【信じようと、信じまいと】『この星の科学レベル』など全50話【36】ロア – 噂話集 – 嘘のような本当の話

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【信じようと、信じまいと】『この星の科学レベル』など全50話【36】ロア - 噂話集 - 嘘のような本当の話 信じようと信じまいと
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信じようと、信じまいと【36】全50話  ロア – 噂話

 

1922年、アフリカ南部を冒険飛行していたイギリスのマクダウェル退役中尉は、
カラハリ砂漠の中央で、七色に輝く巨大建築群が地中へと沈むのを見たのだという。
土地のサン人が言うには、観察任務のためにこの星の科学レベルに偽装しているが、
普段彼らは地中都市で生活しているという。帰国後、中尉は大嘘つき扱いをされた。

 

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長野県民ならば誰もが歌えるとも言われる県歌「信濃の国」。現在は6番までだが、
実は、戦後歌われなくなった7番と8番がある。この部分は昭和11年に追加され、
長野県出身の満洲移民を読み込み、長野県から光が東亜に広がることを歌っていた。
侵略主義的・軍国主義的であるとGHQから警告され、歌詞が封印されたのである。

 

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国立公文書館に、旧幕府から引き継がれた資料群『葛島風土記』全六十四巻がある。
鎌倉時代、島の大江三郎茂房という地頭が三十年の歳月をかけて書き上げたものだ。
歴史・自然・産業・風俗・言語に至るまで、島ひとつが活写された博物誌的内容に、
学者たちは着目している。だが、この島がどこにあるのかだけが未だにわからない。

 

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S線のとある駅には60~70歳頃のホームレスが住み着いており、
長く伸びたその白い髭から”仙人”と地元の学生は呼んでいる。
しかしいつその駅に住みついているのかは判然としていない。
30年程前隣の駅に”仙人”と呼ばれるホームレスが居たという。

 

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茶碗の中、という怪談がある。
江戸時代に書かれた短編小説だが、結末を知ることは出来ない。
物語がある地点で急に、何の脈絡も無く途切れているからである。
原本では何者かに筆を掴まれたように字が突然波打ちそこでお

 

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2000年頃、京都府城陽市のH中学校で、一人の男子生徒が体育の授業中に校庭で座っていると
屋外で真上には青空が広がっているのにも関わらずすぐ目前に鮮やかな黄緑の小さな蜘蛛が
糸を伝って降りてきた、しかしその生徒はそんな不可思議な光景を前にしながらどうとも思わず振り払った。
当時その中学生だった人は蜘蛛も去る事ながらあの時の自分の心境の方が理解できなかったと語る。

 

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喜望峰沖に出没するオランダ東インド会社の幽霊船をフライングダッチマンと言う。
アリューシャン諸島ダッチハーバー沖に出没する幽霊船も同じ名で呼ばれているが、
目撃者によると、西洋の帆船とは異なる構造の、一枚帆の木造小型船だったという。
天文航法を失った江戸時代の廻船は、一度黒潮に押し流されるとなす術がなかった。

 

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Tさんが目を覚ますと1年が経過していた。だが記憶喪失ではない。家族も友人も、
昨日別れてから1日しか経っていないと言う。Tさんの過去の記憶だけズレていて、
Tさんにとっての2001年4月1日が他人にとっての2002年4月1日なのだ。
1年は誰に盗まれたのか。ふたたび過去を盗まれないか。Tさんは眠るのが恐怖だ。

 

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アルメニアのクニク湖には、ちょうど諏訪湖の御神渡りのような自然現象があった。
湖畔の教会の守護聖人で4世紀に殉教した聖アナスタスが、対岸にある町の様子を、
氷結した湖を渡って見に行くのだという伝説があった。1932年、共産党政権が、
工場建設のために教会を爆破して以来、この湖では御神渡り現象は発生していない。

 

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赤道上3万6000キロの宇宙空間に、全長50メートルの巨大物体が浮いている。
正体不明のそれは、時々姿勢を変えながら、東経120度にぴたりと静止している。
某国が極秘に運用する軍事衛星で、通信傍受を行っているという解釈が有力である。
だがそうだろうか。宇宙にある物が人工物体だと簡単に決め付けていいのだろうか。

