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心霊ちょっといい話『霊媒体質の血統』など短編全5話

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心霊ちょっといい話『霊媒体質の血統』など短編全5話 不思議な話
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霊媒体質の血統

 

俺のばあちゃんは、半身不随のじいちゃんを介護しながら慎ましく暮らしている。
ばあちゃんの家はいろんなモノが住み着いている。
由緒も何も無い、老人ばかりが住まう公団の団地なのだが。

もう10年以上前に他界した曾祖母が住み着いて、盆や正月など親戚が集まると臨終の直前に約束した方法(部屋中の電気が消える)で自分が在ることを知らせてくれる。
安らぎ、嬉しくなる瞬間だ。

愛犬が死んでから数年は、ヤツのお気に入りだったぬいぐるみが何度並べ直しても埋葬された寺の方へ向いたり。夜中に鳴き声なんざ日常茶飯事。
ダメ犬だったがいなくなると寂しいものだ。

祖母が神社仏閣に旅行に行けば、必ず何かを連れて帰ってお清めだ何だと大変だ。
一回、強烈なやつに憑かれて大変だったらしい。じいちゃんが逝っちまうところだった。

ばあちゃんの血継はそういう力が強いのかもしれない。
俺は生霊を飛ばしたり、何かを感じたり干渉したりできるし、兄は霊媒体質なのか、時々何かに憑かれておかしくなるし、親父にもなにかそういう力がある。

その強烈なやつに憑かれた時の話。
ばあちゃんが旅行から帰ると、じいちゃんが必死で「誰だアレ」とジェスチャーしている。
何かが居るらしい。部屋にギスギスした重苦しい空気が満ちている。
その夜ばあちゃんは何とも言えない悪夢にうなされ、目が覚めると線香やら何やら嫌~な臭いがする。
そんなことが数日続いて、適当に塩盛ったりしても効かないので近所の神社でお払いしてもらった。
でも神主さんが鼻血吹いたりしてダメっぽい。

その夜じいちゃんが、脳梗塞が悪化(再発?)して倒れた。
右半面の筋肉だけが異様に垂れ下がり、おぞましい顔になったらしい。
異変の兆候を察知していたばあちゃんによってすぐに病院に運ばれて、とりあえず薬による治療だけで何とか治ったが。

病状が落ち着いた後、俺がじいちゃんを見舞いに行ったら泣いて喜んでくれた。
倒れた時の事をじいちゃんが語るには、
『怖い人に入り込まれて頭が痛くなってきたら、孫(俺)と息子(親父)が来てくれた。
一晩中かけて怖い人とあーでもないこーでもないと話していたら、怖い人は去っていった』
俺は守護霊か!?

ばあちゃんが憑かれて、数日後にじいちゃんが倒れたってことでその夜、俺と親父は「連れて行かれるかなあ」「もうダメかもしれんなあ」などとリアルな相談をしていたことは秘密です。

 

 

ひとり

 

Aは大学ではいつも一人ぼっちだった。
もう3回生にもなるというのに、一緒に食事をする友人はおろか過去問や代返を頼めるものすらいなかった。
元々根暗な性格で、人と会話するのが苦手だったので、話しかけてもどうせ避けられると分かっていたため、いつも一人で行動するようにしていた。

それでも普段の講義では教室の隅で静かに座っていると、皆の話し声が自分が「特殊」な人間であることを再認識させるための罵声のように聞こえ、とても辛かった。
「友人なんか作らなくても一人でやっていける。」
そう自分に言い聞かして、この状況を自分の中で正当化するしかなかった。
そういう自閉的な思いが余計に周りとの溝を広げる要因となった。

ある日のこと、大学の講義が午前中に終わり、Aは自宅へ帰ろうとしていた。
夏も終わり、少し肌寒くなってきていて行き交う人々で半そでは見られなくなっている。
Aの大学から自宅までは約100mほどしかなく、校門をでて横断歩道を渡り、そのまままっすぐ行けばすぐに着く距離だった。

