兵隊さんと分け合ったミロ
子どもの頃、いつも知らない人が私を見ていた。
その人はヘルメットをかぶっていてえりあしに布がひらひらしてて、緑色の作業服のような格好で、足にはほうたいが巻かれていた。
小学生になってわかったが、まさに兵隊の格好だった。
その兵隊さんは私が1人で遊んでいる時だけでなく、校庭で遊んでいる時や母と買い物でスーパーに行った時、いつでも現れた。
少し離れたところで立って、私を見つめている。
自分以外には見えていないし、いつもいつの間にか消えている。
私も少しはこわがってもよさそうなものだったが、何せ物心ついた時からそばにいるし、何よりその人から恐怖心を感じるようなことは全くなかった。
きりっとしてて優しげで、古き良き日本人の顔って感じだった。
やがて中学生になった。ある日いつもと違うことが起きた。
テストを控えた寒い日、夜遅くに私は台所でミロを作っていた。
ふと人の気配がしたので横を見ると、兵隊さんがいた。
けれどその日は手を伸ばせば触れるくらいそばにいた。
ぼけた私が思ったことは「意外と背低いんだな」くらいだった。
―それは何でしょうか?
体の中に声が響いたような感じだった。兵隊さんを見るとまじまじとミロの入った鍋を見ている。
ミロって言ってもわかんないよね・・・と思った私は「半分こしよう」と言ってミロを半分にわけて、カップを兵隊さんに渡した。
―失礼します。
そう声が響いて、両手にカップを持ってふうふうしながら兵隊さんはゆっくり飲んでいた。
その時の兵隊さんの顔は、柔らかくてすごくうれしそうだった。
飲み終わって、また声が響いた。
―こんなにうまいものがあるんですね。
少なくて悪いかな、と思った私は「おかわりする?」と聞いたが、兵隊さんはカップを私に手渡して、敬礼してふっと消えてしまった。
別の日に1人で家にいる時、クッキーを作っていた。
焼きあがり、冷まそうとお皿に並べていたら、人の気配がしたので窓を見ると、庭先に兵隊さんがいた。
私はおいでよ、と手招きをしたが、兵隊さんはにこっとして首を横に振った。
あれ?と思っていたら兵隊さんは敬礼して、ふわっと消えた。
ヘルメットから出てる布がふわりとしたことを覚えてる。
それきり、兵隊さんは私の前には現れなくなった。
今でも兵隊さんのことを思い出す。
美味しいものを食べた時や料理が美味しく出来た時、兵隊さん、どこかで美味しいもの味わえているかなあと。
しらゆりちゃん
※当時の「こっくりさん=降霊術」というイメージのまま書かせてもらいます。
私が小学5,6年生の頃の不思議体験の話です。
当時、小学生の間では「こっくりさん」が大流行。
例にもれず、私も友達と「こっくりさん」をして遊んでいました。
確か5,6人の仲良しグループで、初めはみんなが私のうちに集まってやりました。
十円玉が動き出し、みんなワーキャーと大盛り上がり。その霊に名前を聞くと「しらゆり」(女性)と名乗りました。
話を進めるうち、みんな彼女の事が大好きになり、「また会えるかな」と質問しました。
すると彼女は、「私に会いたかったら、(こっくりさんを)始める前に私の名前を3回呼んで」と言い、その後その方法で
始めると実際彼女はやってきてくれるのでした。
そしていつしか「毎週水曜日に会おう」という事になり、水曜日は誰かの家に集まって「こっくりさん」
でしらゆりちゃんとお話しするようになったのです。
ある日、私達仲良しグループは、遊園地へと遊びに出かけました。
ところが、原因は覚えていませんが大喧嘩が勃発、仲良しグループは真っ二つ。二組は別行動をとる羽目になってしまいました。私達は相手の悪口を言いながら、遊園地内をずんずんと散策していました。
すると私達を呼び止める声が。別行動をしていた子達でした。
「ノコノコ何しにきたんだろう(いい加減、私も性格悪いですが)」といぶかしげに彼女らを見ると、どうも様子がおかしい。必死の形相ってやつです。彼女らのおかしな雰囲気を察して、私達も怒りを忘れて話を聞きました。すると、あろうことか彼女らは「しらゆりちゃんがいる!!」というのです。
(゚Д゚)ハァ? と思いましたが、彼女らの真剣な表情には嘘をついている様子はなく、ともかくこっちへ来てくれと道案内を始めました。目的地へと走りながら聞いたのですが、あるアトラクションの入り口にある係員用の小屋(?)の屋根に、白い百合があった、と。
あんなところに白い百合が置いてあるわけがない、あれは白百合ちゃんだ、という事らしい。
確かにそんな所に花など置く人はいない。私達は全力で目的地へ走りましたが、到着してみると彼女らの言う白い百合はどこにもありません。確かにあったんだ、と彼女らが必死に訴える中、誰かが「しらゆりちゃんは私達に仲直りして欲しかったんじゃないか…」と。
