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心霊ちょっといい話『被災地にて』など短編全10話

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心霊ちょっといい話『被災地にて』など短編全10話 不思議な話
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聞きたいこといっぱい

 

今から4、5年前に16年間飼っていた犬が他界しました。
その日は土曜日で家には私と母がいたので2人で最期を看取りました。
犬が息を引き取ってすぐぐらいにゴルフへ行っていた父から電話がかかってきました。
特に急用ではなく他愛もない内容の電話でした。
父にはその時に犬が他界したことを伝えました。
電話を切って2、30分して父が帰ってきました。
父が行っていたゴルフ場からウチまでは早くても1時間以上はかかるんです(夕方だし)。
なのに、その日に限ってめちゃめちゃ早く帰ってきたのでビックリしました。
父曰く「なんや分らんけど、今日はエライすいとったわ」と。
母は「◯◯(犬の名前)が早くお父さんに会いたくて呼んだのかもね」なんて言ってましたが、ホントそうかも・・・。

犬がいなくなって3日間ぐらいずっと家には犬の気配がありました。
でも、3日たつとその気配は全くといっていいほど消えてしまいました。
未練があったのか、それとも毎日泣いていた私を心配していたのか分りませんが3日間は確かに居ましたね。
今でもたまに居るなと感じる時があります。
それを母に話すと、母もそう感じる時があると言いました。
きっとたまに帰ってきてるのかもしれないなぁ。

 

その後、何日経ってからか忘れましたが変な夢を見ました。
霧がかった日本庭園みたいな所に居て、私は何故かそこを『極楽』だと認識しているのです。
そして私の前には犬が居て、その犬が煙りみたいなのに包まれたかと思うと仙人みたいなおじーさんに変身したんです。

で、私はそのおじーさんに色々と質問したんですね。
「ココに住んでるの?」
おじーさん頷く。
「何食べてるの?」と聞くと、おじーさんは一言
「ふき」と答えました。
後から考えると「ふき」って…なんでやねん!(w と思うんですが、
その時の私は「ああ、仙人だから肉とか魚食べられないんだなぁ」と
妙に納得してたんです(w
犬は16歳。人間でいうともう100近いから夢の仙人みたいなじーさんみたいな老人なんだよね。
とても不思議でおかしな夢でした。

もし、犬が言葉を話せたらずっとずっと聞いてみたいことがありました。
色々いじわるな事をして噛まれたりした私だったけど、私のことを好きだった?
ウチの子にならなかったら、もっともっと長生きしたかもしれないしもっともっと幸せな生活ができたかもしれない・・・。
それでもウチの子になって幸せだった?楽しかった?

どういう答えが帰ってくるかは分らない。
でも、私は◯◯と一緒に暮らせて楽しかった。
帰ってくるといつもシッポを振ってお出迎えしてくれたことも嬉しかった。
ふわふわの毛並みが気持ち良かったことも忘れない。
私はとっても大好きだった。
一緒に暮した16年間幸せだったよ。

 

 

切ない患者さん

 

病院勤めしていた私。結婚退職しちゃったんですが色々とありました。
仲の良い患者さんが亡くなってしまう事なんてしょっちゅう。
でも病院では泣くに泣けなくて大変でした。

でも、どうしても悲しくて泣いてしまった事があります。
その日退院予定のおじいさん。家族のお見舞いなんて皆無に等しく退院しても施設に入れられる事になっていました。
朝から何か調子が良くなくて、退院を延ばす様に話をしていました。
でも家族が断固反対。無理矢理引き止める事が出来る程でもなかったので、そのまま退院する事になった。

朝、食事を運ぶと何か元気で一生懸命話かけてきた。
忙しかったが、うんうん、と話を聞くと、嬉しそうに笑って泣いていた。
どうして泣くんだろう、退院するのが分かってるのかな?
と思った。痴呆も進んでいたので、分かるはずがないのだけど。

