【信じようと、信じまいと】『UFOが着陸』など全50話【35】ロア – 噂話集 – 嘘のような本当の話

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信じようと、信じまいと【35】全50話  ロア – 噂話

 

ニューハンプシャー州の片田舎にある牧場にUFOが着陸し、中からナチスドイツの将校が降りて来たそうだ。
近くで唖然と見ていた少年に近付くと、100ドル紙幣を渡し「パンを買ってきてくれないか」と頼んだらしい。
しかし村人達が「警察を呼べ!」と騒ぎ出すと、将校はあわててUFOに乗り込み、空へと消えて行ったそうである。
少年の手には100ドル紙幣が残されたが、警察に押収され、いまも保管庫に眠っているそうだ。

 

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福岡の小学校で同窓会が開かれ、タイムカプセルが掘り起こされた。
懐かしい品々の中に一つだけ、誰も入れた記憶の無い人形があった。
腕に「キエマス」と一言だけ書かれた紙が括られており、
一緒に埋めていた集合写真の中央付近に子供一人分の空間があいていた。

 

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1977年フランスの海水浴場。人の右手だけが泳いでいるという噂が流れ、
海水浴客が何者かに足を引かれ溺れかける事件まで発生した。
憂慮した地元観光局の依頼により、漁師がその「手」の捕獲に成功した。
それは何故かマネキンの左手だったのだが、以降噂は立ち消えた。

 

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1965年ごろスペインの美術館に、夜光る黒い絵が展示されていた。
展示期間中は夜間公開も行われていたらしいのだが、すぐに取りやめとなった。
館内で事故が起きた為とされているが、以降絵が光らなくなった理由も、
被害者の行方も、そもそも何の事故だったのかさえ不明のままである。

 

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ヒトラーの暗殺未遂事件のうち2回は爆弾が使われたが、どれも爆発前に「気分が悪い」等と言って、その場を離れて難を逃れた。
会食中、ゲッベルスが「予知能力のような幸運ですな」と賞賛したところ、ヒトラーはそれを否定したという。
「俺にそっくりな奴が、柱の影や窓のそばに立って、こちらをニヤニヤしながら見ていたんだ」
精神が不安定だった証拠とされるが、元SS隊員の回顧録の中で「もう1人の総統閣下を見た」という記述もあるのである。

 

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1998年、イギリスの証券会社のFAXにドイツ語でメッセージが届いた。
「おめでとう! これは世界で一番最初の記念すべきメッセージです。お早いお返事を!」
送信してきたのは1843年(!)のドイツからで、調べてみると、さらに驚くべき事が分かった。
世界初のFAX送信の1回目が原因不明の失敗に終わっており、これはその時に送られたはずのメッセージなのだという。

 

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富山県の山の中で、車のタイヤが溝にはまって動けなくなったA氏は困り果てていた。
そのとき、近くの猟師らしき男性がやって来て「持ち上げてあげましょう」と申し出てくれた。
男性が声を上げると、森の中から数十人もの人間がゾロゾロと出て来て車を「よいしょよいしょ」と持ち上げ始めたではないか。
A氏は車の中でガタガタ震え上がり、溝から抜け出した途端に礼も言わずに猛スピードで走り去ってしまったそうだ。

 

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1874年。地中海沿岸のある小さな町の半分以上の家が破壊された。
別の町の人々が調査に行ってみたところ、砕けた家の破片に混じって、大量の鉄片が発見された。
その数は1000個を超え、総重量は何百トンにも達するという。
目撃者はみな口を揃えてこう言う。「錨が降ってきたんだ。たくさんの錨が。そして空にはたくさんの船が浮かんでいた……」

 

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1992年。二十世紀で最も偉大な探検家と呼ばれるトム・ハンクスが、アフリカ内部の熱帯雨林へと足を踏み入れた。
探検予定帰還は3年。しかし予定日になっても、トムが帰ってくる気配はない。
だが、メキシコのある海岸で、彼のものと思われるボトル・メールが見つかった。
その内容は「世界は広すぎる。我々が知り尽くしたと思っている地上の100分の1も、我々には理解できない。できないのだ。TH」

 