 

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二重隠れキリシタンというものがあった。隠れキリシタンの分派であろうと思われ、
仲間の隠れキリシタンの眼からも隠れるように特殊な信仰形態を守っていたらしい。
1973年、長崎県の小学生が書いた日記の記述からその存在が浮かび上がったが、
少年はまもなく家族とともに消息不明となり、詳細な教義などは不明のままである。

 

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1865年のアメリカ。あるとき、一人の男が数日連続して不思議な夢を見た。
その内容はすべて同じで、とても沢山の黒い服を着た人達が長蛇の列を作り、悲しみに沈んだ様子でいるというもの。
男がそのうちの一人に「何が起きたのか」と聞くと、その人は決まって「大統領が死んでしまったのです」と答える。
男はその話を周りの人間に聞かせたが、誰も真面目に取り合わなかった。
ちなみにその男の名前はエイブラハム・リンカーン。アメリカ合衆国第16代大統領であり、その数日後に彼は暗殺された。

 

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1885年、長野県の田舎での出来事。
一人の少女が道を歩いていると、突然地面にめり込んだ。
驚いた通行人が慌てて少女を引っ張ると、そこは穴も亀裂もない地面だったという。
なお、めりこんだ少女の下半身は失われており、出血多量で死亡した。

 

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アルゼンチンでは1950年から少年少女が誘拐される事件が年々増えていた。
その大半は性的暴行や身代金が目的なのだが、いくら捜査しても「犯人が最初から存在しない」事件がある。
そうしたケースに限って、子供だけでは移動できない様な遠く離れた場所で保護されているのだ。
「お空が光ってきれいだった」と、子供達の証言はみな同じだという。

 

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アーカンソー州にあるレストランでネズミが大量発生した。
といっても、どこからともなくネズミが店内からあふれ出し、外へ逃げて行ったのだが。
しかし3日後に起きた地震で、そのレストランは液状化現象によって建物の半分以上が沈下、倒壊してしまった。
ヨットの形を模したレストランの名前は「フライングヨット」といった。

 

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大正3年、下関の沖合いで度々幽霊船が目撃される事件があった。
軍艦ではなく商船だったと『長門奇談説録』に記録されているが、船体は黒一色であったという。
目撃者によると、その黒い船の乗員と思われる男たち数十人が横一列に並び、ずっと空を仰いでいるらしい。
不思議な事に、昭和になってから幽霊船はぱったりと姿を消してしまった。

 

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プラハ在住のハーラル氏はある朝、猛烈な痛みで目を覚ました。どうやら虫歯を患ったようだ。
痛みに耐えながら歯科医で診察を受け、抜歯する事になり麻酔をして貰うが一向に痛みが引かない。
医師が不審に思いながらも抜歯すると、抜けた歯は部屋中を飛び回り、窓を破って外へ出てしまった。
その後、抜歯した跡には何故か新しい歯が生えハーラル氏は以前と変わらぬ生活を送っているという。

 

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イギリスはカンブリア州のとある子爵家では、家法として金のカップを代々大切に保管してきた。
しかし1811年、時の当主が宴の際にカップを使用して以来、本来のカップは失われレプリカが保管されている。
記録によると、当主がカップに酒を注んだ瞬間、天から真直ぐに虹が降りて当主諸共カップを連れ去ったという。
ちなみに、バイキングとしてブリテン島に渡った祖先がカップを発見したのはスコーフェル山と伝えられている。

 

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先日、北イタリアの都市モデナで新鋭芸術の展覧会が行われた。額縁と鏡で構成されたそれらは、
見る人々に大変奇妙な感覚を与えると盛況であったが、2つの事実が発覚した事により中止となった。
1つは、夜間閉鎖されて誰も入れないにも関らず、展示物が毎日一つずつ増えているという事。
もう1つは、どれだけ展示物が増えても展覧会場が一杯にならなかった事である。

 

