心霊ちょっといい話『龍神の使い』など短編全5話

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心霊ちょっといい話『龍神の使い』など短編全5話 不思議な話
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親子は親子

 

私の父が亡くなった時のお話です。
もう、20年近く前の話しですが・・・・

父は私が幼い頃に保証人倒れで会社を潰しました。それからは、母と二人債権者から逃げる毎日でした。
家にあったものは全て持っていかれ、最終的には家にも居られない状態になり幼い私には、どういういきさつか分からないのですが、飯場を転々としながら板のような椅子で寝起きしていました。
小学校1年生は丸々学校に行ったことがありません。
何とか母と二人で住まうところが見付かりましたが、食べるものも無く野の草を食べ、給食のパンを持ち帰り、母はそれで命を繋いでいました。
母に手を引かれて線路脇に立ち尽くしていた記憶も消えません。

大きくなるに連れ、生活保護を受けたりしながら追われる生活からも段々と解放されていきましたが私の中で、全てが父のせいだということを理解し始め怒りや父に対しての恨みも大きく大きくなってきました。
中学を卒業して美容師になり、家計を助けることになりましたが その頃の私は消息不明になってしまった父を探して殺してやる・・・と、その事ばかり考えて生きていました。
休みを使っては、父を探し周りましたが今思えば何の手がかりも無く見付かる訳もありません。
それでも、一級建築士だった父の仕事関係から片っ端に探し回りました。
母には、どうしても父を探している事は言えずにいました。

ある日、母の留守に何かの用で箪笥の引出しを探っていると小さなメモが出てきました。
住所だけが書いてある紙でした。東京の池袋・・・。何と無くピンと来て次の休みに出かけてみました。
しかし、余りに入り組んだ路地に下宿のようなアパートが立ち並び苦難しましたが、やっと探し当て父が住んでいる事だけを確認し、帰って来てしまいました。その時のバッグの中には包丁が忍ばせてありました。

探し探した父が、あそこにいるんだ・・・という思いは、何故か私の何年もの思いを揺さぶりました。
近所の方の話しだと、脳溢血で何度か救急車で運ばれて歩くのもしゃべるのも困難だと言うことでした。
私の中には、いつも堂々とした父の姿しか無かったので愕然としたものです。
次の休みにまた出向いてみました。その時、私の手には父が好きだったアジの干物と減塩醤油・減塩味噌がありました。今でも不思議な行動です。

いざ父と対面すると、まだ60代には遠いはずなのに70歳過ぎのオジイチャンに見えました。
持って行った紙袋を放るように渡すと、結局 何の会話も無く驚いた父の顔を見て帰るしかありませんでした。
正月が近かくなっていた ある日、母に「今年の正月はお父さん呼んでやったら?」と
自分でも驚くような事を言い出しました。

父の倒産以来、家を出ていた兄にも偶然連絡がつき 十数年振りに質素ではありますが家族全員が揃って正月を迎えることができました。丁度、私の成人する年の正月でした。
口の回らない父は、ずっとニコニコと笑っていたのを覚えています。
「孫の顔見るまでには元気になっときなさいよ!」などと言っている自分・・・
それが本音なのか、老いて病んでしまった父への同情からなのか、その時には分かりませんでした。

父が亡くなったという知らせを受けたのは、その年の3月の初旬でした。
日曜日の目が回るほど忙しい日で、ワタワタと仕事をこなしていると普通に今までカットしていた櫛がいきなり真っ二つに割れました。
あり得ない事ですが、それに構っていられないほどの忙しさだったため
「何か起こらなければいいな・・」と、元々勘のある自分は頭の隅っこで思っていた位でした。
次の瞬間に電話が鳴りました。店長が電話を取って二言三言話すと、私が呼ばれました。
受話器を渡される時に「直ぐに帰れ」と言われ、受話器を取ると兄が「お父さん、死んじゃったよ」と。

