心霊ちょっといい話『最後のメール』など短編全5話

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心霊ちょっといい話『最後のメール』など短編全5話 不思議な話
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元号が昭和から平成に変わろうとしてた頃の話です。
当時私は二十代半ば、彼女も同じ年でした。
付き合おうかどうかという時期に彼女から私に涙ながらに電話・・・
「結婚は出来ない体だから付き合えない・・・」
夜中でしたが気になるので彼女に会いにいきました。そして彼女から
「一度乳癌の手術をしているから・・・片胸が無いの・・・私」
私「・・・・・・・・・・でも、・・・それは僕にとっては結婚出来ないという条件ではないよ・・・」と、
私も彼女が好きでしたし実際片腕片足が無くとも好きな人は好きになる(例えがわるくてすみません)性格でしたから。
そうこうしている内にお互いが一緒に住むようになりました。が、幸せ気分も束の間で、彼女の肺に転移しているかも知れないという検査の連絡が入ってしまいました。
急遽入院で、後は検査の連続で(肺への内視鏡検査はつらかったそうです)二週間が過ぎた頃です。
見舞い時間が過ぎて帰りがけに彼女が「左の足が少し引きずって歩いているみたい」というので、「症状を先生に話してみるね」といって帰りました。次の日、先生に報告すると、「・・・明日、頭を検査」と、・・・私は当時何もしらない馬鹿者でしたが「足」→「頭の検査」でびっくりしたのを忘れられません。
検査した夜、CTスキャンの結果を聞きに行かなくてはならなかったのですが、彼女には「大丈夫だよ、大した事無いって」といいながら震えながら病院の応接室に入って行きました。
先生は若い方で私達を真剣に励ましてくれる方でした。その先生も現状が悔しかったらしく第一声が「どうしようも・・・」と、少し涙を浮かべながら話してくれました。やはり脳内にも転移していたんですが「癌細胞の成長が早くて周りの脳を圧迫しながら進んでいる、摘出したいが周りが柔らかくなっている
ので、今の医学では不可能なんだ・・・」

 

私はもうぼろぼろに泣いていましたが勇気を出して「どれくらい持ちますか?」と、聞きました。
入院はしているものの彼女はとても元気で見るだけでは病人とは思えなかったのですが、先生いわく「何もしなければ2ヶ月、延命処置を取れば半年だろう」とおっしゃいました。涙ながらにです。
私「治療しても半年??」先生「治療とは言えない、延命処置だ・・」
その方法とは放射線治療の事で、激しい嘔吐や脱毛、目まいを伴うものです。私は考えました。
考えましたがとてもその場では判断出来る物ではありません。せめて余命2年とかであれば抜けた髪も生え揃うであろう。でも、半年なんて、    次の日、先生に外泊許可を得て自宅に帰る二人が居ました。
その夜、彼女のほうから「検査の結果、聞かせて・・・うそは無しで・・・」と、言われ、私は言葉に詰りそうになりながらも彼女を信じ、正直にすべてを伝えました。この瞬間が今までの人生で(未だに)辛かった時です。言葉は省略させて頂きますが、二人ともぼろぼろに泣きながら、でも、特に彼女は強く理解して残された人生をどう生きるか、決断をしました。「退院して、少しでも楽しもう!」
翌々日、病院に帰り、先生に二人の考えを伝えたところ、「頑張れよ!負けるなよ!」と励ましていただき2日後に退院しました。その後すぐに旅行社に行き、新婚旅行の手配と、「結婚しました」の葉書を作り、友人一同に送り、(彼女が病気だとは誰一人知らない)みんなで祝ってもらいました。
余命2ヶ月と言われながらも彼女は本当に頑張り、退院4ヶ月後の「花の博覧会」にも(車椅子生活になりはしましたが)行く事が出来、喜んでくれました。
しかし、病気は確実に進行し、まもなく自宅療養が不可能な状態になり、再入院、雨の降りしきるある晩に意識不明になり、翌朝私の腕枕の中で帰らぬ人となりました。
恥ずかしいながら、15年近くたった今、「彼女のすべての強さ」に、私は追いつくことが出来て居ません。

 

前置きが長すぎるんですが、二人同居を始めた頃に銀行の口座の暗証番号やらもろもろの番号を統一しようと、二人の誕生日をたした「○△◇■」を決めて生活していたんですが、彼女が亡くなってしまって、暫らくした頃に、公的な機関への書類提出で、死亡診断書が必要になり、病院で2通取ったんです。
で、内1通がなぜか開封状態で手元に来たもので、見てしまったんです。死亡原因、病名云々のなかに眼に留まった死亡時刻、   平成*年*月*日  ○△:◇■分・・・・・・・・
二人で決めた暗証番号が並んでいました。きっと本当の偶然でしょうけれども、私は「忘れないでね!」と、彼女が言ってると今でも思っています。勿論死ぬまで忘れる事は無いでしょう。

