【信じようと、信じまいと】『渡り鳥の群れ』など全50話【11】ロア – 噂話集 – 嘘のような本当の話

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【信じようと、信じまいと】『渡り鳥の群れ』など全50話【11】ロア - 噂話集 - 嘘のような本当の話 信じようと信じまいと
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信じようと、信じまいと【11】全50話  ロア – 噂話

 

1935年、フィンランド。ある夫婦が畑で仕事をしていたときのことである。
夫がふと顔を上げると、遠くの方に何十羽もの渡り鳥の群れが飛んでいるのが見えた。
その直後であった。鳥たちが、まるで銃で撃たれたかのように次々と落下していくのである。
二人が唖然としている内に、渡り鳥は全て地上へと消えてしまったという。

 

□ □ □

 

1950年。ペンシルヴァニア州警察に、百貨店に時限爆弾を仕掛けてしまった、と通報が入った。
警察は直ちにその百貨店へと向かったが、それらしきものは全く見つからなかった。
しかし、その数時間後、郊外の廃病院で爆発が起きたのである。証拠が次々と出てきたため、
電話の男はすぐに逮捕されたが、自分は間違いなく百貨店に仕掛けたと言って聞かなかったという。

 

□ □ □

 

1983年、徳島県。ビルの建設工事中、地下に縦横1m、高さ1.5m程の古い石室が発見された。発見時、
石室は完全な密室状態であったという。形状や規模から即身仏となるために作られた石室であるとの
見解が為されたが、内部に遺体や即身仏は見られなかった。又、奇妙なことに、石室内部の床には、
まだ乾ききっていない大量の血液が付着していたという。

 

□ □ □

 

1998年8月20日兵庫県の深い森にて、ある大学の研究チームが古い小屋を発見した。
中は埃まみれで生活の痕跡はなく、物も大きな壺が一隅に一つあるのみだった。
壺の中は真っ暗で、底も見えない。疑問に思った一人が石を放ったが、音はかえってこなかった。
よく見ようと顔を近づけたところその男も突如消えてしまい、現在も行方不明である。

 

□ □ □

 

1890年代メキシコで子供たちに毎日お菓子をくれる、一人暮らしの老人が居た。
老人は20年間ほぼ毎日お菓子を配っていたが、ついに死んでしまった。
その後老人の家を検めてみると、食材のようなものは一切無く、また、誰もその老人に食事の世話をした人は居なかったのだ。
はたしてあの老人は何を食べ、何を子供たちに配っていたのだろうか?

 

□ □ □

 

足を動かさない状態の時、両足を紐で縛っている男がいた。
そうしていないと魂が身体から浮いてしまうので、こうしてつなぎ止めているという。
それを聞いた友人が彼の家に泊まったその夜、彼の寝室に忍び込みその紐を切ってしまった。
翌朝彼は亡くなっていた。

 

□ □ □

 

失調症患者の描く絵は、派手な色使いと画面を覆い尽す模様が描かれることが多いという。
それを聞いた画家が、派手な色使いの細かい模様が覆い尽す自画像を描いた。
その奇抜な絵に人々は驚き、彼は一躍有名になった。
だがそれから後ほど、彼の言動はおかしくなり、そしてついに失調症患者になってしまった。

 

□ □ □

 

1970年代の関西地方。一人娘を交通事故で亡くした母親が遺品を整理していたとき、
娘の部屋からまったく見覚えのない薄汚れた日本人形が出てきた。母親はそれを
知り合いの美術商に見てもらうために預けた。数日後、帰ってきた鑑定結果は
どう考えても人形は人骨でできているとしか考えられないとのことだった。

 

□ □ □

 

1980年頃、ある葬儀屋が一つの依頼を受けた。
いよいよ火葬を行ったのだが、なぜか窯の中から幼い声が聞こえる。
窯を開けると燃え盛る炎の中から赤ん坊が見つかった
家族はごく普通に、今燃やされていたはずの祖父の名を叫んだという。

 

□ □ □

 

「言葉」を喋ろうとしても、どういうものか思い出せない、という部族がいた。
彼らの村の中心には、一年中青々とした、立派な木がそびえ立っていた。
だがある日ハリケーンが来、雷が落ちてその木はまっ二つに割れてしまった。
その直後彼らは「言葉」を思い出したという。

 

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1975年、メルキス一家はTVで映画「SOSタイタニック–忘れえぬ夜–」を見ていた
メルキス一家はみなTVに釘づけになっていた。
そしてクライマックスを迎え、家族は全員大きな叫び声をあげた。
まさにタイタニック号が氷山にぶつかろうかという瞬間、家の屋根を突き破って巨大な氷塊が落ちてきたのだ。
1945年9月10日アメリカ、コロラド州フルイタのある農家。
そこでその日のオカズとなるべく、ある鶏は首を切断された。しかし首を切られた鶏は
他の鶏と同じようにエサをつつき、羽を取り繕う仕草をはじめ、その後18ヶ月間にわたり生き続けた。
「非常に頑健な素晴しい鶏だった。首が無い事を除けば」と後に飼い主は語った。

