【信じようと、信じまいと】『窓が真っ黒に』など全50話【43】ロア – 噂話集 – 嘘のような本当の話

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【信じようと、信じまいと】『窓が真っ黒に』など全50話【43】ロア - 噂話集 - 嘘のような本当の話 信じようと信じまいと
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信じようと、信じまいと【43】全50話  ロア – 噂話

 

1981年、福島県のある小学校で、学校中の窓という窓が一夜にして真っ黒に
塗りつぶされるという事件があった。犯人は未だ見つかっていないが、
警察の調べによると窓はただ塗りつぶされた訳ではなく、大小様々な
何千人分もの手形によって隙間無く埋められていたことが解った。

 

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イタリア南部の田舎町に住むマリオという少年は、適当なある年のある日が何曜日なのか
即座に言い当てることが出来た。だが、面白がった父親が試したところによると、当てられる年は
過去へなら紀元前まで遡れるものの、何故か未来へは2012年の9月8日より先の日付に進むことが
出来ず、ただ「そんな日は来ない」と言うばかりだったそうだ。

 

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ある夫婦が家を新築した。防犯のため玄関にはオートロックやカメラなどが設置されている。
夜、急ブレーキと何かが跳ね飛ばされるような音。防犯カメラにひき逃げの現場が映っていた。
慌てて助けに行く夫。だが外に出ると逃げる車もはねられた人物も見当たらない。
すると家の中でカメラを見ている妻が叫んだ。「その人起き上がってそっち向かってるよ!大丈夫なの?」

 

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静岡に住むある女性は、近所の公園で飼い犬を逃がしてしまったが、数時間後に無事捕まえることができた。
数日後、女性が再びその公園を散歩していると、藪の中から一匹の痩せた犬が飛び出してきた。
女性は驚いた。その犬は、自分の連れている飼い犬と同じ姿で同じ首輪をしていたのだ。
今連れている犬と、今見つけた犬と、どちらが本当の愛犬なのだろうか。

 

□ □ □

 

静岡に住むある老婆は、「三毛猫おばあちゃん」と呼ばれている。
幼少時代から半月も欠かさずに猫を飼い続けており、その猫がみな三毛猫であるからだ。
何故必ず三毛なのかと尋ねると、三毛が死ぬと、まるで入れ替わるかのように新しい三毛がやってくるのだと言う。
猫の死因は様々で、病気であったり、交通事故だったりしたが、死んだ数日後には必ず三毛の子猫がやってくる。
老婆は現在飼っている猫の前に10匹以上の猫を飼ってきたが、写真を見返してもいつ飼っていた三毛なのか全く見分けがつかないという。

 

□ □ □

 

1998年夏、アントニオ・モンタネール博士の調査隊は、パン屋の跡と見られるローマ時代の遺跡から、
壊れた素焼きの壺を発掘した。壺は金庫のように使われていたらしく、破片の周囲からは、
百枚以上のコインも発見されたのだが、その中に一枚だけ四角い穴のあいたものがあった。
洗浄作業と年代測定の後、それが江戸時代末期に日本で鋳造された寛永通宝であることが判明した。

 

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初フライトを前に病死してしまったCAがいた。
彼女の同期の同僚が初フライトを終え、乗客を見送っていると、客の老夫婦から不思議なお礼を言われた。
「親切にしてくれた髪の長いスチュワーデスさんによろしくお伝えください。色々話を聞いていただいて。」
その日搭乗していたCAは3名だったが、全員がショートカットで、老人の話す「もう一人のスチュワーデス」の特徴は病死したCAのものと酷使していた。

 

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カナダのアルバータ州に住んでいたロック・フィッシャーマン氏は、その名に反して生涯魚介類を口にしなかった。
彼は、生魚やフライはもちろん、アンチョビやオイスターソースを少しでも使った料理であれば匂いを嗅ぐだけで吐き気を催し、
スーパーの魚売り場には近づくこともできなかった。そんな彼は、43歳の時、突如口から8リットルもの水と20匹近い小魚、
そして7つの貝を吐き出して亡くなった。解剖した医師によれば、彼の胃袋には無数の噛み傷のような潰瘍があったという。

 

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南米アマゾン流域の小さな村に、ひび割れ、赤茶けた土が露出した窪地が存在する。
そこは、現地の言葉で「乾きの門」と呼ばれており、旱魃をもたらす悪霊が住まう場所とされ、
一種の禁足地として扱われている。同地は、雨季には増水したアマゾン川によって、村全体が水浸しになるのだが、
その窪地の周りだけは、まるで風呂の栓を抜いたかのように水が渦を巻いているという。

