心霊ちょっといい話『お経に聞き入る猫』など短編全10話

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心霊ちょっといい話『お経に聞き入る猫』など短編全10話 不思議な話
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犬の親子の絆

 

親類の家での話なのですが、伯父貴が道楽で猟師をやっていて、猟犬がいるんです。
で、その猟犬達を散歩がてら数匹、山に放したのですが、一匹だけ帰ってこなかったそうです。
それほど珍しいことでもなかったので、気にもしなかったのですが、夜になって帰ってこない犬の親が、理由の分からない遠吠えを始めたそうです
。・・翌日、犬は事故に遭って無言の帰宅を遂げたそうです。犬の親子の情って、深いんですね。

 

 

お経に聞き入る猫

これもペット話ですが一つ。
昨年お盆にお墓参りに行ったときのこと、近くのお墓(もちろん知らないお家のお墓)に住職さんと初老の夫婦が連れだってやって来ました。
私の住む地方にはお盆になるとお墓に紙で出来た灯籠を立てる風習があって、初盆の故人が入っている墓はその灯籠の色が白と決まっているため、ここ一年で亡くなった方のお墓なんだなと見れば分かります。
どうも夫婦が住職さんに読経をお願いしたらしく、3人はお墓の前に並びました。
本当ならじろじろ見るのは失礼だと分かっていたのですが、奥さんが抱いている猫があんまり可愛くてついついそちらを見ていました。
ほっそりスタイルの良い、毛並みも綺麗な虎猫でした。
やがて奥さんの方が手を合わせるために猫を下ろしました。
見ていた私は猫が逃げたら捕まえてあげようと、本当は猫に触りたかったこともあってまだそちらを見ていました。
猫は下ろされた位置に座ってじっとお墓を見ていましたが、やがて読経が始まるとなんと頭を少し垂れてきちんと聞き入っている風じゃありませんか。
5分ほどの間ではありましたが、にゃあとも言わず、身じろぎ一つしないで。
私は驚いたのとその仕草が神妙で可愛かったのとで、側に居た母に

「見て、猫がお経聞きようるよ」と笑いながら言い、

母も微笑みながら見ていました。
やがて読経が終わって、住職さんが帰っていき、残された夫婦は墓の前で何やら立ち話をしていました。
奥さんが猫を抱き上げて顔をこちらに向けた時、ふと目があってしまったので

「こんにちは、可愛い猫ですね」と声を掛けると

「おじいちゃんが可愛がっとったから、連れて来てみたんです」

とのお返事でした。もう年寄り猫だからすぐに本当に会えるかもしれんけどと言われて何だか泣けました。

 

 

じーさまの置き土産

親類に、長く寝たきりの方がいたんですが、二年ほど前に亡くなられました。四十九日も明け、家族でペットショップに行きました。
その店では、よく籖引きかじゃんけんでペットを安く分けてもらえるイベントがあるそうですが、その家族(正確には、お父さんらしい)はたいてい、敗けていたそうです。
ところが、その日に限ってあっさり過ぎるほど簡単に勝ち、二十万円以上するコーギー犬を五万円で買うことが出来たそうです。
「あれは、じーさまの置き土産だな」
と家族や親類中で語られています。

 

 

祖父の思い出と自分の体験

私は田舎の出身で、田舎って信仰深いところってありますよね。
うちの田舎もそうでした。
うちの村では、毎年夏休みのお盆過ぎになると、小学生の子供たちを集めて、お寺にお泊り会みたいなことをやっていました。
一泊するのですが、お経を唱えたり、子供向けのお説教を頂いたり、夜にはキリスト教がクリスマスにキリストの誕生の子供劇をやるみたにお釈迦様の誕生劇をやったりと、修行というよりは、楽しいお泊り会という感じでした。

私が小学3年生くらいのとき、初めてそのお泊り会に参加したときのこと、お昼はいろんなイベントがあってみんなではしゃいで楽しかったのですが、夜寝るとき、お寺の本堂みたいなところでみんなで寝るのですが、周りのみんなは、はしゃぎ疲れてぐっすり眠ってしまったのですが、私だけなかなか寝付けず、何度も寝返りをうってごろごろしていました。

 

夜中過ぎになってうとうとしてきたとき、どこからかかすかにお経を唱えるような声が聞こえてきました。
私は怖くなって布団をかぶって震えてたのですが、お寺ということもあって、お坊さんがどこかでお経を唱えてるのかなと思って、そっと布団の端から外を覗いたとき、私と同じ年頃の子が私の布団のほうに向かって歩いてくるのが見えました。

