【イマジナリーフレンド】作り方と体験談 – 不思議な話まとめ

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【イマジナリーフレンド】作り方と体験談 - 不思議な話まとめ 不思議な話
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本当にやばい状況と焦りで涙が込み上げてきた
すぐに上司に連絡して母親を病院へ連れていった。

診察と検査が終わり
医師に呼ばれた。
一言一句覚えてるわけじゃないがこんな事を言われた。
「俺さん、お母様はアルツハイマーです。」

それから色々説明を受けて
今後どうするか医者と話した。

 

正直何も頭に入っていなかった
今まで積み上げてた物が一気に崩れ落ちる感覚
絶望だった。

俺が決めるのは

  • このまましばらく入院させるか
  • 家に帰って俺が世話をするか
  • 専用の施設にあずけるか。

今の医学ではアルツハイマーは治らない事は知っていたし
病院で生活させるのは可哀想に思い

自分の家で面倒を見る事を考えた。
仕事もあるし
つききっ切りは厳しい事もわかっていた。

だが母親はまだ初期段階だったので
日常生活にあまり不便はない。
でも、これから先進行していった時俺はどうすればいいのか悩んでいた。
一旦家に帰り何かあったらまた病院に行くことになった。

しばらくは問題無く生活していた。
母親の症状も余り変わらず半年弱くらい過ぎた。
といっても明らかに物忘れは酷いし
会話が成立しないことも多々あった

 

そしてある日ついに母親がやらかした。
買い物に一人でいっていたらしく
会計を忘れて店員に捕まり
俺に連絡がきた。

幸いにもそのスーパーは母が何年も通っている所で店員とも仲良くなっていた。
俺が駆けつけて、事情を説明し
商品のお金を払い無事何事もなく済んだ。

因みに母親にはアルツハイマーの事を伝えてあります。
本人は信じてなかったけど
何となく受け入れる気持ちを見せてくれました。

 

俺の決断は迫られていた。
母親が変な行動や言動が増えていた。
毎日の不安と恐怖で俺の精神状態は極限に達していた。
俺が狂っていったのもここら辺から。

再び病院へ連れていき
医者に話を聞く
「確実に症状は悪化しています、このままでは日常生活すらもできなくなりますよ」

そう宣告された。
この時の母は既に自分の友達の事や過去の事はほとんど覚えていなかった。
でも、唯一俺のことだけは忘れていなかった。

 

俺は渋々施設にあずける事に決めた。
でもできるだけ母の側に居たかった

母に相談すると
「ごめんね」と俺に何度も謝ってきた。
「母さん施設でも大丈夫だからさ、いつも通り仕事も頑張ってお友達とも沢山遊びなさい!」
「家にも俺くんの大好きなカレー沢山冷凍してあるから生き延びなさい!笑」と冗談交じりの笑顔で俺に言った。
母が一番辛い事はわかっていた
でも涙は堪えた
同時に無力な自分に腹が立った

数日後手続きを終えて施設へ向かった。

 

その施設はそれぞれ自分の部屋があり
基本的に母親が自分で生活するスタイルで
何かあれば施設の人が手を貸してくれるそう。
もちろん重症の人はつきっきりで介護する

担当の介護士がつくそうだ。
担当になったのは
24歳の若い女だった。
彼女はとてもにこやかで優しい子だった。
名前は結衣

 

正直信用ならなかった
こんな若い人が大人を一人で世話できるのか。
不安がおさまらない。
それと同時に物凄い頭痛に襲われた

結衣は不思議そうな顔で「担当をさせていただきます結衣です。」挨拶をしてきた。
母さんは嬉しそうに
「かわいいわねぇ 良かったわ!」
と喜んでいた

母さんが良いなら大丈夫かなと思った。
頭痛は収まり気にもしてなかった

 

ここまでが母が施設に入るまでの話です。

施設は、医者が色々紹介してくれました。

文章的に直ぐに感じますが
実際数ヶ月前かりました。

 

思ったより早く済んで良かったと思いましたが
やっぱり母が心配でしたね。

 

それからは毎日俺も施設に通う日々
昼休憩抜けて行ったり
仕事が早く終わればすぐに向かったり。
俺の疲労も限界に達していた。

もちろん母親も症状が悪化していった。
結衣の事も認識してないし
辛うじて俺の事を覚えてる位。

ついに俺は仕事が手につかなくなり
食事も喉を通らなくなった。
唯一の家族が居なくなってしまう気がして

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