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心霊ちょっといい話『河童に助けられた』など短編全10話

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心霊ちょっといい話『河童に助けられた』など短編全10話 不思議な話
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かみさん

 

俺の田舎には土着の占い師というか顔役というようなおばあちゃんがいて、新興宗教ではないのだが、ばあちゃんたちが「かみさん」と呼んでありがたがってるひとがいる。
いわゆる神通力みたいのが使えるらしく、いろいろとばあちゃんたちにアドバイスをしてくれたり、お守りを下さったりしてくれるのだが、俺もあまり信じてなかったけど、なぜか不思議とよくあたる。
俺が、18になって家出をしたとき(家出にしてはちょっと年が大きいけど)東京の友達を頼って、東京でその日暮をしてた時があった。
1年くらいして、夢に俺のばあちゃんが出てきて、「お父さん○○さん(母親)にはよう言って聞かせたケ、いっぺん戻ってきーや・・・」と涙ながらに言っていた。
なんだか申し訳ない気がして、1年ぶりに実家に帰ったところ、ばあちゃんはまるでその日に帰ってくるのが分かっていたかのようにご馳走を用意してくれて、「よーかえってきた」とよろこんでくれた。
さて、ばあちゃんに夢の話をすると、

「かみさんにお願いしたら、おまえ東京のどこそこでちゃんと生きとる言うから、帰ってくるよう言って聞かしてくれってたのんだんよ。」と、、、、

「何月何日に帰ってくるケ、ご馳走用意して待っとけいうなさったから、あったくそのとおりやったのよ。」と。。。。
背筋が寒くなったが、それだけ心配してくれてたんだと逆に申し訳なくて、土下座してあやまりました。

 

 

強い思い

 

昨日、「今日の晩に首を吊ろう」と思いつめていた。
ほんとうに強く強く、そう思っていた。
そしたら、電話がつながらないことを心配した親(自分は今一人暮らし)が突然家にやってきた。
(今まで9年間一人暮らしをしてきて、1ヶ月連絡を取れなくても放っておかれてたのに)。
そして仲良しだった友達からばんばん電話がかかってきて、「元気?なんか突然電話したくなって」
と言われまくった。
本当に、本当に、誰にも何も話していなかったのに。
強い思念は、何かを越えるんじゃないか、と思った。
不思議なこともあるものだなあ、と思った。

 

 

河童に助けられた

 

小学生の頃、河童が出るとか噂があった池みたいなところの跡で、釣りしてた。
友達といったんだけど、冗談のつもりでその友達の帽子を池(といっても貯水池みたいなところ)に向かって投げたのよ。
そしたらその友達切れてね。
兄貴のだったらしくて泣きべそかきはじめやがったからしょうがないから物干し竿みたいな竹の長い棒を探してきて、引っ掛けてとろうと思ったのよ。
そしたら、まぁ、パターンだよな、、、、滑って池に落ちたのね。
縁のところは浅かったんだけど、貯水池だから、ちょっと奥に行くといきなり深くなってて、それに気づかなかったオバカなおれは、「何だ結構浅いじゃん♪」って
ざばざば入って帽子取りに行ったのよ。
おぼれるわなそりゃ。
その辺の記憶はない。。。残念ながら。
友達が言うところによると、いきなり姿が消えたと。(消えるかっちゅーねん、少しは考えろよ)

かろうじて記憶にあるのは、くっせー水をがばがば飲んだ事かな。
そうして、やばいなと思ったところ、ふっと足に触るものあるから、藁をもつかむの通り、その足に触るものの上に立とうと試みたわけよ。
そしたらさ、その足、払いのけるやつがいやがんの。
あせったね。やばいと思った。
ところが、そんとき足を今度はつかまれて、引きずり込まれてさ、よく夏の怪談で聞くじゃん?!海で足つかまれたとか、それだと思ったよ。
あせりまくってる折れを、そんとき誰かが今度は背中から抱きかかえてくるの。
リアル消防の折れでも覚悟したね。死を。
そしたらそのうしろから抱いてきたやつ、折れのこと水面の方に引きずり上げようとしてるのよ。
つまり、足をつかんでるやつは引きずり込もうとしてるけど、後ろのやつは引き上げようとしてる。
そんなこんなしてると、足つかんでる手がふっとはなれてね、一気に水面へ。
そこからの記憶もまたあいまい。ただ、でっかい水かきのついた手が胸のあたりに見えたのを覚えてる。
あれが河童だったんだな。素直に信じたよ。河童に助けられたって。