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1834年、メキシコのはずれのとある洞窟で大量の人骨が見つかった。
その骨は大変古く、一つだけが大人の骨で残りは全て幼い子供のものだったそうだ。
当時はあまり注目されなかったが、去年その洞窟の壁面に文字が発見され大いに話題になった。
古すぎてほとんど解読できなかったがその文字の中に、「Hamelen」という単語があったという。
Hamelen。 ドイツ語で「ハーメルン」である。

 

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KGBが隠匿してきた情報が近年になって明るみに出ているが、これもそんな事件のひとつ。
1977年、モスクワの北にあるホトクスという小さな町で何十人分もの白骨死体が発見された。
ゴミを埋めるため裏庭で穴を掘っていた男性が掘り当てたため、この男による猟奇殺人かと思われていた。
しかし鑑定の結果すべて同一人物の骨である事が分かると、KGBが骨を全て処分し、極秘扱いにしてしまった。

 

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情報公開制度に基づいて、アメリカのUFO研究家が入手した67年前の公文書がある。
真珠湾攻撃が敢行された際、軍とは別にCIAが生存兵たちに対して独自の聞き込み調査をしていたらしい。
「日本の攻撃機に混じって、翼の無い葉巻みたいな奴が攻撃してきた」という証言があり、日本の秘密兵器かと考えられたのだ。
しかし攻撃に参加した日本軍も同様の報告を司令部に入れ、「ドイツ軍の新兵器か」と確認してきた記録も残っているそうである。

 

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イギリスには「有事の際には、バッキンガム宮殿が瞬時に要塞と化す」という都市伝説がある。
窓や庭や屋根から機関砲や大砲が突き出し、女王陛下の掛け声ひとつで攻撃を開始するらしい。
酒場では「だから英国は安泰だ」と、笑いながら乾杯するシーンがたまに見かけられるのだが、実はあながち間違いではないらしい。
9.11以降、ミサイル配備状況を報告する書類の中に「バッキンガム」と書かれていたものがったと、元軍人は証言しているのだ。

 

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ロシアのある地方都市から、著しい出生率の低下による人口減少で、地域社会存続の
危機にあるとの報告が中央政府になされた。放射能汚染の疑いから調査団が派遣され、
住人と環境の調査が行われたが、その過程で出生率低下の驚くべき原因が判明した。
住人の9割が、出産が生殖行為による結果だということを知らなかったのである。

 

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1962年、シリア、アレッポ近郊のベドウィンのテントで三つ目の山羊が生まれた。
その山羊は生まれてすぐに「水をくれ」と喋り、その家族の次男を見て「アシュクル」と呼びかけ、間もなくして死んだ。
実際にはその次男の名前はアフメッドであり、長男の名がアシュクルだった。数年後の夏に、アフメッドはアシュクルに刺し殺されたが、
その原因は全く不明のままだった。アシュクル自身すらなぜ弟を殺したのかが分からなかったと言う。

 

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三重県の県庁内に設置された自動販売機には「呪われた販売機」があるという。
といっても、よく硬貨を飲み込んでしまう販売機の事なのだが、どうもそれだけではないらしい。
飲み込まれたとき、返却レバーをガチャガチャと乱暴にいじると、500円玉が返却されるそうだ。
その500円玉を使ってしまうと不幸な事が起こるそうだが、20年も前から伝わるこの噂の出所は不明である。

 

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1997年。ある冬の朝、秋田の寒村で一人の男が除雪車の刃に巻き込まれて、凄惨な死体となっているのが見つかった。
検死の結果死因はショックによる心臓麻痺で、死亡時間は発見された早朝午前五時から遡る事四時間の、午前一時。
運転手は勤務中に被害者の姿を見た覚えは無いという。

 

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孔子の弟子で、娘の婿として篤く信頼された公冶長は、雀と話をすることができた。
儒者の中には、正しい教えは公冶長を通じて雀たちが伝えていると考える者もいる。
享保年間、長岡藩の飯沼去伯は病の床でさえずりを理解し、満足げに死んだという。
後年毛沢東が雀を退治しようとしたのも、そうした思想的な理由があるためである。

 

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昭和3年、北海道旭川市の忠別川で、ロザリオをかけた男性の水死体が見つかった。
髷を結い、両刀を帯び、旧時代の武士のようであったと、英国人牧師は記している。
江戸時代初期の松前藩にはキリシタンが多く、のちに弾圧を受けたのは史実である。
大雪山中には、外界との連絡を絶って暮らすキリシタンが今も暮らしているという。

 

