『チベット大虐殺』|人間の本当にあった怖い話

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『チベット大虐殺』|人間の本当にあった怖い話 人間の怖い話
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チベット大虐殺

 

一般民衆の犠牲者は120万人

1959年の3月チベットの首都のラサで「改革解放」の名のもと「民族浄化」が開始、殺戮・破壊・強奪・強姦が行われた。
15万人の僧侶と尼僧は公開虐殺によって1400人に減らされた。
僧侶に対しては、滑車を使い仏像の重みによる絞首刑や、尼僧に対し警棒の形をした5万ボルトのスタンガンを性器に入れて感電死させ彼女の死体は裸のまま路上に捨てられた。
一般民衆の犠牲者は120万人におよぶ。

中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術によって奪う事)」や「強制交種(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つ事)」等の民族浄化に力を入れた。
生き残った証言者によると、親の死体の上で子供に泣きながらダンスをさせ、人民解放軍はそれを笑いながら銃殺した。
「ジュネーブ法律家国際委員会」が受理した供述書によると

「何万というわが国民が殺された。軍事行動においてばかりでなく、個人的に、また故意に殺されたのである。(略)彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、生きながら焼かれた。溺死させられたり、生きたままで解剖されたり、餓死させられた者もあった。絞め殺されたり、首を吊って殺されたり、熱湯による火傷で殺された。
又、ある者は生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたり、首を切られたりして殺された。
こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。
犠牲者の同じ村人、友人たち、隣人たちは、それを見物するよう強いられた。」とある。

ちなみに侵略や粛清、失政による飢餓など、歴史上その数において世界最大の虐殺者は、まぎれも無く中国で、犠牲者は自国民、他国民含め四~六千万人といわれる。

 

◆ 中国侵略の歴史 ◆

 

1949年  中国がウイグル侵略し占領。植民同化政策。
1950年  中国が朝鮮戦争に参戦。
1951年  中国がチベットを軍事侵略・大量虐殺。
1959年  中国がインドと国境紛争。
1969年  珍宝島で中国軍がソビエト軍が衝突。日本に擦り寄り軍事費倍増を要求。
1979年  中国がベトナムを武力侵略。 中国が懲罰戦争と表明。
1992年  中国が領海法制定により南沙諸島と西沙諸島の領有を宣言。
1995年  中国が歴史的にフィリピンが領有してきたミスチーフ環礁を占領。
1996年  中国が台湾海峡でミサイル発射し台湾を恫喝。
1997年  中国がフィリピンが歴史的に領有してきたスカーボロ環礁に領有権を主張。
同年  中国が日本が固有の領土として主張してきた尖閣諸島の領有を主張。
2000年- 中国の軍艦が日本列島を一周。
中国が尖閣諸島付近で日本の領海内の海底油田調査を敢行。
2004年  中国の「漢級」原子力潜水艦が潜航しながら、日本の領海侵犯。(石垣島・多良間島間)

 

民族浄化

 

これらの異民族のうち、漢族と袂を分けて独立したがっているのがウィグル族とチベット族である。
中国は有無を言わさず
「お前らは中国人なんだ、独立なんて考える必要はない」と

武力で恫喝し、同時に漢民族を大量に入植させ、人口比率を漢民族優位に立たせようとしている。
これを民族浄化という。

漢民族は1950年ごろ、 ウィグル自治区 に漢族を大量に入植。
その増殖率は半端ではなく、当初人口 7パーセント だった漢族が91年には 40パーセント になり、ウィグルでの最多民族は漢族になってしまった。
ウィグル族が危機感を強めるのも無理はない。
おまけに民族格差が激しく、漢族は裕福だが、他は大変貧しい。

チベットは第二世界大戦後、人民解放軍の侵略を受け、中国の一部として平定されてしまう。
1950年代後半には人民解放軍による宗教弾圧が激しくなり、抵抗運動が高まる。
武力衝突することもしばしばで、その度に虐殺が行われた。
国際社会はチベット問題を人権弾圧程度の見方しかしておらず、民族浄化は進行中である。
中国は漢化政策の名のもとに、チベットの文化、伝統、宗教を徹底的に弾圧している。
チベット語を禁止し、ペキン語を推奨する、チベット僧を政治犯の名のもとに拷問、虐殺を今も続けているのだ。

160 コピペ隊新人 1/3頁 2005/08/16(火) 09:32:28 ID:/lMz1Nrp0
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 ttp://www.tibethouse.jp/home.html 参考

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