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心霊ちょっといい話『黒い影の警告』など短編全10話

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お礼参り

四月頃白鳥の飛来地を通り掛かりすっかりかわいくなってしまったんですよ…。
毎日パンを買い、与えに通ったりして。
行くと同じ顔したのが集まってくるのがなんとも…。私がわざと下流に動くとそれに合わせてついてきます。
(白鳥にしてみれば餌くれるなら誰でもなんだけど)
白鳥の世界にもいじめがあるのです。
通っているうちにそれぞれの個性もつかめてきました。

と同時に情もわいてきます。
やはりジャイアンみたいなのに遠慮して餌を取れないのや、まだ子供、弱っている白鳥それを助ける白鳥。

鈍くさいの、要領のいいのも(笑)人情として弱いのに優先的に餌を与えたいの
ですが、それがいじめを誘発します。ですからジャイアンを引きつけてから与えるコツも覚えました。
暖かくなり白鳥達ともさよならです。ある夜中自宅にいると白鳥の鳴き声…北へ帰るんだろがここは向き違うぞそんなあほな…翌朝行くと一部のグループがいませ。
数日後の深夜またです。今度は窓を開け確認出来ました。
群れの白鳥が鳴きながら夜空を飛んでいくんですよう。
方角も違い距離もかなりの私の家上空を…涙がじわりです。たまたまの思い込みなんですがね。

 

 

留守電

 

僕にはかけがえの無い友人がいます。
ここではあえて「います」と言わせてもらいますが、その友人はすでに亡くなってしまっています。

まず、その友人M君の事に付いてお話します。
その友人とは幼稚園の頃からの縁で、虐められっ子でいつも泣いていた僕にやさしくしてくれてました。

中学の時、バスケットボール部に仮入部した僕は練習のせいで、家までの遠い道のりを夜遅くに心細く帰っていました。
その頃の僕にとっては、こんな遅い時間に外を歩いた事もなく徒歩で家までの道のりを心細く帰っていました。

そこに僕の友人たちが自転車で通りかかりました。
M君は僕を見ると、すでに二人乗りしてる自転車に「乗れよ」と声をかけ 三人乗りして僕を家まで送ってくれました。
当時の子供の体力で言うと、それはとても辛かったと想い。
彼の行為に僕は涙を流しました。

中学を卒業し、M君と別れ別れになった僕が最後にM君にあったのは街の本屋さんでした。

「よっ、T(僕です)!」
「ああ、M君久しぶり!」

これが僕と友人M君が交わした最後の言葉になりました。
まさか、これが最後に彼に会う瞬間だったとは想いもよりませんでした。

高校を卒業した僕は都内の某ソフトハウスに就職し、そのまま東京での生活を送っていました。

4月のある晴れた日。時間を見ようとしてケータイを見たのですが普通に表示されていた画面が、なにも触ってないのに急におかしくなりました。
一回電源を切りなおしてみると元に戻ったのですが、さっきまでは無かった留守電が一件入っていました。
僕はてっきり電話を再起動している間に着信があったものと思い、留守電を聞いてみました。

しかし、留守電にはハァハァ息をついてる音ととぎれとぎれ、なにかを言ってる感じでとても聞き取れず気持ち悪く思った僕はその留守電を消去してしまいました。

今思うと、消去したのは間違いでした。ごめんなさい。(友人一同へ)

それから数ヶ月後、夕食を作っていたら風も無いのにいきなりヤカンの火が消え、電話がけたたましく鳴り響きました。
こういう事は昔からよくある事でしたので、電話にでた僕は電話して来た弟にまず、

「誰が死んだんだ?」

と聞きました。弟は少しビックリしてM君の死の事を僕に告げました。
それから1日くらい泣きました。

M君は東京にでてきてたらしく、ビルから飛び降りて自殺したんだそうです。
M君の母親は、少し精神の方を煩っていてそれを苦にしたとか言うのを聞きました。
M君の死はM君の母親に告げられる事無く、M君はお葬式をあげられないままになってるなどと、故郷の話をいろいろ聞きましたが、東京にいる僕にはどれが本当の事なのか結局わかりませんでした。

