オオカミ様と宮大工|宮大工シリーズ【13】
『白き龍神様』
俺が中学を卒業し、本格的に修行を始めた頃。
親方の補助として少し離れた山の頂上にある、湖の畔に立つ社の修繕に出かけた。
湖の周りには温泉もあり、俺達は温泉宿に泊まっての仕事となった。
そのお社は湖に突き出した小さな岬の突端にあり、社と言っても小さなものだったが、妙に厳粛な雰囲気を漂わせていた。
見積もりと計画は予め親方がしていたので、親方の指示に従いながら初日の準備作業は順調に進んで行った。
二日目の朝、親方と二人で作業に掛かろうとすると、お社からちょっと離れた茂みに小さな祠があるのを見つけた。
ずっと放ったらかしのようで、腐りかけ、朽ち果てている。
祠の中には石で出来た小さな龍の像が納められていた。
俺は親方に報告し、どうしましょうかと尋ねた。
「祠の事は仕事で頼まれてねぇな。○○、おめぇはどうしたいいんだ?」
「このままじゃ、龍神様が可哀想ですから、修繕したいと思います」
「じゃあ、手が空いた時におめぇが修繕しろ。いいか?」
「はい!」
それから俺は、朝食前、昼休み、夕食後の時間を使って祠の修理に励んだ。
修繕に取り掛かってから一週間ほど経った朝、起きてみるとしとしとと霙混じりの雨が落ちてきている。
食堂の天気予報では一日中雨との事なので、親方は俺に様子だけ見て来るように指示して温泉に向かった。
俺はカッパを羽織ると、お使い用に持って来ているスーパーカブに跨り、社の様子を見に行った。
鳥居の前にカブを停め、お社へと歩き出す。
お社の前に辿り着き、手を合わせ祈ってから修復中の裏手へ廻る。
お社の裏手は湖になっていて、結構高い崖である。
また、建物と崖までの距離は1メートルもない。
気を付けながら進んでいたが、足場が音も無く突然崩れた。
咄嗟に飛び退いたが、その足場もやはり脆く崩れ、俺は嫌な落下感を一瞬味わった後水中に落ち込んだ。
季節は初春、山頂の湖の水温はまだ数℃しかない。
必死で水面に出ようとした時、両足がこむら返りを起こした。
着ている服は水を吸い、重くなっている。
必死で水を掻き分けようとしていると、右肩までも攣ってしまった。
左手一本で藻掻いても体は中々浮かびはしない。
落ちた時にちゃんと呼吸が出来ていないので、酸素が足りなくなって行く。
鼻と口から冷たい湖水が流れ込んできて、本当にヤバいと感じた時、何か白く光る物が近付いて来るのが見えた。
そして、凄いスピードで近付いて来たそれが巨大な龍だと気付いた時、俺の意識は白い闇に溶けて行った。
暖かい感触を唇に感じ、ふと目を開ける。
次の瞬間、猛烈な咳と共に鼻と喉を熱い水が駆け上がってきた。
「がはごほげへぐはっ!」
息が出来ず、俺は盛大に口と鼻から水を噴出した。
一頻り咽返り、ようやく呼吸する事が出来るようになった。
涙と鼻水にまみれた顔を上げると、そこには白い着物を着た美しい女性が無表情に立っていた。
俺はその美しさに驚くと共に、女性の長い白髪に釘付けになった。
よく見ると、髪だけでなく睫毛も真っ白だ。
唇だけ、紅を差しているようで鮮やかに紅い。
驚いたように見つめる俺に、女性が
「大丈夫か?」
と男のような口調で尋ねてきた。
「…あ、はい。大丈夫です」
「…そうか」
彼女はそのまま去ろうとした。
「貴女が助けてくれたんですか?」
その後姿に声を掛ける。
彼女は顔だけ振り向くと、
「気にするな。祠の礼だ」
とだけ言い、掻き消すように居なくなってしまった。
暫く呆然としていると、親方と旅館の番頭さんが俺を見つけ、大声を上げながら駆けて来た。
「○○、大丈夫か!?」
親方が叫ぶ。
俺が旅館を出たのは早朝だが、既に時間は昼頃となっていた。
親方が帰りの遅い俺を心配して社に行くと裏手に崩れた跡があり、俺の手袋も落ちていたので湖に落ちた事を知り、地元の青年団に協力してもらって探していたと。
そして、俺が居たのは社の対岸だった。
俺が女性の事を話すと、番頭さんや青年団の人は幻でも見たんだろうと笑って取り合わなかった。
しかし、親方がニヤリとしながら手拭を差し出し、
「口から水を吸い出してもらったんだぁな? 拭いとけよ」
と言うので驚いて口を拭うと、手拭には鮮やかな紅が付いていた。
「オオカミ様と良い、龍神様と良い、えらく神様に気に入られるヤツだな、おめぇは」
そう言いながらがははと笑う親方。
俺はかっと頬が熱くなるのを感じ、手拭をほっかむりにして紅く染まっただろう頬を辛うじて隠した。
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