海の底には、まだ語られぬ物語が眠っています。
日本各地には、漁師たちの間で語り継がれてきた「船幽霊(ふなゆうれい)」の伝承があります。
夜の海に現れ、ひしゃくや櫂を貸せと迫る霊。
誰も乗っていないのに、闇の中を追ってくる白い帆の影。
それらはただの怪談ではなく、海で命を落とした者への弔い、そして自然への畏敬を込めた信仰でもありました。
「なぜ人々は彼らを恐れ、どのように退けてきたのか?」
本記事では、福島の「いなだ貸せ」から九州の「ミサキ」まで、各地に残る船幽霊の伝説を紹介します。
日本の船幽霊 一覧
出典:Wikipedia
いなだ貸せ(いなだかせ)|福島県沿岸
静かな海に、かすかな声が響く。
「いなだ貸せ……」
“いなだ”とは船で使うひしゃくのこと。もし底に穴を開けずに渡すと、船内に水を注がれて沈められてしまうといわれている。
正しい対処法は、底に穴を開けたひしゃくを渡すこと。
霊はそれを受け取ると、何も言わずに海の闇へと消えていく。
この風習は、海で亡くなった者への弔いと、霊を鎮めるための知恵でもあった。
ムラサ|島根県隠岐の島
隠岐の海では、夜、波間に青白い光が集まって輝くことがある。
地元の漁師はそれを「ムラサ」と呼んだ。
夜光虫が群れたものだというが、その光の塊の上を船が通ると、不思議なほど静かに散り去る。
まるで意思を持つように。
ときには海面が突然チカッと光り、人々を驚かせる。
そのときは竿の先に刀や包丁を結び、海を数回切る——。
それがムラサを退ける唯一の方法だという。
夜走り(よばしり)|山口県萩市・相島
夜の海を白い帆船が並走する。
どれほど早く漕いでも、その姿はぴたりとついてくる。
漁師たちはその船を「夜走り」と呼び、霊の船だと恐れた。
やがてある老人が、灰をまいて音を立てると姿を消したことから、「灰で払う」と伝わるようになった。
ウグメ|九州西岸(平戸・御所浦島など)
風のない夜、静かな海に帆船の影が現れる。
それが「ウグメ」だ。
帆を張った船が追いかけてくるが、誰も乗っていない。
九州の漁師たちは「灰を投げろ」「錨を入れるぞと叫べ」と教えられてきた。
御所浦島では、石を投げてから錨を放り込む。
それでもウグメはしつこく追ってくることがある。
タバコの煙をたてると消えるとも言われ、まるで人間の匂いを嫌うかのようだ。
ときに「淦取り(あかとり)」という水をくみ出す道具を貸せと声をかけてくる。底を抜かずに渡すと、次の瞬間、海の底へ引きずり込まれる——。

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