【実話系】かなりやばい話 『人柱』など全6話|裏話・怖い話

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【実話系】かなりやばい話 『人柱』など全6話|裏話・怖い話 人間の怖い話
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実話系 かなりやばい話

 

人柱

おいらの街は人口一万人にも満たない小さな温泉地。でもちったあ知られている。
こういうとこには流れてくる人がいる。ただし何をしてたかを聞く人、もしくは言う人はほとんどいない。ただやばい話というのはほとんど聞かれない。
やくざ風、売人風な感じのおじさんも小さなとこなので目立たないようにしてるのだろう。
この間、と言っても数年前になるが一人の年齢は50代半ばくらいの人が流れてきた。もちろん、当初は話題になることもなかったが、数ヶ月後に自殺して
しまいさすがに話題の人物になってしまった。事件も少ない街なのでケンカ程度はさほどでもないがこういうのは走り回る。
でも数ヶ月じゃあ知り合いも少ないし、思い入れがある人も少ない。みなの興味も薄れていった・・・
ところが最近マジ?ていう話を聞いた。
ご存知の方もいるだろうが、多くの街では警察と懇親会のようなものがある。防犯関係のやつだ。そこに行ってる人から
聞いたのだが、その自殺した人の遺書に自分は殺し屋というか、そういうのに関わっていたというのだ。
その懺悔録と実際の犯行がいくつか記されていたらしい。そして署長が管轄の警察に問い合わせたところ確かにそこかしこに
行方不明のままの人がいるというのだ。ほとんどがや~さん絡みのようなのだが・・・
男はいろんな場所例えばダムとか、巨大建築の基礎なんかにコンクリート詰めで埋めたというのだ。そして自分はいくつか犯行を
繰り返すうちに畳の上で、せめて遺体を荼毘に伏してほしいという希望で自殺したのだという。殺された人たちの呪いなのだろうか。
男は身元を明かしていた。問い合わせたところ実家で、家族は弟家族のみ。年に数度大金が兄から送られていたのだという。
本当に殺し屋みたいなのはあるのだろうか・・・署長は実証できないし被害届けが出てないものがほとんどなので捜査はされないだろうということだった。

 

 

天井裏

私が3年前に体験した話なんですけど
私は安い一戸建てを見つけそこに住むことにしました

最初は快適だったのですが日がたつにつれて妙な事に気づきました。
私が1階にいるとき上でボソボソと話し声が聞こえるのです。
2階に行って見るんですけど一人暮らしなのでだれもいません。

足音が聞こえたこともありました。
いったい何なんだろう・・・。と不安は積もるばかりです。

しかもそれは日がたつにつれだんだんとうるさくなっていきます。
間違いなく2階に誰かがいる。
私は2階に行って一部屋一部屋チェックしました。

しかし窓は閉めてあるし人が外から入ってきた形跡などありません。
非常に気味が悪かったのですが、
その時天井から「ドンドンッ」と叩く音が聞こえました。
まるでここだと言っているようでした。
天井裏に誰かいるのか?

 

その音の方に言ってみると天井にぽつんと扉があったのです。
業者はこんな所に扉があるなんて全く言ってませんでした。
あまりにも目立たない所にあったので私自身もう2ヶ月にもなるのに全く気づきませんでした。

まだそこからは中から叩く音が聞こえます。
非常に怖かったのですが勇気を振り絞って開けるみることにしました。

開けると中から階段が出る仕掛けになってます。
階段を上がって中に入るとかび臭く埃まみれのところでした。
広さは3.5メートルぐらいで物置には出来そうな所です。

周りは前の家の人が置いていったものなのか誇りまみれの人形とダンボールが何個も置いてありました。
しかし誰もいません。

とその時突然誰かが後ろにいる気配を感じました。
後ろを振り返ると髪の毛が長く赤い服を着てジーパンをはき、顔は髪の毛で見えませんでしたが血だらけのような者が立っていました。

私はびっくりして階段を転がるように下りて逃げました。
そして2階と1階を結ぶ階段を下りている時、さっきの所で階段をドスドスドスッと下りてくる音が聞こえました。
追いかけてくる!殺される!そう思って私は必死にその家から出ました。

その日は友達の家で泊まる事にしました。
次の日友達と一緒にまた自分の家に戻ってみることにしました。

家を開けようとした前にちらっと2回の窓をみると窓に手を着けてこっちを見ている女性がうっすらと見えました。

私は家に入るのはやめてそのままその日引っ越しました。

 