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サンタクロースと言えば定番の赤い服に白い髭、そしてトナカイに曳かれるソリを思い浮かべるだろう。
だがデンマーク南部、国境沿いのある町では一風変わった姿をしたサンタクロースが信じられている。
ふくよかな体付きと袋を背負った所は同じだが、顎鬚は無くソリではなく二本の短い丸太に乗っている。
右手に木槌を持ち長い耳朶が印象的なこのサンタクロースは、何時からこの姿になったか記録は残っていない。

 

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フランスのリムーザン地方には、「腹減らずの坂」と呼ばれる長さ10kmに及ぶ長い坂道がある。
広く低い山を越えるのに便利なこの坂は、何故か疲れもせず水も必要としないで登りきる事が出来るのだ。
ある時、一人の青年が決して下ってはいけないと伝えられているこの坂を下って村へ戻ろうと試みた。
この青年は翌朝、頂上から三分の一程下った所で遺体となって発見された。死因は老衰であった。
15世紀スペイン。大航海時代を築いた一人として名の残る航海者・商人のディルゲーノは、その卓越した
航海術によってその生涯における「すべての」探検に成功し爵位を与えられたほどの人物だったが、
38歳の時の航海を最後にぷっつりと海に出るのをやめてしまい、すべての地位を捨て隠居してしまった。
その最後の航海で「イルカを一呑みにしてしまうほどの巨大なトカゲ」を見たからだという。
映画「ジュラシックパーク」では琥珀の中の蚊から恐竜の血のDNAを検出する描写があったが
実際にはその方法では実際に取り出せたとしても、DNAの配列が壊れていて使い物にならないそうだ。
そこで現在研究が進められているのが、まれに発掘される恐竜の「うろこ」の化石から、微量に残っている
炭化した細胞からDNA配列を推測、復元する方法だが、2004年、アフリカの2億年前の地層から発見された
ある化石を復元したところ、「どう考えても人間の皮膚としか思えない」配列がはじき出されたという。

 

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小泉八雲の「骨董」に収められていることで後世にも名前の知られた未完の怪談「茶碗の中」。
この話が突然かき消えたように終わっているのには理由があり、「骨董」の引用元である
奇談集「新著聞集」によると、筆者の椋梨一雪は確かに「茶碗の中」の全文を聞き、記したので
あるが、何度書き直してもその翌朝になると、今に残る部分よりのちは綺麗に消えていたというのだ。

 

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ノースカロライナの田舎町に住むフレア・アンダーソン夫人は1975年10月4日、地元の名士であった夫と共に消防署の
落成記念パーティに出席していた。そして夫の友人たちと和やかに談笑しているさなか、突然口と鼻から炎を
吹き出したかと思うとその場にもんどり打って倒れ、数分後に死亡が確認された。
死体に外傷はなかったが、奇妙なことにその内臓はほぼすべて炭化していたという。未だに彼女の死因は解っていない。

 

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日露戦争が終結したのは、ついこの間のこと。ロシアの加盟国モンテネグロはポーツマス条約調印時、
日・米・露の三国ともにその存在を忘れられていたため呼んでもらえず、国際法上戦闘状態はその後も
継続中扱いであった。ついでに言えば100年近くにも及んだこの戦争を「完全終結」させたのは、
2001年に来日し終戦に合意したサヴィチェヴィッチというサッカー選手である。

 

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戯曲家バーナード=ショーは1880年7月16日、自身の日記に次のような体験を記している。
「道ばたで、向こうから赤いタキシードに白いシルクハットという奇抜な出で立ちをした背の高い紳士が
やってきて、親しげに握手を求めてきた。黒い革手袋に包まれたその右手は私の手の中でくしゃりと潰れた。
まるで中に何も入っていないかのように。続いて紳士はシルクハットを取り、頭を下げた。頭頂部にぽっかりと
穴が空いており、その『中身』はまるでがらんどうだった」紳士がその後どうなったか書かれていないのが悔やまれる。

 