 

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1986年、埼玉のとある団地の一室で男性のもとのと見られる白骨死体が発見された。
第一発見者は、その団地の管理人。
一月後に入居したいという若い夫婦のために、建設以来誰も入居したことのないその部屋の鍵を
初めて開けたて見せた時のことであった。

 

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1989年、北海道沖で操業していた漁船が奇妙な箱を引き上げた。
その箱は、一尺四方ほどの黒い漆塗りの箱で、赤い縄で幾重にも縛られていたという。
もしや、沈没船の財宝か何かかもしれないと、漁師たちが縄を切り漆の封を剥がしてみると、
中からは墨汁のような黒い水と、小さな子どものものと思われる左腕の骨が七本出てきたそうである。

 

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1984年4月、ベル・マクレガー婦人の葬儀に約400匹の蜂が参列した。
蜂たちは、葬送の讃美歌が歌われ始めるとその歌声に惹かれるかのように集まりだし、
棺が墓穴に降ろされる時には、別れを惜しむかのように墓穴の上に留まっていたという。
婦人をはじめ、参列した人々の中に養蜂関係の仕事をしている人物は一人もいなかったそうである。

 

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1996年の冬、狭山啓司氏が家路を急いでいると、一陣の寒風とともに雪が降り始めた。
驚いた氏が空を見上げているうちにも、雪は勢いを増していき、それにつれて風も強まっていった。
氏が足早に家に帰りスーツに積もった雪を払っていると、迎えに出てきた妻が不思議そうな顔をした。
振り向けば、玄関の外には雪など降っておらず、道には水たまり一つできていなかったという。

 

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とあるレンジャーがセレンゲティ国立公園を巡回中、水辺で一匹の雄ライオンが死んでいるのを見つけた。
特に外傷はなかったものの、腹部が異様に膨れていたため、市街の病院に運びそこで解剖してみることにした。
解剖の結果、死因は溺死だと判明したが、なぜかその胃からは約20,000ドル相当ものダイヤモンドが摘出された。
このライオンは、いつどのようにして、これだけのダイヤモンドを飲み込んだのだろうか。

 

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インドのある街に「黒羊の行者」と呼ばれる男がいた。彼は数十年の間伸ばし続けた髪でその身を覆い隠し、
市場の片隅にある木の下で夜明けから日の沈むまでの間、身動き一つせず瞑想を続けるという修業を行っていた。
ある日、一人の子どもが悪戯のつもりで木の枝を投げつけると、それまで人の形を保っていた髪の塊は崩れ、
中から干からびた老人のミイラが現れたという。彼は、いつからそうだったのだろうか。

 

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実害が無いため報道されることは少ないが、
視神経と繋がる脳の部位を調べてみると、約300人に一人は赤と青など二つの色が逆に見えているはずだという。
彼らは赤く見えるものが”青”、青く見えるものが”赤”と思い込んでいるため気付くことは少ない。
あなたの視界は、本当に周囲の人と同じだろうか?

 

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ロシアの某所で、豪奢で煌びやかな箱が発見された。
その箱は道路の真ん中に放置されており、大型犬ほどの大きさだった。
箱の中には毟り取られた人間の下顎が大量に入っていた。
検査をした結果、その下顎は全て同一人物のものだったという。

 

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読んではいけない本というものがあるそうだ。
その本の表紙には、『たどり着いたの者の名は』というタイトルが印字されており、
表紙の余白にはいくつかの人名がペンや鉛筆で書き込まれているという。
その本を読んだ人は表紙の余白に自分の名前を書き、失踪してしまうのだという。

 

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冷戦当時、古い坑道を買い取り、そこを核シェルターに改造している大金持ちの男がいた。
数十年分の生活物資を溜めこみ、核戦争が起きると自動で入り口を塞ぐ装置も作った。
しかしある日、男が中を点検していると、装置が誤作動を起こして入り口を塞いでしまった。
男はそれを本物の核戦争と信じ、多分今もその中で暮らしているという。

 

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埋葬した人が、棺桶の中で息を吹き返すということがある。
そのまま死なせてしてしまうのを防ぐため、中で動きを感知すると警報音が鳴る棺桶が作られた。
ある晩、その棺桶から警報が響いた。
それは保管してあった棺桶全てで、中に誰も入っていないものだった。

 