が、急におじいさんがおかしくなった。
気付いた時、私は深夜明けで帰宅する直前、昼間勤務の人が居なくなったその時、様態が急変した。
そのまま亡くなってしまった。

当然家族は医療ミスだ何だと言いまくってきた。
お見舞いも来ない家族に限って騒ぐ人が多いのだが、まさしく典型だった。
でも、その騒ぎはすぐに終結。理由はこのおじいさんの奥さん。
おばあさんの登場で。
このおばあさんも高齢の為、一人では外出も難しく、お見舞いに来たくても子供の手を借りなければ来れない人だった。

おばあさんが子供たちを叱りつけてくれたそうだ。
看護婦さん達の事、お医者さんたちの事、何も見ないでと。

おじいさんがなくなったベットはすぐに洗浄に出された。
空いたはずのベットなのに、そこにはそのおじいさんが居た。
寝ぼけ気味だったかもしれないが、当たり前の様にそこにいた。
その時疑いもしなかったのだが、懐中電灯の明かりの中で笑っていた。私も笑ってまた朝来ますね、おやすみなさい。
何かあったら遠慮しないで呼んでくださいね。
と、枕もとにナースコールを置いた。あれ?と思ったのは朝だった。

不思議な事にこのおじいさん、時々外来でも見かける。
あれ?と思って振り返ると当然居ない。
でもいつも近くに居る様な気がしてならない。でもいつも微笑んでこちらを見ている。怖くないのも不思議。
長い入院生活で一番仲良しだと言われていた私に時々会いにきているのかも、と思った。

病院にはこんな話、結構あります。皆言わないけど。

 

 

被災地にて

 

もう十年年たったので、やっと少し話せるようになった。
大地震のために、大津波と大火災に襲われた島の話をしよう。

皆さんもこう書けば、きっと憶えていることだろうから、その島の名前は書かない。書くことができないのだ、まだなまなまし過ぎて、申し訳ない。
そこは、亡き母の生まれ故郷、そして私の第二の故郷でもある。記憶の宝箱のような島だ。

大震災の一ヶ月後、私は、休暇をとり津波でなくなった親戚達の遺品を探しに島に入った。
飛行機を降りると、なんと言う事だろうか、村は無くなっていたのだった。
それ以上、言葉で言い表す事は出来ない。
津波に襲われた所は、不謹慎かもしれないが、きれいに平らな更地になり、こんなに狭かったろうかと思うほどだった。
写真一枚無かった。そもそも道も家もない。
よくよく見ると。土台部分のアンカーボルトがひしゃげて残っているだけだったのだから・・・・
被災した島の人達も一部が仮設にはいったばかりで、まだ大部分が近くの小学校の体育館で、生活する事を余儀無くされていた。

遺体の捜索活動がつづくなかで、親戚達の家があったと思われる周辺を10日間ずっと歩いた。
先祖の位牌でも、手紙でも良い、とにかくその人達が生きていた印を見つけたい。そう思った。
しかし、何かもが流されていた。高さ30メートルの津波というもは、ささやかな人々の暮しの跡をいとも簡単に吹き飛ばすのに十分すぎるエネルギーを持っていたのだと思う。
数多くのボランティアの方々が、島に来て、毎日のように仮設を回り一人きりになった遺族達を訪ね物資を運び本当に頭が下がる思いだった。
たが私の叔父や伯母や従姉の遺品はとうとう見つからなかった。

10日目、いよいよ最後にせめて墓参りをして帰ろうと思った。数少ない生き残った叔父と墓場に出向いた。小高い丘に上に墓地があった。昔はその丘から港が一望できて、廿日盆には、皆で夕方からごちそうを重箱に詰めてお墓の前で賑やかに食べたものだ。
でも、被災者にとっては、それどころでなはなかった。生きることが大変だったからだ。
震源に近かったから当然に墓石も倒れているに違いない。そう覚悟していた。