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埼玉県のある市には「開かずの踏切」がある。「開いている時間が少ない」のではなく、「全く開かない」のだ。
それもそのはず、その踏切があるのは線路もない広い空き地の真ん中で、竹製の古びた遮断機が二本立てられているだけなのだから。
その場所にかつて鉄道が通っていたという記録もなく、おそらく土地の所有者が子供を遊ばせるためにでも作ったのだろうと
言われているが、この空き地の近くのマンションでは「一日中電車の通る音がしてうるさい」と引っ越す住人が毎年いるという。

 

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ドイツの古城・シャーデック城は、城主一族が愛用した大きな鏡のエピソードで知られている。玄関の壁にはめ込まれた
その鏡は優に高さ3メートルを超え、美しい金細工の装飾が施されており現在の貨幣価値にして数億円、期間3年をかけて
製作されたと記録されているが、製作者の職人が一人水銀中毒で命を落としていることから当時より呪いの噂が絶えなかった。
ある日、その鏡がいきなり壁から落ちたことがあったが、兵たちが持ち上げると鏡には傷一つついておらず、そして
ついさっきまでその前で姿を映しており、下敷きになったはずの城主夫人の姿がどこにも見あたらなかったという事件があった。
彼女は魅入られてしまったのだろうか。

 

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その戦争は1896年8月27日午前9時2分に始まった。クーデターによりザンジバル国王となったハリド・ビン・バルガシュは
イギリスの退任要求を無視、これにより戦闘の火ぶたは切って落とされた。だが、ザンジバルの戦力は老朽化した軍艦が
一隻のみで、結局その艦もイギリス軍の集中砲火により13分で撃沈。宮殿が崩壊し、ハリドがドイツ領事館に亡命して
この世界一短い戦争が終結したのは、戦闘開始からわずか45分後のことであった。

 

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おそらく日本最年少であろう殺人の記録が大正時代の文献に残っている。
神奈川の坂下某という医師の元に、一人の浮浪者の女性の死体が運ばれてきた。死体の様子から事件性のない餓死であることは
一目瞭然だったが、死体が妊娠していたため、「ひょっとしたら子供だけでも」と坂下医師は帝王切開手術をおこなったが、
腹の中にいた双子の赤ん坊はどちらも死んでいた。ただ、坂下医師には片方の赤ん坊が、もう片方の頸をへその緒で絞めて殺した
ように見えたという。母胎の栄養を独占するために。
西郷隆盛はその生前、決して自分の写真を撮らせなかったことで知られている。明治天皇の頼みすら断ったというのだから
大した物だが、これについて奇妙な説を立ち上げた京都の歴史学者がいた。実は西郷は「歴史上」活躍する前に死んでいたと
いうのである。彼の説によると、既に西郷は島津斉彬への殉死を遂げていたが、彼を慕い頼る人々と「歴史」の要請から
亡霊となって数々の偉業を成し遂げたのだと。だから彼は写真に写れなかったのである。

 

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飛鳥時代というのは謎の多い年代である。例えば畝傍山で発掘された蘇我一族の要人のものとされる
古墳の石室からナスカの地上絵のある絵柄に酷似した壁画がいくつも発見されたり、また近年の研究で
それまで江戸時代に作られたとされていた「聖徳太子の地球儀」が、材質のX線分析から少なくとも
製作は1400年前に遡ることが判明した。マゼランによる世界周航の900年前である。

 

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蘇我馬子の墓として伝えられる石舞台古墳について1986年、京都大学の研究チームが興味深い事実を発表した。
それまでこの古墳は多武峰から運ばれてきた花崗岩で造られているとされていたが、一番上の玄室(所謂「石舞台」の部分)
だけは全く違う材質で出来ていて、その密度=重量は同体積の花崗岩と比べると20倍にもなり、一部をサンプリングし
分析したところ、日本で採掘できるはずのない鉱石であったという。いったい、誰がどこからどうやって南米でしか
採掘記録のない数十トンもの石の塊を運んできて積み上げたのかは未だに解っていない。

 

