居合澤(イヤイザワ)
倉戸山の奥手の祟りある山で、永い間に木の葉が深く積もってブクブクとしている陰気な沢である。
戦前まで此の沢で材木の太いやつ程もある蛇を見た者がいた。
また、頭が尾羽の方にも付いている山鳥が住んでいるといい、炭焼きは入ったりするのさえ嫌がった。
ここは元の地主が祟ると言われ、ある一家が買ったところお祖母さんがランプを灯すのに失敗し、体に火が付いて亡くなり続いて孫も火傷で死んだという。
人の手を渡り続け、都の所有になる前には薪炭組合の所有になっていた。
町田市山崎町
昔、ここに(勘松の田地)という耕地があった。
山崎勘松という眼病で失明した者がいたが、親より与えられた田畑と財産を兄に奪われたのを契機に諍いが起こり、兄の逆恨みから謀られ、検校への道も閉ざされてしまった。
勘松も素行の悪い者であったが、村中を怒り喚きながら最後は自宅で縊死してしまった。
その後兄の一家8名が次々に急死し、勘松の田地は怖れて誰も手を出すものはいなかった。
近年になって、○中○四郎という人が理由あってここを買い取ったところ、たちまち重病に罹り、子供らと協議の上、上小山田の養樹院に納めて勘松の供養をしたところ、全快したという。
町田市根岸町
日向根トンネル(日向根隧道)の付近を崖根(ママネ)と呼び、昔より怪しい事が多い場所だといわれてる。
隧道ができる以前は、今より雑木が繁茂する暗い崖地で、中世の横穴墓などが発掘されたりしていた。
境川に面した日向根部落のある老女が、近在の法事に出た晩にここを通りかかると、背後で大勢の男の声が聞こえたという。
ここに「ナンジャモンジャ」と呼ばれる樹があり、区画整理の工事で伐ったところ、木の根が数枚の板碑を抱えていたといい、地域の有志が堂を建てて合祀してある。
御霊の尾根(ミタマノオネ)
海澤の東側の山続き、大岳山から北へ抜けた大楢峠から城山の間にある。
山の形がイハイに似てるので位牌山とか御霊山とか呼び、非常に悪い処だという。
この山に自害沢(ジガイサワ)と呼ぶ沢があり、その昔日本武尊が従者を十人連れてここまで来たが、何かの理由で従者たちが自害してしまった。
又は、自害したのは旅の六部とも平家の落人ともいう。
その祟りでか、この自害沢に入って作業(山仕事)をした者は、山の中で必ず死ぬ。それでここに入って死んだ者が出た家から位牌が出るから。
位牌指(イハイザス)とも呼ぶ。
以前、ここに従者十人の位牌が飾ってあったという。
所有者が??指(タカザス)と名を変えたが、誰も買い手がないので都に売却し、今では奥多摩記念林の一部になっている。
死に山(シニヤマ)
東京都稲城市。これは東京都だが、裏手の川崎市麻生区細山と山続きなので加えさせてもらう。
東京○みうりカントリークラブ付近にあったと思われ、山仕事の人が怪我をしたり、死んだりした山だという。
天蓋山(テンガイヤマ)
海沢の北にある600余米の高さの山で、山頂近くは誰も入らないので雑木が茂っている。
昔の野辺送りに棺の上にかざす「天蓋」そっくりの形をしている。
タツガイトとも呼ぶ人もいる。
この山は買う者、売る者、木を切る者に悪い事があるという。
上坂の人が買う算段をしていた時、三つになる子供が囲炉裏で火傷し、経過が悪くて亡くなってしまった。
天蓋山には庚申が祀られているが、この庚申様が火傷させたのだという。
病ヶ沢(ヤマイガサワ)
日原、川苔谷の支流、逆川の奥にある。
周囲はかなり広い手付かずの山林で、昔、ここに宿っていた法師が命を捨てた所だとも、落人が逃げてきて首を斬られた所だともいう。