放心状態のまま、頭を下げて仕事を早退し待ち合わせた渋谷に向かいました。

父は夜中に苦しみ出して、壁の薄い安普請だったため隣の方が気付いて救急車を呼んでくださり病院で息を引き取ったそうです。誰にも知らせずに無塩仏にしてくれと囈で言ったそうで、家族に連絡を取るのに病院の方では苦労なさったみたいです。知らせを受けて向ったのは、下落合の火葬場でした。

大きな火葬場の隅にある霊安所に数体の棺に入ったご遺体と並んでいましたが、父のだけ花も手向けられずに白木のままありました。顔を見ても涙も出ませんでした。全くピンと来なかったのです。

あれだけの思いをさせられてきた母が、独りで逝ってかわいそうにと涙していました。
一番、シラッとしていたのは多分私だったでしょう。あの時の感情は今でも分かりません。
殺したいと思い続けて来たはずなのにという気持ちと正月の父の笑顔・・・

その火葬場の一室を借りての、本当に家族だけの通夜・葬儀となりました。
アコーデオンカーテンに区切られた幾つもの部屋の一室でした。真正面には焼き場です。
控え室は、一度外へ出てから共通の階段を使って二階になりました。トイレも共同です。

兄も母も怖がりで、通夜の夜には二人でトイレに行ったりしていましたが、私には父が部屋の中に居る「空気」みたいなものを感じ、何と無く温かい気持ちになっていました。
3月の初旬だったので、深夜になると暖房があっても寒さを感じ控え室に置いてある上着を持ってくる事になりました。
スクッと立ち上がって一人で上着を取りに行こうとする私を大丈夫か?という顔で見る兄と母。でも私は怖くも何とも無かった。

ただ、暗いのと やはり真正面が焼き場というのは気持ちのよいものでもないのでサッサと上着を取り階段を下って部屋に戻ろうとした時です。階段の踊場の丁度私が降りていく真正面に大きな姿見がありました。
そこがボッと薄明るくなったので目をやると、浴衣姿の父が映っていました。

身を小さくし、困ったような笑顔で深々と頭を下げる父。暫くは抱えていた上着を取り落とし父に見入ってしまいました。頭を掻きながら、もう一度深く頭を下げると薄明かりが消えるのと共に消えてしまいました。

戻ってから、兄と母に話すと「お前に一番何もしてやれなかったから謝りに来たんだね」と言われました。
同時に「自分が行かなくて良かったー」と。。。。。。

質素な通夜が終わり、質素な葬儀が終わり、最後のお別れの時です。
棺の蓋が全部明けられたときに、もう一度驚きました。
死装束を着ていると思い込んでいた父は、病院で着せて貰った浴衣のままだったのです。
その浴衣の柄は、私が前夜に鏡の中で見た浴衣の柄でした。
「何故、冬なのに浴衣なんだろう・・」とずっと思っていたのが、納得がいきました。
既に焼き場へ向う準備をされていたので、急遽浴衣の上から白装束をかけてもらい旅立って行きました。
長旅になるでしょうから、浴衣姿じゃ寒いですものね。手甲・脚半も無ければね。

父さん、段々本当に大人になって子供を持って、あなたの残した仕事を見せて貰って親父としては3流以下だったけど、男としては・・・仕事人としては尊敬すべき人だったのかもしれない。
呑めない父さんだったけど、私は母さんに似てのん兵衛になっちゃったよ。
仕事も20年、一筋に続けて来れて今なら大人同士として、親同士として話しができたのになって思う。
今だったら、心の底から「元気でいなさいよ!」って言えたのにね。
あなたは、きっと幸せだったと思う。自分の生きたいように生きて死にたいように死んだんだよね。
片付けに行った時、全く手付かずの薬をキチンと段ボールに詰めて・・・。

