特攻隊員49名の遺書 全文一覧|家族に宛てた最後の手紙

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特攻隊員49名の遺書 全文一覧|家族に宛てた最後の手紙 泣ける話
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沼田 正春

陸軍中佐

昭和19年12月2日 レイテ島リモン西南方面にて戦死
神奈川県出身  31歳

大命に依り、父は沢山の将兵をお預かりして、更に更に難しい戦場に赴く事となった。故に多忙中であるが一言申し述べて置く。
若し父亡くしても、節夫には立派な祖父母があり優しい母がある。お世話下さる叔父や叔母がある。又幾百年来の先祖がお前の事を一生懸命見ていて下さるのだ。それ故、皆に有難く感謝しつつ安心して征くのである。祖父母や母の教えに従がい清く正しく如何なる事にも負けぬ強さ優しさを持って育てよ。
父の骨は遥か南の果てに埋まるとも、常に常に、お前が成育する勇姿を見守っている。秋色濃き孫呉の平原に虫声も寂しく、北斗星は真上に輝き、月は興安嶺の彼方に傾く。冷気強き灯火に下、遥かにお前の姿が目に浮ぶ。どうか祖父母を大切に母を労わるよう。他の事は祖父母様お母さんよりお聞きなさい。

 

塩田 寛

 

一飛曹 18才
昭和19年10月26日 レイテ沖にて特攻戦死

戦いは日一日と激しさを加えて参りました。父母上様、長い間お世話になりました。私も未だ十九才の若輩で、この大空の決戦に参加できることを、深く喜んでおります。私は潔く死んでいきます。今日の海の色、見事なものです。決してなげいて下さいますな。抑々海軍航空に志した時、真っ先に許されそして激励して下さったのは、父母上様ではなかったでしょうか。既に今日あるは覚悟の上でしょう。私も魂のみたてとして、ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、今日まで猛特訓に毎日を送ってきたのです。今それが報いられ、日本男子として本当に男に花を咲かせるときが来たのです。
この十九年間、人生五十年に比べれば短いですが、私は実に長く感じました。数々の思出は走馬燈の如く胸中をかけめぐります。故郷の兎追いしあの山、小鮒釣りしあの川、皆懐かしい思出ばかりです。しかし父母様にお別れするに当たり、もっと孝行がしたかった。そればかりが残念です。随分暴れ者で迷惑をおかけし、今になって後悔しております。
お身体を大切に、そればかりがお願いです。親に甘えた事、叱られた事、皆懐かしいです。育子、昌子の二人は私の様に母に甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。いつまでも仲良くお暮らし下さい。私も喜んで大空に散っていきます。平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、何卒よろしくお知らせ下さい。お願いします。御身大切にごきげんよう。

 

両親への遺書

 

長谷川 喜市

神風特別攻撃隊 第一草薙隊
海軍二等飛行兵曹
第十二期甲種予科練出身十九歳

お父さん、お母さん、お達者ですか。

お伺ひ致します。

喜市は、いつも変わりありません。
お父さん、お母さん、喜んで下さい。

遂に来たるべき秋が来ました。
征くに当たって、改めて申上げることはありませんが、ただ二十年このかた、喜市は孝行といふ孝行をしたこと がありません。

お許し下さい。

 

清水 雅春

昭和20年4月7日
二飛曹  18才
神風特別攻撃隊第三御盾隊として、沖縄海域にて特攻戦死

出典:予科練資料館
http://www.yokaren.net/modules/tinyd/

今度攻撃命令を拝して、出撃することになりました。日本男子の本懐これに過ぐることなく、喜びに耐えません。父上様方も聞かれましたら、さぞかしご満足されることでしょう。
今更言う事はありませんが、一寸の孝行もせず、ただただ二十年の人生を育てて下された父上様、母上様、祖母様方に何とお詫び申し上げてよいか判りません。
まだ戦争に行ったことがないので不安な点もありますが、弾が命中したら、必ずや敵の空母を撃沈します。
突然でさぞかし驚かれると思いますが、立派に男子の本懐を全うします。
出発まで時間がありません。一言、最後の言葉を。

 

山下 瀞

陸軍中尉

昭和19年12月7日 サイパン島にて戦死
静岡県出身  23歳

父上母上様

瀞は幸者でした 喜んで笑って行きました 最大の親孝行も致しました 安心して行きました
専門教育迄受けさせて戴き我儘をやって来ました
故郷の山河、浜名の湖水に、遠州灘に、瀞の魂は幸福に寝っています。
姉様楽しき日を御祝致します
満雄、後は頼んだぞ 士郎、俺の分まで孝行してくれ 益雄、しっかり勉強して偉い人になれよ 多可士、御母様の手伝をしなさいよ 悟朗よ、益雄、多可士の面倒を見てやれよ
瀞様は皆を何時もあの青空で見ていますよ

一億の人に一億の母あれど  吾が母に優れる母あらめやも
御母様古賀幸子様に宜しく御伝へ下さい
では さやうなら

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