人類史上最大のミステリー
『切り裂きジャック』
1888年にイギリスで連続発生した猟奇殺人事件の犯人の通称。この事件は未解決事件である。
1888年8月31日から11月9日の約2ヶ月間にロンドンのイースト・エンド、ホワイトチャペルで
少なくとも5人をバラバラにしたが、犯人の逮捕には至らなかった。
『ノアの方舟』
旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事。
または、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指す。
『大洪水神話』
世界の諸神話に共通して見られるテーマである。聖書(旧約聖書)『創世記』のノアやノアの方舟、
インド神話、ヒンドゥー教のプラーナのマツヤ、ギリシャ神話のデウカリオン、
および『ギルガメシュ叙事詩』のウトナピシュティムの物語は、よく知られた神話である。
過去現在の世界の文化のうち大部分が、古い文明を壊滅させる「大洪水」物語を有している。
『リンカーンとケネディー』
アブラハム・リンカーンが連邦議会入りしたのは1846年。
ジョン・F・ケネディーが連邦議会入りしたのは1946年。
アブラハム・リンカーンが大統領になったのは1860年。
ジョン・F・ケネディーが大統領になったのは1960年。
リンカーン(Lincoln)もケネディー(Kennedy)も7文字。
二人とも、公民権に深く携わった。
二人の夫人はともに、ホワイト・ハウスに住んでいる時に子供を亡くしている。
二人とも、大統領の時に撃たれた。
二人とも、撃たれたのは金曜日。
二人とも、撃たれたのは頭だった。
リンカーンの秘書の名はケネディー。
ケネディーの秘書の名はリンカーン。
二人を暗殺した人物はともに南部出身。
二人の後任もともに南部出身。
二人の後任の名はともにジョンソン。
リンカーンの後任となったアンドリュー・ジョンソンは1808年生まれ。
ケネディーの後任となったリンドン・ジョンソンは1908年生まれ。
リンカーンを暗殺したジョン・ワイルクス・ブースは1839年生まれ。
ケネディーを暗殺したリー・ハービー・オズワルドは1939年生まれ。
二人の暗殺者は、ともにフルネーム(個人名、ミドルネーム、 姓)で知られる。
二人の暗殺者の名はともに15文字。
ブースは劇場から逃げ、倉庫で捕まった。
オズワルドは倉庫から逃げ、劇場で捕まった。
ブースもオズワルドも、裁判が行われる前に暗殺された。
リンカーンは、撃たれる1週間前、メリーランド州はモンロー入りしていた。
ケネディーは、撃たれる1週間前、マリリン・モンローに入っていた。
『エリア51』
アメリカ軍機密の航空機のテストを古くから行っていたとされ、
近年では、特にステルス機の試験飛行を行っていると考えられている。
また、「墜落したUFOが運び込まれているのではないか」とか、
「ロズウェル事件と関係しているのではないか」さらに、「グレイと呼ばれる宇宙人が居るのではないか」
とも疑われていたが、軍事機密が解除になったのを受け、オンレコで証言をした元職員により否定されている。
いずれにしても、何らかの機密事項が基地内に存在することから、
基地の敷地周辺の立ち入りはもちろん、撮影も一切禁止されており、
これを無視して進み憲兵や衛兵に見つかった場合は逮捕され、処罰される。
特に不審な場合は警告無しに発砲される事もある。
『ジョン・タイター』
2000年にインターネット上に現れた、2036年からやってきた
タイムトラベラーを自称する男性である。自分を1998年生まれだとした。
『モアイ』
チリ領イースター島にある人面を模した石造彫刻のこと。
大きさは3.5m、重量20トン程度のものが多いが最大級のものは20m、重量は90トンに達する。
『アエロフロート航空593便墜落事故』
アエロフロート航空593便はエアバスA310-308(機体記号F-OGQS、フランス籍のリース機)で、
モスクワのシェレメーチエヴォ国際空港から香港の啓徳空港に向かっていた。
事故当時は夜間であったが気流に問題はなかった。しかし現地時間の1994年3月22日午前1時、
遭難信号や、緊急事態を報告する通信も発することなく、シベリアのノヴォクズネツクから
南東に300キロメートル離れたアルタイ地方の針葉樹林に墜落した。
この事故で乗員12名、乗客63名のあわせて75名全員が死亡した。フライトレコーダーの記録によると、
