神様や神社などにまつわる怖い話・不思議な話の体験談を読みやすくまとめました。
神様にまつわる怖い話・不思議な話 全3話
オツキサマ
昔住んでた家に開かずの間があった。しかし、小さい頃に一度だけその中を見たことがあるんだが(何故かその時は開いていたのだ)、鎧が椅子の上に鎮座していたのを覚えている。
最近、親と話をしていて何気なくそのことを口に出したのだが、その途端親が血相を変えた。
『お前あれを見たのか?』
『今身体に異常はあるか?』
等いろいろ聞かれた。おれはその様子に不安を感じ、親に問い詰めた。
『あれはなんなんだ?何かマズイものなのか?』
親は口籠もり、
『お前は知らなくていい』
だのと言いだす始末。ふと、小さい頃親に聞いた話を思い出した。
『早く寝ないとオツキ様がお前を食べにくるよ』
『悪いことするとオツキ様がお前をさらいにくるよ』
オツキ様がなんなのか正直まったく分からなかったし、まわりの子達も知らなかった。むしろお月様なのだと解釈していた。しかし親の様子からもしかしたら、ソレは御憑き様なのではないかと脳裏に浮かんだ。
そこに思いたった時、新たな疑念が生まれた。それは引っ越しした理由だ。
おれが中2の時に祖父が亡くなり、そのしばらく後に逃げるように引っ越しをしたのだ。親は転勤の時期と不幸が重なったのだと言っていたので、おれは特に疑問にも思っていなかった。ただ、祖父が召される直前に発した言葉はなんとなく引っ掛かるものを感じていた。
『ツキモリももうだめだ』
というような言葉だ。これももしかしたら憑き守なのではないか?
おれは最近、昔の家に行ってみた。実に20数年ぶりだ。その家は朽ちていながら、まだ残っていた。思い出に残る家と朽ちた家を比べると、やはり哀愁も漂った。
おれは裏から中に入り、開かずの間に行ってみた。昔は堅固な扉であったが、今はその扉も朽ち果てていた。扉を蹴破ると、幼い頃にみたあの鎧が同じように鎮座していた。ただ昔と違うのは仮面の目、鼻、口が欠けており、片腕が異様な裂け方をしていたことだ。
見渡すと、その部屋に一つの浮世絵が飾ってあった。目鼻が潰され口が裂いてあり、片腕がない男の絵だ。見た瞬間悟った。この絵が御憑き様で、おそらくこの鎧が憑き守なのだろうと。
その日から毎晩夢を見る。あの浮世絵の男になった夢。
両手を後ろ手に縛られ、箸のようなもので目を何度も抉られる。鼻を石で何度も殴られ鼻骨ごと潰される。聞こえてくる周囲の嘲笑。そのうち口をヤスリのようなもので少しづつ削られ、裂かれてゆく。そして最後に鋸のようなもので片腕を切られる。
ごりごり、ごりごりと声を出そうとするが声が出ない。いつまでもいつまでもごりごり、ごりごりと切られてゆく。
おれはずっと叫んでる
『やめでくれやめてくれ助けてくれやめでぐれたすげてくれやめてくれ助けてぐれやめてやめでやめでやめでやめでやめでたすげてだれかたすけでだずけたずけで』
スエノヨノヒコイシサマ
ウチの田舎には寂れた神社があって、そこには「スエノヨノヒコイシサマ」って神様が祀られている。
神様かどうかも微妙なところで、未来の男が石になってこの世に現れたってモノらしい。
名前に字を当てたら「末世彦石様」って事だろう。
ご飯をマジで食べるって話。
この神様のご神体って言うのが小さな社に紐付きの箱に収められて居るんだけど、高校生時代に隠れて箱を開けたら河原の石みたいな斑模様で黄色かかった石が入っていた。
この石がちょっと不思議。
一つの石が正方形の箱の3分の2位を占めて収まっているのだが、箱の形に添って四角いのだ。
更に細かく言うと、箱の内側には虚になった部分が見えるのだがその部分にも沿う形でそこの部分も張り出している。
なんだか気持ち悪いのだが好奇心に勝てずに指で突いてみようと箱に手を入れたとき、
その場に居合わせた管理番らしいのおじさんに「触るな、焼けるぞ!」って怒られて、
やっべ~って事でスタコラ退散しました。
今思うと粘菌とかの固まりじゃないかと思いますが、
神隠しとかでアナザーワールドとかに行っちゃうとあんな風になっちゃうのかな?
