心霊ちょっといい話『なくしたはずの鍵』など短編全10話

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心霊ちょっといい話『なくしたはずの鍵』など短編全10話 不思議な話
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最後の挨拶

我が家もその昔、14年間、雑種犬を飼っていました。とっても頭の良いコでした。
私は大学時代、海外に単身留学していたのですが、卒業式だけは折角の晴れ舞台だし…ということで、両親がお祝いに駆けつけてくれることになっていました。
ところが、間際になって、犬が臥せって、もう余命いくばもないとの連絡が。
「お母さんは犬が心配なので、日本に残るよ」という父の会社からの電話に私も、卒業式よりも家族の一員の方が大事だから、と了承したのです。
ところが、その2日後再び父からの電話。
「犬、昨日死んじゃったよ。お母さんもそちらに卒業式を見に行くから」

後から聞いた話では、最後の数日は自力で起き上がることも出来ないほど衰弱していたにも関わらず、死期を悟った飼い犬は、夜中に自力で階段を上り、ドアを開け、寝ていた兄の手に鼻面を押し付けて起こし、そして、家族皆に見守られながら、息を引き取ったそうです。
後で母がぽつりと「頭のいいコだったから、あなたの卒業式のために気を遣って、急ぎ足で逝ってしまったのかな…」と言っていました。
でも私は結局海外で、死に目にも会えず、卒業後日本に帰って来ても、どうしても犬の死を実感できなくて「悲しい」という気持ちを持て余していました。

そして、帰国後3ヶ月ほど経ったころ、こたつでウトウトとしていた時のことです。
何やら、ふんふんと押し付ける冷たい鼻面と、ぺろぺろ顎を舐める懐かしい感触が。
(あ、●●だ)と思い、嬉しくなって夢うつつのまま、生前は私が嫌がってさせてやらなかった顔舐めを思う存分させ、布団にもそもそと潜り込んでくるその体を抱えて、ぬくぬくと、そのまま眠りました。
願望が見せた夢だったのかもしれないけど、起きた後もその時の感覚は鮮明で、体の匂いや温もりが確かだった分だけ
「ああ、もうあのコはいないんだな」という
気持ちが湧いてきて、やっとその時、犬のために泣くことが出来たんです。
死に目にあえなかった私の為にも、ちゃんとお別れを言いに来てくれたのかな、と。

それから6年経って、我が家もそろそろ、また新しい犬を飼おうかと相談しています。
このコの印象がまだ強くて、なかなか次のコを決めかねてるのが現状ですが(笑)。
でもお母さん、寂しいのは分かるけど、もういい加減お骨、埋めてあげようね(苦笑)。

 

 

小さな足音

私の実家で19年飼っていた三毛猫が つい数カ月前亡くなりました。
その数日後、寝ていた妹が、生まれて初めての金縛りに遭いました。
身動きできない彼女の横に近づいてくる小さな足音は猫が、お布団の中に潜り込もうと近寄ってくる時のものだったそうです。

その後もしばらく、食卓から「とん」と飛び下りる音が聞こえたそうです。
未だに人間様のおかずを狙っているのか(^^;)

 

 

大往生

私のところにも来てくれた。農場の屋外猫ピエール。藪睨みで不細工で毛皮もごわごわだったが、喧嘩だけは強く、餌をやっていた私には良く懐いていてくれた。
ピエールが十八になった頃、朝目が覚めるとカーテンもひいていない寝室の窓の外から中を覗きこんでいるピエールの姿が見えた。
私と目が合うと、そのままくるりと背を向け、家の裏側の丘の斜面をゆっくりと上っていった。背筋をぴんとのばして。
新緑の中。
「また狩りに出るのかな」と私は無邪気に思ったものだった。

だが、台所に行くと、床の上で毛布にくるまって死んでいるピエールの姿があった。
前の晩、喧嘩に負け、かなりぼろぼろの状態になったピエールが玄関前でぐったりしているのを見つけて私が台所に連れて入ったのだった。
朝一番で獣医に連れていってやることを心の中で約束しながら。
十八なのでそれこそ大往生だが、今でも忘れない。窓の外のあの凛とした表情。
あの最期の瞬間だけは、ピエールがこの上なくハンサムで美しい猫に見えた。
お別れを言いに来てくれたことが今でも嬉しくてならない。
一緒に寝ていた主人のことは待っていてくれなかったから
(後でかなり落ち込んでいたが)。