巡航高度10,000メートルから失速し、回復不能なスピン状態に陥った後に、
急激に降下して標高400メートルの山地に激突した。
手稿には、記号システムが確認されている特殊な人工文字によって何かの詳細な説明らしい
文章が多数並んでおり、ページの上部や左右にはかなり詳細で緻密な、植物や花の彩色画が描かれている。
植物の絵が多いが、それ以外にも、銀河や星雲に見える絵や、
複雑な給水配管のような絵、プールや浴槽に浸かった女性の絵などの不可解な挿し絵が多数描かれている。
暗号が解読できないので、豊富で意味ありげな挿し絵の分析から内容を推測する試みもなされたが、成功していない。描かれている植物の絵などは、実在する植物の精緻なスケッチのようにも見えるが、
詳細に調べても、描かれているような植物は実在せず、何のためにこのような詳細な架空
(と考えられる)植物の挿し絵が入っているのかも理解できない。
『モヘンジョダロ』

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mohenjo-daro.jpg
モヘンジョ=ダロの地名は現地の言葉で「死の丘」を意味するものであり、
歴史学者が足を踏み入れるまでは、非常に古い時代に生きたであろう得体の知れない
死者が眠る墳丘として, 地元民に代々伝えられる禁忌の領域であった。
モヘンジョ=ダロは廃墟としての名であり、繁栄していた往時の呼び名、
すなわち都市の名は、それを紐解くヒントすら得られていない。
『ツングースカ大爆発』
地球に落下した天体が爆発したとみられるが、隕石孔や隕石の残片などは発見されておらず、
爆発の原因はいまだに特定されていない。地面の破壊規模から見て、爆発した「物体」の大きさは、
3メートルから70メートルと推定されている。
『鉄仮面』
仮面の男(かめんのおとこ)は、フランスで実際に1703年までバスティーユ牢獄に収監されていた「ベールで顔を覆った囚人」。その正体については諸説諸々。
囚人は1669年に、ルイ14世の大臣からピネローロ監獄の
監獄長サン・マールに預けられ、監獄長自ら世話をしたという。
以降、サン・マールの転任と共にその囚人も移送され、サントマルグリット島を経て、
1698年にバスティーユに移送された。当時のバスティーユの看守は、
「囚人は常にマスクで顔を覆われ、副監獄長直々に丁重に扱われていた」と記録している。
なお、鉄製の仮面を常に着用していると言うイメージになってしまったが、実際には布製のマスクだったといわれ、
それも人と面会する時にだけ着用させられていた。
もし人前でマスクを取ろうとすれば、その場で殺害せよとの指示が出されていた。
そのため、牢獄で世話をしていた者も囚人の顔を知らなかった。
囚人は1703年11月19日に死亡。彼の所有物などは全て破棄されたという。
『サンジェルマン伯爵』
18世紀のヨーロッパに中心に活動したと伝えられる人物である。実在の人物としてはこの時代に
アヴァンチェリエと呼ばれて活躍した国際的山師で、都市伝説の人物としては数々のフィクションの逸話で有名。
『マヤ文明の神話』
マヤの神話はディエゴ・デ・ランダの焚書の影響などにより、現存する資料が少ない。
しかしながら、現在残されている『ポポル・ヴフ』などからはマヤの世界観が破滅と
再生の周期を持っていたとされている(ただし、この説に否定的な論説も存在する)。
その世界観では現在の世界は第5の時代に当たっており、
先行していた4つの世界はいずれも何らかの要因で滅んだとされている
(それぞれがどのような要因で滅んだかは、資料によって違いがある)。
それらの世界の周期は各13バクトゥンとされていた。
こうした世界観はメソアメリカでは典型的なもので、アステカ人の神話にも見られる。
アステカやトルテカの神話・宗教観との類似性についてはマヤが影響を及ぼしたのか、
それらが古典期のマヤの宗教観に上書きされたものなのか諸説ある。
『Wow! シグナル』
1977年8月15日にSETIプロジェクトの観測を行っていたオハイオ州立大学のジェリー・R・エーマンが、
ビッグイヤー電波望遠鏡で受信した電波信号である。
狭い周波数に集中した強い信号で、太陽系外の地球外生命によって送信された可能性が指摘されている。
望遠鏡は信号を72秒間に渡り観測することに成功したが、
以降の探査では同様の現象は見つけられず、その起源は謎のままである。