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昭和20年7月、福島県会津の山中に、米軍のものらしい一機の航空機が墜落した。
生き残った乗員3人を、村人は鬼畜米英とばかりに殺害。機の残骸は軍が回収した。
終戦後、村人は進駐軍に自首して取調べを受けたが、咎めを受けることはなかった。
乗員たちは1m20cm程と小柄で、継ぎ目のない銀色の航空服を着ていたという。

 

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古い呪術的信仰が伝わることで知られる高知県の某神社の裏手に、8つの塚がある。
昭和20年3月のはじめ、7日7晩にわたる敵国呪詛の祈祷が行われたのだという。
7人の男女が犠牲になり、神主も惨死した。まもなく米国大統領急死が伝えられた。
昭和60年頃までは、この塚を密かに詣でる政治家や旧軍人の姿も見られたという。

 

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五胡十六国時代に四川省を支配した成漢の昭文帝は、残虐な暴君として有名である。
文化大革命中、紅衛兵がその陵墓を暴き、埋納されていた兵俑の首を打ち落とした。
その瞬間、絶叫とともに首から赤い血が噴き出し、紅衛兵に狂死した者多数という。
埋め戻された陵墓は、それ以来文物保護の名目で発掘調査が一切許可されていない。

 

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東京大学のシンボル・安田講堂は、1968~69年の全共闘による籠城で有名だ。
だが、事件後も講堂を占拠し続けた何者かについて、東大百年史は黙して語らない。
呪術に頼らざるを得ず、しかも敗北を重ねたことは日本の最高学府の恥部であろう。
講堂に改修の手が加えることができるようになるには、約20年間の歳月を要した。

 

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商業捕鯨盛んなりし時代、南氷洋の捕鯨船乗りの間で語り継がれていた奇譚がある。
ある一頭の鯨を見かけた船は、必ず羅針盤の故障などの災異に見舞われる、という。
その鯨を追いかけると何が起こるかは伝えられていない。彼らは帰らなかったから。
名作小説に因み「モビーディック」と呼ばれた鯨は、今も生きているかもしれない。

 

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北海道・根室管内にある野付半島は、延長28kmにも及ぶ日本最大の砂嘴である。
枯死した松が湿原に立ち残り、荒涼とした、異界のような幻想的な風景が楽しめる。
だが、深い霧が立ち込める日には、本当に異界に通じることがあると言われている。
霧の中で鈴の音がする方に進んだり、赤い服を着た少女についていってはならない。

 

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休戦ラインの中央部を守備するある韓国軍部隊には、次のような話が伝わっている。
戦争で分断された線路の跡で、雪の夜ごとに蒸気機関車が走る音が聞こえるという。
正体を確かめに金軍曹の分隊5人が向かったが、翌朝全員が轢断死体で発見された。
雪の上には赤く血に染まった二本の轍が、まっすぐ北に向かって伸びていたという。

 

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かつて、アラビア湾沿岸に住んでいた遊牧民は、部族ごとに厳しい掟を持っていた。
ことに凄惨な制裁で知られるムルジム族は、まず違反者の耳を削ぎ、次に皮を剥ぐ。
ついで眼球をくり抜き、四肢を切断し、原油の自噴する穴の中に投げ込むのである。
現在でもときどき、手足のないそのような死体が、採掘管の中で詰まることがある。

 

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昭和30年代に行われた姫路城の解体大修理中、大天守を支える天守台の地下から、
奇妙なものが見つかった。それは20cm四方の漆箱で、錆びた刀が刺さっていた。
動かそうとした者は急な眩暈や心臓の痛みを訴え、しかも異常は家族にも伝播した。
世界遺産の優美な城の地下には、邪悪な何かを裡に封じた箱が現在も埋もれている。

 

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千代田区永田町の自民党本部ビル(自由民主会館)7階には「開かずの間」がある。
壁に囲まれた空間で広さ6畳ほど。外窓には衝立が立てられており、中は窺えない。
理由は不明だが、1966年にビルが竣工した時からこの空間はあったのだという。
「本物の伏魔殿」とは某首相経験者が番記者に漏らした言葉。真相は今も闇の中だ。

 