 

 

おじいちゃんの梅の木

父方のおじいちゃんの話。
2年くらい病院で寝たきりでした。数多い孫の中でも一人で見舞いに行ってたのは、初内孫の私だけでした。
「不器用で愛情表現のへたな人だった」っておばさん(娘)連中は言うけど、私はホントに可愛がってくれました。(他の孫がねたむくらい…)

おじいちゃんが亡くなって、自宅で葬儀の準備をしていた時、おじが
「受付のテントを張るのが邪魔だ」
と言って、おじいちゃんが植えた梅の木を勝手に切ってしまいました。「どうせ枯れ木だ」とか言って。
(梅の木って植えた人と寿命が一緒だそうですね。
その頃はもう、ホント枯れかかっていました)
買い物に行っていて私は留守でした。私がその木を大事にしてるのはみんな知ってました。
おじいちゃんの植えた木だったから…
泣きました。大泣きして、おじが許せなくて、でも文句も言えなくて、ひたすら泣きました。

その夜、おじいちゃんが私の部屋に来ました。
私の部屋は玄関を入ってすぐの所ですが、部屋の入り口に立って、もと梅ノ木があった方を向いて立っていました。
生前と同じ、大島紬のいい着物を着て(おしゃれさんだったんです、おじいちゃんて)
なんだか寂しそうに、無言で立っていました。葬儀の前日で、親戚が沢山うちに泊まっていた関係で、部屋には妹や母も寝ていましたが
気付いたのは私だけでした。
悲しかったけど、おじいちゃんが来てくれて嬉しかったなぁ…。
「あ、おじいちゃんも切って欲しくなかったんだ」
って分かっただけでも、なんだか嬉しかった。
その後、その切った張本人は、おじいちゃんの娘の婿の癖に「遺産分割しろ!」で大騒ぎ。
直後、会社をリストラされたそうです。
…おじいちゃん、手ぬるいよ(笑)

 

 

生まれることのなかった青年

初めての子は流産でした。
妊娠が判った時は喜び、いつみんなに教えようか、どんな子に育てようかなどと夢ばかり語る日々でその事は起きました。
夫婦共に落ち込み、何がいけなかったか悔やんでばかりいました。
その子を生んで上げられなかった事を申し訳なく思ってました。

1年程過ぎ、妻が妊娠したことが判りました。
ただ前の様に喜べず、『もし、まただめだったらどうしよう。』そんな事ばかり思い悩む妻に対し大丈夫としか言えず、日々悶々と暮らしていました。

妊娠が判ってから3日目の夜、夢の中で一人の青年が一人の子供と手をつないで立っていました。
訳が判らず、青年の顔をじっと見ていると不思議と懐かしい気がしてきました。

私 『お前は、この前の生まれなかった..』
青年『はい。○○○と言います。』
(ここの名前忘れました。(^_^;
私 『名前があるのか?』
青年『はい。こちらにきたので名前をつけてもらいました。
ごめんなさい。』
私 『いや、それより』
(20歳位になってかなりいい男になったのを関心し、
私はその青年の横にいる、2歳位の子供が気になり出した)
私 『その子は..』
青年『今度、お父さんとあ母さんに生まれる子です。
名前はお父さんがつけて下さい。』
私 『女、いや、男の子か。』
青年『はい。そんなに心配しないで下さい。
今度は僕が守っていますから大丈夫です。』

ここで夢から覚めました。
実感があり、また、疲れてもいない夢は初めてでした。
妻は寝ていたのでこの事は翌朝教えました。
この前の流産だった子が元気(?)でいた事、そして今度の子を守ってくれると言う事。
妻はこの話を信じ、不安もなくなった様です。
(妻に後日聞くと、嘘か本当か別にして守ってくれているものがあるという事で不安が無くなったと言ってました。)

現在息子は3歳になり元気です。
夢に出てきた時の姿がそっくりなので今だにあの青年が息子を守っているのだと信じています。
これを守護霊と呼んで良いのか判りませんが
(私たち夫婦は『お兄ちゃん』と呼んでます。)

 

 

死者の安らぎ

高校の頃からの友人が不慮の事故でこの世を去りました。
突然の事でご家族もショックを受けておられて、私も他の友人達も、死後一月近く経って訃報を聞くこととなりました。