 

□ □ □

 

1901年8月10日、イギリスのケンブリッジ大学の
シャーロット・モーバリー学長は副学長と一緒に、
ベルサイユ宮殿を見物していたところ、庭を歩いているうちに
時の流れをさかのぼってしまい、1789年10月15日、
フランス革命真っ最中の光景を見てしまったという。
後に9年間の調査でこれが実証された。

 

□ □ □

 

1945年2月21日、ボストンの公共保健病院に
かつぎこまれた男が自分は過去から来たのだと主張した。
その男は、自分は1850年代のイギリスの水兵だと言う。
後に、その男の言葉を裏付ける資料がいろいろ発見された。

 

□ □ □

 

埼玉県桶川市にある玉之瀬神社の縁結び効果は絶対のものであり、
一心に願えば、ある代償と引き換えに必ずや相手は自分の虜になる。
だが、この神社に祈願して成立したカップルや長続きしたカップルは一組もない。
何故なら求められる代償は『祈願者が相手を恋い慕う気持ち』だからだ。

 

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1883年8月27日の深夜、「ボストン・グローブ」の夜勤デスク
だったエド・サムソンは、うたた寝をしてプラレイプという名の火山島
が大噴火を起こすという夢を見た。その夢があまりにも克明だったので
サムソンは内容を紙に書き留めておいた。翌朝、編集長が特ダネ記事と
誤解して第一面に掲載してしまった。次の日、ジャワ島の西にあるクラカトア
という島が大噴火を起こしたというニュースが飛び込んできた。
プラレイプというのは、150年以上前に使われていたクラカトア島の古名だったのである。

 

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2003年5月20日の深夜、シカゴ在住の少年ブライアン(9歳)は自分が宇宙船の内部で
天文学の講義を受け、月や火星をデジタルカメラで撮っているという夢を見た。
夢から覚めた少年は、急いで自分のデジタルカメラを調べると、そこには自分が夢の中
で撮った月や火星の画像が数十枚にわたって収められていた。

 

□ □ □

 

中央アジアのある地域には「ナワ高原」という名の湿地帯が、そして「チナ沼」という
名の高原がある。地質学者が調べたところ、「チナ沼」には高原にも関わらず
地層から貝類が出土し、大規模な地殻変動を示すものだと仮説が立てられたが、
湿地帯の「ナワ高原」には広範囲に無造作にえぐり取られたような痕跡が見つかったという。

 

□ □ □

 

石鹸工場で行方不明になった人がいた。
ある博士が水酸化ナトリウムの桶の脂肪分を測ってみたら
だいたい人間一人分だったそうな….

 

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とある古書店で【あなたの人生】と書かれた本を買った男がいた。
驚く事に、本の主人公が辿る人生は男のそれと全く同じだった。
気味が悪くなった男は、急いで本を焼却処分した。
数日後、男は謎の火災で焼け死んだ。

 

□ □ □

 

埼玉県桶川市にある玉之瀬神社の縁結び効果は絶対のものであり、
一心に願えば、ある代償と引き換えに必ずや相手は自分の虜になる。
だが、この神社に祈願して成立したカップルや長続きしたカップルは一組もない。
何故なら求められる代償は『祈願者が相手を恋い慕う気持ち』だからだ。

 

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本は作ることができる。
大量の本の山に何も書かれていない本を1冊混ぜ、長期間放置する。
すると、何も書かれていない筈の本に文章が書かれているという。
歴史ある図書館には、そういった本が必ず有るのだという。

 

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福岡県の某中学校で1クラス全員(担任含め33人)が首吊り自殺する事件があった。
しかし何故かマスコミでは報道されず、街BBSや地元のプロパイダの掲示板の
その事件についての書き込みがことごとく削除された。
近所に住んでいるその学校の生徒も、事件のあった校舎には入れなくなっており
教師からも調査中としか言われていないからわけがわからないと言っていたという。

 

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我々は解脱することができる。ある資料によれば、我々が死後六道を転生するのは悪行に
よって業が積まれるからであり、苦行によってこれを消滅させれば梵我一如の境地に達して
輪廻から解放されるのだという。さらに驚くべきことに、インドでは数千年前からこの事実が
知られており、今この瞬間にも苦行に励む人々がいるという。

 

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我々はロアを書いてもらってているのではない
いや、我々が自分の意思で書いているのでもない
この世に存在する無数のロアが突如頭に飛び込み
その存在を示すため我々は書かされているのである

 

