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【信じようと、信じまいと】『継承する芸』など全50話【22】ロア – 噂話集 – 嘘のような本当の話

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信じようと、信じまいと【22】全50話  ロア – 噂話

 

中国の江蘇省には、とても特殊な「芸」を継承する一族が存在する。
現在の当主は李才県。彼の家は代々人前で「首吊り」を披露する事を「芸」としている。
無論「芸」を披露した者は死んでしまうのだが、だからこそ彼の芸を見に中国全土から見物人が集まる。
才県の息子が15歳になる来年・・・それが、才県の芸の披露の年であるとの事だ。

 

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ロンドンの運送会社シルバーライン社は7隻の貨物船に植物にちなんだ名をつけていた。
その1隻サイプレス号は哀悼の象徴である糸杉を名に冠していたが、不吉な名のせいか1937年船上火災を起こす。
半焼した船体はスクラップとして日本に売却されたが再生工事を受け、靖川丸と改名されて洋上に復帰した。
しかしその後日本陸軍に徴用され、大戦中にニューブリテン島に向かう途中で何かを思い出したように突然炎上、全焼した。

 

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戦車という兵器は第一次世界大戦にて英軍によって開発されたが、機密保持のため自軍の兵にも
その正体は知らされておらず、「タンク(給水用の水槽)」の名目で仏北部のソンム戦線に運ばれた。
1916年9月15日、戦車がその正体を現わし実戦投入されるのと同時刻に同行の兵士90名が急病死している。
死因は脱水症状であり、この日稼働した戦車と同じ台数の給水車で丁度この人数分の水が調達できたそうである。

 

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ランカシャーのアプルトン卿の第一子は、生まれてすぐに館の二階の窓を閉め切った部屋へ閉じ込められた。
奥方は出産の際に死亡し、卿はメイベルという若い住み込みの召使の他は人を寄せ付けなかったため、館は荒れ果てた。
15年後、卿が死亡し、遺言執行のため館を訪れた甥は子供の部屋を覗いた。部屋には二人の老婆がいたが、
笑うばかりで話もできず、アプルトン卿の子供とメイベルの行方は分からずじまいだった。

 

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イースト・サセックスの小さな村にルースという農婦がいた。彼女は奇妙な持病を持っていた。
“ねじれ”(Twist)という単語を聞くと、猛烈な発作を起こすのだ。なぜその言葉に反応するのか、本人にも理由が分からなかった。
ある日曜、教会で説教を聞いている時、新任の牧師は二度にわたって説教の中で「ねじれ」という言葉を使った。
途端にルースは悲鳴を上げて倒れ、何人もの人が見守る前で彼女の身体はぐるぐると捻じ曲がり、終には息絶えてしまった。

 

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1885年の2月9日、英国はデボンにて160kmにわたる奇妙な獣の足跡が発見された。
小さな穴を通っていたり野原で突然途切れていたりと不審な点が多かった。
蹄を持った二本足の動物と推定され、地元の人間は悪魔ではないかと恐れた。
動物が通ったらしい茂みを犬に探させようとすると、みんな怯えて逃げ出してしまったという。

 

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スペインに、売れそうもない風変わりな本ばかりを出版する小さな出版社があったという。
意味をなさない文が書き連ねられたものや何も印刷されていないものがほとんどだったそうだ。
作者も不詳とすることが多かったこの出版社だが、一度だけ爆発的に売れた本があった。
題名は「まったき人生の目録」。売れたにも関わらず、現在は一冊も残っていない。

 

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ある年老いた富豪は、書斎に置いてある立派な棚を一番の自慢にしていた。
抽出しのたくさんついた大きな棚で、彼は来客があると必ずそこへ案内したそうだ。
そして客の欲しいものを尋ね、抽出しからすぐさま取り出して見せたという。
彼の死後に遺品が整理されたが、棚を調べてみると抽出しはみな偽物で開けることができなかった。

 

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山深いところにある村では、昔から続く行事が最近まで行われていた。
大晦日の夜中に、村中の子供が大銀杏まで供えものを届け、一年の安全に感謝するというものだ。
しかし若い村人が村長になったのをきっかけに、この行事は子供には危険として廃止になった。
次の年の元旦、大銀杏が突然姿を消した。銀杏のあった場所には無数の玉虫の死骸が落ちていた。

 

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ドイツのとある肉屋では、たくさん肉が倉庫から消えるということが度々起こったそうだ。
ある晩、責任感の強い見習いが、主人の制止も聞かずに倉庫の中で番をした。
翌朝見習いは血まみれになって気が抜けたように立ちすくんでいるところを発見された。
発見した主人によると、彼は小さな排水口を見つめていたという。自分の舌を掴んで。