Aは早々と大学を抜け、校門を出ると横断歩道の信号にひっかかった。
日中にしては人通りが少なく、校門前は閑散としている。
Aは車道側の信号を見ながら信号が青になるのをジッと待っていた。
すると車道を挟んで向こう側の歩道に一人の女性が歩いているが見えた。
女は半そでの白いワンピースを来ており、髪はストレートで頭の上から胸あたりまで伸びていた。
うつむいているので顔が良く見えないが、半そでから伸びだ白く細い手には生気が感じられなかった。
女はすっと横断歩道の前まで来ると立ち止まり、うつむいたままこちら側を向いて信号が青に変わるのを待った。
この寒空の中、半そでをしている女にAはふと奇妙な疑念を抱いた。

横断歩道の信号が青に変わり、Aとその女はほぼ同時に動き出した。
すると女はすすっとAの正面へ歩み寄り、うつむいた顔を上げてAの顔を見た。
Aは女が自分の前まで来たのに驚き、はっ女の顔をみてしまった。
女は青白い顔をしていて不気味な笑顔を浮かべている。
ひょっとして知り合いかと思ったが、覚えがないのでAは意味がわからず、女を避けて横切ろうとした瞬間
女はAの手をガッととり、
「コレを・・・・」
とつぶやき、Aの手に何かを強引に渡してきた。
Aはとても驚き、自分の手を開いて握らされたのが紙であると分かると、すぐに顔を上げて女を見たが、女は走り去っていってしまった。

Aは女の意図がわからず、横断歩道の真ん中に一人立ち尽くしていた。
信号が赤に変わると、Aは急いで渡りきり、渡された紙をもう一度見た。
紙は1枚のノートが四つ折りにされているもので、力強く握らされたせいかくしゃくしゃになっている。
Aは女から手紙をもらったことがなかったが、今回のことに関しては気味がわるく、紙を開くのが恐かったので家に帰ってから開いて読むなり、捨てるなりしようと急いで帰路についた。

Aは家に戻り、教科書の入ったカバンを置いてから、すうっと深呼吸をしてゆっくりと女から渡された紙を開いてみるとそこには

「あなたはこの世で一人だけ

みんなもこの世に一人だけ

生きていることに

あ り が と う」

Aは読み終わるとその紙をまた四つ折りにしてそっと机の中に入れた。

次の日、Aは同じ学科の人に話し掛けてみた。
無視されたけど、Aはとても満足だったとさ。

 

 

握り飯とカーディガン

 

うちのばあさまが亡くなったことの話
姉と親戚の子がお通夜の時二人で線香を絶やさないよう番をしていた時、2人ともばあちゃん子で一晩中亡くなったばあさまに話しかけてたんだそうな。
その時ばあさまがあの世で寒くないように愛用のカーデガンと握り飯を懐にこっそり入れてたんだそうな、もちろん誰も知らない。
葬式&火葬が終わって親戚一同一旦本家に戻った時の事。
親戚の叔母さんが厠から帰ってくるなり
「暗い」「ここはどこな?」の連発
「ばあちゃん?」と聞くと「○子な?どこな?ようわからん」
「大丈夫?迷っちゃいかんよ」と言うと
「○子(うちの姉)と○子が握り飯とカーデガン持たせてくれたけん寒くないし腹もへっとらん」
「光が見える方にいかなならんよ」
「あっちに行けばいいと?わかった・・・」
で叔母さんバタン
叔母さんの話では厠で座った時、目の前にばあさまの足が見えたそうな、その後の記憶なし。
んでもって姉たちの握り飯の件ばれる。
ばあさま、ちゃんといけたかな?

 

 

もう一つの声

 

高校で軽音楽部に所属していたときの、カセットテープが残っています。
文化祭でオリジナルソングを歌ったときのものですが、あまりの悲惨な結果のためすぐに聞く勇気はなかったので、部屋のラックの中に入れっぱなしのままでした。

聞いてみようと思ったのは、大学3年のときでした。そのときは山岳部に所属していました。
山小屋で皆に聞かせれば笑いの種にもなろうぞとテープを再生し、はじめて気づきました。
声が入っている。自分の声ではない。誰かが、何か言っている。
私は即座に停止ボタンを押した。歌っているときは夢中で、そんな声が入っていたかはわからない。しかし、あの中に盛り上がるような声はなかったはずなのです。

