【祟り】日本全国の呪われた土地『忌み地』- 絶対に行ってはいけない危険な場所

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【祟り】日本全国の呪われた土地『忌み地』- 絶対に行ってはいけない危険な場所 オカルト
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群馬県

 

古戦場跡

群馬県の神流川の近くには、首塚八幡宮、胴塚稲荷という滝川一益と北条氏直の激戦の戦死者を祭っていますし、有名な関ヶ原古戦場の柴井には西首塚(胴塚)があり、JR東海道本線の敷設の際、埋葬者の白骨が相当量出たといわれており忌み地です。
八王子城のある高尾山も前田利家、上杉景勝らに率いられた豊臣勢3.5万が落として後北条小田原本城勢に大きな衝撃を与えた地ですが、屍が山を覆った八王子城跡は里人が恐れて足を踏み入れるのを嫌う忌み山になっています。

しかし、首塚八幡宮では頭の病気や怪我にご利益があると知られ、参拝者も多く一概に忌み地・忌み山はマイナスの性格だけを持つものではありません。

忌み山も多くは、奈良吉野の妹山のように、859(貞観元)年前に大名持神社が山腹にまつられてから、周辺地城の人々の崇敬をあつめた忌み山として入山を禁止されてきたような信仰の山、神体山としての性格から畏れられた為で、信仰上のご利益はあったのです。
奥多摩のお話も日原川、巳ノ戸谷周辺にある「忌山御前」にまつわる伝説が元になっている話であり、山神に悪事なす行いをしなければ、そう怪異を招く事はありません。すべては人の業だと思いますね。

 

静岡県

 

吉原市江尾町(現在の富士市)「ごぜの森」

森と云っても直径20mほどで、雑木や雑草が生い茂っている。
その昔は天狗が住んでいて、夜になると時々怒って、木を嵐の如く揺らしたという。また、ある者が森に茂っていた草を刈って持ち帰る途中、僧に「その草は森へ返せ。後の祟りがひどい。」
と言われた。気に止めずに持ち帰ったところ、その年より不幸な生活を送るようになった。
住民は今でも祟りを恐れ、そばを通るのも気味が悪いという。

 

静岡県駿東郡小山町一色に椿畑という畑

秀吉が北条氏を攻めた時、この付近にあった北条方の下古城(シモフルシロ)が落城した際城主の妻のお椿さんという方がこの畑で自害したらしいこの畑は生姜を作っていたが自害したあと生姜を収穫すると血のように赤くなったらしくそれ以来この畑では生姜の栽培が禁じられている。
現在畑の傍らに椿大明神の祠が祭られている。

 

静岡県駿東郡小山町竹之下

帝釈天さんの森 入ると祟られると里人が恐れている 竹之下合戦の犠牲者の塚か古墳ではないかと伝えられでいる

 

静岡県浜松市三ヶ日町鵺代

誰が住んでも1代続かない、祟り地があります。
昔、ここで惨殺された巡礼達の怨霊であるといわれており、石垣や門は残っていますが荒れ放題のままで、町民は近づきもしません。

 

静岡県相良町黒子「翁橋」

蛭ヶ谷川に架かるが、この橋の付近では「ぢんぢん川」と呼んだ。
狐狸か妖怪か判らないが、夏の夜などに
みすぼらしい身なりの老人が現れたり、川土手の草が綺麗に刈り取られていたり、
痩せ細り青白い顔をした怪物が、もの凄い形相で研ぎ澄ました鎌を持って
現れたりした。
老人→じじい→ぢんぢんとのこと。

爺さんは濡れ衣のような気もしますが。

 

静岡県相良町西萩間「万法印」

丸尾原へ上る御相談坂の登り口に、小さな橋がある。
手前を左に行くと子生れ石、橋を渡り右に行くと、田がある。
この田を作ると、何かしら禍があるというので嫌われている。
この田は昔、字原平に住んでいた万法印と呼ばれる法師のものであった。
彼は土地への執着が強かったゆえ、縁もない者に耕されるのが無念で祟るのであろうということである。
現在は、地主が耕している。

 

賀茂郡中川村(現在の賀茂郡松崎町の内陸部)

障子山(難山?)と云う山には、現在は埋まってしまったが、障子山という人が戦の時に隠れたという穴があった。
この山は木が大きくなったのだが、買う人がない。
この山の木を切った家には災難があり、家にない場合には木を積んだ船に悪いことがあると言われている。
なお、前述の穴に白旗が立っているのを見た人は、3年以内に死ぬと言われている。

 

「お菊澤」静岡県

榛原町かな?金谷町かな?とにかく、牧ノ原

牧ノ原は、「布引の原」という別名を持つ。
昔、相良のお菊という娘が、金谷の大工と恋仲になった。彼女は夜ごとに牧ノ原を越え、男の元へと通ったが、当時は原野であった牧ノ原は物騒でもあり、やはり恐ろしかった。そこで、頭の上に糸枠を載せ、鏡とロウソクを立て、白い着物を着、白布1反を引いて歩いた。怪物を装えば、盗賊などは近づかないと思ったのである。
ところが、化け物の噂は腕自慢の者達を呼び寄せる結果となり、お菊は肝試しに来ていた一人に斬り殺されてしまう。
彼女の殺された場所を「お菊沢」と呼び、祟りがあるといって恐れた。
太平洋戦争の直前、牧ノ原に海軍の航空隊が配置され、営舎が建設されることとなったが、沢の周辺で事故が相次ぐので、お菊の祟りであろうと噂が立った。
沢の土を、大沢原の西光寺に運んで供養をしたそうで、地蔵尊が残っているとのこと。

 

榛原郡上川根村(現在の榛原郡本川根町)

