【自衛隊の怖い話 [訓練・演習編]】
「撃てよ」
年末の演習で、警備要員に選ばれて塹壕に入ってた時の事。
昼間に想定で防衛出動かかって、64式小銃持って山の中の塹壕に入った。
塹壕にはその時3人いた。俺1士とA士長とB2曹。
仮想敵は基地の外柵より中には侵入して来ないって超ヌルい設定だったんだが
夕方に探り入れて来てから何も無かったから、深夜来るだろうって話だった。
つっても一番端っこの塹壕だったし、俺とA士長でなんとなく前方警戒して、B2曹はPSPやってたw
で、夜中2時頃、案の定仮想敵が重要施設に対して攻撃開始。
遠くでドンパチやってるし、無線からは結構逼迫した状況が伝えられてたんだが
俺は遠くの激しい銃撃戦を見て、スゲーとかヤベーとか思ってたんだが
A士長とB2曹は街の飲み屋の女の話をし始めたw
そんな状況でついうっかりしてて、10時方向30mの外柵越しにいる人間に気付かなかった。
マズイと思って盛り上がってる二人に報告すると、流石に銃構えて警告を始めた。
自衛隊について詳しい人ならわかると思うが、「誰可!」と3回聞いて応答無ければ射撃する。
勿論応答無かったので、B2曹がトリガーハッピーを始めた。空包だから撃ちまくれとかなんとか言ってた。
と、A士長が突然「待って下さい!」と叫びB2曹を止めた。
俺も興奮してて気付かなかったんだが、その人間、全然動かん。
しかも空自の緑の作業服じゃなくて、なんか白いワイシャツみたいのを着てる様に見えた。
あんまり動かんので3人でしばらく観察してた。
「制服着た方面隊の監察官だろ?」とB2曹がずっと言ってたが、真冬の夜中に外でワイシャツだけは無いし いくら監察官だからって山ん中で制服は無いだろと。
結局それ以上トリガーハッピー出来なかったB2曹は少し不機嫌になってたw
俺は一応無線を担当してたので、本部に聞いてみるが監察官は今お前らの地区にはいないと言う。
と、真横から突然銃撃音。本物の仮想敵が側面から来た。
なんだよあれはオトリか汚ぇな~とか言いながらそっちに対応した。
他の塹壕とも連携して、この仮想敵はなんとか撃退。
全員さっきの謎の人間がいた方向を確認したが、何も無かった。
と言うかこの時は全員、仮想敵が卑怯な方法でオトリ出したのかと思ってた。
で、しばらくたった4時頃、A士長が「あ~また来たよ」と言い出した。
確認してみると、確かにさっきと同じ場所に奴がいる。
シメシメ仮想敵の小隊も馬鹿だな~と本部に状況報告し、射撃の許可が出たので今度は3人で撃った。
と、またA士長が「ちょっと待て」と射撃を止めた。
今度は何だと思って聞いてみると、「あいつ目が光ってる・・・」とか言い出す。
目を凝らしてみると、確かに微妙に顔辺りに光が二つ並んでる。
動かんし、目は光ってるし、気味が悪くなってきた俺らはとりあえず観察。
本部から戦果について聞かれたので、不明者逃亡と返信した。
そもそも、奴がいる地点は隣の塹壕からも確認出来るはずだったが、誰も報告してない。
どうやら、マズい物を見てるんじゃないかと3人は思い始めた。
しかし動物の可能性も捨て切れない以上、本部に変な報告は出来ないし(明方だったから幹部は皆疲れて不機嫌だしw)
とりあえず、無視しようと言う事になった。
それを3人で決めて再び塹壕の前方を向いた直後、A士長が「え!?」と叫んだ。
あまりの驚き様にB2曹も腰を上げ、前を見た。
目の前の外柵に目を光らせたワイシャツとスラックスの男が突っ立ってた。
ってかそこで気付いた。
こいつ目だけじゃなくて体全部光ってやがる。
だから冬の夜中で遠くにいても、ワイシャツと気がついたのかと。
なんか口もパクパクしてて、A士長とB2曹は固まってるし、俺も銃向けるとかそれどころじゃなかった。
小銃持った3人の兵隊が、1体の化け物相手に固まってるって、今考えりゃ笑えるけどw
その内そいつは森の奥へ消えていった。しかも水平移動で・・・。
全員が我に返った頃、ようやく空が青みがかって来た。
A士長とB2曹が「やべぇなこれ・・・」とか言い始めた時、耳元でって言うか頭の中で声が響いた。
「撃てよ」
我に返った直後だったが、再び全員が固まった。どうやら2人にも聞こえたらしい。