ここで一山買ってのべつに仕事をすると必ず病気に罹ったり死人を出すという。
眼患に罹り、「銭ばかり掛かる」と言う人もいた。
町が買い上げ町有林になり、名前も(病まぬヶ沢)にしたが、誰も山仕事に行かぬという。
骨窯(コツガマ)
病ヶ沢(ヤマイガサワ)の川向こうにある所で、そこで炭を焼くと死ぬというので誰も木を切りに行かない。
太い楢がツクツクと生えていて陰気な所だという。
他にもカワナの屋敷地、または屋敷谷戸(ヤシキド)ともいう皿の割れた物が出る場所もあり、理由は分からないが悪いところなので小屋掛けをしたり、作場をきる事はしないという。
カワナの屋敷地に小屋を掛けたら、天狗に小屋ぐるみ揺すられたので以後は行かないという人もいる。
食わない作り(クワナイヅクリ)
日原川沿いの大澤部落の山の上にあり、ここでいくら耕作しても食えずに死ぬという。
以前、ここに金剛寺という寺があったという。個人持ちの山だが短期間に何人もの持ち主が変わっている。
位牌山(イハイヤマ)
大澤地区と同じ日原川沿いの寺地地区にある。
裏手の峰畑では塔婆山(トウバヤマ)とも呼ばれ、位牌の形だ、塔婆の形だと言ったりしている。
昔、炭焼き小屋に法印様が泊ったが、貧困に喘ぐ炭焼きが金欲しさに殺してしまった。
あるいは栗拾いが法印をヨキ(斧)で殺したともいうが、兎に角それ以来祟る山になったという。
大体買主に祟るが入る者にも良くない事があり、九人でそれぞれ炭を焼いたらどの窯もみな火が消えたという。
位牌平(イハイデーロ)
青梅街道を奥多摩駅からダムに向かった先、境地区にある。
元は子安平(コヤスデーロ)と呼んだが、何か良くない事がありそう呼ぶようになった。
祟り山で作場を作ったりするのを嫌う。
この付近では入ったり炭を焼くのを忌む場所は他にも多く、それらを皆、地獄谷戸(ヂゴクト)と呼び、誰かが仕事で怪我か死亡した場所であり、人名を冠して誰々ヂゴクと呼ぶ。
位牌窪(イヘークボ)
御前山の北西を下るミズクボ沢がダムに流れ込む辺りをいう。
昔、伊平という炭焼きが窯に火を入れていたが、山崩れで窯と一緒に樹の下敷きになって死んだ。それ以来ここで木を伐ると怪我をしたり、呼んだりするので気味悪がって山仕事をするのを嫌うという。
湖岸道路に面しており、今では林業作業車やブルドーザー
が唸りを上げて稼働している。
生首(ナマクビ)
六ッ石山へ向かう途中の集落、水根にある祟り山。
昔からその山を買うと身体から首が離れるような事になる
いわゆる斬罪、獄門首になる)といわれ、誰も買いたがらない。
新梨尾、出野萱の両方も祟り山だと言う。
北蓑戸(キタミノト)
奥多摩周遊道路のダム側ゲートを過ぎて数キロ行くと交差点があり、山の「ふるさと村」に向かう道がある。
ここよりふるさと村へ数百メートル進むと一本目の橋がある。
「北蓑橋」・・・。
この辺りは昔、糠指(ヌカザス)といい、北蓑橋の下を流れる谷を着タ蓑戸(キタミノト)と呼んだ。
昔、ある夏の雨の降っている日、ある人がここで炭を焼いていたが、眠り込んでしまい、着ていた蓑に火が付いて焼け死んでしまった。
それで「着タ蓑」と云う名前が付いた。
ずっと昔の事で、それ以来この山に入ったり、所有者になると必ず不幸があるといわれた。
蓑を焼いて死んだ人の次の持ち主は火傷で死に、南集落(現在矢久亭のあるところ)のある人はここで狸に化かされ、裸足で歩き回りながら死んだりしたという。
埼○銀行某支店の頭取が持っていたときは子供が次々に死亡し、支店の経営も上手くいかず財産が1/10になってしまった。