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1988年パリ、大晦日の夜に、マルセルという青年がバーで仲間と酒を飲んでいた。
気づくと年明けも数分後に近づいており、彼はシャンパンのボトルを注文した。
0時になると同時に栓を抜こうとしたのだが、具合の悪いことに栓が抜けず、2分ばかりてこずってしまった。
数人の客が気づいたことだが、彼が悪戦苦闘している間、店の時計の針は0時のまま止まっていたという。

 

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骸骨など不気味なモチーフを用いながらもどこか親近感の湧く、不思議な絵を描く画家がいた。
黒衣をまとった骸骨の絵を見た彼の知り合いが、「これは死神かい?」と彼に尋ねた。
画家は首を横に振り、「これは近所に住んでる神父さ。神父の服を着てるじゃないか」と答えた。
彼にはなぜか肉を透かして人の骨格が見え、自分が見たままに人物画を描いているのだそうだ。

 

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真冬のロシアでの話。雪の降るある晩、A夫人は紅茶を飲もうと思い、やかんを火にかけた。
しかし何分たってもお湯が沸かない。それどころか、やかんの中の水は冷たいままではないか。
奇妙なことは何でも幽霊のせいにする夫人が震えていた頃、彼女の家の外では泥酔した男が寝ていた。
男は風呂に入っている夢を見ており、段々お湯が熱くなるのに耐え切れず目を覚まし、無事帰ったという。

 

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「サイコロを振ったときにそれぞれの目が出る確率は1/6である」ことを証明した人はいない。
「何度もサイコロを振るうちに限りなく1/6に近づく」ということが分かっているだけである。
『人類がサイコロを振った回数が計100兆回を超えると、それ以降は常に1の目しか出なくなる』
神がそんなプログラムを用意していない保証はない、とある数学者は語る。

 

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ある小学校のクラスが、地元の漁師の協力のもと、地引き網の体験学習をした。
みんなで網を引き上げてみると、魚に混じって小さな人形がかかっていた。
それは流し雛と呼ばれる人形で、その土地には厄払いのために流し雛を川に流す習慣があった。
川を下り海底に沈んだと思われるその人形は、なぜか鬼のような恐ろしい形相をしていたという。

 

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1970年、ある高校の修学旅行中に、前代未聞の心霊写真が撮影された。
それは一見ごく当たり前の、大きな池をバックに撮られたクラスの集合写真である。
学生服を着た30人ほどの男女生徒が3列に並び、前列中央には笑顔の教師もいる。
誰もいなかったはずの池の写真に30体以上の霊が整然と並んで写るまさに前代未聞の心霊写真である。

 

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都内のラジオ局に勤めていたT氏は十数年前、録音資料の整理中に奇妙な音源テープを発見した。
テープには『1975/08/15』とのラベルが貼られており、某大学の教授と記者による対談が収録されていたが
その内容は『戦勝30周年』『ニューヨーク空襲』『天皇政権』『外地開発の限界』など、多くの不可解な言葉を含んでいた。
何者かの怒鳴り声とともに録音は途切れていた。局内で詳細を知る者はおらず、程なくテープ自体が紛失したと言う。

 

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1960年代初期まで、日本は電力不足に悩まされており、東京も度々停電に見舞われたが、
当時、「新宿は停電しても明るい」ことで都民に知られていた。
停電の度に、真っ暗な東京のシルエットの中、新宿の街だけが広範囲にわたって空にそびえる無数の塔のように輝いていたというのである。
それを、人々は千住「お化け煙突」にような目の錯覚か、淀橋浄水場やガスタンクの非常照明によるものだと思っていた。
ちなみに、新宿に最初の高層ビル「京王プラザホテル」が建つのは1971年、都庁の完成は更に1991年のことである。

 

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生まれつき目の見えない娘に「『色』って何?どんなもの?」と尋ねられた父親が、
「音楽が沢山の音でできているように、この世界は沢山の色でできているんだよ」と答えた。
それ以来娘は、赤い紙と青い紙の破れる音を聞き分けるなど、色の違いから音の違いを認識できるようになった。
その一方で、水の流れる音、風の吹く音透明なものが発する音は聞こえなくなってしまった。

 

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1966年8月23日。撮影旅行を兼ねた数年ぶりの帰郷から戻ってきた富澤某という写真家は、
現像が上がってきたその数枚の写真を見て絶句した。そこには彼がカメラに収めたはずの
故郷の長閑な里山、田園、無邪気に遊び回る子どもたちなど写っておらず、撮られていたのは
朽ち果てた廃屋の連なりと錆びた鉄骨の山、そして遠くに霞むダムの堤防だけだった。