その後はガタガタ言いながら朝の演習終了まで3人寄り添ってましたw
その後、内務班で幽霊騒動が起きたり、給養の倉庫を男の頭が彷徨ったり色々あったんですが
退職したんでそれ以上は不明・・・。
砲兵森
私は、元陸上自衛官で、関東にある某普通科連隊にいました。
残念ながら、私が体験した話ではなく、在隊時にMという上官から聞いた話を書きます。
本題に入る前に、陸上自衛隊の演習場について説明します。(興味無い方、すみません。)
陸上自衛隊には、全国各地に演習場があり、関東甲信越の部隊がよく訓練に利用するのが
「富士演習場」です。
ここは総合火力演習なども行われるので、民間の方でも行った事がある人がいると思います。
富士演習場は、静岡県側の「東富士演習場」と山梨県側の「北富士演習場」の2箇所に
わかれており、今回の話の舞台は、東富士演習場です。
この演習場の歴史は古く、明治時代に作られたそうで、演習場内にも固有の地名があり、
正規の地図にはちゃんと地名が記載されています。
古い地名が多く(中には戦後付けられたのもある)、今の時代では変に思える地名が
たくさんありました
さて、ここから本題に入ります。
その、たくさんの変な地名の中に、「砲兵森」という場所があります
(今でもありますし、正式な地名であり、俗称等ではありません。)
私にこの話をしてくれた上官が、新隊員の頃に初めての野営訓練をした宿営地が、
この砲兵森でした。
その時の野営訓練は、3日間で、詳しい訓練内容は聞きませんでしたが、初日の夜に、
夜間歩哨の訓練を行ったそうです。
2名ずつ交代で夜間歩哨に立ち、深夜2時になって、当時新隊員だったM上官(以後M新隊員)達
の番になり、班長に夜間歩哨につく旨を申告して前任者と交代しました。
その日の夜は、雲ひとつ無い、怖いくらい奇麗な月夜で、眼前に広がるのは月明かりで青白く
染まったススキの平原で、後方には宿営地のある真っ暗な森がありました。
2人でタコツボに入り、小銃を腰だめに構えて警戒をしていました。
演習とはいえ、いつ敵役の教官達が襲ってくるかわからないので、緊張して警戒していました。
しばらくすると、後方から誰かが歩いてくる音がかすかに聞こえ、M新隊員達は「敵の斥候か?」と
一瞬ドキッとしたものの、どうも足音は後ろから近づいてくるようなので、「味方の伝令だな」と思い、
緊張していた気持ちが緩んだのです。
しかし、歩哨は、常に敵方(自分の前方)を監視していなければならないので、後ろを振り向かず、
きちんと任務を遂行していると足音がすぐ後ろまで迫ってきました。
そしてその足音が、M新隊員達のいるタコツボのすぐ後ろでピタリと止まったのです。
M新隊員は「ははーん、班長が俺達がちゃんとやってるか様子を見に来たんだな」と思ったのだ
そうです。
となりの同期もそう思ったのか、しっかり前方を監視していたそうです。
しかし、タコツボのすぐ後ろにいるものは、話しかけてくるわけでもなく、まったく動かないのです。
さすがにM新隊員は、おかしいと思いましたが、
「もし班長だったら振り向いたら怒られるんじゃないか」
と思いなかなか振り向けずにいると、隣の同期が、どうやら好奇心に負けたらしく、後ろを
振り向いてしまったのです。
その瞬間、隣の同期がガクガクと震えだし、小銃や装具がガチャガチャ鳴りはじめ、
やっぱりおかしいとM新隊員も後ろを振り向くと、そこには、
「明治時代の軍服を来た兵隊」
が不動の姿勢で立っていたのです。
一瞬、何かの冗談かと思ったのも束の間、月夜で青白く照らされたその兵隊の顔を見て、
目が合った瞬間に、「この世のものじゃない!」と確信したそうです。
(彼が言うには、言葉ではうまく説明できないが、葬式などで遺体を見たときの、
なんとも言えない気持ちになる顔、だそうです)
兵隊と目が合ったまま、恐怖で動けないでいると、突然兵隊が大声で
「砲兵第○○大隊の陣地はどこでありますか!!」
と聞いてきたそうです。M新隊員達は恐怖で答えられずにいると、その兵隊は、
「砲兵第○○大隊の陣地はどこでありますか!!」
「砲兵第○○大隊の陣地はどこでありますか!!」
「砲兵第○○大隊の陣地はどこでありますか!!」