また、ここで働かせていた林業労働者が崩落で6人死亡する事故も起き、とうとう困り果て塔婆を建てて捨て値で売却した。
以後も人手を転々とし、最後に鳩和木材株式会社から都に買い取られ、今では何も知らないレジャー客を呼び寄せている。
新発意(シンボチ)
北蓑橋の先、「山のふるさと村」のある辺りは岫沢(クキサワ)と呼ぶ地区である。
実は此の場所も、以前は新発意(シンボチ)と呼ばれる祟り山であった。
新発意(シンボチ)というのは浄土真宗などでいう若年の遊行僧で、それが何かの理由でここまで来て死んだ場所でといわれている。
雨の降る時は出てきたという話が残っており、シンボチ小僧がいるなどと言われていた。
またここで作場を切った人が猪を追うための小屋を掛けていたが、その猪に当たって死んでしまった事もあるという。
南地区(矢久亭や深山荘のある場所)の人が持っていたが、その家には馬鹿(精薄)・気狂い・目ッカチ(片目)の子が生まれたり、首を振る婆さんが出た。
それでもまだ持っていたら遂に破産してしまったと、此の付近の老人はどこでも知っている。
児沢(コサワ)
「山のふるさと村」のレストハウスの直ぐ先にある沢で、昔は良いワサビが採れる田があった辺りだ。
他の所では絶対に見られないアヤメが咲いているので、誰かを葬って植えたのだろうという。
今までに山仕事で二人程死んでいるほか、炭を焼くと必ず不幸があるといい、ある人は両親と妻の三人をいち時に亡くしたという。
種ヶ岩(タネガイワ)
都民の森として整備された三頭山のどこかにある岩で、この岩の横の窯で炭を焼くと、火の中に頭を割られた男がじっと睨んでいる。
昔長野から山梨まで種売りに来た男が、残りを桧原で捌こうとここまで来たところ日が暮れ、炭焼き窯の側の岩で野宿をしていた。
早朝に炭焼きがやって来て、売上金欲しさに殺して窯で焼いたのだといわれ、ここでは炭を焼かない。
江戸崎町の潰れ屋敷跡
昭和の初め頃、江戸崎町松山で「良い売畑がある」と持ち掛けられた人が、下君山の羽黒にある20ヘクタール程の桑畑を購入した。
ところがそれより、次々にその家庭に不吉な事が起き初めた。
主人が飼い馬に足を踏まれ足指を切断したり、娘が鬱病に罹り自殺未遂を起こしたりと祿な事がない。
困った主人が近所に住む老人に洩らしたところ、意外な話をされた。
昔その畑に百姓家があり、高持ち(土地持ちの豪農)だったという。
その家敷でゴゼを泊めたところ、稼いだ銭を沢山持っていたので風呂に入れ、湯船に漬けて殺して敷地に埋めたのだと云う話だった。
ある晩、隣の嫁がこの屋敷に風呂を貰いに行ったが、風呂の蓋を取ると火の玉が一杯に入っていた。仰天した嫁が風呂掻き棒で思いっきり叩いたところ、あたり一面に火の玉が散らばり火の海になった。
恐ろしくなった嫁は夢中で逃げ帰り、布団を被って寝込んでしまった。
そんな事があって以降次々に悪い事が起き、ついに潰れた屋敷跡なのだった。
それを聞かされ驚いた主人は、地続きの家で売ってほしいと話があったのを幸いに、大分損を承知で売り渡した。
その後、嘘のように凶事が治まり、娘の病気も治ってしまった。
ところが一方、買った家では主人が胃癌で急死。倅は若くして中風に罹り、不幸が次々に襲ってきたという。
堪り兼ねたその家でも、小学校の移転先の用地を町が探していると聞き、売却に成功してからは平穏無事だという。
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