で、肝心の友達はどうしてたかというと、逃げたらしい。
中学卒業するまでいじめたね、そいつは。

ただ、今もそうだけど、俺って水難の相があるとかで、水辺に近づくなとよく言われてたよ、近所のジーさんに。
まじで、海で流されたこともあったし、川に落ちたこととか、プールで、足つっておぼれかけたこともよくあった。
幸い生きてるけどね。

うちの母親が、まぁ、気休めっちゅう事で、一回そこの河童が出る噂のあるところに、祠みたいのがあるんだけど、ちっちゃいやつ、そこにお酒ときゅうりお供えして、供養(?)みたいなことしてくれてたから、もしかすると、だから助けてくれたのかもな。

どうせ、折れ以外のそのときの目撃者とかいないし、誰も信用しないだろうけどさ。
まじなのよ。だから、きっといるね、河童は。

 

 

守られてる

 

俺は小さい頃、身体弱くて何度か死にかけた。
生まれたときも心臓止まってたし、脊髄液も一度抜かれたり。
後、家の2階からも落ちたが捻挫ですんだ。

こないだ、親に聞いたんだけれども俺と姉の間に1人、本当は生まれてくるはずの子供がいたらしい。
結果的に流産してしまったけれども、きっと守ってくれてるのかもしれない…
と、親は思ってたそうだ。

ついでに、言うと、脊髄液抜いた時、もう子供は出来ないかもしれないと医者に言われていた。が、こないだ彼女がめでたく妊娠しました。
俺が死にそうになってた時、助けてくれたじいちゃん達(既になくなってる)に物凄く感謝した。生きてて良かった。

 

 

雷親父

 

最近ではあまり見かけませんが、20年ほど前までは「雷オヤジ」というのが町内に必ず一人や二人いて、近所の子供がいたずらをしたりすると、容赦なく怒鳴りつけられたりしたものでした。
僕の祖父はその典型的な雷オヤジで、小学校のクラスでも「お前んとこの爺さんは怖い」と、悪ガキ共がみんなびびるような存在でした。
その祖父も寄る年波には勝てず、つい数年前、長い寝たきり生活の後息を引き取りました。
さて、その祖父の葬儀の時ですが、喪客のなかに、40代後半位の中年男性のグループがありました。
「見たことない人達だなあ」と思っていると、彼等は実はかつてこの町内で評判の悪童グループで、祖父とはまるで仇同士のような存在だったということです。

そのおじさん達の中の一人に、今はバイク店を経営しているという人がいて、

「うるさい爺さんだったが、あの人がいなかったら俺達は皆もっとひどくグレてた」

と祖父の思い出を語ってくれて、

「祖父は本当は子供たちから愛されていたんだな」

と、僕は何だか祖父のことを誇りに思いました。
さて、ここまでは何の問題も無かったのですが、そのおじさん達の一人にちょっと酒乱ぽい人がいて、葬式の最中に大声で他の人にからんだりしていました。
一緒に来た人が止めていたのですが、その時突然「ガタッ」と大きな音がして、しっかり固定されているはずの遺影が床に落ちてきました。
すると、さっきのバイク屋の人が

「ホラ、悪さするから爺さん怒ってるじゃないか」

と言い、酒乱の人もおとなしくなりました。
あまりオカルトっぽくないけれど、死んでまで祖父は雷親父でした。

 

 

母からの手紙

 

心霊ではないんですが、母が死んだ次の日に手紙がきていたのには泣きました。

数年前私は東京の会社に勤めていて、母が倒れたことを聞き一度見舞いに地元には帰ったものの、ちょうどそのとき仕事の過渡期でなかなか休みをとれず、半年ほど様子見に買えることもできない日が続いてました。

ちょうどそのとき、私が付き合ってた女性のことを、両親とも認めてくれず、特に母親は「絶対に結婚は許しません」の一点張りで、プロポーズまでして、二人の間では婚約してはいたものの、結婚となると、家同士のこともありますし、なかなか出来ないでいました。

母が入院しているときにも、電話をかけると必ずその話になってしまい、病気だというのにもかかわらず、電話ごしにけんかするばかりで、正直なところ、心の中で母を憎んだこともありました。