 

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1966年8月23日。その歴史的な日に立ち会えなかったことを統計学者ビル・ネイザンは死ぬまで悔やみ続けた。
雨女だと自称するその女性とバーで出会ってから16年間、彼女がレジャーに出るときは欠かさず同行し、
毎回必ず雨が降ることを記録し続けた彼だったが、その日は風邪で寝込んでおり、泣く泣く彼女がゴルフへ行くのを
見送った。一日中快晴だったその帰り、友人たちは密かにネイザンが雨男だったんじゃないかと噂した。

 

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1966年8月23日。航空機事故が相次いだこの年にあって、それは一際異様な事件であった。
H空港機材庫で乗員訓練飛行を待っていた東亜国内航空コンベア880-22Mは突然走り出し滑走路に出ると
そのまま離陸、消息を絶った。コックピットには誰も座っていなかったという職員の証言や、同機の
残骸すら発見されなかったことから、未だに「あいつは自分でどこかへ逃げたんだ」と語る航空関係者も居る。

 

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1966年8月23日。ミラノである美術商の男が骨董屋から一枚の絵を買った。豪華な晩餐を描いたその静物画は
香りが漂ってきそうなほどの出来だったと言い、そのうち男はこの絵の料理を食べてみたいと欲するようになる。
しかし、あらゆる料理人も文献学者もその料理の名前すら知らず、「この料理は絵の中にしか存在しないのか」と
絶望した男はある朝、使用人によって窒息死体となって発見される。男は絵を食べていた。

 

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1966年8月23日。早朝。フロリダのある町で、数百人もの男が集団で失踪した。彼らは全員、昼までには家に
戻ってきたのだが、誰も「なぜ」「どこに」行っていたのか覚えていなかった。午後になって警察に一人の男が出頭した。
彼は学者崩れの秘術マニアで、昨晩古い文献に則り「死者を墓場から蘇らせる」秘術を行ったところ、朝起きると
大量の知らない男に家を囲まれていたので慌てて術を解いたという。失踪者は全員妻帯者だった。結婚は人生の墓場である。

 

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1966年8月23日のお昼ごろ。北海道のとある山にある集落から警察に一本の通報が届いた。
話によると家の近くにいた家畜が見るも無残な姿になったらしい。ヒグマの被害だろうと考えた
警察は猟師を集め、ヒグマ探索に当たらせた。しかし、結果として探索はすぐに終わった。
なぜならば北海道には馬を一口で半分食らうヒグマなど存在しないからだ。

 

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1956年、自称「UFO・オカルト研究家」、Michel Kraftmanの著作”Change”が全米で話題になった。
「UFOは宇宙人ではなく未来人の『タイムマシン』である」「彼らは『未来を都合よく変える』為に現代にやって来ている」
「未来人たちは我々の科学技術の発展を更に促すために米ソ対立を煽りにきた」「理由なき失踪事件は未来人が犯人」
という主張が注目を集めたが、1959年2月12日以降、彼は行方不明である。ニューヨークのブルックリン橋に彼の車と「着ていた服」を残したまま。

 

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ネパールの首都カトマンズから南西に275キロに位置するインド国境近くの町カカルビッタで
警察のヤダフ・ダカール氏は定期的な国境パトロール中に置き去りにされたかばんを発見した。
中には168個の人間の頭蓋(ずがい)骨が入っていた。
見つかった頭蓋骨は、ボールのように彫られていた。

 

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ネットゲームというものが盛んになって久しい。最近ではそれにまつわる恐怖譚も多く聞かれるようになった。
あるプレイヤーは、自身のキャラクターが好き勝手歩いているのを見、あるプレイヤーは自身のキャラクターに殺されたという。
これらの現象が良く報告されるようになってから、反比例するように報告されなくなり始めた怪奇現象がある。
もう一人の自分、ドッペルゲンガーと呼ばれる現象である。

 

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人間が最初に知覚した色は、血や炎の色である「赤」であったと言われている。
現代においても赤信号など、危険を知らせるものには赤色が用いられる。
最近の調査で、インダス文明の古文書の中に、赤の顔料で記された箇所があることが分かった。
果たして彼らは何を警告しようとしていたのだろうか。

 

