心霊ちょっといい話『マラソンランナーの霊』など短編全10話

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心霊ちょっといい話『マラソンランナーの霊』など短編全10話 不思議な話
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後悔はない

 

俺が中学の時の話。

俺は河原を知らない男の人と歩いていた。
その河原は灰色の漬け物石みたいな石がごろごろしていて、草一本生えて無いなんともまぁ無機質な所で。
しばらく歩くと岩山みたいなのがあって、そこには真っ赤な鳥居があったんだよ。
その鳥居をくぐって岩山を登ると、その河原の周りが一望できた。
でも川が一本流れてる以外、やっぱり何もない。
暫くぼーっとしてると、川の向こうで誰かが手を振ってきたんだよ。
良く見たら、俺の母親なのね。
両手を挙げて笑顔で手を振ってるの。俺も手を振り返した。
そこで目が覚めた。
で、周りを見回して状況を把握したんだよ。
その時は母親の通夜2日目の最中で、俺はお線香の火の番をしてたんだって・・・。

その時は周りの大人たちは母親の事を「若くして亡くなった可哀想な人」だとか、、
俺の事も「受験の目前に母親を無くした可哀想な子供」とか言って、兎に角「不幸な人」ってのに祭り上げちゃってくれてさ、それがすごい嫌だったのね。
だけどその夢の中の母親の笑顔を思い出したらさ、そりゃ未練はあっただろうけど「後悔はない!」って表情だった気がしたんだ。
確かに若くして亡くなったのは悲しい出来事で不幸な事だけど、決して今まで母親が生きて来た人生は「不幸」の一言でで片付けられるものじゃないし、俺も悲しんでるんじゃなくて、母親の死も乗り越えて強く生きてる方がきっと嬉しいんだろうな~って悟った。

「ただの夢だろ?」って言われたらそれまでだけど、それを機に俺は精神的に強くなれた気がするよ。

 

 

一喝

 

一昨日祖父の葬式がありました。
その前の日のお通夜のとき、親戚の人たちが集まる中、線香の火をつけようとしても湿っているわけでもなくなかなか火が付かず、新しいのに変えても全くダメでした。

そのとき祖母が「たぶんじいさんはまだこの世にいたいんだ。」
(線香は俗世間の臭い匂いを消すためのものだからだそうです)
といって、いきなり大声で、
「こら!さっさと仏さんに会って来い。わしもすぐ行くから。」
と怒鳴ったところ、それから線香の火が嘘のように簡単に点りました。
頑固で私には怖いじいちゃんでしたけど、ばあちゃんにはいつも弱くて、きっと寂しがって意地悪心だと思います。
でも、ばあちゃんの一喝が応えたんでしょうね。
おじいちゃんらしいと思いました。

 

 

最後の説教

 

火曜日に、母方の祖母が亡くなりました。
だんだんと体中が麻痺してゆく病気で、ここ2,3年はベッドから降りることも喋ることもできなくなっていました。

通夜の晩、大叔母(祖母の妹)が棺の窓から自分の姉の顔を見つめながら、

「姉ちゃんの急変した前の日ってね、母ちゃんの命日だったんだよ。……もしかしたら、母ちゃんが『もう苦しまなくてもいいよ』って呼んだんじゃないかねぇ……」と。

私は、7ヶ月ほど前に亡くなった祖父が呼んだのでは、とも思っています。
祖父は元気な人でしたが、季節柄ひいた風邪がこじれて肺炎で急死。
じつは若い頃の祖父は、家の金をありったけ酒につぎこむような酒乱で、母や姉弟、祖母に暴力をふるう人だったそうですが、アル中で足腰が立たなくなり、リハビリのために入院したここ10年ほどは、
「婆さん元気かな?会ったらよろしく言っといてくれ」
とよく別の病院に入院していた祖母のことを気遣っておりました。
祖母もまだ喋れた頃には、その言葉を伝えるたびに照れたような笑みで、「そんなこと言ってたかい」って。
ショックを受けてはいけないと、祖母には祖父の死を知らせていなかったのですが、見舞いに行った私たちの雰囲気で察してしまっていたかもしれません。
祖母を良く知る人たちも、
「一人で年を越すのはイヤだったんだろうねぇ……」
涙が出ました。

 