鳥肌がたった腕をさすりつつ、やっぱり話の種くらいにはなるだろうと、私はテープを上高地まで持って行きました。
仲間は5人。就職活動前の最後の登山でした。僕らの登山は名前ばかりで、ハイキング寄りと言った方がいいかもしれません。
山小屋まで移動するコースの途中で私たちは道を失いました。遭難しかけたのは短い間でした。
深い霧の中で、私たちは暖かくして岩と岩の間でじっとしていました。
山では年間何人もの人間が死にます。もしその数字に自分が数えられるたら、もし助かっても莫大なレスキュー費用が請求されたらどうしようと震えていました。
私が持ってきたデッキにはラジオがついていましたが、不鮮明な音が流れるだけでした。その時、仲間が私の持ってきたお化けテープを見つけ、「気分が悪くなる。聞こう」と言い出しました。明るくするどころか、さらに不幸な気分に貶めそうな内容なので止めようとしたのですが、情けない文化祭の、本人以外には愉快この上ないテープと勘違いしだ彼らは制止を聞かずに再生してしまいました。
やはり、声が入っています。私は思わず耳をふさぎました。仲間がボリュームをあげます・・・・・・・

その数時間後、僕らは山小屋へ難なく到着しました。
今でも彼らに会うと、テープの話をされます。あの時、音量を上げたテープにはこう入っていました。
「がんばれ、がんばれ、」
僕に黙って文化祭のステージを見に来た母の声でした。
怖い話じゃない、と突っ込まれそうなので書いておきます。
母は僕が中学生の時に病気で死んでいるのです。

 

 

ロベルト!

 

これは俺が3~4年前の夏、イタリアのローマで体験した話です。
俺は大学でイタリア文学を専攻していて、大学4年の時に休学して半年間ローマに留学してたんだけど、その時にローマの郊外にある、エウルっていう穴の開いたチーズみたいなビルを1人でブラブラ見に行ったんだ。

直射日光が凄くてめちゃめちゃ暑い日だったんだけど、ビルが建ってる所が高台になってて、街が見渡せて涼しい風も吹いてたから、建物の影になってる所に座って一服しながら景色見てたのね。
そしたら、ちょっと前まで誰もいなかったんだけど、いきなり3つ揃えのスーツをバシッと着た小さい90ぐらいの爺さんが俺の肩を後ろから叩いて、「よう!ロベルト、久しぶりだな!」って声かけてくるんだよ。

俺も、不意打ちだったもんだから、一瞬ビクッとしたんだけど、すぐに人違いかなと思って、その歳の割には元気のいい爺さんに「あの、人違いですよ。ぼくは日本人ですし、ロベルトという名ではありません。」ってキッパリ言ったの。

そしたら、爺さんの方は、凄い嬉しそうな顔して「やっぱりロベルトじゃないか!」って益々大きな声で言いだしたんだ。
俺は、いよいよこのジジイぼけてんのかな?って思ったけど、まとわりつかれても嫌だなと思ったから、「だから、ロベルトじゃないって。普通の日本人はそんな名前じゃないよ!」って言ったら、爺さんは笑いながら「そんな事は知ってるわい!」みたいな感じで事の経緯を話しだしたんだ。
以下、俺と爺さん談(イタリア語だったので、それっぽい口調になおしました。)

爺「もちろん、君の本名がロベルトじゃないって事ぐらい知ってるさ。君は見たところ日本人っぽいし、わしは今年で92になるが、まだそこまで耄碌してないつもりだよ。君は昔、イタリアとドイツと日本が戦争で同盟を結んでいたって事を、学校かどこか勉強した事があるかね?」

俺「もちろん、知ってますよ。僕だけじゃなく、日本人なら大抵の人は。」

爺「よろしい。わしは第1次、第2次と2つの世界大戦に最初から最後まで海兵として従軍したんだが、当時はドイツや日本からこの地に派遣された、若い将校や外交官なんかと親睦を深めるためによくつるんで飲みにいったりしたもんだ。
お互い、言葉も文化も違うが、当時の我々にとっては、そんな事は大して重要じゃなかったし、とにかく共通の敵がいる味方どうし、若かったってのもあるが大いに盛り上がったもんだよ。
そして当時は、わしらみたいにつるんでた連中は、イタリア兵もドイツ兵も日本兵もみんな、お互いを親愛の情をこめてロベルトって呼びあったもんさ!」