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賢者の石という伝説がある。触媒として金を生み出すとも、不老不死を得られるとも言われ、
錬金術師はどうにかそれを生み出そうと躍起になっていたと伝えられる。当然、まがい物も多かった。
ある錬金術師の家系が「賢者の石」として受け継いだそれは、今日ではありふれたグリセリンの結晶であった。
しかし、一度-193℃まで冷やさなければ結晶化しないグリセリンを、どのように結晶にしたかは伝えられていない。

 

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関東にある某ホテルでは、カウンターに置く物の位置が、寸分の狂いも無く決まっている。
いつ、誰がそう決めたのは定かではない。
だが、なぜこのような決まりがあるのかだけは判明している。
この配置を僅かでも間違えてしまうと、カウンターの上にある物が、綺麗に半分消えてしまうからだ。

 

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静岡のとある旧家が建て直されることになった。
解体作業は順調に進んでいたものの、家の下から出てきたものに皆首を傾げた。
その家の下は座敷牢になっており、出入り口は幾重にも、厳重に封じてあった。
いつから封印されていたのか定かではないその場所には、バラバラに分解されたバイクが山のように積まれていたのだ。

 

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1950年代、ニュージーランド沖を航行中の船が海の中に建築物を発見した。
建築物は緑がかった塔のようで、海上周囲には腐った魚の様な異臭が立ち込めていた。
船の乗組員はその異臭にまいってその場を後にしたが、乗組員全員が一ヶ月と経たないうちに怪死した。
乗組員の日誌によると建築物を発見したのは南緯47度9分、西経126度43分。

 

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TVの電波はよく届いてせいぜい100kmだが1953年にテキサス州ヒューストンのKLEEテレビの
テストパターンを受像したイギリス人の驚きは大変なものだった。電波の異常伝播はたまに
起こることがあるが、このときは違った。KLEEテレビは1950年に閉局していたのだ。
つまりイギリスの各地で広範囲に受信された電波は3年前の電波ということになる。

 

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1972年、アメリカ北部の町に住むウエストマン氏は、「自分の右手は他人のものだ」と周囲に漏らしていた。
あまり冗談を言わない彼は、深く悩んでいたものの、具体的なことは何も言わなかった。
ある日、彼の家を訪ねた友人は、銃で頭を撃って死んでいる彼を発見した。警察の調査では、彼は即死だったという。
しかし、発見直後に左手の指で床に「しくじった」と書いた、と言う友人の証言は無視された。

 

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2001年7月。英国のある病院に、友人の運転する車に同乗して事故に遭った男が運ばれてきた。
大手術の末、一命を取り留めたが両脚を失った彼は、自分をこんな目に遭わせておきながら
姿を見せもしない友人に激しい怒りを抱き、「あの男の心臓を止めてしまって下さい」と毎晩神に願った。
ある朝、男は心臓麻痺で死んだ。彼の胸には、その友人の心臓が移植されていた。

 

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1976年2月、荒川のある病院に入院していた清水某という男が「右腕がかゆい」と看護婦に訴えた。
看護婦は困惑した。清水は建設現場での事故で右腕を失くしていたからだ。主治医は「脳の混乱」と考え、
彼を納得させるため、「見ていて下さい」とメスで『右腕がある場所」を刺して見せた。
すると次の瞬間、何もない空間から血が噴き出したという。

 

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ドイツ北部のとある村では、4月3日を「天使の記念日」とし、小さな祭りを行って祝っているという。
その祭りは1786年の4月3日、その村に「天使の羽」が降ったことに由来するものだという。
同地の教会に残る記録によれば、その「羽」はほのかに青みを帯びた白い羽毛であり、
正午を告げる鐘の音と共に降り始め、一帯を雪のように埋め尽くしたそうである。

 

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広西チワン族自治区防城港市の上思県で明代から清代(1368-1912年)の墓を発掘していたところ
「スイス製」と刻まれた腕時計の模造品が見つかった
世界で初めて腕時計が作られたのは1904年で、スイス製腕時計が中国に伝わったのは、数十年前とされている
腕時計の針は10時6分を示している……この中途半端な時間は何か意味があるのではないかと言われている

 

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1900年アテネ港で真珠採りが古い沈船から一個の金属の細工物を引き上げた。
ギリシャ国立博物館に送られたそれは紀元前60年くらいのものと推定され保管された。
1958年に当地を訪れたプリンストン大学のプライス教授がたまたまこれを観察して驚いた。
それは精巧に作られた地球、太陽、月、その他の惑星の軌道模型だったからだ。

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