とか考えると怖い様な気もする。
神社についてはまだあると思う。
ウチの田舎は信心深いので、
神社やらを壊して開発しようってしたら選挙じゃ勝てんし。
管理番には助けられたのかもね。
アレが粘菌でも触ったら変な物質で炎症を起こすのかもしれないし、
ホントに神様なんてのなら火傷しちゃうかもね。
ヒトツサマ
ヒトツサマについて詳しくはわからなかったのですが一応得られた情報だけ報告します。
おそらく屋敷神のたぐいではないかと思われますが、
九州の大分地方であれば「コイチロウ(小一郎)ガミ」というものがあり
お婆さまがそれを「ひとつさま」と表したという可能性もあるかもしれません。
尸童よりまし
依坐とも書く。神霊が童子によりついた場合をいう。
神霊が樹木や石などによりついたときには依代という。
神霊ではなく死霊がついた場合は尸者(ものまさ)と呼ばれる。
神の意志は清純な童子の口をかりて託宣として示される。
菅原道真の霊が近江比良の神主の7歳になる太郎丸についたのもその例である。
また長野の諏訪大社では8歳の童子が御衣を身につけることで神がついたと《諏方大明神画詞》にみえている。
祭りのときに童子に特別な扮装をさせ、肩車あるいは馬にのせ、祭りに参加させるところが多く、
これをヒトツモノと呼んでいる。
ヒトツモノは白衣の装束、山鳥の羽根をつけ、御幣をたらした菅笠をかぶり、額におしろいで印をつける。
ヒトツモノが馬上などで夢想の状態になると、神がついたとして喜んだ。
これは尸童としてのヒトツモノが託宣の機能をもつものと考えられていたことを示すものである。
これは関係ないかな?
うちの母方の実家は九州の田舎にあって地元ではそれなりの名家らしい。
祖父の葬儀で幼い私は母方の実家を訪れた。
田舎の家は曾祖母、祖母、叔父夫婦、従兄が住んでいた。
(母方の男は皆短命で還暦を迎える者は皆無だそうです)
田舎の家って都内に比べ大きいけど母方の実家は特に大きかった。
裏庭から一面田畑が広がり山の方まで視界を遮るものが少ない景色に
言い知れぬ不安感を覚えた記憶がある。
人見知りの激しい私は近所の子供に馴染めず昼間は曾祖母が遊び相手をしてくれた。
(夜は歳の近い従兄が遊んでくれたが昼間は従兄が近所の子供と遊びに行くので)
曾祖母は折り紙を折ったりあやとりを教えてくれたりもしたが
話好きだったのか田舎に馴染めず1人でいる私を気にかけてくれたのか
いろんな話を聞かせてくれた。
曾祖母は訛りがキツく話も戦争の話だとか子供には難しい話だった。
特に記憶に残るのはヒトツサマの話。
家の裏庭には桜の木が一本あってその根本に小さなお社(祠?)があった。
当時の私の半分くらい、大人の膝くらいのお社。
そのお社にヒトツサマが住んでいるのだという。
「神様なの?」と聞くと
「神様じゃない。××××××××」と返してきた。
後半は知らない言葉。
(聞き取り難い言葉。そういう言葉は何度聞いても理解出来ないのでスルーしてた)
何か不思議なものが住んでいる。私の認識はこんな感じだったと思う。
その話を聞いてからお社が気になって仕方なかった。
お社は空っぽ。桜の美しさも手伝ってか怖い印象はない。
近くで遊んでても怒られたりはなくその場に暖かささえ感じていた。
その小ささから弟や妹のような存在をイメージしていたからかもしれない。
その後生きて曾祖母に会うことはなかった。
といってもオカルト的なことでなく老衰だけど。
問題は曾祖母が亡くなった後。
大きくはあったが古い家だったので建て替えることに。
祖母は反対だったらしいが叔父夫婦に押し切られる感じで建て替えは行われた。
そのとき桜は残したがお社は取り壊してしまったそうです。
途端に叔父の会社も叔母のお店もうまくいかなくなり
土地を切り崩して負債の返済にあてたらしい。
不幸は重なるもので叔父の運転する車が事故を起こし
叔父夫婦、祖母が他界してしまう。
従兄1人では維持も大変なので結局家は手放すことに。
ヒトツサマって何だったのだろうと考える。
座敷わらしのような存在だったのではないかと思う。
家の男の寿命を吸って替わりに富を与える。
母方の祖先がそんな契約を交わし代々お社に祀ってきた。
その契約(お社)が一方的に破棄された為怒ってしまったのではないか。
叔父夫婦の葬儀でお社のあった場所に立ったとき子供の頃感じた暖かさはなく
冷たい雰囲気を感じた。
今となっては真実を知る術はないけれど。
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