共通の友人達と都合を合わせて弔問に伺うようにしたため、訃報を知ってから友人の家を訪れるまでに2週間ほど時間があったのですが、その間全く友人が夢に現れることはありませんでした。
訃報を受けるまでの間も特に彼女が夢に現れることもなかったので、「せめて夢にくらい出ておいでよ・・・」と思ってました。

しかし、実際に弔問に伺った時に聞いたんですが、ご家族の方も誰一人として、(死後以降に)友人が夢に現れる事が無かったんだそうです。(一緒に弔問に行った友人も同様だったそうです。)

ご家族の方がお坊さんに、「娘さんが夢に出ますか?」と聞かれて
「家族で誰も夢に見ない」と答えたところ、「それは良かったですね」
と言われたそうです。
そのお坊さんによると、
『死者が夢に立つ』=『死者が現世に何らかの心残りがある』という状態だそうで、亡くなった方が生者の夢に現れないというのは、死者は思い残す事なく、非常に心安らいだ状態にある事の現れなんだそうです。

その話を聞いて、私もとても慰められたのを覚えてます。
友人を亡くすまでは、
「死者が安らいでいると思えば、遺族の心も慰められる」なんてのは正直いってただの欺瞞だと思っていたのですが、決してそうではないという事を身をもって知った気がします。

 

 

幼い頃に両親を亡くした父は、姉がずうっと彼にとっての母親のようなものでした。
戦争中に二人して結核を患い、供に病魔に苦しみ、克服してきたようです。
弟を育てる事で手一杯だった姉は、婚期を逃し、ずうっと独身でした。
弟のほうは結婚して、子供、つまりは私ができました。
病魔も完全には完治していなかったようで、姉・弟供に後遺症にいつも悩まされる日々でした。
こんな状況の中、ずうっと一人でいた姉の方はだんだん精神のほうがすさんでいって、その腹いせに弟の妻をいびるようになっていきました。
それでも弟の妻は、病みながら一人暮らしを続けるのは何かと問題があるから、同居して幸せに暮らそうと進言しましたが、姉のほうは意固地にも拒否し続けました。
弟が突然体調を壊し、入院することになり、それで手一杯だった弟の妻は1週間ほど姉と連絡がとれないままでした。
そして、彼女の家を訪れると炬燵の中でこときれている姉を発見しました。
死んでちょうど1週間が過ぎていて、炬燵の中にあった足はすでに腐乱が始まっていました。

入院中の弟に、妻が姉の死を伝えると無言で肩を震わせながら、何時間にもわたって泣いていたそうです。
とはいえ、なんとか気力をとりもどした弟は、
それでも病魔を克服して生きていこうとしていました。

弟は日記をいつもつけていましたが、
病気が進むにつれペンもまともにもてないようになりました。
満足に字がかけない状況でも、弟は日記を書きつづけました。
そしてとある夜のこと……。
震える手で刻まれた日記には、
”姉の気配”

そして翌日弟は亡くなりました。

姉がなにがなんでも、弟を呼び寄せたかったんだろうな、と思っています。

 

 

なくしたはずの鍵

一昨年前、兄が自転車の鍵をなくして、駅に自転車を置きっぱなしに
してた時期がありました。
その頃、祖父は危篤状態で兄は毎日病院にお見舞いに行ってました。
ある日、自転車の鍵がGパンのポケットから見つかって
「毎日の様に穿いてるから気付かないわけはないはず」
と思って帰宅したところ丁度病院から祖父が亡くなったとの電話が・・・。
兄は「気に入ってた自転車だし、早く帰れって鍵くれたのかもな」
なんて言ってます。

 

 

犬好き

小2の時から飼っていたシェトランドシープドッグ。本当に可愛かった。私も子供だったから、いつも一緒に遊んでた。散歩したり、ブラシかけたりするのは幼い私の役目だった。
話は8年後に飛ぶ。犬はフィラリアに冒されて、かなりひどい状態だった。高校生になっていた私はその頃、あんまり犬を構ってやれていなかった。それでも気が向いてブラシを取り出して見せると、力の入らない尻尾を懸命にバタつかせて喜んでくれた。
ごしごしブラシするのに耐えられるような体調じゃなかったんだけど。
数日後、いよいよ衰えてきたので獣医に入院させた。医者が言うには「まだ大丈夫」。
でも翌日学校から帰ったら、犬が死んだとの連絡が入ってた。狭苦しい檻に入れられて血を吐いて死んでいた。医者は煙草を吸いながら「まさかと思ったんですが」などとにやにやしていた。
夜、部屋に戻って一人で泣いた。犬なんか2度と飼わないと思った。

