岡山県
血吸川(ちすいがわ)・岡山県総社市
桃太郎の攻撃に傷ついた鬼が血を流しながら逃げたもの(その時に川が赤く染まり、その赤が現在でも落ちない)の捕えられた川として伝えられている。
大分県
血野(ちの)・大分県安心院町
安心院を納めていた安心院氏滅亡のとき、峠で城主の息子で7歳の安心院千代松丸と家来たちが戦で亡くなりました。
その惨劇のあった地区を「血野」と呼んだそうです。
香川県
香川県M町まがつ田(凶つ田?)
香川用水が出きるまで讃岐は水不足に悩ませられる地であった。
特有の瀬戸内海気候のため、乾燥し、夏場はいつも水が不足していた。
水不足を補うため、隅々に溜池と掘割が作られた。
しかし、溜池の水では全ての田を潤すことは限界であり、そのため溜池の水を巡って争いがあった。
讃岐には水に関し様々な伝承があり、それに伴い忌まれる地もまた多い。
M町の「まがつ田」もそのひとつである。
M家とI家が水のことで争い、M家のものがI家のものを殺し、その死体をこの田に投げ入れた。
下手人であるM家のものは、同じM町で磔にされた。
以後、この田は「まがつ田」と呼ばれ、所有者であるI家は耕作を放棄した。
この田を耕すものは熱病で死ぬと言われた。
大正時代にある政治家が所有し、耕作したが良くないことが続いた。
現在は荒地となっていて、所有者が立てた祠があるだけである。
農地改良事業の際にも、「あそこにはふれてはいけない」という意見が多く、
その土地には手を加えられず、今でも荒地として残っている。
香川県某所せんこうやみ(線香病み?)
溜池からの水は各々の田に水路を使って分配されるが、
自然に水を流すと、当然に溜池に近い田のほうが多く水を得られる。
よって、争いが起こらないよう、各々の田に水を流す時間は、集落の集いで決めていた。
当然に各田公平に水か与えられているのではなく、
集落の身分や力関係で決定されていた。
ところで、水を流す時間を測定するものは何であるか?
それは「線香」である。
ある被差別階級に属するとされた人の話である。
集落の身分上、水が与えられる時間はわずかであった。
しかし、より多くの水を得たいと考えたこの人物は、「燃えにくい」線香で自分の時間を図った。
当初は上手く言ったが、結局線香に細工」していることが発覚し、結局彼の田には、水は与えられないことになったという。
娘は売られ、息子は無頼の徒になり、夫婦は自殺したという。
残された田は「せんこうやみ」として忌み田になり、放置された。
農地改良事業により場所ははっきりしなくなった。
香川県S市みずしたたり(水主たたり?)
雨が少なかった瀬戸内地域では、夏場に雨を祈る一方、川や池等が自然発生的に崇められてきた
「水主」というのは水を持っている人、ないしは水を蓄えている土地に対する敬意として送られた言葉である
水主神社が、大小あわせていくつか存在する
ところで、昭和30年代に、ある地元資本の商店が町の繁華街に出店したが、この際水主神社を潰して出店した
地元の住民からは恐れられ、公然と批判する者も多かったという
経営は上手くいかず、出店した店舗どころか、商店自体も倒産した地元の人は「水主様の祟りだ」とうわさしあった
以後、その土地で、様々な店舗が展開したが、悉く商売が失敗した
現在では、主要な道路が移ってしまったので、往時の賑わいは無いがそれでも比較的有利な土地なのに、いっこうに買い手が無い状態が続いている
水主さまの祟りといって、冠婚葬祭はもちろん、地元の中学生が定期試験の時も「成績が下がる」といってその土地の前を通るのを避けるという
長崎県
血田(けつだ)・長崎県松浦市
元軍の残党を掃討する海上戦で、上陸した元兵との血みどろの戦いを行い田んぼが血で真っ赤に染まったことが由来と言われている。
コメント