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都市伝説『牛の首』怪異一覧6選

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怪異譚
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世界一怖い都市伝説『牛の首』。 牛の首(うしのくび)は、古くから伝わる都市伝説の一つです。

この牛の首の話を集めて掲載しています。

 

 

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牛の首1


小学校の教師が学校の遠足の時にバスの中で「これから話すのは『牛の首』という怪談だ。牛の首とは・・・」彼が話を始めた途端子供達があまりの恐ろしさに怯え口々に「先生、もうその話しはやめて!」と訴えだしたのだ。ある子供は真っ青になりながら耳を塞ぎ、別の子供は大声を上げて泣き叫ぶ。彼は話をやめようとしない。彼の目は虚ろで、まるで何かに取り付かれたかのようであった。暫くするとバスが急に停止した。異変を感じて正気に戻った彼が運転席を見るとバスの運転手が脂汗を流しながらぶるぶると震えている。恐らくこれ以上は運転を続けられないと思い車を止めたのであろう。さらに辺りを見まわすと、生徒たちは皆口から泡を吹いて失神していた。

 

 

牛の首2


明治初期、廃藩置県に伴って全国の検地と人口調査が行われた。東北地方において廃墟となった村を調査した役人は大木の根本に埋められた大量の人骨と牛の頭らしき動物の骨を発見した。調査台帳には特記事項としてその数を記し、検地を終えると、そこから一番近い南村へと調査を移した。その南村での調査を終え、村はずれにある宿に泊まった。宿の主人は関係あるかどうかは分からないが、と前置きをして次の話を語っ た。

天保3年より数年にわたり大飢饉が襲った。俗に言われる天保の大飢饉である。当時の農書によると「倒れた馬にかぶりついて生肉を食い行き倒れとなった死体を野犬や鳥が食いちぎる。親子兄弟においては情けもなく食物を奪い合い畜生道にも劣る」といった悲惨な状況であった。 

天保4年の晩秋、夜も更けた頃この南村に異形の者が迷い込んできた。ふらふらとさまよい歩くその躰は人であるが、頭部はまさしく牛のそれであった。数人の村人がつかまえようとしたその時、松明を手にした隣村のものが十数人現れ、鬼気迫る形相にて、「牛追いの祭りじゃ、他言は無用」口々に叫びながら、その異形の者を捕らえ、闇に消えていった。 
翌日には村中でその話がひそひそと広がったが、誰も隣村まで確認しにいく者はいなかった。その日食うものもない飢饉の有様では、実際にそれどころではなかった。翌年には、秋田藩より徳政令が出され、年貢の軽減が行われた。その折に隣村まで行った者の話によると、すでにその村に人や家畜の気配はなかったとのことだった。それ以後、「牛の村」とその村は呼ばれたが、近づく者もおらず、その名を呼ぶ者もいない。 

役人は役所に戻り、調査台帳をまとめ終えた頃、懇意にしていた職場の先輩に意見を求めた。先輩は天保年間の村民台帳を調べながら考えを述べた。 

【大飢饉の時には餓死した者を家族が食した例は聞いた事があるが、その大木のあった村では遺骸だけではなく弱った者から食らったのであろう。そして生き人を食らう罪悪感を少しでも減らす為牛追いの祭りと称し、牛の頭皮をかぶせた者を狩ったのではなかろうか。人骨の数を考えるとほぼその村全員に相当する。牛骨も家畜の数と一致する。飢饉の悲惨さは筆舌に尽くしがたい。村民はもちろん親兄弟も、凄まじき修羅と化し、その様はもはや人の営みとは呼べぬものであったろう。この事は誰にも語らず、その村の記録は破棄し、廃村として届けよ】 
この言葉を深く胸に受け止めた役人は、それ以後、誰にもこの話は語らず心の奥底にしまい込んだ。日露戦争が激化する頃、病の床についたこの男は、戦乱の世を憂い、枕元に孫たちを呼び寄せ、切々とこの話を語ったという。 この孫の中の一人が、自分である。当時は気づかなかったが、祖父が亡くなった後に分かったことがあった。何の関係もないと思われた南村の者が、隣村の民全員を牛追いの祭りと称して狩り、食らったのが真実である。そうでなければ全員の骨を誰が埋められるものか・・・。

これが巷で語られる「真・牛の首」新しい恐怖を誘おうとする為に作られたようで、長文でよく作りこまれている。しかし年代的に不自然なところがあり、この話が出てきたのもインターネットの掲示板が初出2002年となっている。

 

 

 