墓地に行って驚いた。倒れた墓石がすべて元に戻してあり、欠けた所も補修してあるではないか。
こんな大変な時に誰が補修してくれたのだろうか。なにかキツネにでも鼻をつままれたような気がした。
生き残った叔父のいる仮設に戻り「誰が墓石を直したのか」と問うと
何処からか石材組合の方々が来て何も言わずもくもくと墓石を積み上げ、修復し何も言わずに帰っていった、という事だった。それも被災者に迷惑を掛けないように仮設で休んだり、飲み食いはしなかったようだった。仕事が終わると次ぎの墓地に去っていったという。

私は、その話を聞いて泣いた。嬉しい涙だった。こんな人達もいるのだと・・・
そして数年後阪神大震災が起きた。きっとそこでも人知れず自分の仕事をこつこつとした人々が数多くいたに違いない。

翌日飛行機が出る直前に警察が漂着物を公開し、その中からかろうじて写真と手紙数枚を見つけ、東京にいる遺族に渡す事が出来た。

 

 

嫌だ

 

去年母親が亡くなった。
生前から「親父方の墓に入るのはいやだ」って言っていた。
別に父方の家族と仲が悪いとかじゃなくて祖母が生前かった父方の墓は、よい環境、海の見える霊園。
そんな売り文句の、まぁど田舎の霊園で近くに住んでいる親族も居ないもんだから、どうしても、法事や彼岸以外に訪れる人が居ない。
そんな寂しい墓には入りたくない、それなら自分の実家の墓が良いと。
まぁそんな理由。
でも、いざ亡くなってしまうと葬式の手配やらで忙しく手が回らず、実家には分骨という形で、いつか墓地をもっと近くに移そう。

とりあえず今はって事で結局、父方の墓地に納骨することに決まった。
で49日の納骨の日。天気も良くて「晴れてよかったね」なんて家族で話しながら、骨壷入れる為に墓石を動かした瞬間大粒の雨。
空からは日が差してるのに、霊園だけには激しく雨が降ってきて、その後墓石を閉じて、坊さんにお経をあげて貰っていると、徐々に雨脚が弱くなって行き、雨が上がっていった。
それを見て親父がつぶやくように「アイツよっぽど嫌だったんだな」って
だから、まだ墓地の場所は移せてないけれど。

 

 

お礼ならよそへ

 

俺は中学・高校の時、寮に入ってた。
その時の出来事。

その寮では夜、自習時間というのがあって、自習は自習棟という、宿泊棟とは別のところで行われていた。

Tという後輩が自習中、宿泊棟に忘れ物をしたので、こっそり取りに戻ったときの事だ。
自習時間中は宿泊棟の電気は基本的には付けてはいけないので、電気を付けずにTは宿泊棟に入っていった。

Tの部屋に行くには、Jの部屋の前を通らなければならない。
Jはこのとき、体をこわして入院をして寮にはいなかった。
Tは自分の部屋にいく途中、Jの部屋に人の気配を感じた。
人がいるはずのないJの部屋に気配があるのはおかしい。
そう思いながら、TはちらりとJの部屋に視線を送った。
するとなんとそこには、Jのベッドの上で帽子をかぶって正座をしている女の子がいた。
女の子がいるはずはなかった。ここは男子寮なんだから。
Tは慌てて逃げた、忘れものも取らずに逃げた。
その後も、Jのベッドでは帽子をかぶった女の子が何度か目撃された。

 

数日後、Jは退院して寮に戻ってきた。
みんなは、帽子をかぶった女の子の話をJにした。
お前の部屋には霊がいると。

Jはそれほど驚くことなく、
「それはたぶん・・・」と話し始めた。

Jの実家は開業医。
Jがまだ小学生の頃、風邪をこじらせて長期で学校を休んでいたとこがあった。
Jは自分の家の病院に入院し数日が過ぎたある日、1人の女の子がその病院に担ぎ込まれてきた。
その女の子は、交通事故にあい、頭に深い傷を負っていた。
その病院は、脳外科とは違い専門外だったが緊急ということで、運ばれてきたという。
応急処置をして、専門の病院に移される間、ベッドが空いていなかったこともあって、Jの横のベッドにその女の子は運ばれてきた。

並んでベッドに横になる2人。
どれぐらいの時間がたっただろうか、Jは女の子の視線を感じた。
女の子の方を向くと、うつろな目でJをじっと見つめていたという。

 