受信された電波は、恒星間の通信での使用が予想される信号の特徴をよく表していた。
これに驚いたエーマンは、プリントアウトした表の該当部分を丸で囲み、”Wow!” と書き足した。
そのため “Wow! signal” が信号の名前として広く使われるようになった。
映画『コンタクト』の元ネタとしても知られている。
メアリー・セレスト号
1872年にポルトガル沖で、無人のまま漂流していたのを発見された船である。
発見当時、なぜ乗員が一人も乗っていなかったかは今もって分かっておらず、航海史上最大の謎とされる場合もあるが、事件には様々な尾ひれが付けられ、実際以上に不可思議な事件として都市伝説化しているものである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/メアリー・セレスト号
『海の民』
東地中海沿岸を放浪し、古代エジプトの第19王朝後期
また特に第20王朝のラムセス3世5年にエジプト領内への侵犯を試みた諸集団に使われる総称的呼称である。
「海の民」という語はエジプトの記録では用いられていなかったが、後世一般化した。
『シュメール』
メソポタミア南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古である都市文明。
初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えた。
シュメールの名は、シュメール人が文明を築いてから、アッカドやバビロニアの支配を受けて
シュメール人が姿を消し、さらにバビロニアがペルシャ帝国に併合されるまで続いた。
シュメールの楔形文字が使われ始めたのは紀元前3500年頃とされており、
書かれた物としては最も初期のものだと思われる。
『ハンス・ウルリッヒ・ルーデル』
第二次世界大戦中のドイツ空軍の操縦員、幕僚将校。
ヨーロッパ東部戦線において、ソ連戦車500両以上と800台以上の車両を撃破する驚異的な戦果を挙げた。
また、9機を撃墜し、地上砲火で30回撃墜された。
これらの戦功から、ナチス・ドイツ最高位の「黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章」を授けられた。
死にたい赤軍将兵にお薦めの「ソ連人民最大の敵(スターリン曰く)」
ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
- ベルリン突入直前なら大丈夫だろうと虎の子のJS-3を出したらいつもと変わらないルーデルに撃破された
- Ju-87の機影を発見後一分で重戦車が火の付いた燃料を流して撃破されていた
- 足元がぐにゃりとしないので沼をさらってみたら戦車の残骸が敷き詰められていた
- 停泊中の戦艦が襲撃され、気が付いたら大破着底させられていた
- 高度数百ftで爆弾を投下、というか距離100m以内で機銃をぶっ放す
- 爆撃機編隊が襲撃され、爆撃機も「護衛の戦闘機も」一部撃墜された
- トラックから塹壕までの10mの間にルーデルに機銃掃射された
- 装甲車の車列に合流すれば安全だろうと思ったら、車列の全車両がルーデルによって撃破済みだった
- 全赤軍将兵の3/100がルーデル被撃破経験者、しかも急降下爆撃ならどんな兵器も破壊出来るという彼の信念から「強力で頑丈な兵器ほど危ない」
- 「そんな奴いるわけがない」といって出撃して行った戦車兵が五年経っても骨の一つも戻ってこない
- 「赤軍将兵でなければ襲われるわけがない」と雪原に出て行ったキツネが穴だらけの原型を止めない状態で発見された
- 最近流行っているルーデルは「何が何でも出撃」総統に止められても片足が吹っ飛んでも赤軍狩りに出て行くから
・ベルリンモスクワ間の1620kmはルーデルの襲撃にあう確率が150%。一度撃破されて撤退中にまた襲撃される確率が50%の意味 - ルーデル中隊全体における赤軍襲撃による戦車撃破数は一日平均34輌、うち約17輌がルーデル一人のスコア
- 第二次世界大戦ドイツ爆撃隊の英雄
- 戦闘機乗りを目指していたが勘違いで急降下爆撃隊に入隊
- 戦車519輌撃破
- 装甲車・トラック800台以上、火砲150門以上、装甲列車4両撃破
- 戦艦1隻、嚮導駆逐艦1隻、駆逐艦1隻、上陸用舟艇70隻以上を撃破
- でも航空機は9機のみ(5機以上撃破でエース・パイロットにはなる)