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琵琶湖の中央に「沖の白石」というものがある。水面から10m程頭を出している、
大小4つの岩塊だが、これらは水深80mの湖底から聳え立つ巨大な一枚岩である。
京都帝大・内柳博士による「沖の白石は隕石也」との説は奇説として退けられたが、
この岩をめぐっては、調査船の沈没や関係者の急死などの怪事件が多いのも事実だ。

 

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幽霊の出現形態は文化ごとに異なる。足がなく人玉を伴うのは日本の幽霊の特徴だ。
では異国で死んだ幽霊は出身国式で出るのだろうか、ホスト国式で出るのだろうか。
パリ第17大学のルジェール教授が各国からの留学生の幽霊について調べたところ、
40%がフランス式、35%が出身国式、25%がその他の様式という結果が出た。

 

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湖広省の山中に帰雲郷という村があったと明代の地理書『峨陵県志』は記している。
帰雲郷は県城から十日を要する深い山中で、長い洞窟を抜ける道一つしかなかった。
鍛冶に巧みな郷民たちは、刀剣を市場で売り、米や硝石や磁器などを買って帰った。
しかし万暦年中に帰雲郷に向かう洞窟は埋もれ、郷民たちを見ることもなくなった。
岐阜県白川村に、慶長の大地震の際に山崩れで埋もれた、帰雲城という城があった。
城主の内ヶ島氏は飛騨の鉱山を支配していた、富裕な豪族だったと伝えられている。
今日、城跡からしばしば発掘される中国製の磁器は、その財力を示しているという。
通説では、それらは京や堺からはるばる取り寄せたものと言われているのだが……。

 

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北アルプスを北へ縦走していた久永氏は、天狗池の畔で一人の登山者とすれ違った。
挨拶を交わした後、久永氏は妙な感覚に襲われた。彼は自分によく似ていたようだ。
ぞっとした氏は、もう一つ大変なことに気づく。いつの間にか南へ歩いていたのだ。
氏はロッジに到着するや鏡で自分を確かめたという。山では入れ替わりが稀にある。

 

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中国・石家庄市の河北抗日戦争紀念館には、日本兵が撮影したという多くの写真が、
残虐行為の証拠として展示陳列されている。だが、共産党当局がその扱いに困惑し、
所蔵庫に収められたままの5枚続きの写真がある。昭和15年9月、撮影地は蔚県。
斬首の一部始終が収められているのは巨大な頭を持つ畸形児。黒目が異様に大きい。

 

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アメリカ合衆国が宇宙人と密約を結んでいるというのはよくある話だが、作り話だ。
理解困難な技術や現象を、宇宙人や霊の存在にしたがる者の想像の産物に過ぎない。
実際に宇宙人と密約を結んでいたのはアフリカ西北部に位置するブルキナファソで、
1983年のクーデタ以来、宇宙人が大統領を務める地球上唯一の国となっている。

 

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千島列島のオンネコタン島には、高く美しい火山とそれを取り囲む澄んだ湖がある。
この島に立ち寄った船から3人のアイヌの少女が逃げ出した。あとを追う人の前で、
少女たちは魚に身を変え湖の奥へ泳ぎ去った。残された人は神が来たのだと噂した。
これは神話の時代の話ではない。明治17年、汽船の航海士が日誌に記した事実だ。

 

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東京・池之端のI崎邸は、旧M財閥の当主が建てさせた本格的な洋館として有名だ。
現在は一般公開されているが、占領期にあった暗い歴史が触れられることは少ない。
森に囲まれたこの館は米軍の諜報機関が接収していた。声の漏れない地下室もある。
今も地下への階段は二重の鉛壁で封鎖されており、入ることも出ることもできない。

 

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練馬区の多恵さんが学校から帰ると、家には一恵と名乗る見覚えのない人物がいた。
多恵さんの姉だという。こんな人知らないと言った彼女を両親も祖母も兄も笑った。
過去の写真にもなぜか一恵が映っていた。間取りも変わり、姉の部屋ができていた。
姉は親切な人で、多恵さんも5年経った今では最初からの家族のように思っている。

 

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ビルマを長く支配したネ・ウィン将軍は、オカルトに凝り呪術師を重用したという。
その政権の下では35・45・90など、おかしな区切りの紙幣が発行されていた。
現政権の指導者たちもその体質は変わらず、呪的国防体制を構築中だ。われわれは、
中世呪術の前に現代電子兵器が敗れる戦争を初めて見ることになるのかもしれない。

 