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1945年に原爆実験をされたのはプルトニウム型原爆であり、広島に
落とされたウラン型原爆は一度も実験をされていない。終戦後まもなく
科学者達は核分裂理論の式に致命的な誤りを発見し驚愕する。
その誤りによれば広島型原爆はどうあっても爆発するはずが無かったという。

 

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1970年頃、100年カレンダーというものが発売された。
それはその年から100年分のカレンダーが1枚のポスターになったものだ。
そのカレンダーを見て何人もの人間が自殺してしまった。
理由は、そのカレンダーの中のどこかに自分の死ぬ日が必ずあるから、とか。

 

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一人暮しを始めて二年目になる男には、奇妙な悩みがあった。
いくら部屋を掃除しても翌朝になると、自分の髪ではない長い髪が床に落ちているのだ。
彼はあまり外出しなくなり、仕事も辞めた。
ある日彼が死んでいるのが見つかった。彼は髪で作られた縄で首を吊っていたのだ。
アメリカに住むある男性は、健康のために「腐敗した生肉」を常食している。
イヌイットの習慣に学んだもので、試してみると実際に体調が良くなったのがきっかけと言う。
現在彼は、腐った生肉健康法なる本まで出版し、その普及に努めているが、
「広い屋外で食べること。さもないと部屋に腐臭が染み付くから」と警告することも忘れない。

 

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なお現存する100年カレンダーはわずかに十数枚だが、どのカレンダーも
誤植か落丁か、100年分の日付の中から一日だけ欠いている。
ただこのカレンダーは一度しか作成されなかったはずであったにも関わらず、
どの日を欠いているかはそれぞれ異なっているという。

 

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1992年の夏のある日、それまで拒食症に悩まされていた男が、とつぜん食欲を取り戻した。
男は狂ったように食べ続けたが、7日目の朝にパタリと死んでしまった。
男の過食の話を聞いた検死官は青ざめた。死因は餓死だったからだ。
彼の検死報告によると、やせ細った男は少なくとも1ヶ月は何の栄養も取っておらず、
胃にも腸にも食べ物が通った痕跡はなかった。男は何を食べていたのか

 

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使わない鏡台に布がかけられているのには、理由がある。
埃の付着を避ける為でもなければ、曇りを防ぐ為でもない。
向こう側から覗かれるのを防ぐ為である。

 

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とある男の話である。
彼はよく一人で居る時に髪を引っ張られるのだという。
周りを見渡したところで誰が居るわけでもなく、引っ掛かるような物も無い。
帽子を被っている時でさえ、内側で髪を持ち上げられることがあるという。

 

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一人暮らしといえども人の生活する空間である以上、ゴミは溜まる。
部屋のそこかしこに散らばる髪の毛などは、まさにその際たる物である。
―でもちょっと待って欲しい。部屋の隅、冷蔵庫の裏、箪笥の上。
あなたの移動した覚えが無い場所にまで、それらが落ちてはいないだろうか。

 

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1973年、ノースカロライナ州に住んでいたトーマス・リンドは25歳の時に統合失調症を発症した。
『誰かが見ている』といつもおびえていた彼は、最期には家中の鏡を割って、その破片で喉を裂いて自殺した。
だが不思議な事は、その割られた鏡の数が511枚と尋常な数ではなかったということ、
そしてトーマスがいつそんな数の鏡を買ったのか、なぜ買ったのか、は誰も知らなかったということだ。
2003年、韓国で、人気のオンラインゲームに熱中していた一人の少年が
「俺はずっとこの中にいることにする」と言って自殺した。
ゲームは遺族を通して解約されたが、その後も彼の名前でたびたびログインがあるらしい。
現在会社側は、悪質な不正アクセスとして調査中である。

 

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メッセンジャーをしていた女性が、戯れに自分のIDで検索をしてみた。
するとおかしな事に自分の他にもう一つ同じIDが検索された。
話しかけてみると、相手は性別も年齢も名前も自分と同一の人物で、
さらに住所さえも全く同じであった。部屋の造りも、今座っている場所も。

 

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中学、高校、人によっては大学でも「数学」を学んだだろう。
40年ほど前、ある学生が戯れに 1+1=0 が成り立つことを証明してしまった。
その翌日、黒服を着た男が学生の前に現れて、
それに関する事実の一切を放棄し忘れるように迫ったという。

 

□ □ □

 

絶対に口にしてはいけない言葉という物があるらしい。
しかしその言葉がどの言語でどのような発音なのかは誰も知らない。
また、口にしたからって何が起こるのかも分からないという。
一説では一番最後の人間が死ぬ間際に残す言葉だとも考えられている。

 

□ □ □

 

男は友人に、「俺の買った家にタイムマシンがある部屋がある」と言って来た。
男は疑いながらも友人とそのタイムマシンのある部屋に入った。
すると真っ白な部屋がそこにあった。男は訳もわからず周りを見渡すと、一冊のノートが落ちていた。
一緒に入ったはずの友人が消えていた。彼はタイムマシンに乗ったのだろうか

