【祟り】日本全国の呪われた土地『忌み地』- 絶対に行ってはいけない危険な場所

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【祟り】日本全国の呪われた土地『忌み地』- 絶対に行ってはいけない危険な場所 オカルト
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東町市崎(ショウズカ婆の田)

昔、雪の降った翌朝、一人の女が行き倒れになって凍死していた。
ここの田を夜通るとお化けが出ると言いい、子供は夜になると通らなかった。

 

東町大沼上池

四枚で20ヘクタール程の田で、首切田と呼ばれている田がある。
昔、日照り続きで凶作に喘いだ時に、隣りの田の持ち主と水を盗んだ盗まないで争いになり、持っていた鎌で相手を斬り殺してしまった。
その後、その田は祟りで災いが起きると言われ荒れ果て、水が溜まって池のようになっている。

 

江戸崎町松山

明治の廃仏令で無住のまま立ち腐れになった廃寺跡で、50ヘクタール程の宅地であるが、しばらく身寄りのない老人が一人で生活していた。
老衰で死んだ後は村で無縁仏として埋葬した。
その後、誰もここに手を付ける者はいなかったが、作業小屋を建てて利用した人が子供を癌で亡くし、続いて妻が自動車事故で亡くなるなど悲劇が絶えなかった。
この家では年に何回か土地の供養を行っている

 

江戸崎町松山

鹿島神社の近くの三又に道祖神の石祠があり、(やしんほ道祖神)と呼ばれている。
(やしんほ)とはいやしん坊の事で、何でも欲しがるという意味である。
酒を供えて願を掛ければ利益あるというが、たとえ篠竹一本でも取ると祟りがあるということで荒れ放題であった。
特別信仰の厚い人が供養の上、清掃して綺麗にした。

 

江戸崎町松山

底なし田。これは元、東光寺の免田であったという。
底知れずの深い田で、怖れて耕作する者がいなかった。
ある家で作ったが、妻は病気がちで夫は働かなくなり、家庭不和で若くして夫婦とも病気で亡くなった。

 

龍ヶ崎市愛戸町

愛戸に昔、般若院の病人田と呼ばれる、真中に松の木が生えている田があった。
一年中陰湿で下草は茂り放題。白い蛇が出るといって近寄る人がなかった。
ここを作った家では気狂いが出たり、病人が絶えなかった。

 

利根町羽中

病人田と呼ばれる田が白鷲団地の方にあって、深い田の真中で女の笠だけが浮いていた。
笠を被っていた女が、田植えの最中沈んでしまったといい、この田を買うと悪い事があるという。

 

利根町羽根野台

羽根野と早尾の間に城山という寂しいところがある。
昔、喧嘩で誰かが殺された所だという。
景気の良い人が買ったところ、良くない事が起きたという。
また、切腹山という場所もあり、武士が10人余り自害した所だといい、ここを持つとやはり良くないという。

 

龍ヶ崎市羽黒町

羽黒町から利根町の羽根野にいく道は、昔は昼でも寂しい所だった。
羽黒には大きな木と石を祀った神様があり、誰もさわらない。
やれば必ず病気になると言われ、周りが宅地化された今でもそこだけ残っている。
土建業者もよく知っているので、ここは手を付けない。

 

龍ヶ崎市長沖町

首切り田というのが長沖町のシンタクの田にある。
長沖町の幼稚園の先の辺りだといい、昔は畑で首切り畑と呼んだが元は処刑場(首切り場)だという。
昭和10年に耕地整理の際、そこを田にして作った人が1年で死んだという。
その他、長沖には位牌田といい、寺の持田だった田が2~3ヶ所ある。

 

龍ヶ崎市古城

城山から利根町奥山の観音様に抜ける道は、上がり坂で馬坂と呼んだ。
現在の龍ヶ崎潮来線の一部であるが、その近くに城根と呼ぶ場所がある。
昔、龍ヶ崎城と奥山城の戦いがあり、奥山城主敗退の際に流れ矢を受け死んだ場所だといい、作った人は必ず田の中で死ぬという。
現在は龍ヶ崎二高の一部になっている。

 

