生き延びた理由
自分の体験ではないのだがアメリカであった実話。(番組Unsolved Mysteryより)
ある冬の夜母親がこども(3歳ぐらい)を乗せて凍結した道を走っててすべってしまい道の側溝のようなところに落ちてしまった。
車の通りも少なく道から死角になっていたため発見されたのは数日後。
夜は氷点下になるため当然二人とも死んでておかしくなかったのだが幸運なことにこどもは後部座席でうずくまって生きていた。しかもすごい軽装だった。
母親はほぼ即死状態。
こどもが語ったところによると死んでるはずの母親が自分をずっとだっこして暖めてくれていたそうだ。
脅威の生命力
昔、家の近所に猫を大量に飼っているやさしいおばあちゃんがいた。
子供ながら、うざいと思っていた俺は完全無視。
そんなある日、我が家から猫の鳴き声が聞こえてくるようになった。
家族で不思議に思いながら(気味悪い)半年くらいがすぎて、我慢できなくなった家族の一人が、正体を突き止めようと家の中を
探検することになった。
結果・・・どうやら声は1階と2階の間から聞こえてくるらしく、うめいているようだ・・・
もしやと思い、近くのおばあちゃんに猫のことを聞くと、前からずっと猫が1匹帰ってこないらしいのだ。
急いで業者を呼んで家を少し解体し、開いた穴からおばあちゃんが猫の名前を呼ぶと、暗闇から勢いよく猫が飛び出してきておばあちゃんに抱きついた。
しかし、どうやって猫がここに侵入したんだろう・・・
しかも半年も良く真っ暗闇で生きてこれたもんだ。
気づいてもらってよかったね
祖父が亡くなった。
祖母は正直言って、老人特有の症状が出ていて記憶がとんじゃってるのか、祖父が亡くなったときもなんの悲しみもみせずに(とても仲良しの夫婦だったのに)祖父が亡くなった事にさえ気がついていないように、ぼんやりとしていた。
当時、もう、まともに歩けない状態だったので葬式にもでられず入院したままだった。
葬式から月日がたったある日、祖母を見舞いに行った母を迎えに病院に行った。
帰りの車の中で母が涙ぐんで言った。
病室で祖母が久しぶりにはっきりと口を聞いたそうだ。
「朝、おじいちゃんが、笑って、玄関から出て行った。おじいちゃん、 あっちの人になっちゃんたんだねぇ」
と言って泣いたそうだ。
その日は祖父の四十九日の法要の日だった。
最後の挨拶でおばあちゃんにに気づいてもらえてよかったね、おじいちゃん……。
亡き兄のアドバイス
3年前に兄が亡くなりました。私の兄も結構心霊モノとか好きで、姉と「絶対、幽霊になって出てくる方法を考えてるよ」って話してました。
実際、去年の夏に実家に帰ったとき、私の向かいの部屋でずっと裸足で畳の上を歩き回っている音がしてた。
兄はうろうろ歩き回る癖があって、母に
「熊みたいにウロウロするのやめなさい」
なんて言われていました。そんな妙な音がしてても全然怖い感じがしなかったのは、多分、兄だったからだと思う。
今年、私は会社で気が滅入る事が多くて、ずっと鬱で自分の殻に閉じこもってしまっていた。
ある日、夢の中に兄が出てきて
「そんなにうじうじ考えてばかりいたってしょうがないでしょ。やってみて、その都度対応していけばいいじゃない」
と私に言った。
もしかしたら、私の潜在意識が兄の姿を借りて現れたのかもしれないけれど、兄からのアドバイスだと思って、もっと頑張っていこうって思ってしまいました。
一時の友人
10年前、海の近くに住んでいた時の話です。
その街は老人人口が高く、犬を飼っている家が多いです。ノラ犬も多くいました。
私はその頃、会社に入社したてで飲み会が多く家に帰るのが深夜2時頃でした。
海に向かう道なので薄暗く寂しい道で、人が歩いているのはマレ。ノラ犬に追っかけられた事もありました。
ある日、飲み会で遅くなり、こわごわ家路を急いで歩いていた所、いつのまにか隣に犬が。
しかも私の歩調にあわせてついて来ていました。
不思議に思いながら、でも心強く思いながら犬に話しかけながら家につき、お礼をいいバイバイしました。
あの犬は幼い頃飼っていた犬なのか、それとも本物の犬なのか?分かりませんでしたが一緒に歩いている間、心がポカポカしてました。
人懐こい猫
前に住んでいたアパートによく遊びに来るノラ猫がいました。