 

□ □ □

 

ここに一冊のノートがある。タイムマシンと表紙に書かれたノートが。
ノートには、タイムマシンで時間旅行したということが書かれていた。
そして、「タイムマシンのつくり」と書かれたページがあるのだが、そのページだけ黒く塗りつぶされていた。
最後のページに一言、明らかに前のページと違う筆跡で「タイムマシンは存在しない」と書かれていた。

 

□ □ □

 

鏡と鏡を合わせると、鏡達はどこまでもお互いを映し合う。
曇りのない鏡は、自分も相手も欺いたりはしないからである。
しかしこの世には、合せ鏡という現象を起さない鏡が存在する。
それは、人間の目である。

 

□ □ □

 

夢というものは、不思議なもの。
例えば、今まで見た夢を思い浮かべて欲しい。
何人かは、そこに自分が映っているはずである。
ではそういった夢は、一体誰の視点で見ているのだろか?

 

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ある田舎で年に一度か二度くらい交通事故が起きる交差点があった
死亡事故は発生しなかったが危険なので信号を付けるように警察に訴えた
しかし聞き入れてもらえず仕舞いには「三人くらい亡くなる事故が起これば付けますよ」と言われた
一週間後、県外ナンバーの車が事故を起こし信号は設置された

 

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徳川家康の配下として活躍した井伊直政。
彼は元々外様の出であったために功に逸り、全身傷だらけであった。
しかし、1602年に彼が死去した時、死体から全身の傷が消えていたという。
8年後、同じく徳川家康の配下として活躍した本多忠勝が死去した。
彼は生涯五十七度の戦に出て身に傷を受けたことがなかった猛将である。
しかし、彼の死体は全身傷だらけであった。
死ぬ直前、彼が臥せっていた時に体を洗った時には傷一つ無かったはずなのに・・・・
ちなみに井伊直政と本多忠勝は仲が悪かったという。

 

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1867年フランスの探検家が、ある原始的な生活をおくる部族を訪ねた。
贈り物として持参した大きな鏡は大変喜ばれ、歓迎の宴が開かれた。
翌日探検家は族長に「あの料理は何の肉だったのか」と尋ねたところ、
族長は「あなたが贈ってくれた不思議な水面で取れた生き物の肉だ」と答えたという。
探検家は何の肉を食べたのであろうか。

 

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以前歌舞伎座で怪談物が上演された際、客席上を7個の人魂が飛んだ。
しかし、小道具係りが用意していた人魂は6個であった。

 

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家に帰るとカギがかかっている。何度チャイムを鳴らしても出ない。
ノックしても電話をしても誰も出てくれない。
カバンからカギを取り出し、ドアを開けると家族は夕食を食べていた。
いつものように笑顔で「おかえり」。

 

□ □ □

 

ある小学校の、屋上へ続く階段の踊り場に、たびたび大便が落ちていることがあり、
イタズラに腹を立てた教師が、屋上への階段を封鎖してしまった。
しかし完全に封鎖しているにもかかわらず、大便は翌朝また落ちているのだった。管理していた教師はノイローゼに。
その小学校は、以前「運子」という名の女子生徒が、名前によるいじめを苦に自殺していた。
そう、あの屋上から飛び降りて。

 

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飛び込み自殺の多い新宿中央線。
駅員らにひそかに囁かれる「スズキコウスケ」という名がある。
昭和期に無縁仏として埋葬された人物なのであるが・・・
今でも年に数回駅員たちは彼の死体を片付けるのだという。

 

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ノルウェーのオスロに気難しい陶芸家がいた。
生涯に壊した作品の数は5千を超えるといわれている。
死後、彼を偲んで広場に彼の胸像が建てられた。
しかし不思議なことに次の朝には自壊していたという。

 

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ある大学で数学を教えていた教授が、学生たちを前にして
「確率」のごく判りやすい例として、コインを放り投げて裏
が出るか表が出るか、やってみせた。すると…
投げられたコインは裏も表も出さず、床の上で立ってしま
ったそうな。こんなことの起きる確率は、何十億分の一であ
るか…

 

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16世紀、カリブ海のある島にスペイン人が探検にやって来た時、彼らは
不思議な海鳥のコロニーを発見した。
海鳥たちはオウムのように人の言葉をさえずっていたのであるが、それは
栄華を極めたインディオ文明の歴史を口承にしたものだった。
スペイン人たちは海鳥に言葉を教えたインディオ文明をやっきになって探した。
しかし周辺の島々には歴史はおろか文字すら持たない未開のインディオばかり
住んでいた。
落胆するスペイン人に一人のインディオがこう言った。
「我らの言葉はその鳥の鳴き声を真似て生まれたのだ」

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