 

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1999年、諏訪湖の漁師が仕掛けていた網に、ある奇妙な魚の大群が入っていて話題になった。
一見シロナガスクジラの様な姿と尾ヒレ、しかし頭部に理由の解らないヒレがあり、そして、
体長は5cmほど。銀色に輝く青魚で、地元の人々も見た事が無いと言う。その現場にいた、
当時の小学生がふざけて「ひなま」と呼んだ事からひなまとされたが。その後は捕まらないと言う。

 

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中国の地図は正確ではない、という話を聞いた事はあるだろうか。奥地にある山々は観測隊も入り込めぬほど危険な場所であり、
いつも厚い雲に覆われているため衛星写真も撮れない。そこで25年前、ある調査チームが小型飛行機による空撮を試みた。
順調に撮影は進んでいたが、雲を超えるほどの高い山に遭遇した。この山の高度を測ろうと飛び越えようとしたが山頂が見えない。
「9000mを超えた」という通信を最後に小型機は消息を絶ってしまい、これまで撮影したフィルムも失ってしまったそうである。

 

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1960年1月23日、アメリカ海軍の協力を得てピカールが開発した潜水艇「トリエステⅡ号」にウォルシュ大尉とピカールの息子ジャックが
搭乗してマリアナ海溝内部を目指し、11521mという人類が到達したなかでも最深記録の達成に成功した。
ただし、この深度については信憑性が薄いとされ、後に10916mであったと修正されている。
信憑性を薄めたのは「計器が有する精密性の問題」の他に、2人が海溝の底で見たと証言する「子供ほどの人影」が原因であろう。

 

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昭和51年1月、若狭湾で養殖されている真珠の中から人の指が発見された。
構造上貝の中に異物が混入する事は不可能なのだが、その指の数が38本と多かった為に警察も捜査を開始。
付近の湾岸を徹底して捜索したが、指の無い死体は全く発見されなかった。
なお、当時の最先端技術であった遺伝子鑑定の結果、その38本の指全てが同一人物の指であるという結果が残っている。

 

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ソ連崩壊により、様々な極秘資料が明るみになった。
ある資料では、冷戦時代のロケット開発等が詳細に書かれていた。
だがおかしなことがある。
打ち上げ成功数と、帰還数が食い違っているのである。
事故など全ての事項を考慮しても、
約10機、20人ほど宇宙飛行士がロケットの打ち上げに成功したのち現在まで帰還していない。

 

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終戦直後に流通した「赤本」と呼ばれる漫画本の作家に、福野洞犀という人物がいる。
彼の最後の長編「萬画世界ノ冒険」は、作者と同名の主人公が自作した漫画の世界を
訪れるという物だが、執筆半ばで彼は失踪した。原稿は、主人公がペンを紛失して
元の世界に帰れなくなった場面で中断していたという。この漫画は発売中止となった。

 

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1951年イギリスはダートムアの牧場で、首を切断されて死んでいる羊が数頭見つかった。
周囲の地面の様子から、かなりの大きさがある鋭利な物が高空から降ってき、羊に直撃して
頭部を切り落としたのだろうと判断された。しかし、何が降ったのかは皆目わかっていない。
一説では氷の塊ではないかと言われているが、それも推測の一つに過ぎないという。

 

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「ついに彼女が出来た」と喜ぶ青年がいた。向こうから告白してきたのだという。
友人達は「どうせ脳内設定だろ」「紹介しろよ」と冷やかしたが、青年が彼らに彼女を紹介する事はなかった。
しばらくして「彼女が浮気を疑っている。あんなに嫉妬深いとは思わなかった」と友人達に相談してきた。
翌日、青年は変死体で発見された。司法解剖の結果、脳の内側から刺されたとしか思えない傷が死因だと判明した。

 

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フィリピン船籍の大型貨物船「シーカイト号」は、常に人手が足りない船として有名だった。
欠員がでると、途中で立ち寄る港で「通常の倍以上の賃金」を提示して募集する。
魅力的な金額に釣られて乗り込んだ船員に、船長は必ずこう忠告するという。
「洗濯室の隅にある黒い影には近付くな。あれの誘いに応じたりしたら、また次の港で船員を補充しないとならん」

 

