心霊ちょっといい話『心配する愛犬』など短編全10話

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心霊ちょっといい話『心配する愛犬』など短編全10話 不思議な話
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記念写真

訳あって、祖父母が住んでいた家を売らなきゃいけなくなった。
祖父が3年前亡くなって、祖母の治療費がかさんで……。
どうしようもなくなった。嫌だけど仕方ない。

取り壊しの前の日、不動産屋にお願いして、もう一度だけカギを借りて、その家に最後のお別れに行った。
家財道具も何も残っていない、がらんとした部屋を見て、祖父の愛した書斎からの風景を目に焼き付けて、玄関を出ようとしたら、ぱさ、と背中に何かが当たった。
1枚の茶色く変色した写真だった。

この家を建てたときに、祖父母と親戚一堂みんなで撮った写真らしい。
ヘンだ。家中みんな、何もかも片付けて、もうどこにも何も残ってなかったはずなのに……。
いったいどこから出てきたんだろう。
それも、今、この時に見つかるなんて。

赤ん坊の頃の僕が写っている、古い写真。
みんな笑ってる。
この家のことを忘れるなよ、と、
祖父に言われているようだった。
涙が止まらなかった。

 

 

私は自宅で生まれた人間です。私を産むとき、母は、大変な難産だったそうです。
父が私を取り上げたのですが(父は医者です。)、生まれたとき、大きな胎盤が二つあったそうです。
しかし、生まれたのは私一人。母は、私が双子だったとよく言っていました。
ある時、私は母からある話を聞きました。母の友人で、霊感の強い人がいます。その人が、母から私の事を聞いた時、こう言ったそうです。

「この人(私)を見た時、なんかもう一人いるような気がする」と。

そして、こう言ってくれました。「もう一人の人は、お坊さんに頼んで供養してもらうといい」と。
母は、その話を聞き、月ごとの祖父母の命日に、もう一人の人の供養をしたそうです。
その後、不思議なことが起こりました。後日、弟から連絡があって、夜中寝ていると、私そっくりの人が枕もとに座っていたそうです。
その人は、弟の顔を見て、「にやっ」と笑いかけ、弟も笑い返したそうです。
そのことがあったのは、ちょうど供養を頼んだころだったそうです。
恐らく、もう一人の人が供養してもらって、感謝していることを誰かに伝えたかったのでしょう。
今ごろは、無事向こうの世界に行っているんじゃないかと思っています。
もう一人の人へ・・・今まで見守ってくれて、有難う。オレもくじけないで頑張るよ!

 

 

家の思い

10年前に家を建てて、それまで7年くらい住んでいた公営住宅から引越しをしたときのことなんですが。
その引越しが、12月の初旬で結構忙しい時期であったため、公営住宅をちゃんと掃除できない状態が続きました。
引越しから1週間くらい経過したときに、
女房にじんましんのようなかゆみを伴った発疹があらわれて、女房が、
「夢の中で、前の家を掃除していて、掃除が終わったらかゆみも消えた」と言い出した。

気にかけていたことでもあり、それじゃということで、その週末徹底的に掃除を行いました。
最後にそこを出るとき、「これまで家族を守ってきてくれてありがとう」と女房と二人、声に出してお礼を言った途端、女房が「ほら、発疹消えてきた」と腕を見せたのです。
確かに、それまで、ぶつぶつとたくさんあった発疹が、色も薄くなり数も減ったようです。
気持ちの問題と片付ければそれまでですが、それを見たときに、ちょっと不思議な感覚に陥った記憶があります。
人間でも動物でもなく、無機質な建物にも心が宿っているのだろうかと、考えさせられた体験でした。

 

 

さかさまの写真

俺んちと従弟んちはすぐ近く。よく遊びに行くんだけど、とにかく家全体が汚くて洗濯物とかも廊下に転がってる始末。
自分のことを棚に上げて、片づけろ、キレイにしろって言ってたけど一向にキレイにならない。