そして2年前の8月12日。
その日、会社から帰った僕は高熱を出し、部屋に着くなり玄関のところに倒れてしまいました。
そして気を失ってしまいました。

途中、一度だけ目が覚めたのですが、何故かベットの中に居て、部屋の中にM君が居るのがなんとなく分かり、僕が再び目が冷ますと、僕はベットの中で寝巻きに着替えて寝てました。
気分はまだ悪かったですが、亡き友人の行為に僕は涙を流しました。
あの時、もしもM君が来てくれなかったら一人暮しで、玄関に倒れてた僕はそのまま逝ってしまったかもしれません。

最近になって気がついた(情けない)事なんですが友人M君の亡くなった時期と、僕のケータイがおかしくなった時期がぴったり合う事に気がつきました。
きっとM君は最後のメッセージを僕に残したかったんだろうけど その時の僕にはそれを理解する事ができませんでした。
それは今でも悔やんでます。

20歳の時の成人式の会場で名簿にM君の名前が外され、話にもあんまり出なかった(皆気を使って出さなかった)のでこの話は同じクラスの皆には話しませんでしたが、世の中にはこういう話もあるんだぁという事です。

お話はこれで終わりです。

でも友人のM君は今も僕の中に、僕の友人たちの中に生きつづけてます。
彼の事は生涯忘れないと思いながら話を〆されて頂きます。

 

 

鳥の夫婦愛

 

昨年の春、両親と3人で伊豆方面に旅行に行き伊東に泊まりました。
旅館の近くに大きな公園があり、夕食の前に散策にでかけることにしました。
公園には池がありました。さほど大きくはありませんが、中央に小さな島?のようなものがあり、アヒルが十数羽泳いでいました。
そのアヒルの中に一羽、片足が悪そうなアヒルがいました。
辺りがだんだん暗くなってくると、アヒルたちは次々と水から上がり池のそばの植え込みの下などに集まり始めました。足の悪いアヒルも一生懸命水から出ようとするのですが、片足では滑ってうまく地面に上がることができません。すると、そのそばに一羽のアヒルがやってきて心配そうに足の悪いアヒルを見守っているんです。
「わ~、見てよ、あのアヒル、もしかして夫婦かな~」などと話しながら、でもどうすることもできずに一度その池の側を離れました。
そして公園を15分くらいかけて一回りし、「さっきのアヒルはうまく岸に上がれたかな」と考えながら先ほどの池のところに戻ってきました。

足の悪いアヒルは結局岸には上がれなかったらしく、池の中の小さな飛び石?の上にうずくまっていました。
そして、あの心配そうに見ていたアヒルも、岸の仲間たちから離れて足の悪いアヒルと一緒に石の上で寄り添っていました。
ネタではありません、実話です。
鳥は夫婦愛が強いと聞いていましたが、それを見た時本当に動物にも憐憫の情や愛情ってあるんだなぁと胸を打たれました。
 

動物たちの思い

基本的にペットを複数匹飼わないようにしている。愛情の片寄り防止の為。
話かわるが、前に二匹飼っていた時雌犬が妊娠してた。雄犬は餌を雌犬にあげようとするんだよね。
ある時あることで雄犬をしかっていると、雌犬が「しからないで」って感じで間に入ってきたりするんだ。
牛だって豚だって肉になる為売られる時涙を流すという。屠殺の時もだけど、命ごいするのも。
放牧されている牛に会いに行き呼ぶとかなり遠くからやって来るという。
昔自分の母が子供の頃馬車から放り出されると馬は踏まないよう、ひかれないようにこらえたという

 

 

夢の中の祖父

昨夜、亡くなった祖父が夢に出てきました。
大学の入学式の場面。(実際の私はすでに社会人です)
黒い腕章をつけた祖父は遠くからニコニコして私を見ています。
夢の中の私は祖父がもう亡くなっているのを知っていて祖父が来てくれたのが嬉しくて、祖父に駆け寄り

「ありがとう。会いたかったんだよ」

と何度も言いました。

近ごろ生活上で新しい環境にある自分(=ある意味入学式?)を励まし、見守ってくれてるのかなと思った夢でした。
お盆のお墓参りにも行けなかったし、実家に帰った時もお線香あげるの忘れてたのに、あんな笑顔で夢に出てきてくれてありがとね。

 

 

黒い影の警告

これは僕の母親が実際体験した話です。

今から10年程前、僕の家が火事になりました。
幸い母親の発見が早く、火事はボヤで済んだのですが、出火は夜中の3時。
どうしてそんな時間に発見できたのか、ずっと不思議でした。
しかし、最近になって、母親がその理由(?)を話してくれました。
以下は母親の話を書きます。

火事の2週間程前から、家の中で何かの黒い影が動く事がありました。
ソレは、廊下の曲がり角を見ると、まるで視線を避けるかのように隠れました。
他の家族の者は全く気付いていないようでした。
子供くらいの大きさだった人影は、数日のうちにどんどん大きくなりました。
火事のあった日には天井に届くくらいまで大きくなったのです。
そして火事当日、偶然目が覚めた母親は偶然火事を発見しました。

火事以来、不思議な人影はぱったり現れなくなりました。
「何か」が母親にだけ、火事の警告をしていたようです。

 

 

お札が身代わり?