体全体が黒で胸から腹にかけてと手足の先だけが白い猫でした。
とても人なつっこくていつも部屋の中まで入ってきてました。
ある日、スーパーで買い物をした帰り、なぜかふっと気になり、いつもと違う道を帰りました。
いつもの道とその日帰った違う道はどちらも同じくらいの距離でどちらが特に近道、というわけでもありません。
でもなぜかいつもの道に向けかけた体を方向転換してまで違う道を帰ることにしたので自分でも妙な気分でした。
そしてアパートの近くまできて分かったのです。
道の真中であのノラが死んでいたのです。
車にひかれたんだと思います。お腹から血が流れていました。
きっと自分の最後の姿を見てもらいたかったのかな、とその場で手を合わせました。
そしてその少し後に私は別の場所に引っ越しました。
ある時、部屋に帰ってくると1匹の猫が「ニャー」と近づいてきました。
その時、すごく驚きました。
なぜならあのノラとそっくりだったからです。
でも違うのは、飼い猫のようで赤い首輪をしていることと、ノラより少しスリムな感じなところです。
でも体の模様はノラととてもよく似ていてぱっと見はほぼ同じ模様でした。
しかも人なつっこいところもよく似ている。
それからはその猫も私の部屋までよく遊びにくるようになりました。
あのノラとは別の猫だということは分かっているけどとてもよく似ているので、私は勝手にこの猫はあのノラの生まれ変わりなのかな、と思うことにしています。
唯物論者の友人
数年前の話です。
年上の友人が亡くなりました。
理屈屋で気むずかしい人ですが、私の持病を心配して研究してくださり(お医者さんではありません)完治はしませんが、なんとか暮らして行けるようにしてくださいました。
その方は生前よく「人間死んだら灰になってそれでおしまい。無です」と
よく言ってました。
急死だったので、本当に信じられなかったのですが、友人3人とお通夜にでかけました。
帰ろうとすると雨が降るのです。足を止めようとするように。
しばらくしてまた本当に帰ろうとしたときに、1人の友人の靴が無くなっているのです。
他の人が間違えたとしたら、代わりの靴があるはずですが、それもないのです。
汚い靴だったので、誰かが盗るということも考えられない。
結局その友人は亡くなった方の靴を履いて帰ることになりました。
その夜、ほんとに午前二時ちょうどでした。
突然胸がドキドキして目をさましてしまったのです。
姿は私にはみえませんでしたが、いるというのがわかったのです。
ちょうどその同じ時間、靴の友人は亡くなられた方からもらった色紙が風もないのに棚から落ちて、やはり来たんだというのがわかったそうです。
私は幽霊なるものを見たことのない人なのですが、
きっと「無だと言っていたけれども、人間の魂はのこるんだ。」と
教えに来てくれたのではないかと思います。
最後の挨拶
去年の夏、母方のおばあちゃんが亡くなった。
深夜、ネット中に突然良い香りがした。何とも言えない良い香り。
急性心不全だったらしい。
一昨年から旦那の仕事の都合で引越しして暫く会っていなかったのに最後のお別れに来てくれたんだね。
ありがとう。
孫の顔を見せられなくてゴメン。
気絶中の記憶
私は子供のころ雷に打たれたことがあります。
左腕と両足にやけどを負いましたが、幸いにも大やけどではなく、現在は左腕と左足の指先にかすかにやけどの跡が残っているくらいに回復しました。
よく雷に打たれた人が不思議な力を持つようになったとか、特別な能力に目覚めたとかそういう話を聞きますが、残念ながら私にはそういう覚醒みたいなことはありませんでした。
ですが、不思議な経験をしたことが一度だけあります。
それは、雷に打たれて病院に運ばれたときの話です。
私は救急車で病院に運ばれたらしいのですが、病院に運ばれるまで意識が全くなかったらしいのですが、なぜかそのときの記憶が鮮明に今でも残っているんです。
近所のおばさんが気絶している私を見つけ駆けよってきたとき、はだしだった事。
知らせを聞いて駆けつけた母親がなぜか手ぬぐいをいっぱい抱えていた事。
救急車に乗っていた退院の人の顔や、救急車の中の様子。
病院であわただしく動いていた看護婦さん。真剣な顔で顔を覗き込んでいたお医者さん。
