サタンクラスの悪魔 Satan
「サタン」という名は、もともと特定の一体だけを指すものではなく、悪魔たちの中でも王や首領にあたる存在を総称する呼び名でした。
新約聖書の中で「悪意ある存在」と結びつけられた者たちがサタンと見なされ、そこには堕天した大天使や、地獄の王として語られる悪魔たちが含まれます。
ルシファーやベルゼバブのように、確実にサタンクラスとして描かれるものもいれば、伝承や解釈によってサタンから外されることのある悪魔もいます。
サタンクラスは、悪魔の中でも世界の秩序や人間の魂に深く関わる「特別枠」の存在だと考えるとイメージしやすいでしょう。
ルシファー(Lucifer) / ベルゼバブ(Beelzebub) / ベリアル(Belial) / アザゼル(Azazel) / アスモデウス(Asmodeus) / サマエル(Samael) / マステマ(Mastema) / レヴィアタン(Leviathan) / ベヘモト(Behemoth) / アバドン(Abaddon)
ルシファー Lucifer
Lucifer(ルシファー、ルシフェル)は「明けの明星」を意味し、「光を掲げる者」「朝の子」とも呼ばれます。
明けの明星とは金星のことで、夜明け後もしばらく空に輝き続ける星。そのイメージどおり、ルシファーは堕天する以前、天使たちの頂点に立つ大天使長でした。
唯一神の玉座の右側に侍ることを許され、神にもっとも愛された存在。気品と美しさにおいて他の天使の追随を許さない、まさに「光そのもの」のような天使だったと伝えられています。
ではなぜ、そのルシファーが神に反旗を翻したのでしょうか。多くの伝承では、その理由は驕り、あるいは嫉妬によるものだと語られます。
驕りの説:
最高の権威と力を与えられたルシファーは、やがて「自分は誰にも従うべきではない」と思うようになります。
「神をも超えられるのではないか」という思いが芽生え、彼は自らに賛同する天使たちを集めて、神に対する反乱を計画しました。
嫉妬の説:
別の解釈では、神が人間を創造し、その存在を深く愛し、天使以上の優遇を与えようとしたことがルシファーの不満となったとされます。
人間への寵愛に納得できない天使たち、あるいはルシファーを慕う天使たちが彼のもとに集まり、やがて大きな反乱へとつながっていった──そんな物語として語られます。
さらに、神がルシファーとは「兄弟」のような位置づけとなる御子を生み、その御子に最高の栄誉を与えたことが、ルシファーの嫉妬を決定的なものにしたという伝承もあります。
怒りに燃えるルシファーの頭から「罪」が生まれ、彼はその娘と交わることで「死」を誕生させた、とされることもあります。
この御子とは、後に人類の原罪をあがなうために地上に降り立つイエス・キリストと同一視されます。
しかし、神へのクーデターは最終的に失敗に終わります。
反逆した天使たちは、彼らを罰するために神が用意した地獄へと堕とされ、その世界に縛られることとなりました。
このときルシファーは、天界での称号と地位を失い、「サタン」と呼ばれるようになります。
かつての輝かしい大天使は、今や堕天した天使たちを率いる地獄の君主として語られるのです。堕天した天使たちは霊的な性質を失い、より物質的な肉体を持つ存在へと変わったとも言われます。
『創世記』で語られる、アダムとイヴの「楽園追放」の物語。
禁断の木の実を勧めた蛇こそ、サタン(ルシファー)が姿を借りた存在だと解釈されてきました。
このことから、サタンはしばしば蛇の姿と結びつけられ、ときには長い年月を経た「ドラゴン」として描かれることもあります。
中世ヨーロッパでは、悪魔の王として描かれたサタン(ルシファー)は、しばしば全身を体毛に覆われ、角を生やし、天使の翼の代わりにコウモリの羽を持つ怪物として表現されました。
ダンテの『神曲』では、地獄の最深部で半身を氷に閉ざされ、罪人を噛み砕く巨大な怪物として登場します。
一方、ミルトンの『失楽園』では、天使としての輝きは失っているものの、君主としての威厳や堂々とした気配はなお残されており、悲劇的なカリスマ性を帯びた存在として描かれています。
ルシファーがサタンと結びつけられるようになった大きなきっかけは、『イザヤ書』にある一節だと言われます。
「あしたの子、ルシファーよ、いかにして天より墜ちしや」──ここで語られる「ルシファー(金星)」は、本来は滅びゆくバビロン王をたとえた表現でしたが、これがサタンの堕落と重ねて理解されていきました。