 

5年前、父親が飲酒運転の末、事故りました。
自損事故で、ワゴンタイプの車は大破。廃車になりました。
車の状況からみて、運転手である父親は死んでいても不思議ではなかったのですが、幸い父親自身は頭に十数針の怪我ですみました。

数日後、祖母が仏壇を掃除していると、仏像を描いたお札が出てきました。
そのお札は、首の部分がちぎれるように2つに破れていました。
お札の状況は、まるで父親の身代わりになってくれたかのようでした。

 

 

最後のお別れ

私が飼っていた犬(やむこ、あだ名です)の話です。
中学生のころ、父の知り合いの家で生まれたのを見に行って、とてもかわいく、即つれて帰りました。
学校から帰ると、毎日散歩に連れ出して、私が探してほしくて、かくれんぼばかりして、犬を困らせていました。
次の年に、かわいい子犬を4匹産みました。
そのうちの一匹は、誰にももらわれず、うちで育てることになりました。
そんなこんなで大学卒業まで、すっと2匹といっしょにいました。
私が大学院に進学するために実家を離れ、家をでた一ヵ月後、やむこは糖尿病で目が見えなくなりました。
インシュリン注射をしてあげたかったのですがなにせ学生で、生活費もなく、なけなしのバイト代をかき集めて病院に連れて行ってもらう毎日でした。
私にできることは、ちょくちょく実家に帰って目が見えなくなったやむこの世話をすることぐらいでした。
実家は、玄関までに、用水路がかかった橋があって、やむこは、目が見えなくなってから、散歩のたびにそこを通るのがとても怖かったようです。
私がいるときは、いつも抱っこして通っていました。

その年の12月のある晩、私は実家に向かうフェリーの中でやむこの夢を見ました。
畳の部屋に、私のジャンパーが置いてあり、それをめくるとやむこがおすわりしてニコニコしながら尻尾を振っているのです。
若いころの、元気な姿で。
私が「どうしたのー?ここまで遠かったでしょ?」といって手を差しのべ、頭をなでると、にこにこしていました。
その日の晩は、とても疲れていたのに寝苦しく、また冬だというのに体が熱く、寝付いたのは明け方でした。
目がさめて、一日が何事もなく過ぎ、夜に実家に明日帰ると電話をすると、やむこが朝、起きたら冷たくなっていたと母から告げられました。
私は号泣しました。次の日、実家に帰り、やむこがいなくなった場所にぽつんと一匹残された子供の犬をなでながら、あと2日がんばってくれたら・・・と、泣きに泣きました。
しかし、子供の犬をなでながら、やむこが、

「私は子犬を残したわ。だから○○ちゃん泣かないで」

といっているような気がしてたまりませんでした。
実際、子犬の存在は私の大きな心の支えです。(もうばあちゃん犬ですが)
やむこは、最後に私にお別れを言いに着てくれたようなきがしてなりません。
やむこは12月生まれだったので、誕生日に、神様が糖尿病の苦しみから解放してくれたのかもしれません。

やむこ。いい思い出をありがとう。ずっと忘れないよ。

 

 

故人を偲ぶという事

小さい頃、とてもかわいがってもらって、大好きだった叔母がガンで亡くなった時、入院してる間、従兄弟達と交代で私も叔母のつきそいを何度かやってて、叔母が意識がなくなって昏睡状態に入ってからは、なぜか楽しかった思い出ばかりが浮かんできて、叔母のそばで、従兄弟達と笑って話していました。
時折り来る看護婦さん達には、さぞかし不謹慎に見えた事でしょう。
でも、その時私達の気持ちは叔母を好きだという思いで一つだったんです。
通夜の晩は悲しかったけれど、お葬式が全部済んで叔母の遺品を皆で片付けながら叔父や従兄弟達と話したのも、楽しかった思い出や笑い話ばかりでした。