ここを見ている若い女性の方々、是非、健康管理には気を使ってください。若くても大病はするかもしれません。
同じく、彼女、もしくは奥様が居られる男性の方々、パートナーの健康に気を付けてあげて下さい。
どんな病気でも「早期発見、早期治療」が第一です。私は彼女を救ってあげれませんでした。

しかし、今ここを見ている人たちは万が一なにかあった時、きっとパートナーを救えます。見落としが無い様にお互い注意してあげてくださいね。

 

彼女の家族の事が出ていましたので一つだけ追記させて頂きます。
小さい頃に彼女はお母さんと生き別れになっていたんですが、生前に一言だけ私に、「私、この病気を治したらやりたい事が一つだけある。
お母さんを探すの、手伝ってくれる?」「勿論」
当時、私の持てる知識いっぱいいっぱいで探したところ、見つかったんです。
彼女の他界する一週間前だったんですが、お母さんは遠路はるばる、本当に遠い所から逢いに来てくれました。そして最後の瞬間までそばに居てくれました。
当時別の家庭と生活があったにも関わらず私の呼びかけに答えてくれたお母さん、この場を借りて感謝申し上げます。って、見てませんよね・・
これ以上書いてしまうと、個人が特定されそうなので、控えますが、偶然にも見つける事が出来たお母さんといい、死亡時刻の4桁の数字といい、神がかり的な事ってありますね。

 

 

最後のメール

 

去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。
私の一生の保護メールです。

「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」

 

 

約束

 

中学の時、初めて親友と呼べる人に出会った。
その友人が、去年、歩道を歩いている所、暴走車に突っ込まれ他界した。
実家に帰り、通夜を済ませた後、父と茶の間でぼーっとしてたら窓ガラスをドンドン何度も叩かれた。
びっくりした父が、確かめに行ったが誰もいない。
その時、ある事を思い出し、親の前にも関わらず号泣してしまった。
怖い話が昔から好きだった私は、ある本で 「おじと、幽霊がいるか実験しようという事になり、どちらかが先に死んだら
生きてる方の家の窓ガラスをドンドン叩くという約束をした。
おじの葬式の日、私の家の窓ガラスがドンドンと一晩中叩かれていた。」
というのを読み、彼女と数人の友人達と「これやろう!」と約束していた。
その時の友人と通夜で会った時この話しをしたが、二十歳になってもみんな何となしに覚えていた。

「でも、あいつの事だから忘れてるよ」なんて言ってたのに。
律儀な奴だよ。みんなが、あんたを殺されたと、怒り、憎みまくってる時に。
ありがとう。
死にて~とか思う時もあるけど、自分で死なずとも、いつかお迎えは来るし。
仕事して、ガキでも産んで、のんびり生きてみようと思う。
友達になってくれて!ありがとう

 

 

最後の挨拶

 

会社で結構いい上司の人がいた。もう転勤していなくなって10年にもなる。
しばらく前に突然夢に出てきて昔みたいにばか話して、最後「じゃーな」っていってしまった。

2日ぐらいして、癌で死んだって聞いた。おれに会いにきたんだな。なんかうれしいような・・・(合掌)

じいちゃんが亡くなる前日、じいちゃんが、私の家にあらわれた(と思う)テレビを見てたら、視線の端に白い着物が立ってた。
下半身しか見えなかったし、足ももやがかかってたからなかったとおもう。
「あ、おじいちゃんが来たなあ」て思いました。
次の日に、おじいちゃんがなくなりました。
おじいちゃんとは、年二回おじいちゃんの家に帰る以外特別交流はなかったけど、不肖の孫の顔、間際に見に来たのかな?

 

 

気配

 

俺は霊感がまったくないから、どうしても人から聞いた話になる。
これは俺の母から聞いた話。

ふた昔ほど前、俺は保育園に通ってた。ちょいと遠い保育園。
ガキ1人じゃ危なっかしいから、母が自転車の補助席に俺を乗せて、朝な夕な家と保育園を往復してくれてた。
道の途中にかなり急で長い坂があって、そこでは自転車を降りて、えっちらおっちら押して進んでくれた。

ある朝、母はその坂の途中で妙な気配を感じた。
いや、人の気配がするのは当たり前なんだ。だってすぐ後ろに俺が乗ってるんだから。
でも、それとは別に、誰かが自転車の後をつけてきてる。
振り向いても、誰もいない。一直線にのびた坂の上に、動くものは俺と母しかいなかった。
ちょっと進むと、また誰かがついてきてる。
振り向いても、やっぱり誰もいない。
母は首をかしげながら、俺を保育園にとどけて帰った。

家に帰ると電話が鳴っていた。
ほんの数分前に自分の父親、つまり俺の祖父が
息を引き取ったという知らせだった。

あの気配はおじいちゃんだったのかな、と母は俺に話した。

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