心霊ちょっといい話『金木犀の季節』など短編全5話

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心霊ちょっといい話『金木犀の季節』など短編全5話 不思議な話
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百歩

 

うちの母の体験した話。
骨董関係の店をやっている母の知人から仏像をもらったんだが、その仏像が来てから家に良くない事が続き、気味が悪いので神社に持っていく事にした。

神社で祈祷してもらい、帰ろうとした所見知らぬ老人が母に声をかけてきて自分と100歩一緒に歩いてくれと言ってきた。
変なのに捕まっちゃったと思いつつ、頭の中で1歩、2歩・・・と歩数を数えているとすかさず老人から「お前は数えんでええ」とのツッコミが。
だいたい100歩位歩いたかと思ったら、老人の姿はなくなっていた。

後で母が知ったのは、仏像を納めた神社は戦没者を奉った神社だったという事。
思えば祖父(父の父)は戦死していて、老人は年の割に長身で父と背格好が似ていたらしい。
祖父が何かを感じて見送りに来てくれたという事なら、ちょっといい話だと思った。

 

 

お人好し

 

友達が倒れてそのまま息をひきとったと聞いて急いで地元に駆けつけた。
その後仮通夜、お通夜、葬儀告別式と出た。
夜は彼女の通夜で久しぶりに集まった友達数人と毎日遊び歩いていた。
亡くなった友達との思い出話を語りながら。

そして地元から家に帰る日。いつも乗っていた特急の発車時刻を間違えて乗り遅れた。
「今までこんなことなかったのにな」と実家に戻って昼寝をしてから帰ることにした。

親の寝室で布団にくるまった。
今度こそ乗り遅れないために余裕をもって準備できるよう早めの時間に携帯のアラームをセットして寝た。

その後時間を知らせるアラームが鳴った。
「あともうちょっと」と、うとうとしながら寝返りを打ったときドアの向こうから「○○(←私のアダナ)、もう起きて準備しないとまた乗り遅れるよ」と声がした。

亡くなった友達の声だった。やさしく穏やかな口調。はっきりと聞こえた。

ずっと見ててくれたんだ。一人でかかえてられなくて毎日友達と遊び歩いてろくに寝てなかった私を心配してくれてたんだと思った。
特急に乗り遅れたのも彼女が「ちょっと休んでから帰ったら?」と言ってくれたのかもと思うと、すべてが納得できた。

友達や周りの人を大切にしていつもニコニコしてた彼女。
だからあんなにストレスで体が病んでたなんてしらなかった。
私は何もしてやれなかったのに、死んでからも私の心配してくれるなんて「どこまでお人よしなんだよ」と空中にツッコミを入れた。

きっとまた会えるよね。
私が天寿を全うしてそっちに行ったら一番に会いに行くよ。

 

 

金木犀の季節

 

両親を事故で亡くした俺には、9歳離れた姉貴がいた。
ガキの頃、肥満気味で両親がいなくて苛められてた俺をいつも助けてくれた。
優しくて、強くて、俺の自慢の姉貴だった。
秋になると金木犀の花を部屋に飾った。
お姉ちゃんが一番好きな花なんだよと笑って。
高校にも行かず、朝から夜まで働いて俺を養ってくれた。

そんな姉貴が、死んだ。

事故だった。
結婚が決まって、やっと幸せになれる日を目の前にして、姉貴は逝った。
享年27歳。
俺は兄貴になるはずだった人に後見人を務めてもらい、小さなアパートに部屋を借りて就職をした。

5年経って、俺は職場で出会った彼女と結婚を決めた。
式の前日、姉貴が夢に出てきた。
姉貴は俺にごめんなさいと謝った。
大学まで行かせてあげたかったと。
俺は高校出たら働いて姉貴に楽させてやりたかったよ。
姉貴は私の分まで幸せになりなさいねと泣きながら笑って言った。

姉貴の式の日に、今まで有り難うって言って渡すはずだった金木犀の苗木は、俺の家の庭に植えた。

今年も金木犀の季節がやってくる。
俺はきっとまた、姉貴がいた頃を思い出して泣く。

 

 

私のおじいちゃんとおばあちゃん

 

私のおじいちゃんとおばあちゃんの話。

おばあちゃんちにこの間泊まったら、してくれた話。
方言が激しいから、言った言葉は標準語で書きます。

お祖母ちゃんは、生まれつき目が悪かったんだけど、戦時中、9人居る兄弟の為に働いたり、ご飯とかを分けてあげたりして、
十分な食事を取らなかったから、目がほとんど見えなくなった。
その頃から、ばあちゃんは、人が見えないものが見えるようになった。