翌日の告別式には、私は仕事で出られなかったので以下は母から聞いた話です。

先ほど出てきた大叔母、祖母の兄弟の中で唯一ボケの症状のないしっかりした人で、亡くなった日の晩と通夜の晩、二晩続けて寝ずの線香番をかって出ていたのだそうです。

身近な親族だけが聖苑に泊り込んで、迎えた告別式の朝。
やってきたのは祖母の長男である叔父でした。
この叔父、そこそこ資産家の一人娘を嫁に取ったはいいけれど、向こうのお義父さんから「こっちへきて家を継いでくれ」と言われ、当時通っていた会社にも何の連絡もせずに夜逃げ同然で嫁さんの家へ越してしまった無責任な人です。
向こうの実家はここからかなり遠く、叔父も祖父母の入院中、見舞いに来たことは一度もありません。

その叔父の顔を見るなり、椅子に突っ伏して泣き出す大叔母。
叔父を目の前に据えて、泣きながら説教し、掻き口説くこと数十分。
……突然。
大叔母が立ち上がり、きょろきょろしたかと思うと、
「ここはどこ?なんでこんなとこ、あたしおるん?」
「どうして姉ちゃんの写真、あんなふうに飾ってあんの?」
フラフラと椅子の間を歩き回り、そしていきなり半狂乱で暴れだし……。
あわてて彼女の息子たちが取りおさえ、落ち着くまで自宅で休ませることに。
呆然とする叔父。固まる親族。

結局、一時間後に正気に返った大叔母いわく、
「いや~、ホントに何にも覚えてないんよ(困惑)」
自分が泣きながら説教したことも、突然あばれだしたことも記憶にないそうです。
極度の睡眠不足と、姉の死という大きなストレス。それに加えて親不孝息子の出現。
これがスイッチになって、どっかプチッとキレたんでしょうね。
ただ、うちの母が言うことには、
「お婆ちゃんが自分の妹の体を借りて、あのバカ息子に対して最期のお灸を据えに戻ってきたのかもね」

私も気をつけます……。

 

 

マラソンランナーの霊

 

ある大学の寮では毎年決まった時期になると、寮内を部屋から部屋へと走り抜けるマラソンランナーの霊が出ていた。
何故出てくるのか誰もわからず、除霊もできずにいたそうなのだが、ある年の新入生が、そのランナーの霊がいつも一番最後に通り過ぎる部屋に、ゴールテープを張って待ち構えていたところ、案の定やってきた霊が、そのテープを切って見事ゴール。
霊はとても嬉しそうに微笑んで消えた。
その後そのランナーは現れなかったそうだ。

 

 

胸騒ぎ

 

今からちょうど10年前のことでした。
東京で一人暮しをしていたのですが、突然、田舎に帰らなければいけないような気がしてきたのです。
その年は田舎に帰らないつもりだったのですが、どうしても、どうしても帰らなければならないという気持ちがふつふつと心の中に湧き上がってくるのでした。
田舎に帰る電車に乗っているとき、何で帰らなきゃいけないのだろうと何度も考えたのですが、まったく理由が解りませんでした。
しかし、実家に着いたときに理由がはっきりと解りました。
実家の飼い犬が、げいげい吐いて、ひどく衰弱していたのです。
私は動物病院に飼い犬を連れていったのですが、獣医さんに

「中毒のようで、助かるかどうかはわからない。解毒剤と栄養剤を打っておくけど、今日の夜が山ですね。」

といわれました。
幸い、その後、犬は回復して元気になりました。
犬にも守護霊がいて、私を呼んだのかなあと思いました。
実家の人たちは病状が深刻になっていると解らなかったようですから。

 

 

父の気配

 

霊やUFOが見えるという知り合いがいたのですが、その人がお正月に、リビングの机の上に数年前に亡くなったお父さんの為にお父さんの好物だった「なます」を置いて、ソファでウトウトしていたら開けるのにかなりの力が要る裏口のドアが、突然バーンと音がして開いたそうです。
誰が来たのか、とかなり驚いたそうですが、自分の体が動かない。

ドアの方から誰かが来ているような気配。
そのうち、気配がリビングに入って来ました。
姿は見えないけれど、その気配はお父さんです。
リビングに飾ってある子供達や家族の写真を見ている様子で何か言っているよう・・・・。相変わらず彼女は体が動かない。
1、2分してお父さんはいなくなったそうです。