- 功績を挙げすぎて渡す勲章がなくなってしまい、新たに勲章が作られた
- スターリンに「ソ連人民最大の敵」と言われ、10万ルーブルの賞金をかけられる
- クレタ島侵攻に参加できず「口惜しさに男泣きに泣いた」
- 6ヶ月間で出撃回数が400回を突破
- 休暇を減らして出撃回数を増やすよう上官に懇願
- 無理だとわかると書類を偽造して出撃
- 撃墜されて満身創痍で基地に帰ったのに、そのまま再出撃しようとした
- 心配したヒトラーに地上勤務を言い渡されるも拒否
- その後、右足切断するほどの大怪我を負い、ソ連軍を攻撃できないと涙
- でもこっそり病院を抜け出し、部隊を率いて30輌以上の戦車を破壊していた
- その期間、軍上層部は地上勤務に就いていると思っていた
- ドイツ空軍初の出撃回数が1000回を突破。最終出撃回数は2530回
- 戦後しばらくしていた仕事は「ドライバー」その後A-10製作顧問になる
- 片足が義足なのに趣味は登山。アンデス山脈のほぼ全てを制覇。
『フラットウッズ・モンスター』
1952年9月12日にウェストヴァージニア州のブラクストン郡フラットウッズの町で
UFOとともに目撃されたといわれる有名な「宇宙人」、あるいは未確認生物である。
別名はブラクストン郡のモンスター、10フィートモンスター。日本では「3メートルの宇宙人」の名で知られる。
『ムー大陸』
今から約1万2000年前に太平洋にあったとされる失われた大陸とその文明をさす。
イースター島やポリネシアの島々を、滅亡を逃れたムー大陸の名残であるとする説もあった。
しかし、決定的な証拠となる遺跡遺物などは存在せず、
海底調査でも巨大大陸が海没したことを示唆するいかなる証拠も見つかっておらず伝説上の大陸であるとされる。
『アトランティス』
古代ギリシアの哲学者プラトンが著書『ティマイオス』(Тίμαιος, Timaios)
及び『クリティアス』(Κριτίας, Kritias)の中で記述した、大陸と呼べるほどの大きさを持った島と、
そこに繁栄した王国のことである。強大な軍事力を背景に世界の覇権を握ろうとしたものの、
ゼウスの怒りに触れて海中に沈められたとされている。
『ミッシングリンク』
生物の進化を例にした場合、それを乱暴に要約すると、
「種族A」→「種族B」→「種族C」の順に進化する過程があったとする。
その過程で、この種族の形は次第に変化するが、Bを飛ばしてAとCを見比べると、
その間に劇的な変化が発生しているようにみえる。
このとき、その劇的な変化の中間に位置すると推測できる「種族B」がどのような存在であったか、
また、そもそも種族Bという存在があったのかどうかすらまったく不明な状態において、
そこから仮定されるBがミッシングリンクである。別パターンとして、「種族C」という存在は確認されているが、
それ以前の始祖がどのような形態であったのかが不明なケースもある。
『ソドムとゴモラ』
旧約聖書の『創世記』に登場する、天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされる都市(商業都市)。
後代の預言者たちがソドムとゴモラに言及している部分では、
例外なくヤハウェの裁きによる滅びの象徴として用いられている。
『オレゴンの渦』
まだアメリカが開拓される以前、先住民たちが決して近づかない場所があった。
迷い込んだ者は生きては出られない悪魔に呪われた地、彼らはそこを禁断の大地と呼んだ。
アメリカ北西部オレゴンに、オレゴンの渦と呼ばれる場所がある。
人間はおろか、昔から動物ですら近づこうとしない、オレゴン・ヴォルテックス。
ここには長い時間をかけて地面に引きずり込まれたような傾いた家がある。
この家を中心に直径50mの範囲では、得体の知れない力の渦が回っているというのだ。
家の周りの木は、全て中心に向かって生えている。
この傾いた家の中では、ホウキが手を離しても何かに支えられたかのように斜めに立ったままになる。
さらに驚いたことに、中心付近では、コンパスがぐるぐると回転し続けてしまう。
ところがここには更なる解明不可能なミステリーがあった。
家の前にある長方形の石のプレートの両端に、背の高さの違う男の子と女の子に立ってもらう。
女の子が中心に近い方に立っていると、男の子は大分小さく見える。
しかし、二人に場所を入れ替わってもらうと、先ほどに比べ、身長差が少なくなって見える。
男の子が中心に近い方に移って、背が高くなったのか?
