特攻隊員49名の遺書 全文一覧|家族に宛てた最後の手紙

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特攻隊員49名の遺書 全文一覧|家族に宛てた最後の手紙 泣ける話
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谷 暢夫

海軍少尉 昭和19年10月25日
神風特別攻撃隊敷島隊出撃 散華(享年20歳)

遺書

はじめありて 終りあるもの 鮮し
永らくのご厚思を謝す。何一ツ親孝行らしきことなき小生も、最初の最後の親孝行を致します。
忠孝一致、とは古人、実によく云ったものと感心します。ご両親の長命を切に祈ります。
日の本の空征くものの心なれ 散るを惜しまぬ桜花こそ

辞世

身は軽く つとめは重きを思ふとき 今は敵艦に ただ体当り
身はたとひ 機関もろとも沈むとも 七たび生れ撃ちてしやまん

 

永尾 博

中尉

佐賀県出身 西南学院卒 海軍第十三期飛行科予備学生
神風特別攻撃隊第三草薙隊
昭和20年4月28日沖縄近海にて戦死 22歳

一、制を享け二十二年の長い間、小生を育まれた父母上に御禮申上げます。
一、親不孝の数々お許し下さい。
一、小生の身体は父母のものであり、父母のものでなく、天皇陛下に捧げたものであります。
小生入隊後は無きものと御覚悟ください。
一、小生も良き父上、良き母上、良き妹二人を持ち心おきなく大空の決戦場に臨むことが出来ます。
一、父上も好子、壽子を小生と心得御育み下さい。
一、母上、父上の事末永く呉々も御願ひ申上げます。
一、父、母上の、また妹の御健康をお祈り致します。

父さん 大事な父さん
母さん 大事な母さん
永い間、色々とお世話になりました。
好子、壽子をよろしくお願ひ致します。
靖國の社頭でお目にかゝりませう。
では参ります。お身体お大事に。

 

富澤 幸光

中尉

海軍第十三期飛行科予備学生 神風特別攻撃隊第十九金剛隊 昭和20年1月6日、爆装零戦に搭乗し比島マバラカット基地を出撃、リンガエン湾にて戦死 23歳

お父上様 お母上様

ますます御達者でお暮らしのことと存じます。幸光は闘魂いよいよ元気旺盛でまた出撃します。

お正月もきました。 幸光は靖國で二十四歳を迎へることにしました。 靖國神社の餅は大きいですからね。

父様、母様は日本一の父様、母様であることを信じます。お正月になつたら軍服の前にたくさん御馳走をあげて下さい。雑煮餅が一番好きです。ストーブを囲んで幸光の思ひ出話をするのも間近かでせう。

靖國神社では、また甲板士官でもして大いに張り切る心算です。母上様、幸光の戦死の報を知つても決して泣いてはなりません。靖國で待つてゐます。 きっと来て下さるでせうね。

本日、恩賜のお酒をいただき感激の極みです。敵がすぐ前に来ました。 私がやらねば、父様、母様が死んでしまう。否、日本国が大変なことになる。 幸光は誰にも負けずきつとやります。

母上様の写真は幸光の背中に背負ってゐます。母上様も幸光と共に御奉公だよ、いつでも側にいるよ、と言って下さつてゐます。心強いかぎりです。

 

清水 雅春

二飛曹  18才
神風特別攻撃隊第三御盾隊として、沖縄海域にて特攻戦死

今度攻撃命令を拝して、出撃することになりました。日本男子の本懐これに過ぐることなく、喜びに耐えません。父上様方も聞かれましたら、さぞかしご満足されることでしょう。今更言う事はありませんが、一寸の孝行もせず、ただただ二十年の人生を育てて下された父上様、母上様、祖母様方に何とお詫び申し上げてよいか判りません。まだ戦争に行ったことがないので不安な点もありますが、弾が命中したら、必ずや敵の空母を撃沈します。突然でさぞかし驚かれると思いますが、立派に男子の本懐を全うします。出発まで時間がありません。一言、最後の言葉を。

 

富田 修

中尉

長野県出身 日本大学卒 海軍第十三期飛行予備学生
昭和19年9月3日台湾にて殉職 23歳

我一生ここに定まる。
お父さんへ、いふことなし。
お母さんへ、ご安心ください。決して僕は卑怯な死に方をしないです。お母さんの子ですもの。
それだけで僕は幸福なのです。
日本万歳、万歳、かう叫びつつ死んでいつた幾多の先輩達のことを考へます。
お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!かう叫びたい気持ちで一杯です。何か言つて下さい。
一言で十分です。いかに冷静になつて考へても、何時も何時も浮んでくるのは御両親様の顔です。
父ちゃん!母ちゃん!僕は何度もよびます。
「お母さん、決して泣かないで下さい」
修が日本の飛行軍人であつたことに就て、大きな誇りを持つて下さい。
勇ましい爆音を立てて先輩が飛んで行きます。
ではまた。

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