした。(笑)私の思念がみさせた夢かもしれません。

大きな事故だったので今でも噂はあるみたいですが、私はあの夢で成仏を信じたいです。

 

 

最後の教え

 

俺が地元を離れ、仕事してた時のこと。

休みもない仕事だらけのGW中に、滅多にない実家からの電話がきた。

親父危篤、脳腫瘍。もって数ヶ月。

親父が定年を迎えようとしていた、ほんの数ヶ月前だ。
俺に”マイコン”を教えたのが、親父だった。
仕事に穴をあけることができない状況にいた俺は、
「盆までなんとかもってくれ」
そんな身勝手なことを願っていた・・・

そして7月に入ったある日、夢を見た。

端末に向かって仕事している俺。すると、いつのまにか親父が後ろにいた。
「仕事はどうだ?」
仕事中の俺は一瞬驚いたが、生返事を返し、黙々と仕事を続けた。
「Cは覚えたか?HP-UXはこう使え云々」等々初歩的な講釈をたれる親父。
延々つづくそれがいいかげんうざくなり、つい口が滑った。
「んなのは分かってる。俺のほうが詳しいっつーの!」
すると寂しいのか、うれしいのか分からないような微笑を浮かべ

「・・・そうか」

そう一言いい、どこかに去っていった。

そこで目がさめ、目覚ましを見ると、6時半過ぎ。珍しく早起きをした。
出社。仕事始めてすぐに実家から電話。

親父死亡の連絡。

心の準備は既にしてあったのでショックはなかった。
死亡時刻は、その日、俺が起きたちょっと前だった。

その後、無事葬式を終え、会社に戻ってふと夢を思い出したとき、式でも流さなかった涙が出た。
泣いた。

闇雲に働いて死んでいった親父の人生にむなしさを感じたからなのか、仕事にかまけて、死に際にそばにいてやれなかったせいなのか、枕もとに立った親父にたいした言葉を掛けられなかったせいなのか、削られた人間性を仕事のせいにしようとしていた自分になのか、夢でみせてくれた最後の表情の意味を理解したせいなのか、あるいはすべてのせいなのか、よく分からないが。

ただ、街を離れる列車を見送る親父の、目を赤くしている姿だけは、今でも強く焼きついている。

 

 

後悔

私の家には、おばあちゃんがいました。
でも、仏壇にはもう亡くなった父のおばあちゃん、おじいちゃんの写真があります。
幼稚園の頃は、不思議と思っていませんでしたがある時、母に聞きました。
私の家にいるおばあちゃんは、一般言うおばあちゃんではなくて父の叔母さんなんだよと言われました。
私がおばあちゃんと呼んでいる人は、耳が聞こえなく、もちろん話しも出来ません。
だから、みんな手話で話していましたが幼い私は、手話で話しているおばあちゃんの口から時折もれる「あーあー。あー。あー。」って言葉がたまらなく嫌でした。

一緒に住んでいた理由は、おじいちゃんが生きていた頃にさかのぼります。
おばあちゃんは、同じく耳の聞こえない男性と結婚したかったけれどおじいちゃん(父のお父さん。おばあちゃんの兄)に承諾してもらえず結局、それから誰とも恋愛もする事もなく一人の女性の幸せを何一つ叶う事なく歳だけを取っていったのです。

おじいちゃんは、耳が聞こえず、話せない人間を嫁に出す事を逆に迷惑だから追い出したんだと、世間に言われると気にしての反対だった様ですが、母にしてみれば耳の聞こえない叔母さんが同居で苦労したようです。
子供の私は、そんな事より私の大切な猫を折檻したり朝早くから、ガタガタと起きだして何かする事や私の友達に「あーあー」と話しかける事が本当に嫌でした。

今なら気持ちが分かります。
若い時の恋愛は障害で終ってしまい、住んでいる家には甥っ子の嫁がいて子供がいて、自分だけは家族がいなく・・・
そして聞こえない。話せない。
そんないらだたしさが時折母に、私にと向けられたって事を。
学生の頃、進学の事で喧嘩になりプチ家出をした。
三ヶ月後に見つかって、しぶしぶ家に帰ったらおばあちゃんは私に、五百円玉を握らせて手話で言いました。
「おこずかいあげるから。おこずかいあげるから。」

五百円玉は、今と何ら変わりなく五百円玉の価値しかなく「は?何、この小銭」と思いました。
いつも話せないその口で、小言ばっかり言っているおばあちゃんが何故に、五百円をくれたのかわかりませんでした。
社会人になったある日、突然亡くなりました。
急いで実家に帰り、どうしたのか聞いてみました。