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1952年。バミューダ海域で消息を絶った日本の漁船「くろひめ」が、海域を抜けた所で漂っているのが発見された。
乗っていた筈の10人の乗員は一人もおらず、ただ航海日誌だけが残っており、そこには海域での状況が克明に記されていた。
海域に入り、磁界が乱れてコンパスが効かなくなり。船長が決断した。「船員の一人を海の神へ生贄に捧げようと思う」。
一人ずつ居なくなり。最後のページは、船長が自分を生贄にする事を決意して終わっていた。

 

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江戸時代中期の見世物に「釘絵」という物があった。厚い杉板に釘を隙間なく何万本と打ちつけ
一方向から光を当てると、浮かび上がる陰影が絵になっているという物で、多くは地獄絵図だった。
釘の抜けた穴だらけの板が一枚だけ現存するが、元の釘の長さがまちまちだったらしく絵柄は再現できない。
ためしに全ての穴に同じ長さの釘を差し込んでみると、キノコ雲に酷似した絵が浮かび上がってしまうのだ。

 

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イタリア・ナポリのとある教会には、二階へ登る螺旋階段がある。
ミサのときなどは皆二階へ上り、そこで祈りをささげるという。
しかし螺旋階段には支えがない。人が上れるはずがないのだという。
今もその螺旋階段は健在であり、みな利用している。

 

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1961年、米ナショナルジオグラフィックは数万もの墓があるローマ人の集団地下墓地墓の撮影をし、ドキュメンタリーとして放映した。
しかし、とある視聴者が壁の隅に置いてある黒い小さな車輪の置物が回転し続けているが、あれは何かと投書が合った。
映像を解析するとその車輪には「永久に動くもの」というラテン語が彫られていた。
一体このテープがどの墓で撮影されたのかは、今では不明である。車輪は今でも回転し続けているのであろうか?

 

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ある絵描きの少年が通り魔によって殺害される事件が起きた。
少年は怪我の為に視力を失っていたが、死の間際に犯人の似顔絵を描いていた。
結局、その似顔絵が有力な手掛かりとなり、犯人は逮捕された。
犯行の際、犯人はフルマスクを着用していたはずなのだが。

 

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1928年、列強諸国の間でパリ不戦条約が締結された。各国は当初この条約により全ての戦争の放棄を
目指したが、締結直前に方針を変更し「国際紛争解決手段としての戦争」のみ放棄する事で合意した。
だが当時の常識では他国の侵略に対する自衛戦争も国際紛争解決の一形態と数えられていた筈である。
彼等は何者とのどの様な戦争を想定していたのだろうか。この文言は日本国憲法9条にも見られる。

 

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ある医師が奇形膿腫の手術をする事となった。
手術は無事成功したが、摘出したものを医師は信じられないでいた。
摘出したものの中から一匹のトカゲが出てきて、捕まえようとすると尻尾を切り逃げて行ったのだ。
興味を持った医師がトカゲの尻尾と患者のDNAを鑑定したところ、DNAは一致したらしい。トカゲのDNAとして。

 

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1980年代に英国の大学で人類の共通語を作るという試みがなされた。
共通語はある言語を母語とする者が有利にならないよう、あらゆる言語と異なる物でなくてはならない。
そこで、当時の最新式コンピュータが用いられたが、コンピュータのはじき出した一連の結論は
どんな学者も解読できなかった。しかし、何らかの規則性があることは認められるという。

 

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1960年代に中東のある地区で新バビロニア時代(紀元前6世紀)の石碑が見つかった。その一節には
「私は空を飛んで二つの偉大な川の間にある美麗にして完全なる円形都市を、神のごとき目から見た」
と書かれている。しかし、円形の都市バグダードがティグリス川とユーフラテス川の間に建造されたのは
紀元後8世紀のことである。その後、その石碑は紛争により行方不明になったとされている。

 

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1946年に奈良県中部で8世紀前半の物と思われる不可思議な木簡が出土した。その木簡は
「十婆天瑠」の連続した4文字のみ判読できた。素直に読むと「トハテル」だが、当時の日本語の
ハ行はパ行として発音された可能性が高く、また、「十」の字は妙に大きく書かれていた。
そのため、「†パテル」とも読める。ところで、paterという単語はラテン語で「神父」という意味がある。

 

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考古学者のプロレは1958年インドの廃墟となった遺跡の発掘中に直径約1メートルの石球を発見した。
しかし、彼が仲間を呼ぶために目を離した隙に消失。地面には複雑な模様が残されていた。
三日後同じくインド、ニザマバードの広場に同様のものと思われる球体が早朝に突如出現したが、移送中にトラックごと消失。
最近になって、熊本県球磨郡に球体が出現。現在同郡内の神社に安置されている。約50年かけて日本へ移動したのだろうか?