多分、ばあちゃんの目が見えなくなったのは、それだけじゃない。
結婚する筈の男性が、戦艦に乗って「名誉の戦死」をして帰ってきた。

「たくさんの仲間達が御国の為に死んでるのに、こんな事、言ってはいけないと思うけど…
俺は、あなたの為に生きて帰ってきたい。
あなたと、家を作って、子供いっぱい作って、幸せに暮らしたい。
俺が漁に行って、あなたはそこの浜で、子供たちと一緒に手を振って『ご飯だよ』
って待ってて欲しいんだ」
「生きて帰って来てね。待ってる。ヒュウズたくさん作って待ってるよ」
「うん、帰ってくる。腹いっぱい、あなたの作ったヒュウズ食べるんだ」
と、別れの夜に、ばあちゃんを抱きしめて言ったそうだ。
その男性と結婚式をする筈だった1ヶ月前の出来事だった。
ばあちゃんは、その人の無事を祈った。
手紙が届いたら、何度も読み返して。
(ばあちゃんはほとんど学校に行けなかったから、その人は平仮名とカタカナで書いてくれたそうな)
自分で拙いけど、何度も「オクニノタメニガンバッテクダサイ」
と、帰ってくる祈りを込めて返事を書いた。
本当は「生きて帰ってきて」と書きたかったって言ってた。
「あなたを、ずっとずっと愛しています。忘れません。どうか幸せになってください」
の言葉を最後に、その人からの手紙は途絶えた。

そして、数ヵ月後、終戦を迎えて。ばあちゃんが畑を耕していると、畑の向こうに、軍服姿の許婚の姿があった。
「謙蔵さんですか」と問うと、その人は悲しそうに頷いたそうな。
「戻ってきたのすか?」と、また頷く。
「じゃぁ、一緒になれんがね…」首は横に振られた。
嫌な予感がしたのと、何やらその男の人の実家が騒がしいので(ご近所さんだった)行って見たら、その人の変わり果てた姿があった…んだって。
もう、骨だったみたいだけど、遺品の中に、ばあちゃんの写真と、手紙があったという。
ばあちゃんが見た、結構クリアな映像は、それが最後だって、言ってた。
ばあちゃんは、その人が食べたかったヒュウズを、食糧難の中、材料を掻き集めて、頑張って作って、供えた。ご家族は泣いてたって。
「謙蔵が好きな物…食べたかったろう。ありがとう、ありがとう」と。

数年後、落ち込んで力も出ないばあちゃんに、見合い話が舞い込んだ。
相手は、ばあちゃんの住む村から遠く離れた山奥の農家の長男だった。
それまでも、何度か見合い話があったけど、ばあちゃんは断っていたそうで。
曾じいちゃんと曾ばあちゃん(ばあちゃんの父母)の勧めもあって、その人と結婚した。
その人が、私のじいちゃんとなる人だ。
じいちゃんは、牛を育てたり、畑を耕したり、山に入って獲物を取ったりと、働き者だけど、お酒と煙草がやめられない人だった。
ある意味、ちょっと自暴自棄だった。
一人で大木を切り出してきたり、犬も連れずに熊狩りに行ったり。
大怪我をして帰ってくることも多かった。
心配して、ばあちゃんは「もう、なんでそんな事するの」といつも泣いていたそうだ。
ある夜、じいちゃんが、「俺はな、特攻隊に入る筈だった」と語りだした。

「特攻隊に入るかも知れないって時、俺は死んだ仲間を思い出していた。
赤ん坊の頃から友達だった近所のの○○や●●だって、特攻したりでこの世に居ない、 俺がこのまま生きている訳にも行かないからな。
でも、覚悟を決めた時に、終戦を迎えた。俺は死ねなかったんだ」
と、酒をかっ食らった。
でも、ばあちゃんには、その、じいちゃんの幼馴染とかが見えてた。
一人は航空隊、もう一人は海兵だった。
「はっちゃん、なんでそんな事するの」
「そんな事しないでくれよ、ちゃんと生きてくれよ」
と、幼馴染達は嘆いていたそうだ。
「幼馴染の人等が泣いてるよ」と言うと、
じいちゃんは少し黙って、「そうか」と言って項垂れた。
それからは、じいちゃんは自暴自棄な事を抑えた。酒と煙草はやめなかったけど。
子供は四人設けて、一人は死んだけど、結構幸せな家庭だった。