と何度も何度も壊れたプレイヤーのように聞いてきたそうです。
M新隊員が目が合ったまま恐怖で動けずにいると、隣の同期がいきなり無言で走って
宿営地のほうへ逃げてしまい、M新隊員が一人取り残されてしまいました。
とっさに「ヤバイ!」と思って、M新隊員も、その兵隊の横をすり抜け、宿営地へ走って逃げました。
後ろでは、まだ、
「砲兵第○○大隊の陣地はどこでありますか!!」
と言う兵隊の声が聞こえてきます。
そして腰が抜けそうな、かくかくとした駆け足で宿営地に着くと、そのまま班長達のいる
天幕(テント)へ走りこみました。
いきなり飛び込んできたM新隊員に班長は当然に、「何をしている!持ち場はどうした!」と
怒鳴りつけました。
M新隊員は、カチカチと歯を鳴らし、涙を流しながらも、今までの状況をすべて班長に報告しながら、
「やっぱり、あそこにもう一度行って来いって言われるんだろうな」と思ったそうです。
ところが、意外なことに、班長はこの報告をあっさりと納得し、
「わかった、自分の天幕に帰ってもう寝ろ!」と一言だけ言うと、外へ出てどこかへ行ってしまった
そうです。
天幕内にいた、この騒ぎで起きだした他の班長達も、なぜかみんなM新隊員を同情するような
顔をして、黙ってまた寝てしまったそうです。
この反応に、ちょっと肩透かしをくらったようになりましたが、もうあそこに行くのは絶対に
嫌だったので、素直に自分の班の天幕に戻ることにしました。
とぼとぼと自分の天幕へ戻っている途中で、先に逃げた同期の事を思い出しました。
「俺より先に逃げたのにどこにいったんだろう?迷子になったのか?」
と考えていると、班長が外へ出て行ったの思い出し、
「あ、班長はあいつを探しに行ったんだな、じゃ安心だな」
と自分に都合良く考え、一人で納得し、自分の班の天幕に戻りました。
そして、自分の班の天幕で、寝るために装具を外していると、天幕の入り口あたりで、
ガサガサと音がしました。
「あ、あの野郎が帰ってきたな、先に逃げやがって!」と思いつつ、天幕の入り口を開けてやると、
さっきの兵隊の顔がいきなり現れました!
今度こそ腰が抜け、へたり込むと、その兵隊がニヤリと笑い
「砲兵第○○大隊の陣地は ここ でありますか!!」
と言い、そこでM新隊員は気絶、気がついたらもう朝だったそうです。
ちなみに、先に逃げた同期は、班長達の天幕の近くで隠れているところを、班長に見つかり
(やっぱ探しに行ってたw)
班長から「仲間を置いて先に逃げた罰だ」と言われ、班長と一緒に例のタコツボで朝まで
歩哨をやらされていたそうです。
この「砲兵第○○大隊の陣地はどこでありますか!!」と聞いてくる兵隊の霊は、
何十年も前から目撃され続けているそうです。
ここまで書けば、みなさんはもうお気づきでしょうが、この「砲兵森」という名前の由来は、
旧軍事代から目撃され続けてきた砲兵の幽霊が元で、「砲兵が出る森」「砲兵森」と呼び、
それがそのまま大正、昭和と旧陸軍時代、戦後の陸上自衛隊と続き、いつしか正式な名称に
なったという話です。
実際に明治時代に、旧陸軍の砲兵大隊がここで陣を張り訓練をしていたところ、一人の兵隊が
いなくなり、
捜索するも結局見つからなかったという事件あったそうです。
私も実際に、この「砲兵森」で何度か野営しましたが、たしかに薄気味悪いところでした。
幸いにも私はここでは何も見ることは無かったのですが、他の場所では色々と体験させて
いただきました・・・
中部地方の演習場
中部地方の演習場で演習中の話
ある幹部クラスを乗せて演習場を車で走りぬけているとき
いつもその幹部は特定の場所で外にむかって
誰もいないのに敬礼していた
ドライバーの陸曹はいつも不思議に思っていたが任務に集中しようと
運転を続けていたが、やっぱり気になったので聞いてみた
「なぜいつもこの場所で、誰もいないのに敬礼しているのですか?」
「訓練中にこの場所で亡くなった隊員がいつも私に敬礼してくるのだ」
それ以来その陸曹もその場所をとおる度に敬礼している
安らぎの池
43年7月2日、陸上自衛隊少年工科学校(現陸上自衛隊高等工科学校)その日、三年生のある区隊の午後の課業は野外戦闘訓練だった。
天候は梅雨真っ只中の雨。