 

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とある神社の前で道路改良の工事中、小型のユンボが誤って石造りの鳥居を倒壊させしてしまった。
現場責任者はもちろん工事会社の社長が宮司で平謝りし、早急に新しい鳥居を手配することに。
神社としての体裁以上、新しい鳥居が来るまでは修理した鳥居を立ててくれと、宮司が申し出た。
さっそく組み立てられ、元通りに復元されたのだが───なぜか大きな破片がいくつか余ってしまった。

 

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あまり一般には知られていないが、メキシコに「ベストリコの奇跡」と呼ばれる岩がある。
ベストリコという町にあるこの岩は、幅4.7m、高さ2mある。風化してこれなので、元はさらに大きかったのだろう。
それが200年前、とくに何のトラブルも無かった街の隅に突然出現したのだという。
現在では、なぜか「恋人同士で名前を刻むと幸せになれる」という噂が流れ、知る人ぞ知る観光スポットになっている。

 

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ギネスに申請されたが、受理されなかった「世界最小の幽霊」がある。
シカゴで宝石職人を営むジョージ・ジェイムストンという男性の目撃証言がそれで、ある日、客の注文を受けて
拡大レンズを覗き込みながら5カラットのダイヤををカットしていると、おかしなものが見えた。ダイヤの中に女性がいる!
ジョージは驚きのあまり声も出ず、彼女が消える2~3分の間ずっと互いに見詰め合っていたそうだ。

 

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1975年のアメリカで地下鉄が終点を過ぎても止まらずに駅舎に激突するという事件が起きた。
最初は運転手のミスかと思われたが、奇妙なことに事故現場からは先頭車両が発見されなかった。
さらに大破した車内からは
「先頭車両なんて初めから存在してない、俺達は騙されたんだ!」
そう書き殴られた、乗客の物だと思われるメモ帳だけが見つかった。
その先頭車両とそれに乗っていたはずの乗客達は現在に至るまで見つかっていない。

 

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日本のある高校の昼下がり
授業中に突然爆発音と悲鳴が校内に鳴り響いた
何の痕跡もなかったが不思議なことに学校にいた全員が聞いていた
なお、この学校は聾学校である

 

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昨年5月2日ニューヨークで、一人の少年が行方不明になった。
少年の名前はトム・ディーラー。彼は届出の3日前にダウンタウンで見かけられたのを最後に行方不明となっている。
警察の調べによると、トムは仲間と学校で鬼ごっこをしている最中、1m程の塀を飛び越えた後消えてしまったとの事。
一緒に遊んでいた多数の同級生もその姿を見ており、未だトム少年の行方は全くわかっていない。

 

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2004年3月、埼玉県入間市のデパート婦人服売り場で猟奇的なマネキンが発見された。
店員の一人が誤ってマネキンを倒してしまった際に、なんと倒れたマネキンが割れて中から本物の内臓一式が現れたのだ。
同店を調べた結果、同様のマネキンが少なくとも20体発見されており、埼玉県警では死体遺棄事件として調査中との事。
なお、見つかっているのは内臓だけであり、このマネキン達の詳細は全く以って不明のままである。

 

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カナダのバンクーバーの正統教会で、不思議な現象が話題になっている。
なんと教会右上方のステングラスに陽が射す時、イエス像に祈るような形で立体的な少女が出現するのだ。
この教会が建てられたのはAC800年代と伝えられており、ステンドグラスは当時から嵌めてあったがこんな現象は無かったとの事。
どういう経緯で出現するのか科学的に調べようとする動きもあるが、教会はこの調査を拒否しているそうである。

 

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パリ市警は、過去の事件において証拠不十分につき容疑者として
身柄を確保できなかった不審人物を監視し続ける「特定市民観察制度」を
極秘で設けている。事件の時効成立後も監視は継続されるため
中には監視記録が160年に及ぶケースもあるという。

 

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1986年吉野ヶ里遺跡発掘の際、その遺跡から出土した物の99%は重要保存物として丁重に扱われた。
しかし、ある一品は不要物として廃棄されたそうだ。遺跡から出てくるのだから、全て重要で
捨てるものなどないはずであるが、研究者は皆が皆それを「不要物」として捨ててしまったらしい。
捨てた理由は「それはその時代にはまず存在し得ないもの」であったからだそうだ・・

 

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ある近江の商家では代々番頭の手で日記がつけられていた。
商売上の些事や店での人事などが記録されており、近世経済を研究する重要な資料となっている。
のみならず日付の下に必ず天気が書いてあったので、気象研究者にも重宝がられているが
一日だけ「光」と記されており、どんな天気かわからない。この日は商いも営まれなかった様だ。