おばあちゃんは、亡くなる数週間前に母が、自分のお金を取ったと暴れて倒れて半身麻痺になっていました。
朝、起きてからおばあちゃんを、ふとんを高く積んで座椅子の様にして背をもたらせて、お茶とおせんべいを一人で食べてもらっていた所おせんべいを握ったまま亡くなっていたそうです。
お葬式は、母をご苦労様とねぎらう人が多くておばあちゃんの知り合いは一人だけでした。
偶然に、本当に偶然に同じ話せないおばあちゃんが葬儀の花輪を見つけて来たのです。
家族対おばあちゃんって感じの家族構成・・・だった。
孤独でさびしかったよね。まだ気がついてあげれなかった私です。

夢を見ました。パッと空一面に大きいおばあちゃんの顔。
びっくりしてぼっーと見ていたら、にこにこ笑って満点の笑みで、うん。うん。って頷いていました。
初めは夢じゃないと思っていたので、内心は
「何で私にうん。うん。言ってるのかな?」でした。
目が覚めてから、すぐさま母にTel。
そしたら、その日はおばあちゃんの月命日でした。
その日から、すっごく悲しいです。
後悔するなら、もっと早くに気づきたかったです。
もっと別の楽しみを、私がしてあげれば良かった。
戻せるなら、その頃に戻ってどこかに連れていってあげたいです。

 

 

鴨南蛮

全然恐怖話じゃないけど、まあこんなこともあったということで。

一昨年の話。父が血の病気になり、入院しました。
わたしは、広告の仕事をしており、自分のマンションにさえ毎日帰れないほどの忙しさで、父の見舞にあまりいけず、母親にばかり迷惑をかけていたのです。
あるとき、母親から仕事先に連絡がありました。「もう、今夜だから」と言われ、愕然として、仕事をほうって駆けつけました。
父はそのときもう、昏睡状態でした。手を握り、親父と呼びましたが、返事をしてくれませんでした。
翌朝、父は逝きました。皆が悲しみに暮れている中、自分だけはしっかりとしようと思い、わたしは親戚をとりまとめ、とりあえず通夜と葬式の段取りを始めました。
仕事ではプロデューサーなので、こういうことには慣れている。
通夜だからといってイベントみたいなもんだと、虚勢を張っていたんでしょう。
叔父などに「お前、大丈夫か」といわれても、「慣れてるんだよ」と生意気なことを言った。
とにかく、涙だけは見せるものかと、淡々と葬儀屋との段取りを進めたかった。
通夜には、友人も、前の恋人も来てくれて、それなりに嬉しかった。
だけど、母親と姉は疲弊していたから、俺が泣いたらだめだ、と思って、泣かなかった。

通夜が終わり、実家に帰り、お嫁に行った姉と、いっぷくしました。
わたしは疲れていたので、お風呂に入りました。ゆっくりつかって、とりあえずまあ、半分終わったし明日は楽だよな、まあ、いいかなんて思って、じっくり暖まり、出たのです。
するとすこしたって、お蕎麦屋さんがやってきました。どうやら姉が頼んだらしいです。
お蕎麦屋さんがもってきたのは、もりそば、たぬきうどん、鴨南蛮そばが二つ、の計4人前。
姉はわたしの前に鴨南蛮をおきました。「なにこれ?」俺は聞きました。
「お前それでしょ」と姉が言う。
ん?確かに俺は鴨南蛮好きだけど、出前とるなら、聞いてくれたっていいじゃないか。
「なんだよ、声かけて聞いてくれよ、ひとことぐらい」
「声かけたじゃない!あんたが言ったんだよ、鴨南蛮がいいって」
俺はそんなこと聞いていない。些細なことで喧嘩になりました。すると、母親が止めに入りました。