その時は、なんだか叔母もその場に一緒にいて笑ってるような感じがして仕方なかったんですが、後から従兄弟達に聞いても、やはりずっと同じように感じていたそうで、すごく悲しいはずなのに何とも言えない暖か~い気持ちになっていたそうです。

明るかった叔母が楽しそうに話している私達の仲間に入って、一緒にその時間を楽しんでくれているような気がしていたのです・・・・・
(勝手な思いこみかも知れませんけど)
だから、親しい人が危篤の時や葬儀の時に、なぜか明るい話しをしてしまうという気持ち、なんとなく理解できます。

「こんな事やあんな事があったよね、バカだよねえ」
なんて亡くなった人のボケ話しや楽しかった思い出を話して笑いながらいつのまにか涙も流してる、という感じ。
もしも自分が死んだなら自分の大切な人達がそういう雰囲気で自分のことを語っている、それが一番嬉しいかもしれない、と思う。

私の叔母の場合は、亡くなる数ヶ月前にガンで助からないという宣告を受けていたので、皆で相談して

「絶対に叔母に悲しい顔は見せない」

と誓ったのですが、今振り返ると、その時が一番辛かったのです。
あとは残り少ない日々を最大限に楽しく過ごさせてやりたいという思いで必死だったんです。
叔母が昏睡状態になった時でも、たとえ意識は無くてもきっと私達の話しを聞いている、とみんな思っていたので、亡くなるまで絶対に悲しい話は聞かせたくない、という思いもあったんです。
だからお通夜の晩は、それまでこらえていた思いが噴出すように、身内だけで思いきり泣きました。

はたから見れば、今にも息をひきとりそうな人を前にして笑っているなんて、すごく非常識に見えるかも知れませんが、家族はそういう思いで頑張っているという場合もあるし、お葬式の最中でさえ、私達の事をすぐそばで見守っていると感じていたりするものなので、見た目が明るかったとしても、簡単に不謹慎だと決め付けない方がいい、という事は知っておいていただきたいです。

どうも、前に鴨南蛮蕎麦の他愛ない話をしたものですが
わたしも昔は人のお葬式でゲラゲラ笑ってる人間を見ると非常に嫌悪感がありました。
それを母などに訴えると、「大人になれば分かる」と言うだけでした。
厨房の頃の話です。
しかしいざ肉親の葬式をしてみると、やはり考えが変わっていました。
一連が終わって簡単な席を設け、そこで歓談してもらいますよね?
で、ちょっと落ち着いて、ビールなぞを注ぎにまわるんですが、
皆、故人を偲んで、思い出話で笑っていたんですね。涙だけが供養じゃないよね。

あ、ちなみに。お坊さんから聞いた話です。
仏壇とか、法要などでお供えしますよね?故人の好きなものを、小さく盛って。
あれってなぜ小さく盛るかわかりますか?
実は、天国にいる故人には、お供えしたものは100倍の量になって届くんだそうです。
お酒が好きなら、お酒が100倍。メロンが好きなら、メロンが100コ(笑
「だから」
とお坊さんは続けました。

「一本の花でもたむけなさい。そして、小さくでもいい、手を合わせて偲びなさい。
向こうは、あたり一面の花畑と、あなたの愛に包まれたところになってるんだから・・・」

 

 

葬式の夢

私は自分のお葬式の場面を夢で見たことがあります。
場所はすごく天井が高い教会のようにところ。
よく死ぬ瞬間に生前の思い出がフラッシュバックにように思い出される、と言いますがそれと同じ感じで生きていた間に出会った人々、みんなが二階のバルコニーのようなところから自分を見下ろしている。
(だから本当に夢だと思いますが)
確執があった家族や友人達、それでも彼等の顔を見ると本当に懐かしく

「あなた達に会えて本当に良かった、ありがとう」

と感謝の気持ちがあふれてきて涙が出る。
荘厳で美しい音楽が聞こえてくる。音がキラキラと氷の結晶のように空中で輝いていて本当に美しい。

「ああ、美しい音と光りは同じなんだな」

と思いながら自分もいつしかそれらと一緒になってフワフワと浮かんでいる。
夢でしたが思い出すと本当に幸せな気持ちに満たされます。

「お葬式で本人がとっても幸せだ、と思ってる場合もあるかもね」と思ったので書いてみました。

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