その石のプレートは、どの場所を調べても水平だった。
オレゴンの渦を研究するニック・ネルソンさんは、原因は重力や磁気の影響など、様々に言われているという。
しかし、本当のことは誰にもわからない。
目には見えているのに何故起こるのかは解明されていないというのだ。
『南アフリカの金属球』
南アフリカの西トランスヴァール州の鉱山で見つかった用途不明の金属球。
現地では複数発見されており、内部が空洞のものと繊維状のガラスのような物質が詰まったものの2種類あり、
外側には中心に平行に走る3本の溝がある。
この金属球が展示されているクラークスドルプ市博物館の館長によれば、
ガラスケースの中にある金属球が、年に1、2回時計回りに自転するのだというが、
館長は近くにある鉱山からの振動によって少しずつ傾くせいだとみなしている。
この球体は葉ろう石の中から見つかったが、この葉ろう石が形成されたのは約28億年前とされている。
『アンティキティラ島の機械』
縮小化と部品の複雑さには特筆すべきものがあり、18世紀の時計と比較しても遜色ない程である。
30以上の歯車を持つ(マイケル・ライトの主張によれば72個(後述))。歯車の歯は正三角形である。
クランク(現在は失われている)を回転させると機構が太陽、月やその他の天体の位置を計算する。
機械の目的が地上にいる観測者を基準とした天球上での天体の位置計算であるため、
必然的に天動説モデルを採用している
『コスタリカの石球』
1930年代の初め、コスタリカの密林で発見された石の球体である。
現在までに200個以上が発見されている。
『エミリー・サジェ』
1845年。当時32歳のサジェは、ラトビアのリヴォニアにある名門校に教師として赴任した。間もなく生徒たちが「サジェ先生が2人いるように見える」と言い出した。教師たちは生徒の空想として取り合わなかったものの、10人以上の生徒がそう言い出したため、集団幻覚か、それとも本当にサジェが2人いるのかと驚くことになった。以下では本人のほかに、もう1人現れたといわれるサジェのことを便宜上「分身」として記述する。
生徒たちの証言によれば、あるときサジェが黒板に字を書いていると、分身が現れ、黒板に書く仕草をしていた。ある生徒がサジェと並んで鏡の前に立つと、鏡にはサジェが2人映っており、生徒は恐怖のあまり卒倒した。後に生徒たち以外の目撃者も現れ、給仕の少女が、食事中のサジェのそばで分身が食事の仕草をしている光景を目の当たりにし、悲鳴を上げた。この分身はやがてサジェのそばのみならず、サジェから離れた場所でも目撃されるようになった。
あるとき、42人もの生徒が同時に分身を目撃する事件が発生した。生徒たちのいる教室にサジェがおり、すぐ窓の外の花壇にもサジェがいたというのである。勇気のある生徒が、どちらが本物のサジェかと、室内のサジェに触れたところ、柔らかい布のようでまるで手ごたえがなかった。このとき、花壇にいるサジェはぼんやりとした様子だった。やがて室内のサジェが消え、花壇のサジェは普段通り動き始めたため、花壇のほうがサジェ本人だとわかったという。
このような分身の事件は、1年以上にもわたって続いた。生徒たちの噂話に困惑した学校の理事たちは、サジェを問いただしたが、サジェ自身には分身の自覚がなく、学校側同様に本人もこの現象に悩んでいた。
多くの生徒はこの分身の現象をむしろ面白がっていたものの、彼らの父兄は決してそうではなく、このような奇妙な教師のいない別の学校へ転校させる親が続出した。サジェは教師としては優秀であったが、学校側はこの事態を軽視できず、やむなくサジェを解雇した。
その後もサジェの赴任先では同じことが起き、20回近くも職場を転々とした挙句、とうとう赴任先がなくなったサジェは、義妹のもとへ身を寄せた。そこでも分身は現れ、子供たちが「おばさんが2人いる」と面白がっていたという。
『虚舟』
虚舟(うつろぶね)とは茨城県大洗町(北茨城市とも語られる)沖の太平洋に突如現れたとされる、
江戸時代における伝説の舟である。
虚舟は鉄でできており、窓があり(ガラスが張られている?)丸っこい形をしている。
虚舟には文字のようなものがかかれている。
中には異国の女性が乗っており、箱をもっている。
一説には面倒事に関わりたくない漁民が海に押し流したともある。
コメント