昔、八幡神社があった所で、現在は帝室林野局出張所の屋敷になっている敷地内の、大きな石が二つあった。その石が目障りなので、埋めてしまいたいと所長が言ったのだが、恐ろしがって埋めようと言う者がいない。結局、小使がやることになった。
しかし、穴が掘り上がろうという頃に、石が穴に転がり込み、小使は石の下敷きになった。穴から救い出されたが、まもなく死んだ。彼の息子の話によると、穴が石に近すぎたために転がりこんだのではなく、石は外にあった時のままの状態で穴に入っており、上部を少し土の上に出していたという。
林野局の官舎を建てた時、請け負った親方連中が、その後まもなく
病気になった者が多かったので、地元では恐れていたということである。

現在、どうなっているか不明。

 

賀茂郡下河津村(現在の河津町)

ころ柿山には、その名の如く幾百年経ったか分からないくらいの、ころ柿の木がある。その年、柿がたくさん成り、村では男も女も皆で採りに行った。
男が木に登って柿を採り、女は下で落としてくれとせがんでいた。
が、ふとした拍子に一人の女が木に触れると突然、木が女をくるっと巻き込んでしまった。
今でも、巻くから、と言って女をその木に近づけない。

富士郡芝富村(現在の芝川町)

長貫では、以前から正月にどんど焼きをしない。
昔、どんど焼きをしていると白鳥山から白坊主が「ほーいほーい」
としきりに呼ぶので、気味悪くなって止めてしまった。
翌年にまた、どんど焼きを始めると同じように呼ぶ。
それ以来、この行事は止めてしまうことにした。

芝川町役場の辺りの話。白鳥山は、山梨県南部町?富沢町?との境にある山。標高567m。

 

富士郡富岡村(現在の名称不明富士宮市か?)

淀師に、「やみた」という田があり、作ると必ずその家の誰かが病気になる。
昔、殿様がここに深い池のような牢を造って、罪人を生殺しにした所だというが、確かなことは分からない。

 

富士郡富士根村(現在の富士宮市JR身延線の駅があります)

「やみ田」は、集落に必ず一つ二つはある。この田には、石で造った小さな祠のような物が祀ってあるので、すぐ分かる。この田を作ったり、また作ると約束しただけでも、死ぬか非常に重い病に悩まされるので、嫌われている。
2ヶ月前にも「やみ田」を作ると約束した人が亡くなったので、祟りだと言って村では益々嫌っている。

 

榛原郡白羽村(現在の榛原郡御前崎町白羽)

白羽村字小杉原に、千人塚がある。その上に松が植わっていて、椀貸せ松という。この松を切ると血を出すと言って、手をつける者はいなかったが、明治20年の頃に切って畑と成し、今は跡さえもない。
この松を切った者は、当時富裕の資産家であったが、今は全く零落して家屋敷も留めていない。一家は死んだ者あり、病んだ者あり、全く離散してしまった。松の祟りではないかと言われている。
松を直接切ろうとした人夫も、枝打ちに上ったところ、過って墜落し腸を出して死んだという。

 

庵原郡高部村大内(現在の静岡市こないだまでの清水市)

護良親王の首を、内裏山に納め奉る。今もなお、五輪の陵墓がある。
現在F氏の所有する土地である。同氏は近年ここの発掘に努めているのだけれども、途中まで掘ると異様な物音が生じ、めまいがして、どうしても掘り出すことができないということである。
菊の御紋章が付いた位牌とか、刀鏡などは採掘したとのこと。

 

富士郡島田村(現在の富士市国139と県171の交差辺り?)

依田原新橋の東外れ、和田川の西側の土手を南へ一町ばかり行った所に、幅一間ばかりの川がある。土橋が掛けてあり、ここを「お園水道」という。
昔、お園という芸者がこの川に入って死んだという。そして、ここに住む者は決して成功しないという。
ある人は御稲荷様まで祀ってお祓いをしたけれども、やはり思わしくなく余所へ移ってしまった。今もその御稲荷様は、古びたまま残っている。

 

静岡市(北安東、柳新田、池ヶ谷の境くらい?)

「吉塚」姑があって、嫁を酷使し一人でここの田の植え付けをさせた。
嫁は植え付けが終わると死んでしまった。そこで、この塚ができた。
この田を耕す者は、必ず家内の死者を出すということである。
それは死んだ嫁の祟りであるとされる。今となっては作る者もなく、またここを買う者もいない。

 

島田市長島「聖坂」

小川から長島に下る坂。
昔、高野聖が不案内から道に迷い、山中で一夜を明かそうとしたが、オオカミに喰い殺された。その屍と、傍らにあった経巻を郷人が焼いたところ、灰は風に吹かれ幾多の雀と化し、この山に群がるようになった。
土地の者が付近に焼き畑を作付けすると、群雀に食い尽くされるという。

 

島田市伊久美字犬間

どういう理由か判らないが、犬間で鶏を生き埋めにした。
それ以来、その場所を夜に通ると鶏の鳴き声が必ずするので、恐れられている。

栃木県

 

庚申山

神奈川県川崎市多摩区の長沢の北にあった高さ100 m、広さ300ヘクタールほどの丘陵で、普段人が入って木を伐ったりすると、怪我したり死んだり、気が狂ったりすると言われていた。
以前は大きな樹が茂っており、トオノコシ谷戸(平瀬川付近)の庚申講の持山であったが、一度国有地となり、民間に売りに出されたが買い手が付かなかった。
(今ではマンションや住宅が犇めいている)
明治の中頃まで同族で構成された庚申講による一党祭祀が続き、8年から10年に一度取り行われる祭りの時にだけ入山したという。

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