ドアを開けた時、点いたままの電気とこんもりとしていた掛け布団を見て、お気に入りの席に座って一番見える所に、母さんから内緒で渡されたんでしょ?私の成人式の写真があった。
初めて涙が出たよ。
あの時だったら、やり直せたのかね・・・うちの家族。あの正月からだったら。
いや、あっちからいつも寸での所で母さんを追い返してくれてありがとう。
母さんがそっちへ行くのは、もうちょっと待たせてね。

 

 

龍神の使い

 

うちの兄は10年ほど前に亡くなりました。
亡くなる前々日、何時もは帰ってすぐ部屋に入ってしまう兄が珍しく私にPCの使い方を教えてくれた事を思い出すと今でも涙が出てきます。
その翌日、兄は会社を無断欠席し、家にも帰らず、翌々日遠い地方のホテルで遺書もないまま自殺をしてしまったのですが。

で、まあ当たり前かもしれませんがその話はあまり人にはしてなかったんですよ。
特にネット繋がりの友人とかだと兄がいる事すら話してませんでしたし。

その後、暫くしてあるイベントのために私は友人と某県に出掛けました。イベントは楽しく終了し、ネット仲間で飲み会をすることにしていましたので、時間までゲームセンターで時間潰しをしていました。
その時に、友人(私の兄の事も知っている)が不意に
「そう言えばその内私もお兄さんにお線香あげにいかなきゃ」と
ポツリと呟いたのです。
突然の台詞に「何言ってんだ?」と思ったのですが、まあ「ありがと」と返しておきました。
すると、同じく飲み会に参加するグループの一人の女の人が突然、「すいません、そのお兄さんってもしかして黒髪短髪でここにこう言う風にほくろのある人?」と言って来たのです。

彼女とは面識がなかったのですが、確かに兄は黒髪短髪、その女性が示した所に特徴的なほくろがありました。
驚いて頷くと「今、お友達さんがお兄さんにって言ったらあなたの後ろにどっかの風景が映って、その男の人があなたの頭をなでてたの」と言われました。
彼女はちょっとばかり霊感があり、占いをしている方だそうで。
兄が何か告げたいようなので見てあげる、と言われました。
半信半疑でお願いすると、
「あなたのお兄さんはあなたのお父さんの血の人が運んだ水を守るためにお父さんの田舎にいて、土地を守っている。 そこは(以下とある所から見た風景)な所で、小さな祠と石がある、その石にお兄さんはずっと座ってる」
と言われました。
私はその風景がなぜかふわりと頭に浮かびましたが、そんな場所も祠も心当たりがなかったので、取りあえず心にとめるだけで本気では信じていませんでした。

それから、私は彼女に会うこともなく1年ほど経ちました。
ある時、久しぶりに父親の田舎(本家が住んでる。うちは分家)に行く事になり、何となく両親より1日早く一人でそこを訪れました。
その時、なんとなーく本家のばーちゃん(祖母の姉)に「ここら辺に水に関係のある祠とかってあるの?」と聞くと、ばーちゃんはちょっと驚いた顔をして「そんなのあんたに話したっけ?」と言いました。
そして連れて行かれたのは、本家の家から10分ほど歩いた杉山に続く林道。その途中の獣道みたいな坂をちょっと登った所に小さな祠がありました。そして、その脇に60センチ角の白い石が。
ばーちゃん曰くその祠は祖母とばーちゃんの父親(私の曾祖父)がこの集落が水不足だった時にある水が綺麗とされる山から龍神を勧請するために持ってきた石が祭ってあるとのこと。
そして、この白い石はいつのまにかここにあったとのこと。
この祠のお陰か、近所の井戸はもう濁ってるのに、うちの井戸だけは何故か水が綺麗で、普通に飲める事を聞きました。
そして「ちょっと前まで井戸が枯れかかったんだけど、あんたのお兄ちゃんが亡くなっ49日が過ぎたらまた水が出るようになった」と。
私はそれを聞きながらも半信半疑。偶然だろうと思ってたのですが。
祠から林道に降りようと振り向いた途端。