ミルトンが『失楽園』でルシファーを物語の主役として描いたことで、そのイメージは一層強く定着し、今日語られる「ルシファー=堕天した光の天使」という像が確立していきます。
4〜5世紀ごろのラビ文献では、ルシファーはサマエルとして描かれ、熾天使の上位に創られた天使であり、十二枚の翼をもつ存在として記されています。
また、堕ちていくルシファーのイメージは、カナン神話に登場する「明けの明星」シャヘルと「宵の明星」シャレムという双子神の伝承に由来するとする説もあります。シャヘルは太陽神の玉座を奪おうとして反乱を起こし、地上へと落とされたとされますが、この物語が『イザヤ書』の背景になったとも考えられています。
近代以降の思想家ルドルフ・シュタイナーは、現代的なルシファー像を提示しています。彼によれば、ルシファーは悪神アーリマンの敵対者であり、人間に霊的な高みへと向かう力を吹き込み、大地の重さから解き放とうとする存在です。
ただし、ルシファーは「やりすぎる」傾向があり、無分別な霊的世界への逃避を招くこともあるため、ときにはその衝動に抵抗する必要があるとも語られます。
アーリマンは人間を生命なき物へと近づけようとし、ルシファーは逆に霊へと引き上げすぎてしまう──そのあいだで、人間は「愛に満ちた大地の再生」に関わるバランスを探り続けている、という解釈です。
ベルゼバブ Beelzebub
蠅の王
ベルゼバブ、あるいはベルゼブル(Beelzebul)と呼ばれるこの悪魔は、もともとカナン地方の異教の神が起源だとされています。
本来の名はBaal Zebbub(館の主)であったとされますが、この名がソロモン王を連想させる可能性があったため、ヘブライ語で蔑称となる「蠅の王」を意味する名へと置き換えられました。
ただし、古代宗教では蠅は魂を運ぶ存在と考えられており、「蠅の王」とは魂を支配する存在という意味合いも持っていました。
やがてこの蔑称はベルゼバブ自身の姿そのものに結びつき、中世の図像では巨大な蠅の姿で描かれるようになります。
悪魔の王
伝承によれば、イエスが復活する前、まだ遺体が墓に収められていた三日間、ベルゼバブはサタンと共にイエスと対決したとされています。
『ニコデモの福音書』では、サタンに代わってベルゼバブが地獄の主として描かれ、『新約聖書』の中では「悪霊の頭」と呼ばれています。
ミルトンの『失楽園』では、ベルゼバブはサタンの副官として登場し、「罪においてサタンに次ぐ者」として描写されます。ここでも、堕天したとはいえ王者の風格を保ち、祖国を想う憂いに満ちた存在として印象づけられます。
ミカエリスの階級においては、ベルゼバブは堕天した熾天使の君主とされ、ルシファーに次ぐ高位の悪魔として位置づけられています。
また、ヨハン・ヴァイエルの『デーモン偽君主国』では、ベルゼバブは冥界の至高の王であり、「大いなる蠅の位階」の創始者とされています。
ベリアル Belial
外見は美しく、内面は醜悪な悪魔
ベリアルという名は「無価値」を意味し、その名のとおり、放埒さと悪徳そのものを体現した悪魔とされています。
「地獄でもっとも放埒で卑猥、悪徳のために悪徳を愛する精神の持ち主」と説明され、外見は美しく優雅で権威に満ちているものの、その魂はひどく醜悪だと語られます。
堕天する以前、ベリアルは力天使の重職にあったとされます。
ミルトンの『失楽園』におけるベリアルは、詭弁に非常に長けており、どんな低俗な事柄でも立派な理屈に仕立て上げることができますが、その思想の中身は低俗で、悪徳には情熱的でありながら、善い行いに対しては極めて怠惰で臆病だと評されています。
ベリアルの悪行
『ベニヤミンの遺訓』では、ベリアルはユダ王国第十五代マナセ王に取り憑き、その支配のもとで偶像崇拝を復活させたとされています。
さらに、神に仕える者たちの殺害や禁じられた魔術の行使など、多くの悪行を行い、国を荒廃させたと伝えられます。
しかし、マナセ王は後に悔い改め、敬虔なユダヤ教徒へと変わったとされ、その結果ベリアルの策略は完全な成功には至りませんでした。
またベリアルは、死海近くの町ソドムに同性愛や獣姦を広めたとされます。隣町ゴモラでも同様の罪が広まり、神はソドムとゴモラに天から硫黄と火を降らせて滅ぼしたと語られます。
これらの物語の中で、ベリアルは人間社会に堕落と破滅をもたらす象徴的な悪魔として描かれ続けてきました。

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