知り合いは淡々と続け、

「声が聞こえて姿が見えないというのは、ほとんど成仏しているという事なのよ」

と言いました。
とっても不思議な気持ちになり、別の友達にこの話をすると

「よかったね、声が聞こえて姿が見えないという事は、そのお父さんは成仏しているのね。」

との同じ内容の返事が・・・。
わかっている人達には、亡くなった人の現在の状態がわかるのですね。

亡くなった人が無事に成仏するためにちゃんと供養しないと、と反省した出来事でした。

 

 

消えた朝食

 

たしか、土曜日の朝だった。遅く起きた姉が自分の朝食の支度をしてさあ食べようとしたところに、病院から電話がかかってきた。
長く入院していた祖父がいよいよだから、すぐ来てくれと。
あわてて親族一同が駆けつけ見守る中、祖父は大往生を遂げた。

その後は、御存知の方は御存知のようにたいへんな忙しさで、なきがらを家に連れてきたり告別式の手配をしたり通夜の支度をしたり。
一段落ついたところで、姉はようやく気づいた。
「あたしが作った朝ごはん、どこ?なんでなくなってるの?」

別に食い意地が張ってたから気になるわけではなく(w、
あったはずの朝食が消えてるのは純粋に不思議だ。
「おじいちゃんの魂が家に帰ってきたとき、おなか減ってて食べちゃったんだよ。
よかった、ごはん用意しておいてあって」
かなりあとになるまで、姉はそう思っていたらしい。

ごめん姉ちゃん。それ食ったの俺なんだ・・・

 

 

 

30歳の若さで亡くなった従兄弟のお兄ちゃんの1周忌の法事でのこと。
お墓の前に親族みんな集まって、お経をあげてもらっていたら、晴れていたはずの空からぱらぱら雨が…
「嬉しくて泣いてるんだねえ」と口々に言い合っていました。

私は霊感とか全然ないのでお兄ちゃんの言いたい事も解ってあげられないので、そういう力が欲しいなぁと思ったです。
(あったらあったで、いろいろ大変なんでしょうけど…)

 

 

じいちゃんの声

 

それは就職第一志望の最終面接の日。
すんごい大事な日なのに、朝、寝ボケて目覚まし止めてまた寝てしまった。
その30分後くらいかな、2ヶ月前くらいに亡くなったおじいちゃんの声が聞こえたような気がして、目が覚めました。
おじいちゃんは私の就職のこと心配してくれていたから起こしにきてくれたんだなー。遅刻してたら絶対落ちてたはずだし。
おかげで、無事最終面接には間に合い、内定ももらえました。
おじいちゃんありがとう。

 

 

お袋の感謝

 

俺が大学生だった頃の話です。

念願の志望校に入学したけど、何か自分の道が見いだせなくて、ほとんどバイトに明け暮れ授業なんか全然受けてなかった。
ある日、本屋で立ち読みしてると、海外語学留学というのが、突然目にとまって、英語なんか全然興味なかったし、喋る事も出来なかったけど、何故かその時「これだ!」と思って、早速家に帰ってその日の夜、

「俺、とりあえず大学休学して留学するわ」って両親に相談というより宣言したら、オヤジは反対したけど、オフクロは何故か「一回きりの人生だから好きにしなさい」と、すんなり賛成してくれた。
それから、俺はあっちこっちで色々情報をかき集めて留学の準備を進めていた。
そして、いよいよ来週留学だという時になってオフクロが検査入院する事になった。
実はオフクロは俺が高校生だった頃に子宮ガンで全摘出手術を受けていたが、主治医曰く、手術後、5年以内に再発しなければ完治したと思って大丈夫と言ってくれていて、既に手術してから4年が経とうとしていた。
で、以前から検査する為に1~2週間の検査入院はよくある事なので、
オフクロも「入院しちゃう事になったので、お母さんは空港までは見送る事出来ないね」と言うので、
「空港行く前病院よるから、心配しなくていいよ」といったような話をている間にいよいよ留学する日が来た。
朝10時の便だったので、病院には朝7時半に行った。
通常なら面会時間では無いので会えないのだけど、看護婦さんに頼んで病室に入れてもらって、
30分ぐらい話して、そろそろ時間だから行くわ、というとお袋が「餞別ね!」といって枕元に隠してた包みをくれた。
1年間会えないと思うと名残惜しかったが、「退院して、暖かくなったら遊びにおいでよ」という約束もしてたの笑って病室を後にした。
空港までのバスの中でオフクロから貰った包みを開けると、腕時計と手紙が入っていた。
手紙はリュックにしまい、時計を腕にはめた。