そうこうしているときに、急な母の病状の悪化。
危篤の知らせが入った3時間後には息を引き取るという突然の死でした。

 

母の死に目にも会えず、急いで実家に戻った時にはもう母は実家に運ばれ、冷たくなった母の手を握り、とても後悔していました。

「何でもっとやさしくしてあげなかったんだろう。」
「何でもっとお見舞いにきてあげなかったんだろう。」
「何で結婚のことを反対されたからといって憎んでしまったりしたんだろう。」

後悔先に立たず、死んでからわかる親のありがたみ、そんな言葉が身に染みて分った気がします。

お通夜、葬式、後片付けなどを済まし、後ろ髪が引かれる思いで、仕事がたまってしまった東京に戻りました。
借りていたマンションの郵便受けに溜まった新聞や手紙。
何もする気が起きないまま、呆然とそれらをテーブルの上に投げ出したとき、目に飛び込んできたのは、母の字で書かれた私宛の手紙。

状況が飲み込めないまま、その手紙を手にとり、中身を読み出した私はその手紙が母からの最後の手紙ということを知りました。
なくなる前日に、珍しく手紙を書こうと思ったのでしょうか、病状が悪化し、震える手で、書いたであろうその手紙。
まさか自分が死んだ後に私に届くとは思ってなかったのでしょう。

「今度来るときはもうちょっと長くいれるようにしなさい。」
「仕事ばかりしてないで、たまには東京を案内して頂戴。」

と、生きていたころには、うざいと思っていつもけんかになるような内容。
でも、その時、初めてわたしは、母は寂しかったんじゃないか、と思いました。

そんな手紙の中に、意外な事がかかれていました。

 

「今度帰るときは○○さんもつれて帰ってきなさい。渡したいものがあるから。」

その一行に、最後の最後になって、母が私たちのことを認めてくれたということを悟りました。

よくある話ですが、私が小さいころから母は、大切にしていた指輪を私に見せながら、

「おまえが独り立ちして、お嫁さんを連れてくるようになったらこれをその子にあげるからね。」

と言っていました。多分その事なんだろうと・・・

それから数日して、改めて現在の私の奥さんとなる人を始めて実家に連れて行き、正式に父と亡き母を前に、結婚する旨を伝えました。

今思うと、母はなんとなく自分の命のことを分っていたのではないかと思います。
だから、最後の最後に、あのような手紙を送ってきたのではないかと。
そう考えると、とても切ない気持ちになります。
もうちょっと冷静にちゃんと話し合えばよかったなと。

今では、2人目の子供も無事生まれ、一人目もわんぱくざかりで、手に余るほどですが、でも、こうやって幸せな家庭をもてるようになったのも、母のおかげと、そして、いつも草葉の陰から見守ってくれているからだろうと奥さんともども感謝しています。

 

 

カーテンの人影

 

8年ほど前の事なんですが、私は離婚して実家に娘を連れて帰っていました。
私の母方の祖母は母の兄と同居していたのですが、何かと母の所に来ては1.2ヶ月は滞在していましたので、私の娘も良く可愛がってもらってました。
結局祖母はうちの家で最期を迎えました。
同居していたわけではないけど、何かとそばにいてくれたので私は一晩中祖母のそばで泣いていました・・・
その一月後位のことです。
私は仕事の関係で帰ってくる時間が遅くなるので、娘はいつも母(おばあちゃん)と一緒に寝ていましたが、もう小学校の高学年になっていたので、私の部屋で一人で寝てみると言い出しました。
どうせ無理でしょう・・・何て思いながら11時ごろ友達の車で送って貰って帰宅しました。友達にも「今日から一人で寝るって言ってるのよ」なんて言いながら車が止まってふと2階の自室の窓を見ると、カーテンから人影が見えて、私が帰きたのを確認するとスッっとカーテンが閉まりました。
やっぱり無理で母がついててくれたんだって友達といいながら家に入ってスグに部屋に行くと母はいません、娘がスヤスヤと一人で寝ていました。
寝かせてから母は自分の寝室に戻ったのかな?とか思いながら私も眠りました。
翌朝母に聞くと母は寝かしつけずに娘は私の部屋で一人で寝たといいました。
じゃああれはなんやったん?とか思って昨夜送ってもらった友達に電話して聞きました。「昨日絶対誰かが私の部屋のカーテンからみてたよね」って言ったら友達もやっぱり絶対見た!って言ってました。
きっとおばあちゃんが初めて一人で寝るって言う甘えん坊な娘が心配で、私が帰って来るまで娘のそばにいてくれたんだ!って思いました・・・
霊感なんかとは無縁だと思ってた私ですが、そんな事ってあるんだな~!って初めて思いました。
不思議と怖いとかは思いませんでした。
それよりもおばあちゃんがいつもそばで見守ってくれてるんかな?って嬉しく思いました。