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20世紀初頭、『消失王』と称されアメリカ中を沸かせた奇術師「シルクハット・ジョージ」。
テーブルの上のコインから巨大なビルさえも消してみせ、かのフーディーニにして「我がライバルは彼のみ」と
言わしめた彼は1931年に心不全で亡くなるが、その遺体が墓地に葬られる際、妙に棺が軽いのを訝しんだ
参列者が中を改めると、既に遺体は『消失』していたという。ジョージのこのラストマジックの真相は、謎のままだ。

 

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宮城県のある村には、江戸時代より物の怪が棲むという伝承を持つ「底なし沼」がある。
ある時、地元のテレビ局がこの沼の深さを測ろうとしたことがあった。15メートルまで目盛りを付けたポールを
ヘリで上空から落とし、底に刺さった時の喫水面の位置からだいたいの深さを測るというもので、ポールは
3メートルほどまで沈んで止まったが、引き上げてみると鉄製のポールはものすごい力で折り曲げられており、
その根本にはくっきりと、7本指の手形がめり込んでいたという。

 

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1995年、地球上から絶滅したノイチゴガエルは、「絶滅した理由がわからない」ことで知られている。
コスタリカの自然保護区である標高1500m前後の熱帯雨林に生息していたこのカエルは、1970年に発見されて
以降、手厚い保護の元1990年までは毎年2000匹を超える個体が観察されていたのに、91年以降突如として
一匹も発見されなくなり、その4年後に種の絶滅が確定した。彼らの身にいったい何が起こったのだろうか。

 

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房総半島のとある漁師町に、室町時代から伝わっている話がある。ある時、漁に出たまま帰らない船が一艘あり、
三日後、その船の「前半分」だけが浜に流れ着いた。船体はまるで噛み千切られたかのように寸断され、乗っていた
漁師は全員行方不明。船底には手のひらほどもある鮫の牙のような物が突き刺さっていたという。その牙は未だに
地元の神社に残っているが、1978年に東京大学で行われた分析の結果、日本でもよく化石が発掘される中新世の
巨大鮫メガロドンの歯と見て間違いないという。ただ一つ奇妙なことには、この牙は化石化しておらず、せいぜい
伝承の通り500年前ほどの物としか考えられないのだとか。メガロドンは、まだ暗い海の底に潜んでいるのかも知れない。

 

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ブラジルで奇妙な遭難事件が起こった。71歳のボビー・カルロスというその男が遭難し、衰弱死したのは自宅の庭だったという。
ある日、庭仕事をしている最中に彼は不意に足を滑らせ転倒、右足をひねって立てなくなってしまった。ここまでなら老人には
良くあることだが、倒れているボビーに気付いた隣人が助け起こそうとすると、彼は「自分で立てる。年寄り扱いするな」と一喝。
隣人を追い返した後も彼は一人で頑張っていたようだが、結局5日後、毎日のように隣から聞こえていた「絶対助けるなよ!」という
怒鳴り声がふと聞こえなくなったのでくだんの隣人が見に行くと、既にボビーは冷たくなっていたという。

 

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インカ帝国の遺跡・サクサイワマンにある「架け橋」と呼ばれる、現在は破壊されてしまい土台のみを残す塔の中心には
石造りのたった15段の階段が残されている。一説によると壊されたわけではなく、最初から15段しか作られなかったとされ、
満月の夜に足を踏み入れてはいけないという伝承が残されている。発掘作業中にこれを知ったイギリスの考古学者ネイザンは
ちょうど満月だったその夜、周りの制止も聞かず一人階段を登っていった。階段を上りきった後も彼は虚空を登っていき、
やがてその姿は月夜に溶けていったという。

 

