谷口 吉元
陸軍衛生少尉
昭和20年2月27日 フィリピン群島ルソン島クラーク方面にて戦死
三重県出身 二十九歳
いよいよ 動員下令になった 明日又は明後日は出発する事と思う 男子の本懐之に過ぎるものはない 勇躍して征途に着く 目的地は日米の決戦場「レイテ」島であろうと予想せられる お前の最後の手紙を今日手にした女々しいかもしれぬが持参して行く 恵まれぬ夫婦生活だったね しかしくれぐれも体を大切にして父母上の事を宜しく頼む 又子供の養育を御願ひする
私は今お前の強い 意志を信じて心置きなく大命の下 決戦場に身を挺する事が出来る 運命は神が支配せらる 私の肉体は何処に在ろうとも 心は必ずお前達母子三人の上に永遠の幸福を祈りてあるぞ(中略)
くれぐれも御自愛を祈る
久子殿
吉元
近藤 八郎
海軍兵曹長
第66警備隊 昭和19年2月6日 マーシャル群島クェゼリン島にて戦死
長崎県出身 27歳
短期間の実に楽しい結婚生活であった。厚く御礼を申す。俺も此の度は生還は帰し難し。武人の妻として誇りを持ち絶対に取乱してならぬ。七転八起の精神を振ひ起し、世の荒波を乗切る様。くどい事は申さぬ。幾時も申していた言の葉を思い起こし、老先短き両親に仕える様。尚坊やの顔も見たいけど致方ない。清く美しく育てて呉れ。男子の場合は姓名近藤征一郎。女子の場合は姓名近藤洋子と命名して呉れ。暑さ寒さに留意され自愛専一に。二十二日夜認ム
敬具
夫より マスエ殿
篠崎 真一
海軍少佐
昭和19年6月29日 内南洋方面にて戦死
東京都出身 二十四歳
玲子
玲子は日本一、否世界一の妻なりと思っている。苦労のみかけ、厄介ばかりかけ、何等尽くし得なかった事済まなく思っている。
四月十五日以来僅かな月日であったが、私の一生の半分に値する月日であった。父母に孝養を尽くしてくれ、私の分迄。
私に逢い度ば空を見よ、飛行機を見よ、軍艦旗を見よ。私は其処に生きている。
結婚のすべての手続き、六月十二日に横空で完了して置いた。くれぐれも後を頼むよ。私の出来なかった事も玲子には出来る。
後顧の憂、一つなく征ける身の幸せを感謝している。最愛の玲子、御身を常に見守っているよ。
出撃前夜
海軍大尉 篠崎真一
恋人への遺書
穴沢 利夫
「婚約者への遺書」
陸軍特別攻撃隊 第20振武隊
少尉
昭和20年4月12日 沖縄周辺洋上にて戦死
二人で力を合わせて努めて来たが終に実を結ばずに終わった。
希望も持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”ということが実現して了ったのである。
去月十日、楽しみの日を胸に描きながら池袋の駅で別れたが、帰隊直後、我が隊を直接取り巻く情況は急転した。発信は当分禁止された。転々と処を変えつつ多忙の毎日を送った。そして今、晴れの出撃の日を迎えたのである。
便りを書きたい、書くことはうんとある。
然しそのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。あなたの御両親様、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。
至らぬ自分にかけて下さった御親切、全く月並の御礼の言葉では済み切れぬけれど「ありがとうございました」と最後の純一なる心底から言っておきます。
今は徒に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。問題は今後にあるのだから。常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。
「あなたの幸を希う以外に何物もない」
「徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない」
「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと」
あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。
穴沢は現実の世界にはもう存在しない。
極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来生起する具体的な場面々々に活かしてくれる様、自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。純客観的な立場に立って言うのである。当地は既に桜も散り果てた。大好きな嫩葉の候が此処へは直に訪れることだろう。
今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言って見たい。
1、読みたい本
「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」
2、観たい画
ラファエル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」
3、智恵子。会いたい、話したい、無性に。
今後は明るく朗らかに。
自分も負けずに朗らかに笑って往く。
昭和20・4・12
智恵子様
利夫
昭和20年5月11日
南西諸島方面にて戦死(空母バンカーヒルへ突入) 24歳
コメント