 

 

強い思いは通じる

 

もう大分前になるけど
当時私がお遊びで作曲したものにアレンジを(編曲)つけたものをH君ががんがんレコード会社に送りつけてた。
で、彼の家に某大手から審査通過の連絡があった時間、私は寝ていたんだけど、リアルな夢を見た。
「通過したよー!まりさん!!」すっごい嬉しそうなH君の夢。
これ、夢っていうのとちょっと違った感じ。
で、その直後H君からの電話で起きた。

あと、阪神大震災のときその時間にこれまた寝てたんだけど、すんごい叫び声とか頭ん中でして起きた。
あぁ、どっかでなんかあったのかなぁ。。
と思いながら眠かったのでまた寝た。
起きてからニュースで知って(あぁ、これだったんだー)って思った。

強い想いは通じる。悪意でも善意でも歓びでも悲しみでも。

 

 

祖母の気遣い

 

もう10年ぐらい前になりますが、大好きだった祖母が急逝しました。
家族一同大泣きのお葬式を終え、休ませてもらった会社に戻り。
数日たったある日の事。
当時、その会社では私が一番下っ端だったので電話が鳴れば取るのは私と決まっていたのですがある時に鳴った電話にフト「これには出たくない・・・」と思い一瞬、躊躇していたら向いの席に座っていた先輩が出てくれました。
・・・それは、その先輩の友人が心臓発作で急逝したという知らせでした。
思えば祖母も心臓発作での急逝だった・・・。
まだ悲しみも癒えず、毎日ちょっとした事で涙ぐんでいた私には祖母が

「今はこれ以上哀しい知らせを聞かなくていいよ」

と受話器を取るのを抑えてくれたような気がしたのでした。

 

 

最後に会いたい人

 

祖母から聞いた話です。祖母が若いころ、かっていた犬は、雑種でしたが、とても賢く、曾祖母が「買い物にでも行きましょうか」と言えば、それがだれに対して言った言葉であっても反応し、曾祖母に「おんぶ」をねだったそうです。
(おんぶしてもらって外に行くのが好きだったようです)
野犬が社会問題となっていた時代で、首輪や鑑札など義務化されていない時代ですから、「犬団子」と呼ばれる、野犬を殺すための毒団子が道端にあったり、犬こ○しと呼ばれる職業の方が、首輪や鑑札のない犬をつかまえて、保健所へ連れて行くこともしばしばでした。
ポチ(仮名)というその犬は、「犬○ろしだ」といえば、家の中にいてもスグに押し入れの中に設置された自分の寝場所へ戻り、おとなしく寝たふりをし、散歩中(といっても、引き綱などしていませんが)に、おいしそうなものを見つけて走り寄っても「毒団子だ」といえば、決して口にしない、それほど賢い犬だったそうです。
曾祖母と買い物に行ったとき、当時は珍しくなかった馬車が、カーブで少しゆらぎ、車輪があわや曾祖母をひっかける、と思った瞬間、ポチはそれほど大きな体ではなかったにもかかわらず、曾祖母の前に立ち、あっという間に馬車の車輪にひっかけられてしまったのだそうです。
祖母はそのとき、女学生で学校へ行っていました。帰宅してみると、座布団の上に、ぐったりしたポチがのせられており、曾祖母が
「あんたが帰るまでと思ったけど、死んじゃったみたいだよ」
と、しんみりと語ったそうです。

ところが、呼吸も既に止まっていたはずのポチが、がっと首をもたげ、祖母を見た瞬間、がばっと血を吐き、くぅんと鳴いたあと、ゆっくりと頭をもとへ戻したのだそうです。
祖母は、泣きながら「ポチ!ポチ!」と名を呼んだのですが、二度とポチが目を開けることはなかったといいます。
曾祖母から、祖母は「犬は、本当に会いたい人に会うまで、死ねないものなんだよ」と聞かされたそうです。

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