 

とどめ

ゴールデンウィークの事でした。
地元の山岳会に所属している私は、同じ会の仲間数人と泊まりがけでK岳へ登山へ行きました。
途中にある山小屋で一泊し、翌日の朝に山頂を目指す計画になっていました。

二日目、山の尾根を歩いていると仲間の一人が強風に煽られ滑落してしまいました。
300メートルは落ちていったでしょうか、
(だめかな)と思ったのですが、奇跡的に助かったようで、
手を挙げてこっちらに助けを求めているようでした。

私たちは慎重に砂利の斜面を下っていきました。
途中には生々しい血の帯がついていました。
仲間の元へたどり着いた私たちは息を呑みました。

生きているのですが、頭蓋骨が滑落の摩擦で削れてしまっていて、
脳が向きだしになっています。

落ちた仲間は「う…あ…」と弱々しい声を出していました。
私は一応リーダーでしたので、他の仲間の了解をとって、
そのあたりに生えている木の枝を折って、滑落した仲間の脳に突き刺し、数回かき回しました。

しばらくするとピクリとも動かなくなったので、
山岳救助隊に無線を入れてヘリを飛ばしてもらいました。
もう絶対助からない人間にとどめを刺すのは、山では常識的に行われています。

 

 

死守り

 

じゃあ俺とじじいの話でも。

柔道五段、がっしりした体格で、土と汗のにおいのするでかい背中。
日に焼けた顔。俺がろくでもないことをする度にぶっ飛ばされた、荒れた手。
素直じゃなくて憎まれ口ばっかり叩いてた俺は、それでもやっぱりじじいが好きで、
だから(自分なりに)親しみを込めてじじいと呼んでいた。
俺が今も尊敬して止まない、そんなじじいの葬式の通夜での話。

5年前、7月の終り頃。
俺の故郷は、今では薄れたとはいえ、それでも土着の、独自の信仰がまだ残っている。
一般的な葬式の通夜は、酒飲んで騒いで、ってな感じ(なのか?よくわからんけど)
俺の地元の場合はかなり異様で、四方が襖になっている部屋を締め切り、仏(このときはじじい)を中心に安置し、
血縁の男4人がそれに背を向け、四方に座るというもの。更にこの時、各々が白木の柄の小刀一振り(村で神事用に管理してるのを借りる)を傍らに置く。

その時高校生になったばかりだった俺にはそれが何の意味かは知らなかったが、その座る役目「死守り(しもり、というらしい)」をするよう、祖母に言われた。
「お前は爺さんの若い頃に瓜二つだ。継いだ血は濃い。お前にしかできん」と。
要するに、鬼除けなんだそうだ。魂を喰らわれないように、と。

死守をするに当たってのきまりがある。
・何があっても後ろを振り向いてはいけない
・誰に名を呼ばれても応えてはいけない
・刀を完全に鞘から抜き放ってはならない
の三つ。
寝ないとかは大前提で。死守り以外の人間にも、その部屋には決して近づくなとか、襖や扉を開け放つな、とか色々と決まりがあるらしい。
ワケがわからなかったが、尊敬していたじじいの通夜、一つくらいじじいの為に立派に
成し遂げてやろうと、杯に注いだ酒を飲まされた後、死守りに臨んだ。
じじいの弟、じじいの息子(叔父)2人、そしてじじいの長女(母)の子の俺。
俺の座ったのは、丑寅の方位だった。

 

部屋の中は真っ暗で、空気はひんやりしていた。線香の匂いと、襖の向こうで祖母が数珠をこするじゃりじゃりという音が不気味だった。
暗闇に、死者を囲んで夜明けまで。
叔父さん達の欠伸とか、衣擦れの音とか、虫や蛙の声とか。
十畳ほどの部屋、暗くて自分の手も見えなかった。

どれだけ時間が経ったかわからない。
暗闇の先、不意に目の前の襖が”ガタンッ”と音を立てて揺れた。
ビクリとして顔を上げる。同時に、俺の”すぐ後ろで”ごそりと音がした。心拍数が跳ね上がった。なんか、まずいぞ、まずいか。決して振り向いてはならない。
叔父さん達の息を呑む気配がする。聞こえてるのか。
何も見えないのに、目ばっかり見開いていた。瞬き忘れて。
嫌な汗が吹き出て、息が上がる。体が固まったみたいに、指の一本も動かせなかった。
あれだけ響いていた虫の音も、蛙の声も、ぴたりと止んでいたのを覚えている。