「あの子も怖いのかな・・」とおもって、布団から出ると、その子に
「なんか聞こえるよね」

と声をかけたところ、びっくりしたような様子で私のほうを見ているその子が、私の知らない子だということに気づきました。
村のお泊り会なので、参加しているのは友達とか先輩しかいなかったはずなのに、と少し思ったのですが、「おしっこいきたい」とその子がいってきたので、いっしょにトイレまでいくことになりました。

トイレまでいくと、その子は個室の方に入っていき、私は小の方を済ませると、トイレの外で待っていました。
でも、いくら待っても出てきません。
いい加減私も怖くなったので、トイレに入り、「まだ?!」と声をかけても返事がありません。
個室の方を見ると、誰も入っていない・・・・
訳がわからず、気味が悪くなった私は小走りで本堂の方に戻り、友達を起こしました。
すると友達だったはずの子も私の知らない子、、、、、パニックになってる私を、起こされたその子は、知ってる友達に話すように「うっせーなー寝ろよ」とまた寝てしまいました。

 

それからのことはあまり覚えてません。
そのまま気絶してしまったのか、その出来事が夢だったのかもしれません。
気が付くと朝になっていて、私は自分の布団の中で目を覚ましました。
周りの友達はみんな知っている顔。狐につままれたような気がして何人かの友達に話したのですが、「ゆめじゃねーの?」と笑われて、わたしも夢だったのだと思うことにしました。

お泊り会が終わり、家にに帰った私は、ばあちゃんにおやつを作ってもらいました。
そのときばあちゃんなら聞いてくれるかなと思い、昨晩のその話をしました。
するとばあちゃんは、

「そーかそーか、そりゃじーさんだねー。かわいがってたもんなぁ」と

あまり驚きもせずニコニコして聞いてくれたのを不思議に見ていた記憶があります。

大きくなった後、ふとそのエピソードを思い出して、ばあちゃんにその話をすると、「ああ、じいさんもよーはなしてたよ。」と。。。。

「小さいころお寺に泊まったときに寝つけんかったら、知らん顔の子がいて
便所につれってってやったと、じーさんいってたが、ありゃおめーのことやったんだね」

今になっても意味がよくわからない不思議な話ですが、ばあちゃんが言った通り、若くしてなくなってしまった私の祖父が、私のことを心配していつも見守ってくれたという話で落ち着いています。
ただ、祖父も同じような経験を小さいころしていたというのと、ばあちゃんの「かわいがってたもんなぁ」のせりふが、私に対してかその他のものに対してかは分からないでします。
というのも、私が生まれる20年も前に祖父は亡くなっていましたから。

 

 

千羽鶴の家

 

ある田舎町のはずれに誰が名付けたかわかりませんが、『千羽鶴の家』と呼ばれる所があります。
で、云われなのですが、病気のおじいちゃんの為に早く良くなってほしい願いを込めておばあちゃんは千羽鶴を折ったそうです。
でも…その願いも届かずおじいちゃんは逝ってしまいました。そして、悲しんだあばあちゃんは後を追うように自らの命を…
いまでは誰もいなくなったその家に夜侵入を試みた若者の話では、家財道具もそのままの中に千羽鶴とロープを確認できたそうです…。

 

 

生まれなくても姉は姉

 

私も似たような体験があります。
私の母は私を産む前に2回流産しており、3度目(私)も何度か駄目になりかけていたそうです。
妊娠4ヶ月頃の時もやはり体調を崩して流産しかけたらしいのですが、その時、庭で二人の女の子が遊んでいる声を聞いたそうです。
その当時の我が家の立地条件から、近所の子が庭で遊ぶなんて事は考えられないということで、看病しに来ていた叔母に見に行ってもらったそうです。
そしたらその女の子達が、「妹が心配なの」とただ言っていたそうです。
叔母が母にこの話をしたとき、「もしや」と思ったそうです。
産めないまま水子にしてしまった子達ではないか、と。
その晩、母はこんな夢をみたそうです。
目元がよく似た二人の女の子が光る玉らしきものを抱えていて、