Jは彼女が自分を見ていないことがすぐ分かった。
女の子の視線の先には、Jの為にクラスのみんなが織ってくれた千羽鶴があった。
Jは千羽鶴から一羽の鶴をむしり取ると、女の子のベッドに投げてやった。
女の子はとくに表情を変えることはなく、うつろな目のままだったという。

しばらくして、女の子は専門の病院に移されていった。
そして、Jはその子が亡くなったことを後日知らされた。

Jは自分の部屋に来たのは、たぶんその女の子だろうと言った。
また入院してしまった自分を応援しにきてくれたのだろうと・・・
そして、帽子は傷を負った頭を隠すためだろうと。
その後その女の子は2度と現れなかった。

この話を聞いて、お礼だったら寮じゃなくて、Jの入院する病院に行けばいいのに。と思ったりした。

 

 

親孝行

 

昨日、母の葬式に出たんです。享年54歳。
そしたらなんか自分、涙が一滴もこぼれないんです。
で、よく見たら会ったこともないような親戚のおばさんですら泣いているんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
俺な、親の死を目の前にして放心してんじゃねーよ、ボケが。
目の前に人が死んでるんだよ、母親が。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で葬式か。ほんとありがとう。
パパは息子さんに挨拶してくるから車で待ってなさい、とか言ってるの。いい親父だな。
俺な、親が死んでんだからもっと泣けと。
葬式ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
死に化粧をみた瞬間いつ涙があふれてきてもおかしくない、
泣くか叫ぶか、そんな雰囲気が普通なんじゃねーか。オレ、なんなんだよ。
で、やっと葬式が終わったかと思ったら、なんか次々と母のことが思い出されるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、今さら思い出したところで意味ねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、今度の休みには帰るよ、だ。
俺は本当に休みに帰るつもりだったのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
俺、適当に親との距離をとりたかっただけちゃうんかと。
親不孝者の俺から言わせてもらえば今、若者の間での最新流行はやっぱり、反抗期、これだね。
親ってのはいつまでも生きているもんだと思っている。これがガキの考え方。
親の期待をかなえたつもりで一人暮らし。そん代わりコミュニケーション少なくなる。これ。
で、「少しだけ仕送りいれといたから」 「ああ、無理すんなよ」。これ最期の会話。
今になって後悔ばかりが思い出される、諸刃の剣
まあお前ら若いもんは、ほんの少しでもいいから親孝行しなさいってこった。

 

 

おじいちゃんの気配

 

小学5年のとき、母方の祖父が病死しました。
私の家族は母の実家から少し離れた所に住んでいたので、最期を看取る事は出来なかったのですが、死顔が穏やかだったのは今でも覚えています。
葬式の日の晩、母方の実家で親戚が集まってご飯を食べていました。
私はご飯を食べ終わったあと席を立ち、親戚達がご飯を食べている居間が見渡せる階段に座りました(その家で私の一番のお気に入りの場所だったもので)

祖父の思い出話などをしている親戚をぼーっと眺めていると、ふと後ろに誰か立っているような気配を感じました。
私が座っていたのは下から5~6段目。気配を感じるのはもっと上の方の段からでした。
しかし、2階に上っていった人は誰もいないのです。全員居間にいるのですから。

その時、私はごくごく自然に
「あ、おじいちゃんだ」と思いました。
何故だかはわかりません。ただそうだとしか思えなかったのです。
恐怖感などは全くありませんでした。むしろその逆で、何だか嬉しかったくらいです。
あとで母にその話をすると、
「おばあちゃんのことが心配だったのかな…でも嬉しいね、いつも見ていてくれてるんだよ」と言いました。

 

 

オヤジに言いたい

 

オヤジの葬式のとき、母親の古い友人(オヤジとも懇意)が体調を崩して一人で控え室に寝ていたんだそう。
で、その人がうつらうつらしていたら、オヤジが控え室のふすまを開けて
「和(母の友人の愛称)ー、大丈夫か?無理するなよー」
と言ってくれたんだそう。
多分どころかほぼ確実に夢だけど、それでもオヤジに言いたい。