また目の前の襖がガタンと鳴った。全身が粟立った。
すぐ後ろでは、死守り以外の”何か”が時折ごそりと音を立てる。
俺はもう泣きそうで、逃げ出したくて、それでも身体はぴくりとも動かず、本当にちびりそうだった。

後ろでは、ごそり、ごそり。
不意に声がした。気がした。

「抜け」。

再び体が跳ね上がる。ああ、動く。
相変わらず目は真正面から動かせずに、手探りで小刀を取った。
情けないくらい震える手を柄に掛けて、深呼吸して、半身抜いた。決して抜き放たぬこと。

三度正面の襖が、今度は更に大きな音で、外れるんじゃないかというくらいに”ガン!”と鳴った。
震えで刃と鞘が当たってガチガチ音を立てていた。
後ろの物音と、その主の”何か”も消えていた。終わったのか。
落ち着いてくる頃には、また虫の音が響いていた。

 

夜が明けて、祖母が死守りの終わりを告げる鈴を鳴らした時、俺を含めた死守り全員、振り向く気力も無く前につんのめって、そのまま寝てしまったらしい。
しばらくして祖母に起こされた。
「よう頑張った。持って行かれずに済んだ。よう頑張った」
祖母は泣きながら、俺に手を合わせて何度も頭を下げた。

その時になって初めてじじいを振り向くと、少し口が開いていて、掛け布団がすこし崩れていた。
後になって聞くと、じじいの死んだ年は、よくわからんがいろいろと「マズイ」時期だったらしく、本来なら叔父の子(俺の従兄弟、成人)だったはずが、じじいとよく似ている俺が丑寅に座る羽目になったらしい。
ひい爺さんが死んだときは、何事も無く朝を迎えたそうだ。

…「持って行かれた」ら、じじいはどうなってたんだろ。

あの時聞こえた「抜け」という声。
あの声は、俺以外の死守りの声でも、そしてじじいの声でもなかった。

出生の秘密

自慢じゃないが私は憑かれやすい
または『良くないモノ』を寄せつけやすい体質らしい。
昔から婆さんにお守りを持たされ続けてきた。
何でお守りなんか持たされるのか、子供心に不思議でならなかったが
14歳の誕生日、祖父母両親から初めてこんな話を聞かされた。
(見てるワケ無いですが見たかのように書きます)

私が生まれてくる前、母親の胎ん中に居た時の話だ。
跡継ぎになる男の子を授かったと 親戚一同集まってお祝いがあった。
妊娠8ヶ月を迎えていた身重に大事があってはいけないと、
祖母は母を連れて奥の間、仏壇のある部屋で休んでいたそうだ。

夜も更け、殆どの親類が帰った頃、奥の間から真っ青な顔をした祖母が飛び出してきて
「ヒロ子さんが(母の名前)、ヒロ子さんがおかしい」と言った。
続けて襖の間から母がフラフラっと現れた。しわがれた声で
『敏行ぃ― 敏行ぃ――』としきりに呼ぶ。
いつものヒロ子とは思えない老人の声だった。
祖父には――敏行には声の主が誰か分ったのだろう、ボロボロ涙を流しながら
「カツゴロウ爺、カツゴロウ爺か!」といった。
母は老人の声で正座をする祖父に言い聞かせ始めた
(方言と昔言葉が頻出するので訳略します。)

『ウチの一族は死んでもまともに成仏できない』という事、
『【タツミ】の代に作った恨み、神罰が未だに消えていない』という事、
『その恨み・災厄は生まれてくる子に降りかかる』という事、
『この子は今後大変な苦労をするかもしれんが、どうか守ってやって欲しい』
という事を告げた。 ひとしきり話した後
最後に『がんぐらぎぃなかん きぃふごあるげえ、ごっだらにもたせぇ』と言い、
母はフッと力が抜けたようにその場に倒れた。
眼覚めた母は自分が喋った事は一切覚えていなかったとの事だった。

 

祖父は言った。
母に降りてきたのは「勝吾郎」祖父の祖父、つまり私の曾爺さんで
禍根の主【タツミ】は祖父の6代目の先祖、
私のひいひいひいひいひい曾爺さんに当たる人物だそうだ。