「自分達は生まれてもすぐ死んじゃう運命だったから、次の子に全部任せる事にしたんだけど、今のままじゃまた生まれてもすぐ死んじゃうからこれを渡したかった」

と言ったそうです。
そして、ぼうっと立ちつくす母に向かってその玉を渡したそうです。

その数ヶ月後に、母は未熟児でしたが無事女児を産みました。これが私なんですが。
乳幼児の頃はかなり病弱だったそうなのですが、2歳の時に病院でずっと、

「お姉ちゃんがいる」と言っていたそうです。(記憶はありませんが)

今19歳ですが、無事健康優良児で生きています。
きっと、姉二人が守っていてくれるんだなぁとしみじみ思いました。

母は時々「あぁ近くにいる」といって手を合わせます。(私に向かってです)
この話を聞いたとき自分もすごく泣いた覚えがあります。小5の時ですが。

 

 

亡き友人の説教

一昨年友人が亡くなりました。サーフィン仲間で、いつもいっしょに海に入っては、夜は時にはナンパしたり、時には今後のことなんかを真面目に朝まで語り合ったりと、ホントに気の通じ合える友人でした。

葬式には本人の意思とかで親御さんと親族だけの出席しかなく、ひっそりとした葬式でしたが親御さんの希望でなぜか友人代表(?)のような形で自分が出席しました。

その時、彼の親御さんに「あいつの遺品やけど是非君に持っていてもらいたくて」と

波乗り日記(その日の波のコンディションや、いい波の立ったポイントなんかを毎日つけていたもの)と、彼がそのシーズンオーダーした新品のお気に入りのロングボードを、譲受ける形になりました。

 

遺品の波乗り日記には大雑把な彼が書いていたとは思えないほど、本当に細かく丁寧にほぼ毎日書き込んであり、私のことも簡単にですが書かれていることがありました。

彼の死因は海中での頭部打撲による失神のための窒息死でした。
たまたま一人で夕方に海に入り、パーリング(ボードから落ちること)してしまった際に自分のボードが頭にぶつかって失神してしまったまま海水の中で窒息してしまったそうです。

その前日の彼の波乗り日記には、いつもは箇条書きで5行くらいに簡潔にまとめてあった内容が、なぜか4ページにわたって、海に対する思いが書き連ねてありました。
そして、最後に私に対してのメッセージかと思えるようなことが3行だけ書かれてありました。

 

その内容は、
「○○とは話が合わない。○○は自分の考えの中でしか生きていない。
あいつはあのままじゃだめだ。あいつはもっと旅をしたほうがいい。
とてもいいやつだから特にそう思う。今度あったらじーっくり説教。」(原文のままです。)

私は最初それを読んだとき最初苦笑いをしてしまいました。
前日にちょうどお互いのサーフィンに対する考えで大口論になっていたからです。
口論はそのままお互いの人生論なんかにまで発展し、
「二度とおまえとは海には入らん!」の私の言葉でその夜はお開きになっていたからです。

そういう口論はよくあることだったのですが、いつもは彼のほうが折れて話は終わってたのですが、なぜかその日は絶対に折れないで食い下がってくるもので、私のほうも頭に血が上りすぎていたのだと思います。
実は私のほうはその日は帰ってフテ寝した後、朝になって頭が冷えると反省して、夜電話して謝ろうと思っていました。今思えば、なぜ朝すぐに電話をしなかったのかと悔やまれます。

読み終わった後しばらくぼうっとしていたのですが、自分でもわからないままいつのまにか号泣していました。
衝動的に言ったこととはいえ、本当に二度と彼とは一緒に海に入ることはないのだと思うと、涙が止まりませんでした。苦しすぎて声を出すこともできない、そんな感じで仕事も休み一日中泣きつづけました。

 

次の日、また仕事を休み、早朝から海に行きました。
ひとつは供養のつもりで、もうひとつはきっと彼は今も海に入ってるんじゃないかと柄にもなくおセンチなことを考えてしまって、一言謝りたいと思い、今は遺品となってしまった彼の新品のロングボードをもって海に入りました。

「早くのりてー」と言っていたロングボードに一度も乗れないまま逝ってしまった彼。
さぞかし乗りたがっているだろうと思い、遺品でもあるし、綺麗に飾っておこうとも思ったのですが、代わりに一度だけ乗ってやろうと思い、乗ることにしました。

沖に出たとき、まず、彼に「ロング借りるよ」と、次に「ごめん」とだけつぶやいて、波には乗らずボードにまたがって、しばらくボーっとしながら、いつも口論になった後はこんな感じで、気まずい思いでいる私のことが分かってかいつも「次ぎ行け!(次来る波に乗れよ!)」とガハガハ笑いながら声をかけてきた彼のことを思い出していました。