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茨城県のある村で、3人の小学生が、遊び場にしていた空き地で柴犬ほどもある巨大なバッタを発見した。
3人がかりで捕まえようとしたがバッタは俊敏で、結局一人がつかんでいた脚を残してどこかへ行ってしまった。
その後3人は「戦利品」を持って学校に行き、その大きさから間違いなく新種であろうと判断した担任の教師が
地元の大学に相談、脚は大学で鑑定を待つことになった。しかしその1週間後、大学の研究者と役場の職員が
学校を訪れ、例の『新種』のバッタが単なるトノサマバッタであったことを説明した上で、絶対にこのことを
口外せぬよう念を押して帰って行ったという。ちなみにその村の名は、東海村という。
1958年、西ドイツの脳学者ルドルフ・ソレイリーは7件の「間接的殺人」の罪で逮捕された。
ソレイリーは音楽が人間の脳や心理に与える影響を長年研究し、その集大成として、聴いた人間が
「『自分が最もやってはいけないと考えること』をやらずにはいられなくなる」音楽を作曲し、
4人の友人に聴かせたのだ。その結果、一人は妻子を撃ち殺し、一人は妹を強姦した上殺害、
そして全員が自殺してしまったという。当時ノーベル賞に最も近い人物とされ、温厚で聡明な
学者であったというソレイリーが何故そんなことをしたのかと疑問の声は数多く上がったが、
彼自身もその曲を聴いていたのだから仕方ないことだろう。

 

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NASAの宇宙開発にはさまざまな噂が流れており、例を一つ挙げる。
ある年の十二月ごろに行われたフライトで、上空にいる宇宙飛行士から奇妙なメッセージが届いた。
北極のほうへ何か物体が飛んでおり、更に信号を送ってきていると言うのだ。
管制局へ送られたその信号は、まるでクリスマスの音楽のようだったというのだが…

 

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東北自動車道の上り、五箇山IC-白川郷IC間で10年ほど前に人を撥ねたと思われる事故が発生した。
思われる、というのは被害者が発見されなかった為だが、この事故には他にも奇妙な点が幾つかある。
事故発生地点の周囲に血が飛び散っておらず、また周囲に集落は無い為どこから来たかも分からない。
では何故動物ではなく人を撥ねたと特定したのか?それはフロントガラスに残る手形があったからである。

 

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享保12年、三河の国須田村に住んでいた木下仁左衛門は尾張の国へと旅する途中に奇妙な光景を目撃した。
山と山を繋ぐような形で天上に架かる橋のような物があり、その上を数多の光が右へ左へと流れているのだ。
半里程まで近付くとその橋や光は消えてしまったが、仁左衛門は自分の地図に印を付け後世へと残す事にした。
地図に残るその地点には現在、愛知万博前に完成した東海環状自動車道の高架が掛かっている。

 

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愛媛県松山市を出発した観光バスが、途中一度だけPAで休憩をして高知県の足摺岬へと到着した。
観光客らは穏やかな風景を写真に収め、また灯台を背景に集合写真を撮って松山市へと戻った。
ところが出発したその日は午後から強風が吹き荒れ、海は大荒れで灯台付近は大変危険だったという。
では彼らが写した穏やかな海はいったい何処の風景だったのだろうか?

 

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所謂「逢魔が刻」と呼ばれる時間帯に十字路の中央を通る時は、決して「はい」と言ったり頷いたりしてはならない。
何故ならその時間帯は、悪魔が道行く人へ様々な契約へ誘惑しようと始終何事か囁いている為である。
感受性の高い人ほど聞こえるらしく、歴史上の偉大な芸術家や作家にも知らずに契約してしまった人は多い。
彼らは現世で大いなる名誉と作品を世に残したが、死後待ち受ける運命を知ったらどうなっていただろうか……

 

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佐田村に住んでいた樵の信五郎はある朝山に入ったまま帰らず、翌朝山の中腹で死体となって見つかった。
なにやら猛烈な力で岩に叩きつけられたらしく、全身の骨が砕け見るも無残な有様であったという。
信五郎の鉞は7間程も離れた場所にあり、間に通ったような跡も無い事からそれだけ跳ね飛ばされた事になる。
村人達は山の主が怒り、猪となって撥ね殺したのだと考え、彼が切ろうとしていた木を御神木として祀る様になった。

 