その一言でみんな納得してしまいました。誰ひとり、百合があったという話を疑う子はおらず、お互い謝りあって仲直りした後、みんなで遊園地で遊んで帰りました。
「こっくりさん」というとマイナス面ばかり表に出た話が多いけど、私達の体験した「こっくりさん」にまつわる不思議な話は、今も忘れられないあったかい思い出になりました。
ちなみにしらゆりちゃんは、その後いろいろあって会えなくなり、週1の「こっくりさん」の集い(?)も自然となくなりました。
形見の2万円
5年前、親戚の叔父(父の兄)が末期ガンで亡くなった。
神経質で変わり者だった私だけどすごくかわいがってくれた。
「○○ちゃんコレ好きだろう?」と毎週のように私の好物をわざわざ遠い店まで行って買ってきてくれたりした。
私もそんな叔父さんが大好きでした。
末期ガンであることは本人にも告知されていて、ホスピスに入ることも決まっていたらしい。
でも私は知らなくて叔父さんが早く元気になって退院するようにって
千羽鶴を折ってプレゼントした、そしたら叔父さんはお礼にって私に2万円くれた。
そんなのもらうつもりで作ったんじゃないのに・・・
1ヶ月後叔父さんが退院して、家までお見舞いに行くとガンの手術の影響で不自由になってしまった声で必死に
「○○ちゃん千羽鶴ありがとう、叔父さん退院できたから」って言ってくれた。
すごいうれしかった。
だけど後で父に「叔父さんホスピス入ることになったから・・・」と言われた。
元気になって退院したんじゃなくて、もう治る見込みがなくてホスピスに入るために退院したのだった。
それから約1年後、叔父さんは亡くなった。
叔父さんからもらった2万円、どうしても使うことができずにお守り代わりに財布のカード入れの中にいつも入れてるんだけど、時々それを出して眺めては優しかった叔父さんを思い出して悲しくなって泣くんだけど、何故か涙が出そうになる瞬間に必ず誰からか電話がかかってきたり、宅配便の人とかが家に来たり、友達からメールが入ったりして一瞬それまで悲しいことばかり思い出していたのを忘れていることに気がついた。
これって天国で叔父さんが「そんなに悲しまないで」って言ってるのかなぁ
と思ってまた涙が出た・・・
謝罪
高校生の時、ケンカ別れした男友達がいた。
友達を介して誤解は解けたのだけど、お互い気まずくて卒業まで話はしなかった。
その後同窓会に出席してもどちらかが欠席していて会えず終いだった。
去年末その友達にあった。
なんかあの当時と全く変わってない彼。
向うから声をかけて来て、
「ずっと謝ろうと思ってたんだ。ホントにあの時はゴメン。」
そう言って仲直りの握手して別れたんだ。
お正月の同窓会の時、その彼が亡くなった事を聞いた。
11月に事故に遭い、ずっと意識不明で彼と仲直りしたその日に亡くなったそうだ。
未練
友達の親戚の話。
二十歳になった女性がいたんだけど、人生何を踏み誤ったのか、成人式を終えて1ヶ月もたたないうちに自殺してしまった。
彼女の従弟にはまだ3歳くらいの子もいて、余り子供好きでもなく世話好きでもない彼女に何故かよくなついていた。
その男の子は家で祖父母が見てる中一人遊びをすることが多いんだが家で一人遊びをしていておねえちゃんを見た、きもののおねえちゃんと遊んだ、って言うらしい。
勿論祖父母はそんなの見てない。男の子の親は半信半疑。
亡くなった女性ってのは祖父母にとっては孫なので、男の子がそういうことを言うたびに祖父母が泣き出しそうになってしまう。
男の子の母親が余りそう言わない様にときつく言った。
それから数日も立たない日、偶々家にその母親一人だけって時があった。
母親が家の掃除をしようと仏壇の北側の隣の間のふすまを空けたら、振袖を着てる盛装の女性が座っている。
後姿だったけど、母親はすぐにそれが彼女だって気づいた。振袖は彼女が成人式で着てたものだった。
お金が無いから他の親戚から借りてきたもので、古い柄の振袖だったんだけど色が彼女にぴったり合ってて、彼女も気に入ってたそうだ。
成人式後に親戚に返すために彼女の母親の実家に当たるこの家で預かってたものだった。
「○○ちゃん?」と彼女に声を掛けると、彼女は振り返った。
「××くん(=男の子)がなついてくれたから嬉しくって」
「この着物好きだったから、もうちょっと着てていいでしょ」
彼女はそう言って薄暗い部屋で嬉しそうに振袖の袖をひらひらさせた。
結局その後、その母親も祖父母も彼女を見なかった。
振袖を貸した親戚や彼女の両親とも相談して、振袖も古いからってことで彼女の家にあげたら、男の子がおねえちゃんを見たと言うことはなくなったそうだ。
彼女振袖がそんなに嬉しかったのかな~って、男の子になつかれたのがそんなに嬉しかったのかな~って思って・・・・
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