時は流れて、私が生まれた。
6人の孫の中で一番年下の私を、じいちゃんは猫可愛がりして、どこに行くにも連れてった。
小さかった私は、じいちゃんの後ろを付いて歩き、
じいちゃんがちょっとでも見えなくなると、「じいちゃ、じいちゃ」と泣く赤子だったそうな。
山菜取りとかに行くときに、背負い篭に入れられて行った事も覚えている。
八歳の時に、じいちゃんは脳に血の塊が出来て倒れた。
じいちゃんのお見舞いには一回しか行ってない。手が痛くなるほど手を握られた。
闘病生活があまりにも壮絶で、「●(私)の前では元気なじいやんで居たい」と、まだ大丈夫だった頃、じいちゃんは言ったそうだ。
もう、何もわからなくなった頃、頻りに「ばあやん、ばあやん」と、じいちゃんは言うようになった。
昼も夜も、ずーっと「ばあやん、ばあやん」
ばあちゃんは目が全く見えなくなっていたので、介護できずに家にいたのですが、ばあちゃんの妹やうちの母さん達が看病している時に、ずっと、「ばあやん、ばあやん」
「私は、ばあやんじゃないよ。今度ばあやんって言ったら10円取るよ」と、ばあちゃんの妹は言った。
「ふん」と、頷くけど、じいちゃんは「ばあやん、ばあやん」
死ぬときも、最後まで「ばあやん、ばあやん」と呼んでいたという。

そして、じいちゃんは、年の暮れに逝った。72歳だった。
死ぬときに、私に挨拶をしに来た。いつもの農作業着で、農協の帽子をかぶって、「おー、●、ほんじゃな。良い子にするっこだぞ」と、じいちゃんは消えた。
その頃、ばあちゃんの家では、玄関が開いた音がして、ばあちゃんが「じいやんか」と聞くと、「ふん」と、頷く声がしたそうで、
「逝くのか」と聞くと、また「ふん」と。
ばあちゃんは泣いた。
「お盆になりゃ帰ってくるけどね」と、笑うけど。

でも、ばあちゃんはそれから夢を見るようになった。
玄関のところに、じいちゃんが立っていて、「どこに行くの」とばあちゃんが尋ねると、「ちょっとよ」と言って、歩いていってしまう。
家を離れて曲がり角を曲がると、じいちゃんと、幼馴染達が談笑していて、死んだ娘もいる。
その中に、何故かばあちゃんの昔死んだ許婚も居て、ばあちゃんを見て、ニコッと笑って。
皆で何処かに行ってしまう。

「まだ呼んでくれないのね」
と、ばあちゃんは笑ってた。

 

 

丈夫な足をありがとう

 

それは 私がまだ小学生だった時のこと。
明日はいよいよ学年マラソン大会。
鈍足でヘタレな私は、本気で「明日突然風邪を引けよ自分!」と思いながら布団に入った。

布団に入って暫くすると、金縛りにあった。
目を閉じているのに部屋の中が見える。
足元を見ると、白い人影のようなモヤが 私の足をさすりながらなにやら呪文のような物を唱えている。
最初は心臓バクバクで(ノ゚Д゚;)ノヒィってな感じだったけど
その内 この白いモヤは、死んだばぁちゃんだと思った。
明日のマラソン大会の為に、私の足にオマジナイをしてくれているんだと思った。

次の日のマラソン大会では、みごとビリ!
完走した事が唯一の救い。
『ばぁちゃん ダメダメじゃん。』と子供心に現実の厳しさを実感した。
下校時も、マラソン大会の疲労とビリの汚名を引きずり、仲の良かった友達に完走できて良かったと励まされながらの下校となった。

私の横で友達が、一生懸命励ましてくれていたが、私の心の中では
『私がお母さんに反抗的だから、ばあちゃんが仕返しにきたのか?』
などと思っていた。
その時
私は交通事故に遭った。
わき道から出た時に、走って来た車が 私の膝にぶつかった。
バーンというもの凄い音に、近所の人たちも家から出てきた。
友達は、後ろで肩をすぼめて震えている。
車の運転手は、直ぐに車から降りてきて病院に連れて行くという。

だけど…私に怪我は無かった。
骨にヒビが入っているかもしれないから、一度病院で見てもらった方がいいと回りの大人たちも騒いでいたけど、私はそのまま歩いて帰った。

それから数年が経ち バイクで事故った時も救急隊員や医者は、膝の皿が割れていると思う程の怪我をしたが、骨には異常は無かったので、2週間程で退院した。

どうやら…
ばあちゃんは、骨が折れないように。大事にならないようにとおまじないをかけてくれたのかもしれない。
そう思えるようになったのは、自分が人の親になってからだった。
見た目綺麗な足ではないけど、早く走れる足ではないけど、丈夫な足をありがとう。
ばぁちゃん&お母さん。

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