目に飛び込んだ景色はあの時彼女に聞いたままの景色だったのです。
山の間に広がる田んぼ、(砂利で)白い道。被さるような緑に赤い実(桑が植わってました)。彼女の言葉が頭の中に蘇り、私は思わずその場で泣き伏してしまいました。
ばーちゃんはいきなり泣き出した私にびっくりしましたが、訳を話すと「おにぃは山神か龍神の使いになったんだねえ」と泣きながら笑いました。
翌日、1日遅れでやってきた両親にもそのことを話すと「もっと早く教えろ」とちょっと怒られましたが、そのまま偶然遊びに来ていた親戚の土木屋さんに頼んで祠の周辺を整備し、坂には階段を作ってもらいました。

亡くなった兄に関する話しはこれ1個で、誰の夢枕にも立ってはくれませんが、まあ、元気でやっているのでしょうと思う事にしています。

因みに祠を整備して以来、田舎に行く時は必ず晴天です。

 

 

自責の念

 

じいちゃんが死ぬちょっと前。
俺が幼稚園ぐらいの時に、飼ってた犬が亡くなった。
名前はミミ。
隣に住んでいた人が夜逃げして一匹取り残されていたのを、
可哀相だからとうちで飼っていた。
肉の中に薬を入れても、器用に肉だけ食べるような賢い仔だった。

きっと老衰だったんだろうけど、
ミミが死んだのは俺のせいだと、ずっと悔やんでいた。

以下、自分のサイトに載せた文章コピペ(チョット改)です。

或る日、珍しく俺が散歩に連れて行った。
ちょっと氣が向いただけだった。
きっと喜ぶだろう、と。

俺が生まれるずっと前からいた。
正確な事は分からないが、きっと結構な年だっただろう。

帰り道、爪から血が出ていた。
危ないところを歩いた覚えはない。
足に負担が掛かり過ぎたんだ。
家まではそんなに距離がなかったが、俺はミミを抱きかかえて帰った。
よく考えてもみろ。
必死だったことは差し引いても、俺は4つとかそこらだったんだ。

何て、軽さ。

きっとその時にはもう、
だいぶ弱っていたんだ。
それでも俺に附いて散歩をして。
爪から、血まで出して。

それから暫くして、所定の場所の勝手口。
戸を開けても、名前を呼んでも、何処を探しても、
もう、何処にもいなかった。

ごめん、俺のせいだ。
無理に散歩に連れて行ったから。
皆分かっていて連れて行かなかったのに。

足、痛かっただろ?
辛かっただろ?
なぁ、俺なんか嫌いになったよな。

だから…
俺を置いて逝っちゃったんだろ?

最期の挨拶をさせてくれずに。
謝らせてもくれずに。

…何で散歩に附いて来てくれたんだ。

…この文章をアップした夜に、ミミが夢に出てきた。
そこでミミの姿をを思い出した。
悲しいことに、鳴き声も姿も、もう思い出せなくなっていたから。

あの日、あの場所、俺はリードを引いていた。
「もう散歩はやめよう。」
そう言って抱きかかえようとすると、ミミは俺の腕から逃げた。
「行こう。」
そう言うようにミミは先を歩くので、俺は泣きながら後についた。
これ以上行ったら…。
あのときの光景が頭をよぎった。

しかしミミは元気に走り回り、何事も無く家に着いた。
俺は「ごめん、ごめんなぁ」と、ミミに抱きついてひたすら謝った。
「いいんだよ。君は良くしてくれた。じゃあね。」
ミミはそう言って俺の顔をペロンと舐めて、俺の匂いをふんふん嗅いだあと
そのまま家の奥、仏壇のある部屋に消えてしまった。

起きてからも、暫く涙が止まらなかった。
挨拶をさせてくれた。
謝らせてくれた。
許してくれなくてもいい。
ミミが会いに来てくれた。
俺に、会いに来てくれた。
そのことが、ただ嬉しかった。

じいちゃんも、ミミも、今の俺に至るきっかけになっている。
俺は今、専門学校に通っている。
人の役にたつ仕事につくよ。
もうちょっとしたら、血が出たってすぐに止められるようになるよ。
…動物看護師になろうと思うんだ。
だからさぁ、
だから…
見ててくれるかな?