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静岡県にある某老人会のメンバー23人を乗せた観光バスが、県内ある陶芸工房に行く途中で行方不明になった。
目撃者もなく、事故の痕跡もない。忽然と姿を消したとしか思えなかったのだが、5日後に県境の山中でバスが発見された。
運転手や老人会のメンバーも無事に保護され、警察が事情を聞いたのだが、老人達は「楽しかったねぇ」と笑い合うばかり。
一方、運転手は「話したくない」と震え上がり黙したまま。5日の間、何が起きたのか今でも不明のままである。

 

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アメリカの航空会社が所有するジェット旅客機が、乗客乗員41名を乗せて飛行していると、異音が響いた。
最初は小さい音だったのが、段々大きくなり、最終的には機体全体を締め上げるかのような軋む音になったのだ。
誰もが事故が起きたと思って死を覚悟した。しかし旅客機は失速する事も空中分解する事もなく無事に目的地に到着。
出発時には確かになかったはずの「I am here!」という落書きが、機体に大きくペンキで殴り書きしてあったことを除いては。

 

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イマジナリーフレンド「空想上の友人」という言葉がある。
1979年のこと。ノースカロライナの田舎町に住むエルマという10歳の少女にも小さい頃から遊んでいた『リンダ』という
空想上の友人がいたのだが、娘を心配した母親がある日リンダと遊ぶことを禁止してしまった。その日彼女は寝る前に、
「リンダが怒って離れてくれないの」と訴えたと言うが、母親は気にもとめなかった。
翌朝、エルマはベッドの中で「自分自身の手で首を絞めたとしか思えない」窒息死体となって発見された。

 

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中日ドラゴンズは政変が起こる年に優勝し、優勝する年にはろくな事がないといわれている。
1954年:第五福竜丸被爆事件発生 青函連絡船洞爺丸沈没事故(死者・行方不明者1139人)
1974年:選挙で田中角栄内閣が大敗 伊豆半島沖地震発生 静岡で続雨量は508mm、死者27名を出した「七夕豪雨」が起こる。
1982年:中曽根康弘内閣発足 ホテルニュージャパン火災 日航350便「逆噴射」事故
1988年:リクルート事件が表面化 ラニーニャ現象で日本を含め世界中が異常気象に見舞われる 十勝岳噴火もこの年
1999年:自自連立の小渕恵三内閣発足 全日空61便ハイジャック事件 東海村JCO臨界事故発生
2004年:鳥インフルエンザ大流行 中国の反日運動激化 新潟中越沖地震発生 スマトラ沖地震もこの年
2006年:安倍晋三内閣発足 耐震偽装問題 ライブドアショック ちなみに日本沈没が始まるのは2006年からという設定
そして昨年、は言わずもがなであろう。

 

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ホワイトハウスとコーラの話。コカコーラが民主党の支持母体の一つであり、ペプシコーラの筆頭株主が
共和党支持者であることから、そのとき政権を担っている政党によってアメリカ全体のコーラ販売シェアが変わるという。
ただ、コカコーラの筆頭株主バークシャー・ハサウェイ社の次期トップと目されるビル・ホープ氏は共和党の
有力支持者の一人であり、このバランスが崩れかねないと一部で懸念されている。

 

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ロシアの医学者ウラジミル・ソロフは25歳の時、大きなフリーザーを所有していた友人の医師に冷凍した2000ccの自分の血液を預けておいた。
20年後、45歳になったソロフは友人から受け取った血液を解凍、自身に輸血した。その成果を彼は姪に宛てた手紙で次のように書いている。
「私の考えは正しかった。若い血液は身体さえも若返らせた。聴覚は鋭くなり心なしか体毛など昔以上に濃く、男らしくなった気がする」
ただ、ソロフは知らなかった。友人が彼の血を「実験用マウスの血液」だと思いこみ動物実験のために失敬し、その後ご丁寧に本当のマウスの血を
注ぎ足していたことを。本来なら尋常ならぬ拒否反応を起こすはずのその血液は何故だかソロフの体内ですっきりと馴染み、彼の身体を変えていった。
ソロフに関する情報はこの後ぱたりと記録から消える。輸血実験によって死亡したのだろうが、本当のところは誰も知らない。

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