分身
昔の彼氏に聞いた話を思い出したよ。
彼は当時GSでバイトしてたんだけど、ある日若い女の子が泣きじゃくりながら車でやってきて、
女の子「ここは何県ですか?」
彼「群馬県ですけど」
女の子「電話貸してもらえます?」
というやりとりがあって、店の中の電話を貸したら(当時は携帯電話は普及してなかった)、どこかへ電話をかけた彼女は
「どうしてか分からないけど今群馬にいるの。どうしたらいい?」
と泣きながら話してるんだって。
気になったので「どうしたんですか」と聞くと
「○○県(北陸)にいたんだけど気が付いたら群馬を走ってた」とのこと。
車のナンバープレートにもその県名が入ってたらしい。
とりあえず彼はその県までの、高速を使った帰り方を教えて帰したんだけど「病気なのかな」って思ったって言ってた。
私はそんな病気なんてあるのかなと疑問だったけど。
□ □ □
中学生の夏休みに、夜中ムショウに喉が
渇いて一階の台所へ水を飲みにおりてったら、おんなじように氷水のコップを持ったお母さん・・
「暑いねーやんなっちゃうねぇ」と母。
「まったくだねー」
と私。そのお水頂戴と、母の飲みかけのコップをもらった、冷たい水だった。
「おやすみ」と二階の自室に入りかけたその時、向かいの部屋(暑いんでドア開けっ放しにしていた)をふと見ると、頭3つ・・父、妹、で、お母さんがちゃんといた。。
記憶の中の友達
私は小さいとき“よしこ”ちゃんという子と何度も遊んだ記憶があり、鎌倉へ行った時には
「よしこちゃんにも買ってあげるの」と言って
名入りキーホルダーを買った記憶があります。
でも、近所にそんな名前の子はいなかったし、まだ幼稚園にも行ってない頃で、
私が「よしこちゃん」と言うたびに母に「そんな子どこにいるの?」とか
「よしこって名前がそんなに好きなの?」と言われていた記憶があります。
私は確かによしこちゃんと遊んだ記憶があるんです。
これって…
□ □ □
まだ保育園逝ってないとき?の話。
我が家の近所に馴染みの子がいて、毎日暗くなるまで遊んでた。
おかっぱっぽいショートカットで、男の子っぽい女の子だった。
一番鮮明に記憶に残ってるのは、その子と俺がレゴブロックで遊んでて、
「そろそろ暗くなるから帰りなさい」と母親に諭されたけど「帰りたくない」と泣きじゃくる女の子の姿。
勿論その子の家に遊びに逝ったこともあり、彼女の家の場所もちゃんと覚えていた。
「大きくなったら結婚しようね」とか、ガキくさい約束もしたような気がする。
とにかく仲が良かった。
最近になってその子のことが気になったので両親にそれとなく尋ねると、
「そんな子いたっけ?」と首を傾げる始末。
あんなに毎日家に遊びに来てたのに・・・
で、女の子の家を見に行こうと思ったら、そこは空き地になっている。
近所の人に聞いたら、「そこはずっと昔から空き地で家など建ったことがない」と言う。
じゃああの子は誰だったんだろう・・・?
そういえば彼女の名前何だったっけ・・・?
やっぱ空想のお友達でも作ってたんですかねぇ。
□ □ □
おれが消防の時、福岡の悪名高い県知事?かなんかの自宅建てる為に近所の盲学校潰す事になる話を聞いて、仲間4人で夜探検に行こうって事になったけど、結局、探検自体は「夜の学校って怖いな~」程度で何もなく終わりますた。
その直後に漏れ自身は関東に引っ越して、その後高校卒業前にふと思い立ち福岡に里帰り旅行に。
その時、地元に残ってた探検仲間の一人と再会して思い出話したのね。
んで話が当時の盲学校探検の話になって「そういや一緒に行った、Nと秋山って元気?」
って聞いたら「Nは元気だけど秋山って誰よ?」と返答。
(゚Д゚)ハア!?と思い
「だから4人で一緒に探検行ったろ?」と聞き返すも
「あんとき行ったの俺とお前とNの3人やん」との答え…
ついでに秋山なんて奴クラスに居ないと言われ、その後わざわざ奴の家に行って当時のクラス文集や小学校卒業時のアルバムまで見せてくれたけど、クラスどころか学年にも秋山って奴が居なかったのが分かっただけ。
結局それは漏れの思い違いかなんかだろうって事になったけど、自分の記憶には秋山の顔とかもしっかり残ってるんで、心の中では全然納得いかなかった。
そしてこの間の土曜に実家に戻ったとき、消防時のアルバム見てたら居ないはずの秋山の写真発見。
それ見せて親に聞いたら「名前は覚えてないけど何回か遊びに来てたね」と言われ、とりあえず奴が存在してたのは確信したけど…もう訳分かんねって感じ。
川がない
おれの変な記憶の話、聞いてください。小学校1年のときの話です。
当時いちばん仲が良かった友達はY君でした。