 

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都内のある小学校では新年度に必ず転校生が出る教室がある。
不思議なことに、クラスメイトは誰かが転校したことは知っているが、それが誰なのか思い出せないという。
だがもっと不思議なことは、誰かが転校してきたわけではないのに生徒の人数が一人増えているということである。
それが誰なのか、誰も知らない。
2005年8月7日、Washington郊外の病院にPaul Tibbets Jrという22歳の男性.が危篤の状態で搬送された。
男性の症状は重く、医師たちは手の施しようもない状態のまま、3時間後、男性の死亡が確認された。
検死の結果、信じられない事に、彼の体からは大量の放射能が測定され、死因は被爆によるものだと特定された。
当然、一般人である彼が被爆するはずがなく、事態を不審に思った警察は、極めて事件性が高いと判断し、彼の周辺を洗いざらい捜査した。
結局、手がかりとなる物は何一つ掴めず、捜査は打ち切りとなったのだが―彼の愛用していたMacintoshのログには、彼が死亡する前日の8月6日、enola44-86292という名の動画ファイルへアクセスした記録が残されていた。

 

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1957年、サハラ砂漠で遭難した探検家が奇跡的な生還を果たした。
三週間近く砂中を彷徨ったにしては、健康状態は信じられないほど良好であったらしい。
彼が言うには、時々夕刻に空から金色の髪の毛が降ってき、それを口にしたところ空腹と
咽の渇きが癒されたのだという。彼は一体何を食べていたのだろうか。

 

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1963年、セントヘレナ号のR船長はその奇妙な体験を次のように綴っている。
4月8日 我々は未曾有の大嵐に遭う。
嵐の中、我々は国籍不明の一隻の船とすれ違う。
奇妙なことにその船は木製であり、船員は一組の家族の他は全て動物であった。

 

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1987年、アメリカはニューヨークに住む独身女性の元に脅迫電話があった。
「お前の子供を誘拐した。身代金を払え」という言葉と、その金の受け渡し場所を告げてから
電話は切れる。間違いで犯罪を知ってしまった彼女は、慌てて警察に連絡したのだが―
指定場所に急行した警官隊が見つけた物は、内臓を抜かれた壮年の男の死体だけだった。

 

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熊本県西原村には、昔から伝わる「忘れ草」というものが存在する。
小さく白い星花が可愛い植物なのだが、決められた煎じで飲むと望む事を忘れられるというのだ。
ただし、その煎方は秘伝とされ、村でも村長の一族のみが口伝としているとの事。
なお、草を欲して村を訪れる者は多いが、全員何故か村を出る時には草の事を忘れているそうだ。

 

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17世紀、東欧のとある地方で、建築物が全て巨大という奇妙な遺跡が見つかった。
掘り出された家具も現在使われている物の4倍はあり、しかも材質が一切不明だったという。
だが調査が進展する前に、その遺跡は戦争で砦として使われてしまい崩壊してしまった。
しかし、そのプラスチックに酷似した材質のスプーンと他数点は今も某博物館の倉庫に残っているそうだ。

 

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「しんきろう」という本がある。
別に希少なわけではなく、書店でもたまに見かけるがその内容を知るものはいない。
本をみかけ、手に取ろうとして近づくと不思議なことにその本がどこにあるのか分からなくなってしまうらしい。
今日も「しんきろう」は書店の片隅に置かれたままになっている。

 

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大正時代初期。アメリカと戦争し、精神的に優れる日本が勝利するという架空戦記小説が大流行した。
その中で、ただ1人だけ「物量の差で日本は負ける」という話を書いた「東車 輪太郎」という作家がいる。
彼の小説は(幾つかの差異はあるものの)見事に太平洋戦争の内容を予言していたのだが、当然のごとく売れなかった。
戦後、GHQがこの本の存在を知り調査したが、作者の素性はまったく分からなかったという。

 

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明治20年、フランスのルアーブルから日本へ航行中だった新造巡洋艦「畝傍(うねび)」が南シナ海で消息を絶った。
沈没した者とみられるが、漂流物がひとつも発見されなかったため、様々な憶測が庶民の間で囁かれた。
その中でも特に信じられたのが「生きのびた西郷隆盛が乗船して帰国してくる」というものだった。
嵐で遭難した漁船が、謎の軍艦を指揮する「鹿児島弁を喋る大柄な男」に助けられたという事件があったばかりだったからだ。

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