特攻隊員49名の遺書 全文一覧|家族に宛てた最後の手紙

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特攻隊員49名の遺書 全文一覧|家族に宛てた最後の手紙 泣ける話
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小川 清

海軍中尉

谷田部海軍航空隊

お父さんお母さん。清も立派な特別攻撃隊員として出撃する事になりました。

思えば二十有余年の間、父母のお手の中に育った事を考えると、感謝の念で一杯です。全く自分程幸福な生活をすごした者は他に無いと信じ、この御恩を君と父に返す覚悟です。

あの悠々たる白雲の間を超えて、坦々たる気持ちで私は出撃して征きます。生と死と何れの考えも浮かびません。人は一度は死するもの、悠久の大儀に生きる光栄の日は今を残してありません。父母様もこの私の為に喜んで下さい。

殊に母上様には御健康に注意なされお暮し下さる様、なお又、皆々様の御繁栄を祈ります。清は靖国神社に居ると共に、何時も何時も父母上様の周囲で幸福を祈りつつ暮らしております。

清は微笑んで征きます。出撃の日も、そして永遠に。

 

松尾 勲

一等飛行兵曹

丙種飛行予科練6期
第二神風特別攻撃隊義烈隊
昭和19年10月29日ルソン島東方にて戦死 23歳

父上様母上様、喜んで下さい。いい立派な死場所を得ました。

皇国の興廃、此の一戦に在り、大君の御楯となって、宿敵を撃滅せん。

男子の本懐、これに過ぐるものが又とありましょうか。

二十三年間の幾星霜、良く育てて下さいました。今度がその御恩返しです。

よくも立派に皇国のために死んでくれたと、ほめてやって下さい。

ああ、我等特別自爆隊。

向かうところは、敵空母へ急降下。

で、これが原文。(上記と一言一句変わらない部分は緑色)

父母上様、喜んで下さい。勲はいい立派な死場所を得ました。今日は最後の日です。

皇国の興廃、此の一戦に在り、大東亜決戦に南海の空の花と散ります。大君の御楯となって、分隊長初め、共に潔く死につき、七度生まれ変わって宿敵を撃滅します。

ああ男子の本懐、これに過ぎるものが又とありましょうか。

これも皆、長い歳月強くなれよと育てて下さった父母上と、又、我子のように育ててご指導下さった分隊長はじめ分隊士、先輩の方々の賜と、或は又血のにじむような訓練の賜と、深く深く感謝致しております。

二十三年間の幾星霜、良く育てて下さいました。厚くお礼申し上げます。今度がその御恩返しです。

勲はよくも立派に皇国のために死んでくれたと、ほめてやって下さい。ほんとに兄弟の中では私は幸せ者でした。喜んでおります。もう何も思い残すことはありません。

父母上様、今度は白木の箱でかえります。靖国神社であいましょう。長い間有難うございました。呉々も御身大切になさいますよう。

ああ雄雄しき、名も彗星艦爆隊、我等攻五義烈隊特別攻撃隊。

最後の姿をカメラにおさめていただきましたので、何れゆっくり、ニュース映画で見て下さい。笑って、艦爆隊十六勇士の姿を見てやって下さい。

最後の夜十月二十八日 ○一○○                            於マニラ 勲

父 上 様

母 上 様

咲くもよし散るも又よし桜花

佐藤 新平

曹長

お母さん江

幼い頃から思えば
随分と心配ばかしおかけしましたね。

腕白をしたり、
又何時も不平ばかし言ったり。
目を閉じると子供の頃のことが、
不思議な位ありありと頭に浮かんで参ります。

悪いことなどすると
神様に謝らせられたり、
又幼い頃「今日の良き日をお守り下さい」
「今日の良き日を有難うございました」と
毎日拝神のことをやかましく言われたお母さんでした。

今日になり本当にあの頃から
お母さんの教育がどんなにか
新平のためになったことでしょう。
病気で心配をかけたり、
又苦学の時も随分と心配をおかけしたり。

苦学と言えば、家を出発する時、
台所でお母さんが涙を流されてたのが、
東京にいる間中頭に焼きついて、
あの頃どんなにかかえりたかった事かもしれませんでした。

お母さんの本当の有難味がわかったのは東京へ出てからでした。
あれから余り家に居る事もなく、
ゆっくりお母さんに親孝行をする機会のなかったことだけ残念です。

軍隊に入ってお母さんにお会いしたのは三度ですね。
一度は去年の休暇、二度目は去年の暮近く館林まで
来ていただいた時、あの時は新平嬉しくてたまりませんでした。

態々長い旅をリュックサックを背負って
会いに来てくださったお母さんを見、
何か言うと涙が出そうで、遂、
わざわざ来なくても良かったのに等と
口では反対の事を言ってしまったりして申し訳ありませんでした。

あの時お母さんと東京を歩いた想い出は極楽へ行ってからも、
楽しいなつかしい思い出となることでしょう。

あの大きな鳥居のあった靖国神社に新平が祀られるのですよ・・・・。

手を繋いでお参りしましたね。
今度休暇で帰った時も、お母さんは飛んで迎えに出て下さいましたね。
去年の時もそうでした。

父上様へ
お父さん、新平、日露戦争へ行かれたお父さんの子供として
恥ずかしくない死場所を得ました。
お喜び下さい。

新平、子供の頃から何時も心配ばかり
おかけし申し訳ございませんでした。
御恩返しに、うんと親孝行しようと思っていましたが、
結局何も出来ずにしまいました事をお許し下さい。