地元では昔から土着神を崇めていて、私の先祖は代々 神事をまとめる司祭だったが
件の【タツミ】という男は相当の外道で、司任してからは権力と金で女性を食い物にし、
反抗する者は村八分にしたり供物と称して殺してしまった。
その上 信仰心など全く無く、神事もおろそかにする有様だった。

さて、その土着神は女の神様なわけで 神罰かどうかは分からないが
しばらくして、地域で凶作が続いたり女子が全然生まれなくなったりした。
ある歳の収穫祭の日。怒った村人は寄って集って司祭を――タツミを殴り殺してしまった。
無論、 供物としてだ。

その後 一族は勿論、地域の者誰一人として司祭を継ごうという者は現れず、
管理する者もおらず、ヤシロは荒れ果て、
大正に入って国家政策で国津神系の神社が建つまで200年間、地元で神事は行われなかった。
どういうワケか分からないが先祖のツケが私に降りかかるというのだ 迷惑な話である。

話は戻って 母が、カツゴロウが最後に言った事について祖父は語った。
『がんぐらぎぃなかん きぃふごあるげえ、ごっだらにもたせぇ』 地元の方言で
『岩倉の中に木の札があるから、生まれてくる子供に持たせろ』という意味との事だ。

家には長い間使われていない岩壁をくりぬいて作られた蔵がある。
後日祖父が南京錠を外して中を調べたところ、神棚に襤褸切れを見つけた。
油紙に包まれたそれは木片、札のようにも見えるそれには2つの文字が刻まれていた。

 

【△□】(伏字)  ...私の名前だ。

両親はそれまで決めていた名前を諦め、札に書かれていた2文字を私の名にしたのだ。

私は始めて知った 同年代の子供と比べて明らかに自分の名前が古臭い理由を。
地元の大人が私を見ると顔をしかめるワケを。

その木片を祖父が削り出し、祖母が祝詞(のりと)を書いたモノが、私が子供の頃から持たされ続け
今もこうして持っているお守りなのだと。

祖父は言った
生まれてすぐ腸閉塞で死にかけたり、沼に溺れてしにかけたりいろいろあったが
今も無事で居るのはそのお守りのおかげだと。忘れずにこれからも持つように。
そして、「この歳まで無事で生きていてくれて本当にありがとう」と爺さんは言った。

当時中学生の うす味な脳みそに全てが理解できるワケがなかったが
爺さんが死んだ今では 祖父の言っていた事を一句一句噛み締めている。

――そんな話を、彼女に話している。
祖父の葬式が終わって数日後だ。
こういった類の話に理解のある彼女とはいえ
引く事を承知で話している。何故か無性に伝えたくなったのだ。
彼女は
想像を裏切り『..そっか、そんな感じだと思った』と苦笑いしながら答えた。
「?」
『この前ね、枕元にヨボヨボのお爺さんが立って、言うちょね

【あの子を守ってやってくれ】って。』

 

今もあのお守りは肌身離さず持っている。
もう書かれている字もかすれて見えなくなってるが
実家に帰る度に婆さんが必ず言う言葉を肝に命じて。
『だらぁ、お守り持っとるか?なくすなよ、
失さしたら  死ぬぞ?』

 

 

シガテラ

残留農薬はチェックされるけど、食物自体が含有している成分のチェックって意外と進んでない
フグとか、有名かつ致命傷になる奴はきちんとされてるけどね

南洋ではシガテラって呼ばれたりする、微生物由来の毒を蓄積しちゃった魚がそれなりにいる
もちろん食中毒になって、死ぬこともある
シガテラ化する魚種は幅広くて、日本近海で採れるものもある
ただ、あったかい海じゃないとその微生物が暮らせないから、日本近海ではシガテラ化しない

・・・はずだったんだけど、日本近海で取れる魚でもシガテラ化している奴が出てきた
地球温暖化の影響とも言われてる

で、問題なのはシガテラ魚であるか否かをチェックするシステムがないこと
魚屋に並ぶまで、食卓に上るまでノーチェックなわけ
大規模な食中毒が発生して社会問題になるまで、食用禁止魚種とか食用禁止海域とかを
決めていくのは無理だから

だから、もうしばらくするとあっちこっちで知らずにシガテラ化した魚が水揚げされて
知らないうちに食べちゃって、中毒するってことが多くなるかもしれない

表に出て無くは無いけど、中国ギョーザや三笠フーズみたいにとりあげられることは
ほぼないんだよね、かなり気合入れて対応すべき問題だと思うんだけど

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