父は飲んべえで遊び人でどうしようもなかったんですが、入院してからは当然控えねばなりませんでした。
そんな父の唯一の楽しみは、時々先生の許可を貰って帰ってきたときに、近所のこの蕎麦屋に出前で頼む、「鴨南蛮そば」を食べることだったらしいのです。
思い出しました。親父は食い意地もはっていて、わたしが食べ盛りのガキの頃でも、わたしのおかずを奪ってつまみにするほどの大食漢だった。
きっと父は、今も、俺の声を騙って、姉に食べたいものを言ったんでしょう。
「鴨南蛮がいい」って。
姉は母に聞いて、父の為にも「鴨南蛮そば」をとった。だから、二つ重なったんだと。
姉は姉で、やっぱ男同士の親子、好みも似るもんね、と不思議とも思わなかったらしい。
なんだか、それを聞いて、おかしくてしょうがなかった。親父、相変わらずだな、おい。
母親が言いました。「お父さん、それが食べたくて食べたくて、しょうがなかったんだよ」
俺はゲラゲラ笑って、じゃあ、親父の分まで食ってやる!と、猛然と食べました。
先生に内緒で食べる、油が浮いた鴨南蛮の、濃いつゆの味。病床の父には、たまらないごちそうだったんだろう。
遊んで遊んで、母親泣かせてた親父が、病床ではしおらしくなって。
食べたくて、しょうがなかった。生きたくてしょうがなかったんだ。

俺は、なぜか、嗚咽していました。声をあげて泣いていた。
母親がいいました。「それでいいんだ、お前が泣かなくて、どうする」と。

 

 

速記

 

旦那が速記の仕事してる若い夫婦。
子供が出来、家も買い、幸せに包まれていたが夫が交通事故で死亡。
残されたのは幼い子供と家を買った莫大な借金。毎日途方に暮れる妻。
家を売ることも考えたが短くも夫との思い出の詰まった物なので売りたくは無かった。
しかしこのままでは生活が出来ない為、売ることを決意したその時ふと子供を見るとなにやら文字らしき物を書いている。
もちろん文字が書ける歳ではない。

どこかで見たような文字に、ふと夫の仕事仲間であった人にそれを見せるとなんと速記文字だと言う。
内容はある銀行名と数字。
その銀行に問い合わせるとなんと生前夫が妻に内緒で貸し金庫を持っていたのだった。
その貸し金庫を開けてみると一通の手紙と1万ドルの現金と生命保険の証書。
手紙には

「愛している妻と子へ

僕に何かのことがあったときの為生命保険に入っておいた。

これを読んでいると言うことは僕はすでにこの世にいないかもしれないが二人で幸せに生きるんだよ」と。

 

 

やり直し

親戚のお姉ちゃんの話。

結婚して8年間、ずっと子供が出来なくて悩んでいた。
ダンナさんは一人っ子で、あちらの親戚にも内緒で忠告された位の干渉するお義母さんがいる。
赤ちゃんが出来ない事に4年位して露骨に言われまくっててどんどん消極的になっていたお姉さん。
でもようやく頑張って行ってた不妊治療で、妊娠する事が出来た。
それから一変してお義母さんは優しくなり、お姉さんを下にも置かない様な過保護っぷりにうちら親戚もほっとした。
そして無事男の子が生まれて、「良かったね」と親戚みんなでお祝いしたその翌週、その子は突然死しちゃった。
話には聞いたことがあっても、はじめてそれを目の当たりにしてみんな凄くうろたえた。
だって本当にその前の週には元気だったし、あまりにも突然で。
そうしたら近所の心無い人が最近多い虐待では・・・なんて噂をしたらしい。
幸いな事にその噂を流そうとした人は近所でもそういう嫌な話を作るって事でまともに話を聞く人も少なかったようで。

 

だけれどお姉さんの精神的にはかなりキツイ事もあり、またお義母さんにもちょっと問題があり少し実家に戻る事になった。
戻ってきたお姉さんはかなり痩せてしまって、目の下のクマにこけた頬髪は所々白髪になってバサバサになってしまっているほど。
あまりの変わりようにお姉さんのお母さんが頭を撫でて泣いてしまうとお姉さんも大きな声で泣き出した。
泣き疲れて寝てしまったお姉さんが、寝言を言っていた。

「待って。行かないで。離れていかないで。ママはここだよ。声を聞かせて。行かないで」

とずっと泣きながらささやいていた。
たまたまその日一緒にいた私はそれを聞いてやっぱり泣いてしまった。
そして何かの本で見た「山姥は、自分の子が死んでしまって泣きながら山を駆け巡り狂ってしまった狂女である」というのをふと思い出してしまった。

あれから2年、なんとか立ち直ったお姉さんには今可愛い男の子が一人いる。
お姉さんのダンナさんいわく「この子もあの子も同じ子なんだよ。だから自分たちに出来る全てでこの子を可愛がるんだ」って
何故そういう事を言い出したかって言うと別々の日なんだけれどダンナさんとお姉さんの夢の中に光がふわふわと飛んできて
「ごめんなさい。間違えちゃって失敗したんだけれど、もう一回やり直すからね。待っててね」
って言ったらしい。

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