随分大きくなるまでお父さんと一緒に寝た新平は、
幼い頃お母さんに、お前はお父さんの子、
文吾は俺の子等と言われたものでした。

厳格な半面、子供の頃から
人一倍可愛がって頂いた新平は本当に幸福でした。

酒に酔われて義太夫や踊をやられたお父さんの姿がなつかしく
思い出されます。
どうぞお父さん何時までも御壮健で文夫や洋治を可愛がって下さい。

書きたいことはいくらでもありますが、今日はこれで止めます。

日本一のお母さんを持った新平は常に幸福でした。

小雨の降る夕方、お母さんと一緒にかこちゃんの
お母さんのお墓参りをした事、
愛国婦人会の事で在郷を一緒に歩いた事、
天神様へ成績の御知らせに行った事等、楽しい思い出は次々とつきません。

特攻隊の事も早く知らせてれば、手紙でも出して激励してやったのにと
お母さんは残念がるかもしれませんが、
お母さんの気持ちは新平解り過ぎる位解って何時も感謝して居ますから、
余計なことを心配しないでください。

私としてはどうせすぐ解ることですから、
早く知らせて心配かけてはて思って知らせなかったのですから、
悪く思わないで下さい。

リウマチや、神経痛に充分注意して天から与えられた寿命だけは
絶対に生き延びなければいけません。

文夫、洋治もお母さんがよく見守って立派な子供になる様鍛えてください。

決して気を落としたりして、体をそこねられない様ご注意下さい。

お父さんの方が後になり変になりました。

一足御先に失礼します。

今晩、隊の壮行式があり、一寸酔って居りますので字も乱れて居ります。

河野、小林先生にも宜敷くお願いいたします。

小生必ずや大きな戦果を上げて見せます。

沖縄沖の戦果に御期待下さい!!

遺書

天皇陛下万歳
 大命ヲ拝シ、新平只今特別攻撃隊ノ一員トシテ醜敵艦船撃滅ノ途ニ就キマス
日本男子トシテノ本懐コレニ過グルモノハゴザイマセン
必中必沈以テ皇恩ニ報イ奉リマス
新平本日ノ栄誉アルハ二十有余年ニワタル間ノ父上様、母上様ノ御薫陶ノ賜ト深ク感謝致シテ居リマス
新平肉体ハ死ストモ魂ハ常ニ父上母上様ノオ側ニ健在デス
父上様モ母上様モ御老体故呉々モ御体ヲ大切ニ御暮シ下サイ
決シテ無理ヲナサラヌ様
デハ
日本一ノ幸福者、新平最後ノ親孝行ニ何時モノ笑顔デ元気デ出発致シマス
親類ノ皆様方近所ノ人達ニ宜敷ク
新平拝
御両親様

 

富澤 幸光

中尉

北海道出身 北海道第二師範学校卒 海軍第十三期飛行科予備学生
神風特別攻撃隊第十九金剛隊
昭和20年1月6日比島にて戦死 23歳

お父上様、お母上様、益々御達者でお暮しのことと存じます。幸光は闘魂いよゝ元気旺盛でまた出撃します。お正月も来ました。幸光は靖国で二十四歳を迎へる事にしました。靖国神社の餅は大きいですからね。同封の写真は○○で猛訓練時、下中尉に写して戴いたのです。幸光を見て下さい。この拳を見て下さい。

父様、母様は日本一の父様母様であることを信じます。お正月になったら軍服の前に沢山御馳走をあげて下さい。雑煮餅が一番好きです。ストーブを囲んで幸光の想ひ出話をするのも間近でせう。靖国神社ではまた甲板士官でもして大いに張切る心算です。母上様、幸光の戦死の報を知っても決して泣いてはなりません。靖国で待つてゐます。きつと来て下さるでせうね。本日恩賜のお酒を戴き感激の極みです。敵がすぐ前に来ました。私がやらなければ父様母様が死んでしまふ。否日本国が大変な事になる。幸光は誰にも負けずきつとやります。

 

塩田 寛

戦いは日一日と激しさを加えて参りました。
父母上様、長い間お世話になりました。私も未だ十九才の若輩で、この大空の決戦に参加できることを、深く喜んでおります。
私は潔く死んでいきます。
今日の海の色、見事なものです。決してなげいて下さいますな。
抑々海軍航空に志した時、真っ先に許されそして激励して下さったのは、父母上様ではなかったでしょうか。既に今日あるは覚悟の上でしょう。私も魂のみたてとして、ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、今日まで猛特訓に毎日を送ってきたのです。今それが報いられ、日本男子として本当に男に花を咲かせるときが来たのです。
この十九年間、人生五十年に比べれば短いですが、私は実に長く感じました。数々の思出は走馬燈の如く胸中をかけめぐります。
故郷の兎追いしあの山、小鮒釣りしあの川、皆懐かしい思出ばかりです。
しかし父母様にお別れするに当たり、もっと孝行がしたかった。そればかりが残念です。随分暴れ者で迷惑をおかけし、今になって後悔しております。
お身体を大切に、そればかりがお願いです。親に甘えた事、叱られた事、皆懐かしいです。育子、昌子の二人は私の様に母に甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。
いつまでも仲良くお暮らし下さい。私も喜んで大空に散っていきます。
平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、何卒よろしくお知らせ下さい。お願いします。御身大切にごきげんよう。

神風特別攻撃隊 大和隊員
一飛曹  18才
昭和19年10月26日 レイテ沖にて特攻戦死

出典:予科練資料館
http://www.yokaren.net/modules/tinyd/

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