龍ヶ崎市川原代町

西道内に稲荷のある篠藪があり、女が夜通ったところ、人の首だけが出たという。

龍ヶ崎市下町

代官畑というのが下町の南にある。
旧幕時代、代官の次男がその畑で働いていた娘に言い寄ったが、拒まれて恨みに思い、罪に落とし入れた上に虐殺してこの畑に埋めたという。ここを耕作すると不幸になると言われている。
父親の代官も暴政を振るった者で、訴えに来た村民を投獄しては獄死させたという。

 

龍ヶ崎市下町

鏡田という2ヘクタール程の田が、上町と下町の境にあった。
色々言われているが、大体次の2通りの話がある。
○昔、ここの農家に非常に顔の醜い娘がいた。家人は娘に鏡を見せずに暮らしていたが、ある日田に映った自分の顔を見て驚き悲嘆し、田に落ちて死んだとも、自殺したともいわれている。

○並木の所に店があり、下女に顔の醜いタケという女がいた。
毎日田んぼで化粧をしていたが、ある時主人に(悪戯か、故意か)
後から押され、田に落ちて気絶して死んだという。

この田を作ると凶事が起きると言われていたが、戦後ある菓子メーカーが付近一帯と共に購入、工場を建てた。
当初は経営が上手くいったが、何年も経たずに倒産してしまった。
近所の人は、やはり良いことがなかったと話したという。
現在は幼稚園になった。

 

龍ヶ崎市宮淵町

昔、ここの内野という所に、祟りがあると嫌われる病人田があった。
アヒル小屋と言われてアヒルを飼っている家があり、そこの者が耕作したところ病人や怪我人が絶えず、困り果てて作るのを止めた。
農地構造改善事業で今はない。

 

龍ヶ崎市貝原塚町

昔、根町の般若院がここの篠藪で覆われた荒れ野にあったと言われ、大きな塚が寺領の片隅にあったという。
般若経をこの塚に埋めた場所で、祟りのあるとする藪畳だった。
龍ヶ崎ニュータウンとして宅地開発され、消滅した。
発掘をした担当者が事故で怪我をしたという。
また、ニュータウン用地となった場所には念仏塚という塚もあり、経石が籠一杯出たが、掘った者に不幸が起きて又埋め戻したと言う。

 

龍ヶ崎市宮渕町

堀田と呼ばれていた地区に、江戸時代の総代名主の屋敷跡があった。
御白州もあり、罪人の仕置きも行われた場所で、昔は蔵からお化けが出るとか女の泣き叫ぶ声がするという噂もあった。
近辺住民の子供らなど、夜は恐怖していたらしい。
ある家で次男が分家の際、この跡地の一部を買って家を建てた。
すると夜は夢の中に恐ろしい姿の人や光景が出て悩まされ、とうとう精神を患い入院してしまった。
人に勧められ、お寺で供養してもらってからは平穏無事であるという。

 

牛久市島田町

かろうど畑という畑が鹿島神社近くにある。
この地域の人などによく知られた祟りある畑で、昭和50年頃までは一人暮らしの老人が野菜を作っていたが現在は荒れている。
付近の人は貰ってもいらないと忌み嫌われている畑で、幾人もの人を不遇な目に遭わせてきた話がある折り紙つきの因縁畑である。
「かろうど」とは唐棺の事だと指摘する人もあり、昔は古墳があったといわれている。
以前まで畑の中に藁で出来た粗末な祠があったらしい。

 

牛久市島田町

小野川の土堤に近い場所に薬師様の田というのがある。
以前ここに薬師堂があり、地元では祟りがあるとの事で誰も作らなかった。
20年程前、龍ヶ崎市大塚町の青年たちが何かの資金稼ぎの為に共同で作り始めたが、先立った者が何人か死ぬという事故が起き、そのまま耕作を止めてしまったという。

 

龍ヶ崎市若柴町

ここにも薬師様の田んぼといわれる田がある。
大羽谷津の松原近くにあり、この田に入るとデキ物が出来るといってタニシ取りになど行かなかった。
(利根流域は住血吸虫の害があった)
この近くには昔化け物がよく出たといい、ある人が刀で斬ると消えてしまった。
血が流れていたので跡を着けてここまで来ると、古道具を埋めた所だった。
掘ったら刀傷のある箪笥が出てきたという。

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