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1980年代、アメリカの偵察衛星が太平洋北西部で、白い円形の物体を発見した。
その物体はつねに同じ場所に存在しているのだった。アメリカ軍は、艦船、航空機、
潜水艦で現地に向かったが、目視することもデータを捕捉することも出来なかった。
海面にあるとすれば直径15mほど。現在、グーグルマップでも見ることが出来る。

 

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朝鮮戦争中、米軍の飛行機乗りの間に、飛行中不思議な体験をしたとの噂があった。
光に包まれた次の瞬間、花畑にいるのだとか。気がつくと元のコックピットにいる。
場所は平壌郊外大同江畔。高度は300m前後で、高くても低くてもならなかった。
現在ここには高さ330mの柳京ホテルの廃墟がある。労働者は何を見たのだろう。

 

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P2Pネットワークの海には、人の欲望や狂気を乗せた不可解なものも漂っている。
人の顔や、幻想的な風景、図形などが写ったぼんやりとした画像データもその一種。
ファイルはどれも無題。ヘブライ文字が記された画像もあるのがわずかな手がかり。
何かの実験ではないか、と噂されている。これらの画像は念写写真によく似ている。

 

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ペルー北部のヘライ県チャハマハル村には、「イザナミの墓」と称するものがある。
1935年に当地を訪れた日系人が発見し、現在は村のサイトにも紹介されている。
彼の調査によれば、村のインディオたちが伝える謎めいた民謡は古代日本語という。
村の織物の伝統的意匠も菊花紋だ。誰しも超古代のロマンを感じずにはいられない。

 

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虚実の狭間に新奇な説話を投稿する者がいた。彼は常にデジャブに悩まされていた。
いま新しく書き記したはずの奇譚は、かつてどこかに投稿したものではなかったか。
事実思いもかけぬところで、今しがたの物語と似たような過去の話を目にするのだ。
記憶力や想像力の衰退だろうか。それとも、過去が書き換えられているのだろうか。

 

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自衛隊は日本周辺の通信を傍受しているが、不可思議な通信を拾うのもしばしばだ。
フィリピン方面から来るその通信を捉えると、部内では「少尉さんが来た」と言う。
それは旧日本陸軍の暗号を用いて、部隊の健在を伝えて連絡と補給を求める内容だ。
該当部隊は昭和19年12月、レイテ島で通信を途絶したと戦史には記されている。

 

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警視庁科学捜査研究所の林技官によれば、世に出回る心霊写真なるものの99%は、
ニセモノと言う。林技官は、不慮の死を強いられた犠牲者の無念が漂う事件現場に、
何度も立ってきた。だから目の錯覚や明確な作り物で死者の霊魂を弄ぶ商業主義に、
憤りを感じると言う。科捜研では写真が外部に漏れないよう、厳重に管理している。

 

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1971年2月、韓国人のJ.S.パク博士が、研究滞在中のウィーンで失踪した。
博士の専門は電磁気学。かつて米国で実用化が模索されたある技術を研究していた。
78年頃、東海艦隊所属のフリゲート艦731番艦で行われた極秘の実験が失敗し、
兵士たちが悲惨な最期を遂げたという噂が流れたと、複数の脱北者が証言している。

 

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ハンドソープで手を洗っているといつもより石鹸の匂いがきつくそれに加え
悪臭とまではいかないものの生理的に嫌な場合がある事はおありだろうか、
そういう場合はいつもより手が汚れていたのだろう。
手の汚れが臭かった訳では無い、雑菌の死臭の濃度が濃くなっただけである。

 

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享和3年、徳川治保を藩主とする水戸藩は、宇宙人と密かに外交関係を結んでいる。
八溝山中に用地を提供し、引き換えに西洋列強に対抗する科学技術を入手したのだ。
だが幕末の水戸藩の内戦によって文書を収めた弘道館は焼失、秘事を知る関係者も、
ほぼ粛清された。郡奉行を務めた矢追家に残された八溝山絵図が唯一の証拠である。

 

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Mさんの兄はひどい経験をした後の5年間、部屋から外へ出ない引き篭もりだった。
兄がゲーム系のサイトを開いており、そこで慕われているのもMさんは知っていた。
そんな兄が失踪した。誰も兄の外出を見ておらず、部屋のPCもついたままだった。
兄のサイトは今も更新されている。Mさんはネットに消えた兄を哀れと思っている。

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