 

海外の生活にも馴れ、全く出来なかった英語もなんとか普通に喋れるようになって、
「退院したなら、こっちに遊びにおいでよ」、とかいうやり取りを手紙や電話で何度かしたのだけど、
その度に「うん、もうちょっと調子よくなってからね。」という返事しか返ってこなかった。
でも、信じていた。いつかはオフクロとオヤジとアネでこっちに来ると。その為に何処に連れて行こうか観光スポットのプランまで練ってたね、俺は。

で、それから後2ヶ月で1年が経とうとしたある日。
ずっとしてたオフクロに貰った時計が突然止まった。その時は別に明日にでも電池交換に行こう程度に思った程度だったのだけど。
次の日、突然家(借りていたアパート)の電話が鳴った。
でると、オヤジからだった。「お母さんの容態が急に悪化したので、至急帰って来い」と。
俺は頭が混乱して何か状況が全く掴めないまま、飛行機を予約して大急ぎで帰国した。
到着し空港から大急ぎで病院に向かい、看護婦詰所に行った。
夜だったので看護婦さんは窓口におらず奥まで聞こえるように大声で、

「○○の息子ですけど、母親は何号室ですか」と聞くと、看護婦さん達は顔を見合わせた後、

「ご存知ないんですか....、昨日の夜、亡くなりましたけど...」
「はっ?いや、○○の息子ですよ」
「ですから、○○さんは昨日お亡くなりになりました...」

その意味が素直に飲み込めなくて、病院の電話借りて家に電話してみた。
きっと、オフクロが電話にでてくれると思って、いや、そう信じて..。しかし「只今、留守にしております・・・・・」。
正直、パニクった。当時、携帯なんか存在しないから、オフクロはおろか、家族の誰とも連絡とれない。
看護婦さんに頼んで、何処にいるか調べて貰うと、葬儀会館の電話番号を教えてくれた。
電話するとアネが電話に出たので、状況は依然ワカラナイまま、病院まで迎えに来てもらった。
葬儀会館についてオフクロの棺開けて顔見たけど、不思議と悲しいという感情は湧かなかった。
たぶん、状況が飲み込めなかったんだと思う。

 

で、2日後やはり状況が上手く飲み込めないまま、葬儀も終わり灰になったオフクロの骨壷見た瞬間、この世から形が無くなったと思うと、最後に会えなかった悔しさや、留学を快く許してくれた事を思い出し、何故だか涙が次から次へと溢れてきて、止まらなくなった。

それから初七日が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、実家で何もする気がしないのでボーッとしてた。
その間、何度となくオフクロが元気だった頃の夢を見て、願わくば、このまま夢から覚めないで欲しいと思った。
逆に寝てさえいれば、オフクロに会える気がしたし、現にほぼ毎日のようにオフクロの夢をみてた。
その日も早くに布団に入って寝ると、しばらくしてオフクロの夢をみた。
でも、いつもの夢と全然違う。何故かオフクロは船に乗ってて、
「もう、行かないといけないから」「人生大切にして、一回コッキリの人生楽しみなさいよ」というので、

「来週向こうのアパート片付けに行くから一緒に行こうよ」というと、

(現に行かなきゃならんかったんだけど、日本に飛んで帰ってきてるし、アパート解約しないといけないし)
「それは無理だけど、体大事にして生きなさいよ、見守ってるから」っていうんから、夢の中で号泣しながら、オフクロの手を握ると強く握り返してきて、そしたらオフクロが乗ってた船が動き出して、握手してた手が離れて。
そこで、追いかけようとしたら、ガバッって感じで布団から飛び出して目が醒めた。
そしたら、マジに俺泣いてんのね。しかも、手に感触が残ってて。。
その夜はそれから寝付けなくて、朝を迎えた。カレンダーを見ると、ちょうど今日が四十九日だった。
それ以来、今まで一度もオフクロの夢を見る事はない。

所詮、思い込みの激しい夢じゃん、と言われるとそれまでなんだけどね。
でも、今でも不思議な事はは時計が止まったことだな。

オフクロさん、感謝してますよ。
結局、その後、大学休学したまま辞めちゃったけど、
留学経験活かして自分で会社作ってなんとか飯喰えてるし。

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