マリンの鈴の音
自分のうちにいた猫が昼間犬に噛まれて死んでしまった。
夜になり家族揃い色々猫の話をしていた時、父が「おお今鈴の音が聞こえなかったか?」って言い出しましたが他の人には聞こえませんでした。風呂から出た父が「今また鈴の音が聞こえた」 猫はなき声が小さいために鈴を鳴らしてなき声の代わりにしていたし、鈴の音って他の鈴と違いが判る物で父が「あれは絶対マリン(猫)のだった」と言い張りました。
「きっとお別れに着たんだよ」言うことになりましたが、自分に聞こえないのが悔しくて「おい マリン 俺にはお別れないのか?」なんていって寝ました。
夜中に一瞬目が覚めると、なんと鈴の音が! しかもつい数時間前まで聞こえていたマリンの鈴の音が聞こえました。
「あ~俺にもお別れいいに来てくれた」
って思い怖い気はしませんでした。
実は自分は一度寝ると夜中に起きることなんてほとんど無いために、本当にお別れに言いに来たのだと思っています
母の悲しみ、子供のさびしさ
最近亡くなった某霊能者の話。
昔から、お盆になると亡くなった人が帰ってくるといいます。
この日になると、玄関の前できびがらを燃やし、仏壇には野菜や果物をそなえて霊を慰めるのです。
今は少なくなりましたが、昔はどこの家でもやっていました。
さて、私が小学生だった頃、私達の遊びの輪の中に、その年の初めにお母さんが病気で死んでしまった、4歳くらいの小さな女の子が居ました。
その子の家はいつも皆で遊んでいる広場のすぐそばにあり、
この日も夕暮れになって、広場からこの子のお婆さんが家の前でお盆の火をたいているのが見えました。
すると突然、その女の子が、
「あーっ!おかあちゃんがかえってきた!」
と大きな声を出してかけて行ったのです。
広場のはずれの方、かけて行くその後姿を見ていると、ふっとわいたように、その子の前方に白い着物を着た女性が立っていました。
「おかあちゃ~ん!」
女性はにこやかに笑うと、その子の手を取り、すべる様に家へと入っていきました。
私が見たこのお母さんの姿はこの世のものではなく、お盆で家に帰ってきた母親の霊でした。
当時はなんとも思いませんでしたが、今思い返してみると胸に迫るものがあります。
まだ幼い子供を残して亡くなった母親の悲しみ、母を失った小さい女の子の寂しさが、心に押し寄せてきます・・・。
最近、俺の周りで子持ちが多くなったせいか、こういう話にめっきり弱くなっちまった。
古い電車を探して
小学校低学年の頃。家の近所に市電、つまりちんちん電車が一両捨てられていた。
原っぱの一角に錆びだらけで放置された車両。今考えてみればちょっと薄気味悪いが、当時の子供たちにはかっこうの遊び場だった。
子供のよく作る秘密基地、この車両も当然ながら秘密基地化していた。その日、私はひとりで秘密基地で遊んでいた。いつものメンバーがほかで遊んでいることは知っていたがなぜか猛烈にここに来たくなったのだ。
ひとりということで妄想全開で遊んでいると、急にひとりの女の子がはいってきた。同じくらいの歳の子だが見たことのない子だった。
そして入ってくるなりこう言ったのだ。
「あっ、ほんとにいた!」
普通、この手の話だとこの女の子が実は……ってなことになるのだが、昨日引っ越してきたばかりの「生身の」女の子だった。歳も同じ。彼女は続けてこんなことを言った。
「昨日夢を見たの。きれいな女のひとが、古い電車を見つけることができたら友達ができる、って言う夢」
夢を信じ、来たばかりで右も左もわからない街で電車を探してまわったそうだ。そんなものがあるかどうかもわからないのに。
でも原っぱでほんとうに電車を見つけ、ほんとうに同い年の私を見つけたのだという。
「友達になってくれるよね」
不思議な出会いであるが断る理由はなかった。
彼女とは現在もつきあいがある。
というか……今私の嫁になってます。
臨死体験
私の従兄弟の話なんですが、またその子も非常に危険な状態の時に臨死体験をしたそうです。
その病気ってのが「盲腸」なんですね。
医者曰く、あと一日遅れてたら死んでいた。だ、そうです。
「本当ですか?盲腸で?」と聞くと、医者は「盲腸で死に至るケースは非常に稀ですが、あります。」
と言っていたそうです。当時小学校3年生であった私は従兄弟はあと一日で死んでいた。
ということを他人の自慢話にしていました。いまじゃシャレにはならないですがね。