その日も従弟んちに行ったんだけど、鏡台の陰に逆さに立てかけられていた写真たてを発見。
見れば、従姉弟の死んだおばあちゃん。
「お前さー、亡くなった人の写真逆さにするなよー。
頭に血が昇っちゃって可哀相だぞー」と言ったら、従弟の顔色が真っ青になった。
聞いてみれば、ここ半年くらいずっと偏頭痛がひどくて、しかも知らない婆さんの夢でうなされることが数回あったらしい。
従弟の親に確認したら、やっぱりおばあちゃんだった。
お婆ちゃんだと気づかなかったのは、夢の中では病気で痩せ細ってた顔だったからなんだって。ご先祖様は大切に。

後日談。
従弟は「面倒くさい」っちゅーフトドキな理由で法事にも出てなかったらしい(同居している母方の婆ちゃんがいたから尚更)。
久しぶりに法事に出たら、親戚中から、自分が生まれた時にどれだけおばあちゃんが喜んだかを延々と聞かされたそうだ。
半分、痴呆状態になっても従弟の顔だけは判別できたらしい。
それだけ可愛がってもらったのに、と従弟は泣いてました。
それからは、ほぼ毎月の月命日には墓参りに行ってるそうです。

 

 

ふんぎり

私がまだ小学生の頃、可愛がってた猫が亡くなりました。
真っ白で毛並みが良い可愛い猫でした。なによりも、私に誰よりもなついていて何処に行くにも
私の足元に絡みつきながらついてまわり、寝る時も一緒でとにかく甘やかしてました。
名前は「みーちゃん」って言いました。

私の家の前には小さな川が流れていて、用事の無い天気の良い日はいつも河辺に座って流れを見てました。
ある日とても悲しい事があって河辺で座って泣いていたら、いつもはあまり外に出たがらないみーちゃんが
私の隣にちょこんと座って、ずっと私の事を見つめていてくれたんです。おかげで私はすぐに元気になれました。
それ以来河辺に行くと、必ずみーちゃんも一緒に来てました。私の隣にちょこんと座って長い尻尾をふりふりして・・・
そんなひとときが私は大好きでした。

でも、そんな楽しいひとときは長く続きませんでした・・・
元々病弱だった為か、風邪?から病状が悪化して亡くなってしまいました。
当時私は転校生の為友達もいなく、みーちゃんが一番の友達だったんです。一番の友達を亡くした私は
毎日泣きました・・・一日二十四時間泣き続けても後から後から涙が溢れてきました・・・
心配した両親は、「新しい猫飼おうね」って言ってくれてましたけど私は「みーちゃんじゃなきゃいや」って言って
心配する両親を困らせていました。

しばらくして夢を見ました。みーちゃんの夢です。
みーちゃんは夢の中でとても元気で私は「元気になってよかったね」って言いました。
みーちゃんも私が言った事がわかったのか、とても嬉しそうにしてました。そしてしばらく一緒に遊んだ後突然みーちゃんが
「もういかなきゃ」って言いました。

私はびっくりして「みーちゃんしゃべれるの?」って聞きました。

みーちゃんは私のそばに来て「ありがとう」って言って向こうに行ってしまいました。

途中何回も振り向きながら・・・その度に私は「いかないでー」
って言いながら泣いていました。夢から覚めた後私は泣いていました。
けど、本当にお別れなんだなーという感じで少し吹っ切れました。いつもみーちゃんは私の事を心配してくれてたから
いつまでも泣いてばかりいる私の夢に出てくれて、お別れの挨拶をしてくれたんだなって・・・

あれから3年経って私も中学三年生になりました。みーちゃんの夢はあれっきりです。
でも、さみしくありません。あいかわらず私は河辺に座って水の流れを見てますが隣にはいつもみーちゃんが
いてくれてるような気がするからです。

みーちゃんこれからも天国で私の事見守っててね。

 

 