学校から帰るといつも、自転車に乗ってY君の家に行きました。
Y君の家までは、かなり遠い。街の外まで出なけりゃならん。
まあ、小さな街ではあるが、1年坊主だしな。結構な距離だったように思う。
街を出ていいかげん走ると、やがて、だだっ広い砂利敷の川原に着く。
そこには、風でトタン屋根が飛ばないように石を載せてあるような、粗末な小屋がいくつも建っていて、その1つがY君の家。
Y君の家には、セメントだの鉄パイプだの鎖だのドラム缶だのといった、男のコなら大喜びするなガラクタがいっぱいあった。
たぶんY君のお父さんが、そうい物を使う仕事をしていたのだろう。
Y君のお母さんも、よく覚えている。大きな声でよく笑う人で、おれたちに混ざって遊び、おれたちを仕切りたがる困った人だ(笑)。
いや、でも楽しかったんだ。川には遊びのネタが、とにかく豊富だったし、Y君とは本当に気が合ったんだろうと思う。いつも真っ暗になるまで遊んで、家へ帰ると、心配した母に怒られた。しょっちゅう怒られて、しまいには
「もうY君の所に遊びに行くな」
と言われた事までおれは覚えているんだが。
…ところがしかし!おれは1年生の終わりに、転校で遠くに行くハメになる。
その後、Y君と年賀状のやりとりぐらいはしたと思うのだが、覚えていない。
で、十年以上の月日が流れたある日のこと。
偶然に、父親の持ち物から、その小1のころ住んでいた街の地図を発見した。
さっそく母と二人で、「懐かしいねえ」などと言いながら、記憶を新たにしていたのだが、その時。ふと気付いた。川がないのである。
Y君はいったいどこに住んでいたんだろう?…そう思ったとき、なぜか背中にゾクリと悪寒が走った。 おれは恐る恐る、母に聞いてみた。
「おれの友達でY君っていたの、覚えてる?」すると母は首をかしげて、「Y君?いやあ覚えてないねえ…仲良かったの?」と、不思議そうに言った。
…なぜかおれは、この母の反応をぜんぜん意外には思わなかった。
「この近所に川があったような気がするんだけど、なかったっけ?」
と、おれは一応、聞いてみた。予想どおり母は「なかった」と言い切った。
いちばん近くの川まで、バスで30分あったそうだ。
小1の小僧がチャリで通える距離じゃない。
…で、結局Y君のことは謎のままなのですが(笑)、考えてみれば小1の頃、Y君と遊んだ日々に関するおれの記憶は、気味が悪いほど鮮明です。
鮮明すぎるので、かえって怪しいのです。
しかし、しょっちゅう考えてしまいます。Y君って、誰だったんだろう…
このおれの記憶は、いったい何なのだろう…
たどり着けない場所
誰にでも似た記憶があると思うんだが...
すぐ近所のはずなのに、二度と行けなかった空き地とか無かった?
あの角を曲がり、あそこの家の塀の隙間を入って進むんだら到着するはずなのに、みたいな。
子供ばかり六人で行った埋立地。
ザリガニのいる水場や、メンコが大量に捨てられてて、みんなで楽しんだ。
次の日に行こうとすると、誰も辿り着けなかったんだ。
□ □ □
小学生の頃、すぐ近所の森に
まだ小さいいとこ達を連れて行って遊んだ。
岩場から水が流れてたり、窪んだ道に木が倒れてて、トンネルのようにくぐれたり、すっごく楽しかったので、次の日も違う学校の友達を連れて、遊びに行ったけど、どこをどう歩いても、そこには辿りつかなくて、結局2度と行けなかった。
本当によく知ってる近所だし、昨日は行けたのに。
今まで、誰に話しても、子供の未熟な記憶能力からくる思い違いだって、言われてきたから・・・
神隠し
幼稚園に上がる前、俺はちょくちょく居なくなる子だったんよ。
神隠しってほどでもない。昭和40年代の半ばで、子供の数も今より多かったし、ふと居なくなっても夕方には何故かいる、みたいな感じだったらしい。
だけど、その日は夕方になっても帰ってこなくて、もしかしたら誘拐か(つっても身代金取れるわけない貧乏サラリーマン一家だよ?)と警察呼んだりして探してまわったらしい。そしたらなんと、家の近所の小学校の屋上にいたらしいんだよ。
その頃よく遊んでいた、向かいの家に住んでいたイッコ上の女の子と一緒に。しかも屋上の鍵は閉まっていたそうだ。
当直の用務員の先生が、屋上から子供の遊ぶ声が聞こえてきたんで、おそるおそる鍵を開けたら、俺らが居たってわけ。
どこから来たの?って言われて、俺「牛若丸の橋を通ってきたの」と答えたんだよ。
子供に小学校の外壁を登れるわけないし、今から考えてもよくわからない。
確かに「京の五条の橋」みたいな、ギボシのついた朱塗りの橋を渡っていた記憶はあるんだよね。
これってなんなんだろうね。
コメント