3ヶ月ほどたった日曜日。月に一度の恒例で、家族と動物霊園に墓参りに行った。
帰りがけ、母がペットショップを見つけ、寄ってみようと言い出した。察するに、すっかり元気をなくしてた私を見かねていたんだろう。
「見るだけ、絶対に買わない」と言うので、渋っていた私も車を降りた。
いろんな犬がいた。父も母も犬好きだから見ると買いたくなる。
「この子がいいねえ」
などと、前の犬と同じシェトランドシープドッグを物色している。それに冷たい視線を投げていた私だったが、なぜか1匹の仔犬が気になった。
前の犬とは似ても似つかぬ真っ黒なコリー。檻越しに指を舐めてくる。だいぶ大きくなっているから…と店員は他の犬を薦めたが、私はコイツをどうしても飼いたくなってしまった。
反対していた両親も、私が気に入っているなら、と最後には折れた。
1ヶ月ほどして、新しい犬の血統書が届いた。誕生日の欄を見て、目を疑った。
1983年2月22日。前の犬が死んだのと、同じ日だった。
単なる偶然なんだろう。でも、ついでに言うとその日は、母の誕生日でもあったんだが。

その犬は7年後に死んだ。その時もちょっと不思議なことがあったんだが、それはまたいずれ。

 

 

逢いに来たおばあちゃん

10年前の秋の日の夜明け前、母方の祖母が脳卒中で静かに亡くなりました。
少しぼけて足腰が弱ってきてはいたものの、前日は好きな散歩をできるくらい元気で、本当に突然の死で、家族は同じ屋根の下で一緒に暮らしていたというのに、誰一人死に目にあうことができませんでした。
せめてもの救いは、祖母は苦しまず眠ったように亡くなったということです。
悲しくて悔しくてたくさん泣いたけれど、それでも生きている人間の時間は流れていて、徐々に毎日の生活の中では祖母がいないことを忘れているようになりました。
祖母が死んで調度2ヶ月経った月命日の日、その日は家を出ていた姉も帰っており、夕食の後、家族が茶の間に集まっていました。私も途中までその場にいたのですが、疲れていたので先に2階の自室で休みました。
身体は疲れて動きたくないけれど、意識ははっきりしている状態で目をつむり、ベッドに横たわっていると、部屋の襖が少し、人が中を覗けるくらい開き、そこから誰かの視線を感じました。
その夜は姉が私の部屋で寝ることになっていたので、姉が来たのだと思ったのですが、面倒だったのでそのまま無言で寝ているふりをしていました。
数秒経ったのか数分経ったのか、その視線がふと途切れたのを感じました。
その直後、階下から姉の声が。
ここでおかしなことに気付きました。視線が途切れた後、廊下を歩く音も階段を下りる音もしなかったのです。
目を開け襖の方を見ると、20cm程開いていました。
この時恐いという気持ちは全く湧いてこず、すぐに祖母が来たのだと思い、ほかほかと嬉しい気持ちが広がり、そのまま眠りにつきました。

後日この話を母にすると、兄の体験を話してくれました。
兄は通夜の晩から誰かに呼ばれたと思い振り返ると、誰もそこにはいないという事が何度かあったそうです。
そして私の部屋の隣にある兄の部屋の扉も20・程開いて、誰かがいるような気配がする事が数回あったといいます。
唯物論者で現実主義で、幽霊など鼻で笑う、けど嘘をつく人ではない、そういう兄が真顔で母に「おばあちゃんが来た」と語ったそうです。
もしかして足腰が弱って2階に上がれず、孫の部屋を見る事がなかった祖母が、身体という重りが無くなったので、遠慮がちに2階散策に来たのでしょうか。
せっかくだったら遠慮せずに部屋に入ってきて、話しかけてくれたらよかったのにと思うと残念です。
話す事ができていたら、甘えたり優しく出来なくて後悔していると詫びて、死の瞬間そばにいたかったし、そばにいる事ができず本当に悔しいと伝えたかったです。

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