心配する愛犬

私には小学生の時から飼っていた犬がいて、一番私になついていました。私が大学生になった頃から下腹部にしばしば痛みを感じていたんです。
ある晩、ものすごい激痛で眠れずにうなされ、そのまま救急車で病院に運ばれましたが原因不明のままでした。
私が病院につれていかれてからというもの、飼っていた犬は心配そうに私の枕元をウロウロしていて、結局明け方まで起きていたんだという話を妹から聞かされました。

その時すでにうちの犬は歳をとっていたので体が弱り気味だったのですが、さらに具合が悪くなり、次の日母によって動物病院に連れて行かれました。
本当は私が連れて行きたかったのですが、明け方とりあえず家に帰された私は(原因不明だったけど、点滴で痛みはおさまったので)翌日、日を改めて病院に検査を受けにいかねばならなかったからです。その時の結果は結局原因不明で終わってしまったのですが・・・

問題は病院に連れて行かれたうちの犬が、そのまま緊急入院となり、他界してしまいました。
今までずっと一緒にいて、とてもかわいがっていた犬なので、最後のおわかれをしたかった、と、とても残念で悲しく、また、原因不明の腹痛のせいで犬の病院に一緒に行けなかった自分を恨めしく思いました。
ちなみにうちの犬は亡くなる数年前に卵巣に膿がたまる病気で子宮と卵巣の摘出手術を受けていましたが、死因は老衰でした。
もしかしたら私を心配するあまり、ずっと起きていたせいで死を招いてしまったのかもしれません。

後日談がありまして。私はその2年後に卵巣の茎捻転を起こし、死地をさまよいました。頻繁に起こっていた腹痛も、卵巣に腫瘍があったからだということも、そのとき判りました。
結局、卵巣を一個とってしまうことになったけど、ギリギリ手術が間に合い、死に至ることなく、無事、現在子供にも恵まれています。

あの晩の激痛がやわらいだのも、うちの犬が身代わりになってもっていってくれたのかなぁ~と思っています。なにしろいつも一緒だったし、同じ卵巣の病気の苦しみを分かち合ったなった仲だから、、、。

ありがとう。いつもあなたのことを思い出しているよ!そして、去年産まれた子供と一緒に、あなたと散歩した公園を毎日散歩しています。

 

 

旅先での出会い

学生時代に青春18切符で旅をしたとき、秋田の象潟のユースに泊まった。
たまたまシーズンオフで、オレ以外には宿泊客がいなく、話好きなオレには死ぬほどタイクツ。
そこの管理人のジイさんが確か73歳とか言ってたが、その人と夜更けまで女の話、戦時中の話、自分の人生でやり直したいことなどを語り合い結構盛り上がった。

次の朝、出発間際にジイさんがコンパクトカメラを出してきて「若いの、一緒に写らんか」と声を掛けてくれたので、喜んでハイ、チーズ!!
旅から戻ってしばらくして、すっかり忘れた頃にジイさんが二人で写った写真を丁寧に送ってくれた。
ムサいオレとは対照的な穏やかで優しいお顔で写っている繁太郎さん。
ジイさんと一緒にいると何故か自分も優しく素直な人間になれる気がした。

半年後に再び旅に出たとき、ふとジイさんに会いたくなってふらりと寄ってみた。がジイさんはもうそこには居なかった。
聞くと既に他界されたとのこと。亡くなられた時期を尋ねるとちょうどオレに手紙付きで写真を送ってくれた頃だった。

ジイさんのいないユースを後にして、誰もいない田舎の駅のベンチであの優しい語り口調を思い出し、初めて身内以外の人のために泣いた。

 

 