で最近大人になったその従兄弟と酒を飲んでいると、「俺さ、臨死体験したんだ」といいだしました。
彼の話だと、麻酔されたあとの話は勿論なく気づいたらただポツンと、暗闇の中に立たされていたそうです。
訳も分からず、キョロキョロと辺りを見回しているとブワァァァァ!!っと眩しい光に照らされ、ふっと気づくと彼の家の近くにある田んぼ(私たちの田舎)に立っていたそうです。
また意味の分からない・・・・と思っていたんだけどもここは知っている場所。
取りあえず歩いてみることに。しばらく歩くと彼はある事に気づきました。
川の水は澄んでいて、ウナギが居ました。まるで舗装されていない川に変わっていました。
ウナギ・・・・・?と思いつつ田んぼを見てみると誰かがせっせと働いていたそうです。
「オーイ!!」と声を掛け、田んぼのほうに走って行って、「ここ○○(地名)ですよね?」と彼は聞いてみました。
そのおじいさんが顔を上げてみると、私や彼が生まれてくる前に亡くなってしまっていた祖父だったらしいです。
「お前、こんなとこで何やってるんだ?」ときかれ、何やってるって・・・と困っていると
「帰れ。○○(彼の母)と○○君(彼の父)が呼んでるぞ・・・・夕飯抜きにされちめぇーぞ?」
といわれそこで急に眠くなり、起きてみると彼の母と父が顔を覗き込んでいて
「やっと起きたのか心配させやがって・・・」とか言われたそうです。
全くロマンの無い臨死体験ですが従兄弟によれば本当の話らしいです。
「母方の爺ちゃんに会ったんだ、生まれて初めて。」といっていました。
私もあと何十年かしたら会いに行きたいです。
僕の体を使って
北海道に住んでいた俺のじいちゃんは町議会員も務めたこともある堅物だったそうだ(その頃は俺たち家族は、千葉にでてきてたし俺も消防だったから・・)が夏休みに帰省すると釣りを教えてくれたり畑でとうもろこしをとってくれたりして俺たちにはとっても優しかった。
俺が工房になった時、そんなじいちゃんがボケはじめたという(俺には信じられなかったけど)ので母ちゃんが北海道に看病?というか様子を見に行ったんだ。
そんで母ちゃんから電話がかかってきたが母ちゃん曰く
「それがねぇ~やっぱりちょっとボケてるみたい。私のことはわかるみたいだけどおばあちゃんとか近所の人とかわからなくなる時があるのよ。」
ということだった、その時、俺もじいちゃんと話しをしたが別段かわった様子は見られなかった。
「元気でなぁ、今度、遊びにいくからねっ じいちゃん」
「んっ はやぐぅごいっ」←じいちゃん
それが最後に話した言葉だった。
それから半年後、そんなじいちゃんが死んだ・・・
俺たち家族はすぐに北海道にいった。そして通夜が終わり、遺影を前にして親戚連中が酒を飲みながら話をしていた。
俺はまだじいちゃんが死んだのが信じられないで涙も流さずにボーとしていた。
じいちゃんは最後の方は誰が誰だかさっぱりわからなくなってたが俺が遊びにくるからと何度か話しをしてたそうだ(ごめんなぁ会いに来なくて・・)そんな中で親戚連中がなんか喧嘩を始めだした。(何が原因だったか覚えていない)俺は怒りが込み上げてきた。
何でこんな時に喧嘩してんだぁ じいちゃん死んじゃったんだぞぉ~
俺は心の中でそう叫んでた。その時・・俺の体が前後に大きく揺れ始めた。
なんだこれは・・・
そうか、じいちゃんだろっ そうだろっ じいちゃんも怒ってるんだろ~
文句のひとつもいいたいんだろ~ じいちゃん俺の体使っていいよ
俺はじいちゃんに心の中で話かけた・・・
親戚連中も俺の異変に気付いて騒ぎはじめていたが俺の体の揺れはますます大きくなっていた。
俺は涙が溢れて止まらなくなっていた。俺が泣いているのか、じいちゃんが泣いているのか自分でも解らなくなっていた。
そして、俺の口からそこにいる親戚全員の名前が次々に呼ばれていった。
最後には俺の名前が呼ばれた。そして・・・
「みんなぁ み~んなぁ 来てくれてありがとおぅ~」
「ありがとおぅ~」
「ありがとおぅ~」
と何度もしゃべり続けて俺は気を失って次の日の夜まで高熱を出し寝つづけた。
じいちゃん 寂しくって そして みんなに会えてうれしかったんだろうなぁ
そんな、俺は霊感なし。
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