などなど、なんだかテレビで見ているような感じですごく客観的に見ているような感覚で、そのときの様子が記憶に残っているんです。
そのとき見えていたことを、母親に後で聞いてみると、なぜか全部あたっていたんです。
私としては、半分はリアルな夢を見ていたことをその様に感じてしまっていたという気持ちがあり、半分は(変な話ですが)当然のことのような変な確信みたいなものがありました。
ここまでは、臨死体験みたいな、幽体離脱みたいなことがあったのかなと思っているのですが、本当に不思議なのはここからなんです。
その意識を失っている時に見ていたものの中に、現実にはいなかった人が見えていた記憶があるんです。
うまく説明できませんが、救急車に乗せられるまでに私の側にいた人というのは、私の母親、近所のおばさん、そのうちの息子さん(救急車を呼んでくれた)、通りがかりで心配して車から下りてきた近所のお兄さん、
の4人しかいなかったはずなのですが、私の記憶の中では、その4人以外に、あと数人誰かいたような気がするんです。
なぜかそこの記憶だけあいまいなんですが、そのときの私と同じ年頃の子供が、3人か4人、もしかするともっといたかもしれないし、1人しかいなかったかもしれない(ごめんなさい..思い出そうとすると余計あいまいになってしまって…)。
その彼(彼女?)らが、救急車がくるまで私の体を一生懸命さすっているんです。
額のあたりをなでていたり、胸のあたりをぐるぐる手のひらでさすったり、やけどしていたところにじっと手を当てていたり…
とても暖かいようなほっとするような、気持ちのいい感じでした。
そのときは、何でそんなことをしてるんだろう?とは思いましたが、なんだか必死な感じがしたので助けようとしてくれてるんだろうかとかそういう風に思っていたのですが、
後で母親にそのことを話すと、そんな子はいなかったし、下手に動かすと行けないからと、誰もさすったりなんかしてなかったそうです。
ただ、うちの近所には昔火事で亡くなった兄弟がいて、その家の前には今でも5体のお地蔵さんが祭られているんです。
そこのおばちゃんが怪我で入院したときに数日そのおじぞうさんにお花とお菓子をお供えするのを手伝ったことがあって、私の母が言うには、その子達がお礼に命を助けてくれたのかもねと、そういうことなんじゃないのと言っていました。
今は地元を離れて東京の方に出てきていますが、たまに実家に帰ったときは、簡単ながらお花をお供えして、そのときのお礼を言うようにしています。
ピンクの百合
祖父母は二人暮しで、海沿いの家にすんでいた。私は祖父母が大好きで夏になると祖父母の所に行って、夏の間中、祖父母と三人で過ごした。
小学二年生の時の夏もそうだった。私は祖父母の家で夏を過ごした。
祖父は盆栽が趣味で、海に面した広い庭に松の木を植えて浜風を避けて沢山の鉢を庭に並べていた。
ある満月の夜、夜遅くにトイレに起きた私は祖父が月明かりの中で盆栽を眺めているのに気づいて庭に行った。
白い鉄砲百合が沢山咲いていていい匂いがした。
私が起きて来たことに気づいた祖父は、にこにこしながら
「大きくなってちゃんと世話できるようになったらこの鉢植えを一個、あげるからね」と、笑った。
祖父が事故にあって亡くなったのは、新学期が始まった頃だった。
次の年の夏、私は祖母が一人で暮らす家に遊びに行った。庭に並んでいた盆栽は親戚の人たちが持って帰ったり、欲しい人にあげてしまったりで殆ど残っていなかった。
その時、庭に鉄砲百合の花が咲いている事に気づいた。そして、思い出した。祖父に言った言葉。
「おじいちゃん、私、盆栽いらない。百合の花のほうがいい、白い百合じゃなくてピンクの百合がいい」
白い鉄砲百合の中になぜか一本だけ、ピンクの百合の花が咲いていた。
「おばあちゃん、あのピンクの百合、おじいちゃんが埋めたの?」
「誰も埋めてないよ。ピンクの百合はなかった筈なのに、不思議だね」
いつも私が帰る時に、庭の花を惜しげもなく切ってお土産にもたせてくれる祖母はその年も私が帰る時、私が何もいわないのにそのピンクの百合を切って私に持たせてくれた。おじいちゃんがくれたんだな、と思った。
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