犬の「弟」

海外在住なのですが、日本を離れる時一番の心残りは13年一緒に暮らした「弟」の犬でした。心臓が弱く、もしかしたらこっちにいる間にお別れになるかも。。
と思ってました。時期は案外早く来ました。
日本を離れて2年後愛犬危篤の電話を母から受け、1-2日後「駄目だったよ。。。」という母の言葉に号泣しました。
せめてもの救いは、「弟」が一番好きだった母の腕の中で息たえたとのこと。
私は花を買い、写真の前にロウソクと一緒に供えました。最初の飼い主に捨てられる様な形で我が家に来た愛犬。
その境遇があんまり不憫で王子様状態で甘やかしたのですが、大人しい良い犬でした。
ただその幼児(?)体験を覆すほど、我が家で充分愛情を感じさせてあげられたかというのが私の長年の疑問でした。

徐々に悲しみの和らいできた3週間ほど後のある晩、私は危篤で息も絶え絶えの愛犬を膝にのせて介抱している夢をみました。
不思議なことに彼の考えていることがスルスルと伝わってきます。彼は「この家に来て良かった。楽しかった。」と思っているのです。
私は涙ながらに「死んだらだめ」と何度もいいました。
そして重体のはずの彼は、突然私の膝を降りトコトコと歩き出し、振り返ったら白い服を着た人間の姿の天使になっていたのです。
その時映画にあるみたいに部屋の天井からパァと光が差しこんできて、彼は私に笑いかけた後その光の中を登っていきました。
それを見ていた私は「ああ、天国に行くのか。」と泣きながらもほっとしました。

愛犬を亡くして身体の調子をおかしくするほど可愛がっていた母は、それをきいて「3週間かけてイギリスまでお別れに行ったんだね」と。
また泣きました。

その後私は一度も彼に会っていません。が、早起きしなければいけない日に寝過ごした母は、亡き愛犬の声で目を覚まし、約束の時間に間に合ったとのこと。
大好きだった母の所にはいるんだなと思います。

 

 

 遺書

『 墜落する日航機内での乗客河口さんの遺書』

―原文のまま―

マリコ 津慶 知代子 どうかがんばってママを助けて下さい

パパは本当に残念だ きっと助かるまい

原因はわからない 今5分たった

もう飛行機には乗りたくない

どうか神様 助けてください

昨日みんなと 食事したのは 最后とは

何か機内で 爆発したような形で 煙が出て

降下しだした どこえ(へ)どうなるのか

津慶しっかりた(の)んだぞ

ママ こんなことになるとは残念だ さようなら

子供達のことを よろしく頼む

今6時半だ 飛行機は回りながら 急速に降下中だ

本当に今ごろは 幸せな人生だったと 感謝している 』

生死の境界線においてこれだけの文が書けるとは。
家族への想いの深さにただ涙。
合掌。

 

 

おばあちゃんの顔

私が高校生の頃、孫の中で私を一番かわいがってくれていたおばあちゃんが危篤状態になった。
ちょうど夏休みだったので、すぐにでも田舎のおばあちゃんのところへ駆けつけることはできたはずなのだが、ちょうど部活の大切な試合があったため、それを終えてから行く予定になっていた。

試合が終わって、とりあえず今からこの足で行くよ、という電話を田舎にしたところ、先に行っていた母から「ついさきほど亡くなった」と言う話を聞き、残念でならなかった。
母によると、私の到着を待っていたのだけど、同じ背格好の看護婦さんを見て私だと思い、安心したような顔で逝ってしまったらしい。

試合会場からの帰宅中のバスの中で、すぐそばの席におじいさんが座っていた。
でも、どう目を凝らしてみても、顔だけがすげ替えたかのようにおばあちゃんの顔になっていた。
他人のそら似レベルの似方じゃなく、本当におばあちゃんの顔そのものだったので、見ている自分が信じられなくって何度も目をこすった。

バスから降りるまで、何度声をかけてみようか悩んだけど、結局かけることなくバスを降りた。
でも降りるために中を移動してすれ違う瞬間、そのおじいさんはこっちを向いてにっこり笑い、かるく会釈をしてくれた。私も会釈を返した。

臨終に間に合わなかった私に、最後のあいさつをしにおばあちゃんが来てくれたんだと思うと、急に試合を優先して後悔していた私の心があたたかくなった。

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