最初は訓練場にて訓練を行っていたが、先任教官の思いつきで予定変更し、当時「安らぎの池」と言われていた人工池で渡河訓練を行うことに。
当時、安らぎの池は降り続いた雨の影響もあり、水かさが増していたが、先任教官は決行を決意。区隊員数十名を連れ、池に入って行った。
区隊員の服装は乙武装で、作業服にテッパチ、弾帯を付け、M1ライフルを携行していた。
当然、作業服は水を吸って重くなり、泳ぐことが困難になる。さらに銃は肌身はなさず持っていなければならないという鉄則があるので、重りになる銃も離せない。
先任はともかく、そんな経験のない区隊員は「銃を離さなければやばい。だが離せばキツい罰直が待っている」と半ばパニックに。
池の中ほどまで進んだ時、溺れる者が続出。
流石にまずいと思った教官および区隊員で救出に当たったが、10数名が水中に没し、さらに救出のために池に入った区隊員1名も行方不明に。
その後陸上自衛隊各隊や、海上自衛隊の潜水員も動員し救出活動に当たったが、結局13名が死亡した。
今は安らぎの池は埋め立てられ、慰霊碑が立っている。
何度かその場所に建物を建てようとしたが、毎回必ず作業員が原因不明の怪我等をし、毎回中止になっている。
また、毎年7月2日に慰霊祭が行われるが、前日に工科学校の生徒がおかしくなることがよくあるらしい。
演習
某演習場での演習時の話。
当時俺は配属間もない一士で、先輩と一緒に夜間歩哨に立ってたんだがその先輩もテキトーな人で。
「寒ぃから外被取ってくるわw」とはるか後方の車両まで勝手に戻っていったため歩哨壕には俺一人。
なので一人で鉄砲構えながら暗視装置に映る前方の風景を眺めつつ警戒してたんだけど、いきなり暗視装置の電源がプツッと切れたんだよ。目の前が真っ暗になってさ。
電池取り替えたばっかりだし故障かな、参ったなぁと思いつつ外してると
前の方で人の気配がしたのね。でも暗視装置が無いから真っ暗でほぼ何も見えない。
でも人がいることは確かなのよ。気配的に。
だから一応マニュアル通り「誰か!」と誰何したんだが、無反応。
もう一度「誰か!」と言うと「××上等兵」とかすかに聞こえたんだよ。
名前は聞き取れなかったんだけど、「上等兵」とは聞こえた。
でもさ、自衛隊に上等兵なんていないじゃん。いるのは陸士長じゃん。
おっかなくなって声も出せず逃げるわけにもいかず、その場で固まるしか無かった。
で、先輩が戻ってきたんだけど、いつの間にか暗視装置は直っていた。
事の顛末をすぐさま話したけど「ウソつくなボケ!」で終了。
納得できないのでと言うか気持ち悪いので、演習後に古参の陸曹に再度話してみたんだけど、「あぁ、お前も見たかーw」と何故か明るい感じで言うのよ。
何でも、その「何某上等兵」はうちの部隊じゃ結構有名らしくて、
ちょうど部隊配属された新兵が某演習場のある地域で歩哨につくと現れる旧軍の兵士だそうで。
まぁ演習場に出る幽霊だから、訓練中に亡くなったのか別に戦死者では無いと思うけど。
その陸曹に言わせれば「その幽霊もさ、お前ら後輩を見てると懐かしくなって
つい自分も訓練に参加したくなっちゃうんじゃないか?w」だそうで。
未だに正体不明だけど、そう聞くと不思議と怖くなくなったというか、親近感が湧きました。
と言うことで旧軍の先輩方に敬礼。
今来た方を見るな
夜間の山中での行軍訓練中、小休止をとる時に小隊長が、「休む間、今来た方を見るな。」と
妙な命令を出しました。
見るなと言われたら見ないのが自衛隊なので、怪訝に思いながらも言われた通りにしておりました。
すると、「うわあ!!」と誰かが叫ぶ声に、反射的に振り向くと、自分達から30m程離れた所に
ぼろぼろの服を着た、男女数人が立っていたそうです。
暗闇なのに、何故か彼らの姿ははっきり見え、着ているものはモンペや、古臭い開襟シャツで、
どう見ても、今の時代のものではない。
その後は、心の中で念仏を唱えながら、後ろを振り向かずに歩き続けたそうです。
国分台演習場
香川県にある国分台演習場の廠舎近くのお遍路道にある岩は死んだ人が祭られている。
この岩を触ったりすると手・足を切断される呪いが掛るらしい。
香川県民に聞けば分かると思う
コメント