その時、はっきりと
「次ぎ行け!」
と後ろから声が聞こえた感じがしました。

ハッとして、沖のほうを見るととてもいい感じの波。
夢中で波に乗りました。涙が止まりませんでした。すごく長い時間波に乗っていたような気分でした。

「空耳かも。。。」と思った私は、罪悪感が聞こえさせたんだろうと苦笑いしていたのですが、また、「次!」と声が。さらに、確かに誰かがボードを後ろから押すような感覚がありました。

 

今思い返すと、やっぱり罪悪感が感じさせた幻覚(?)みたいなもんなのかな、とも思うのですが、確かにその時はハッキリと声を聞いた感じがあり、押された感じも本当にリアルでした。

だから私は、勝手に「許してくれたんだな」と思っています。
なんだか一番キツイ説教をされたような気分です。

 

 

友の警告?

この間、弟と車でとある所に行こうとしたとき、よく信号待ちで捕まる場所にさしかかった。
案の定信号は赤で、俺の前には数台の車が停車している。
ブレーキを踏んで減速。なぜか対向車の存在が気になり、反対車線を確認する。当分来る様子はない。
前方で停車中のトラックまでもう少しといったとき、不意にバックミラーを確認すると、後ろから猛スピードで突っ込んでくる車が見えた。
(ヤバイ! 絶対にぶつかる!!)そう思った次の瞬間、後ろから凄まじい衝撃と音が伝わってきた。
前方にはトラック。このまま挟まれたら、十中八九助からない。
俺は先程対向車が来ないのを確認していたのを覚えていたのか、咄嗟にハンドルを右に切り、前方のトラックを回避しようとした。
が、間に合わず、俺の車の左側面とトラックの右バンパーが接触する。
ドアミラーが飛び、サイドウインドーが砕け散った。
無数のガラス片が、俺の身体に降りかかる。
幸いにも、前方から対向車はやはり来ていなかった。
俺はハザードを点灯させ車を停める。
弟もどうやら無事のようだ。車から降り、状況を確認する。
車は後部のハッチがグシャリと潰れ、後輪のタイヤハウスとタイヤが、両輪共仲良くくっ付いている。
車は前方に停車していたトラックよりも前方で停止していた。
10m以上は弾かれたようだ。
この勢いでトラックとのサンドイッチにされていたら……。身体に寒気が走る。
幸いにも、俺と弟の怪我は大した事がなかった。もし、あの時対向車を確認していなかったら……。
もしバックミラーを確認していなかったら……。今ごろ、兄弟二人揃って死んでいたかもしれない。
事故から数時間後、俺はふと思い出した事があった。
(明日は、去年交通事故で死んだアイツの法事だったな)
都合の良い解釈かもしれないが、俺には死んだ友人が何気に警告してくれたのではないかと思う。

偶然にしては、色々と重なりすぎていたからだ。
ありがとう。……○○。そっちに行ったら、またバカ話しでもしような。

 

 

愛犬の好物

まだ純情だった10年前の想い出

愛犬信之助が病気で死んだ。
裏山に簡易に埋葬し、俺は悲しみにこらえつつTVゲームに興じていた。
その日の夕方、うたた寝から起きた親父が

「信之助を抱いてスーパーに行った夢を見た。そのとき信之助がチクワを指差したんだよな・・・」

とつぶやいた。
俺は号泣し、猛スピードで自転車でチクワを買いに出かけ信之助のお墓に埋めた。

その日の夜、友人からの電話があり、奴が奇妙な事を言った。

友人「犬の鳴き声が聞こえるぞ。近くにいるのか」
俺 「は?俺は聞こえないぞ。そもそもいないし」
友人「そうか?くーん、くーんって言ってるけど」

信之助がお礼を言ってくれたのだろうか・・・

 

 

人と犬の関係

犬は人間と古き時代から付き合ってきましたね。
山等に一緒に入るとよき相棒として信頼関係を感じる事ができます。
いつか、倅、娘ができたならば子供へ責任感と最初に会う友、それを失うつらさ、悲しさを理解させる為にも与えてあげたい。
犬にも魂があり心が通じる部分もあります。
甘やかす必要もないし、動物といって見下す必要もない。
犬に限ったことでもないですが心の付き合い。

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