 

 

まるで生まれ変わりのよう

 

去年の夏に、10年間飼っていたわんこがガンで亡くなった。
病院で獣医の話を俺の膝に寝かせながら聞いてたのだが、獣医が、
『もう治りません、延命のためにはそれなりのお金がかかります』
って言った直後に
「きゅ~ん」
って鳴いて間もなく逝ってしまった。
犬種はシーズー
そのなかでもわりとめずらしいグレーの毛色だった。
俺はしばらく立ち直れなかった。
賛否両論あるかもしれないが、亡くなった悲しみをうめるためにまた同じ犬種を飼おうと思った。
生まれ変わりがいいと思い。
亡くなった日になるだけ近くに産まれたわんこを探した。
必死に探して亡くなってから五日目に産まれたわんこを飼うことに。

亡くなってから約三ヵ月、茶色の毛の色をしたシーズーが我が家にきた。
沈んでた空気が一気に明るくなったよ。
新しいわんこの為、そして何よりも亡くなったわんこの為にもあいつのことを忘れなきゃいけない。
と思いつつもやっぱり心残りがあった。
今となっては大分落ち着いたんだが…
でも悲しみを忘れかけてた矢先、少しだけ変化が…

今のわんこの毛が茶色からグレーになってきた。
それもだんだん範囲が広がってきてる。
飼う前にペットショップの店員に、毛の色が変わることはまず無いと言われたのでびびりました。
あとこれは成長したからだと思うが、顔も最初は全然にてなかったけど最近は本当に似てきた。
ものすごく吠えまくるうるさかった性格もなぜかおとなしくなってきた…
ちなみに前のわんこはかなりおとなしかった。
上記のことにはそれなりに理由があると思うが、未練タラタラの俺は尚更前のわんこを重ねてしまうよ。

 

 

真昼間に出た幽霊?

 

雑種犬を飼っていた。フカフカ真っ白で、ピンクの鼻を持つオス犬w
鼻に合わせてオカンが買った首輪はピンク。オスなのにw
名前までかりん 女のコチックw

その時は、丁度ゴールデンウィークだった。
遠方に住む友人の所へ泊りがけで出掛け
連休も終わり頃になって、深夜に帰宅した。
長旅と遊び疲れで、ぐっすり眠った。
目覚めるとすっかり明るくなってる様。~お昼くらいかな?

ふと気付くと窓の擂りガラス越しに、かりんがしっぽを振って
こっちを見ているのが分かる。行儀良くお座りして動かない。
休みもあと少しだし、今日は遊んでやらなくちゃ。
「お日様の高い内にな~かりん」…とか話し掛けながら
そのまま二度寝してしまった。

夕方起き出して、さぁ散歩でもと思って外に出るとかりんが居ない。

そこへオカンが買い物から帰って来た。

「かりんは?」
「…かりんなァ、昨日の夕方、交通事故に遭ぅて死んでん…」
「ww何言ぅてんの、昼にはオレの部屋の前でおったで」
「…あんたが一番かわいがっとったから、お別れに来たん違う?」

擂りガラスの向こうで、確かにピンクの鼻先がヒクヒクしてた。
「かりんおはよう」と言うと、しっぽをぶんぶん振った。夢じゃない。

そうなのか?お別れを言いに来てたのか?かりん。
横着してないで直ぐに起きれば良かった、ごめんよ。
最後のチャンスだったのに。何て間の悪い。オレはいつだってそう。
ここぞという大事なタイミングを外す。

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