「俺らの心配はなしかい!!!」

たまには顔見せに来いよー。
初孫だって生まれたんだぞー。(俺のじゃなくて姉のだけど)

 

 

後悔と感謝

 

俺は高校を出てから一人暮らしを始めて、実家にはたまにしか帰りませんでした。
27歳の時、婆ちゃんに電話して、『1月2日には帰るから。』と言っていたのですが、1月2日に友達と遊んでいて帰るのがメンドくさくなっていました。
その時、普段旅行なんぞ絶対に行きたがらない友達が、
『どこか旅行でも行きたいねぇ』等と言うのでびっくりしたんですが、俺の親類に旅館を経営している人がいるので、それを話すと『いいねぇ!』ということになり、予約を入れようと思ったんですが、電話番号がわからない。

そうだ!実家の婆ちゃんなら知っている!

そう思った俺は婆ちゃんに、1月2日(今日)は実家に帰らない事と、旅館を経営している親類の電話番号を教えてくれという電話をしました。
婆ちゃんは寂しそうに『帰らないのかい・・・』って言っていたので申し訳なく思ったんですが、又今度帰ればいいやぐらいに考えていました。

その日の夜、婆ちゃんは心臓発作で亡くなりました。
最後に会話したのは俺でした。

何日もずっと自分を責めました。その日に俺が実家に帰っていれば婆ちゃんが亡くなることは無かったかもしれない。
婆ちゃんのつくった『ぜんざい』(おしるこのようなもの)を食べることはもうできない。

葬式が終わって2週間ぐらいした後、夢に婆ちゃんが出てきました。
何も言わず、ニコニコと笑っているだけでした。

1年ぐらい経った後、霊能者の方に見てもらったことがあり、その時、
『あなたにはお婆ちゃんがついている』と言われました。
『あなたはすぐに無茶な事をしたりするので心配してるわよ』とも。
散々心配かけた挙句、看取ってあげることもできなかった婆ちゃんがついてくれている。本当に嬉しかった。

そんな俺も、この前子供が生まれました。
大好きだった婆ちゃんから1字もらいました。

 

 

患者さん

 

母は20代前半の頃、看護婦をしていたのですが結婚を機に父と一緒に自営業をしていました。
両親が離婚してからは自営業をしており、この不景気で店を畳まねばならなくなったため母は、特別養護老人ホームに併設されている病院で 看護婦に復職したんです。

ある時、母は私に電話をかけてきて
「家で寝ていたら、突然目が覚めたのよね。そしたら、おばあさんがテーブルの上に正座してこっちを見てるの。でも、それが誰なのか分からなくて気になってるのよ。不思議と怖くないんだけど、多分もうこの世にいない人だと思うの。」
そんなコトを言いました。

母は昔からよく虫の知らせを感じるコトがあるのを聞いていたので、そのおばあさんは、祖母なのではないかと思ったのですが、明らかに別人だと言うのです。それからまたしばらくして 母から電話がありました。
「ようやく、おばあさんが誰だか思い出した。患者さんだったよ」
母が、遺体を処置した患者さんだと言うのです。

人の死に直面する機会の多い看護婦という職業なので、ほとんどの場合、よほど気にかけていた患者さんが亡くなられた場合でも涙を流すコトはめったにありません。

しかし、母は復職したての看護婦。
久々に、看護婦として働き、死んでしまったお婆さんの遺体を処置している時に思わず泣いてしまったのだそうです。というのも、そのお婆さんは家族のお見舞いも無く、看取ってくれる人もロクにいない状態で息を引き取ったため、とても気の毒に思えてしまったのだそうです。

寝ていた母の元に現れたおばあさんは、母を、ただじーっと見ていただけだったそうなのですが何の血縁もなくても、自分のために泣いた看護婦のところに出てくるコトもあるんだね…と母は、不思議そうに言っていました。
そんな母は、祖母が亡くなった後も、なんの虫の知らせもない…と苦笑しています。

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