俺「はぁ…。でもまた、なんでロベルトなんっすか?」

爺、にっこり笑って「わからんかね?ロベルト(ROBERTO)というは頭文字を合わせたものさ。
3国の首都 ローマ(ROme)・ベルリン (BERlin)・東京(TOkyo)の。だから、君を見かけた時、日本人じゃないかと思ってロベルトと声かけたってわけさ!」

俺「へぇ~。なんか歴史を感じる話っすね~」

爺、急に笑顔から一変して渋い表情で「ところで、君のご家族やお知り合いの方で、第二次大戦に従軍された方はいるかな?」

俺「うーん…。祖父は従軍しましたけど、もうとっくに他界したし… あ!親戚の爺さんでまだ1人生きてますよ!」

爺「そうか、そしたら今度あった時には、イタリアが途中で戦線を放棄したことに関しては、本当に遺憾に思っており、わしの人生においてただ一点の心残りであり、日本の皆さんには謝っても謝りきれない事をしたと思っている。と伝えてくれ。」と目に涙を溜めながら、俺に訴えてきた。

俺「うーん、今さらそんなに怒ってる人もいないんじゃないかなぁ?あの小うるさかった俺の祖父でさえも、イタリアの事で、ぼやいてた事は一度もないし…。」

爺「我々はあの時、誓って誰一人戦線を放棄したいと思ってる奴はいなかった。
わしの海軍部隊では政治的に戦争が終わった時でさえ、皆悔しさに泣き、同盟国を見捨てるのかと、誰もが断腸の思いだった。
拳銃で自殺をしたものだっている!でも、わしはあの時何も出来なかった…。昨日まで、同じテーブルで酒を飲み、ロベルトと呼びあい、同じ敵を蹴散らそうと雄叫びを上げあった仲にも関わらず、同盟国の戦況が日に日に悪くなっていくのが、ラジオで伝えられようと、何も出来なかったんだ…。
特に、日本の方々が最後まで意志を貫かれているという報道を聞くたびに、どれだけ5体が引き裂かれるような思いがしただろう。
だから、日本の方々には戦線を離脱した腰抜け、裏切り者と思われても止むを得まい。そして、イタリア人はテレビで見るような、ちゃらついて女の尻を追いかけるだけの、軟派者と思われているかも知れない。
しかし、その後の半世紀以上、わしを含めた海兵全員は一日だってその事を悔いなかった事はないのだよ…。
だから、君のお知り合いには、是非すまなかったとお伝えください…。」

そういうと、爺さんは年甲斐も無く泣き崩れた。そしてよく見ると爺さんの胸には、会社の社章のような小さいもので気付かなかったが、古びたイタリア海軍の所属部隊のバッジが着いていた。
そして、急な展開に戸惑った俺は、「わかりました、今度会ったら必ず伝えておきます。」とだけ言って、挨拶をしてその場を去り、また炎天下の中に戻っていった。
今まで、不思議ととても涼しく心地よかったのだが、その場を離れた瞬間また砂漠のような猛烈な暑さに見舞われた。

そして数メートル進んだ後、爺さんが何だか気になって振り向くと、このテの話にありがちだが、もうそこには誰も居なかった。その爺さんが、幽霊だったかどうかなんて、今となってはわからない。
ただ俺は、爺さんと最後に交わした挨拶を思い出して少し、変だなと思った。
爺「ここにいれば誰か日本の方が来ると思って、ずっと待っていたが、わしの話を聞いてくれた人はどれくらいぶりだろう。
皆、わしがまるで見えないかの様に、無視をして立ち去ってしまうのだから。ありがとう。」
俺「いいんですよ。でも、ここよりもっと街の中心の観光スポットに行った方が、日本人はいっぱいいるんじゃないですかねぇ。コロッセオとか。それでは、お元気で。」

後日帰国して、久方ぶりに、家で寝たきりになって殆ど誰とも口をきかない親戚の爺さん(元海軍)を訪ね、その話をした。爺さんは、何も言わず、ただ目に涙を溜めていた。そして、その話を聞いた1週間後に老衰で他界した。世話をしていた従姉妹によると、俺が会った後の1週間は爺さんが妙に明るく、皆に積極的に話しかけてたと言う。

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