牛の首3


ある村で江戸時代の大飢饉の折、人肉食をしていた。最初は遺骸を喰らっていたのだが次第に足りなくなり、弱っている人も喰らうようになった。そこで生き人を喰らう罪悪感を少しでも減らすめ、牛の頭皮を首に被せた者を狩っていた。というもので比較的、メジャーと言えばメジャーなもの。「牛の首2」では舞台が東北、こちらでは岐阜になっていたり村人が全員死なない点が違う。

「牛の首」とは小松左京氏の短編小説であり「元ネタ」は存在しない。という説とこの話は完全に創作話であり、民話や言い伝えの類では無く、元ネタは恐らく星野之宣「宗像教授伝奇考」第1集収載「贄の木」また岩波少年文庫・金素雲編「ネギをうえた人」という朝鮮民話集に収められているという情報もある。

 

牛の首 4

「牛の首」という恐ろしい怪談がある。 

 この話は江戸時代にはすでに知られていたようで、 
 寛永年間に書かれた庶民の日記にすでにその名は出ている。 
 とはいえ、そこに記されているのは「牛の首」という 
 怪談の名前だけで、話の内容は 
 「今日、牛の首という怪談を聞いたが、 
 あまりにも恐ろしい話なのでここには書けない」 
 として語られてはいないのだが。 

 このように文献にはっきりとした形で残ることはなかった 
 「牛の首」だが、その物語は口授で今日まで語り継がれている。 

 だが、私はその話をここに記すつもりはない。 
 あまりに恐ろしい話なので、思い出したくないのだ。 
 その代わりに「牛の首」を知っている数少ない人物の 
 一人の身に起きたエピソードを語ってみようと思う。 

 その人物は小学校の教師である。 
 彼は学校の遠足の時に、 
 バスの中で怪談を子供たちに語り聞かせていた。 

 普段は騒々しい子供たちも今日は真剣に彼の話に耳をそばだて、 
 本気で怖がっている。 

 これに気をよくした彼は、 
 最後にとっておきの怪談である「牛の首」を披露することにした。 

 彼は声を潜めると子供たちにこう言った。 
 「これから話すのは『牛の首』という怪談だ。牛の首とは・・・」 
 ところが、彼が話を始めた途端にバスの中に異変が起きる。 
 子供たちが物語のあまりの恐ろしさに怯え、 
 口々に「先生、もうその話しはやめて!」と訴えだしたのだ。 

 ある子供は真っ青になりながら耳を塞ぎ、 
 別の子供は大声を上げて泣き叫ぶ。 
 ところが、それでも彼は話をやめようとしない。 
 彼の目は虚ろで、まるで何かに取り付かれたかのようであった・・・ 

 しばらくするとバスが急に停止した。 
 異変を感じて正気に戻った彼が運転席を見ると、 
 バスの運転手が脂汗を流しながらぶるぶると震えている。 
 おそらくこれ以上は運転を続けられないと思い 
 車を止めたのであろう。 

 さらに辺りを見まわすと、 
 生徒たちは皆口から泡を吹いて失神していた。 
 それ以来、彼が「牛の首」について何かを話す事はなかったという。

 

牛の首 5

牛の首とは、この世の中で一番怖く、また有名な怪談であるが、 
あまりの怖 さ 故に、語った者、聞いた者には死が訪れる。 
よってその話がどんなものかは誰も知 ら ない、という話 。 
私も長い間はこんなのは嘘だ出鱈目だ一人歩きした怪談話さと、 
鷹を括っていたんですが・・・ まあお聞きください。 

明治初期、廃藩置県に伴って、全国の検地と人口調査が行われた。 
これは地価に基づく定額金納制度と、徴兵による常備軍を確立するためであった。 
東北地方において、廃墟となった村を調査した役人は、 
大木の根本に埋められた大量の人骨と牛の頭らしき動物の骨を発見した。 
調査台帳には特記事項としてその数を記し、検地を終えると、 
そこから一番近い南村へと調査を移した。 
その南村での調査を終え、村はずれにある宿に泊まった役人は、 
この村に来る前に出くわした、不可解な骨のことを夕食の席で、 
宿の主人に尋ねた。宿の主人は、関係あるかどうかは分からないが・・・ 
と前置きをして次の話を語っ た。 

以下はその言葉を書き取ったものであります。 
天保3年より数年にわたり大飢饉が襲った。俗に言われる天保の大飢饉である。 
当時の農書によると「倒れた馬にかぶりついて生肉を食い、 
行き倒れとなった死体を野犬や鳥が食いちぎる。親子兄弟においては、 
情けもなく、食物を奪い合い、畜生道 にも劣る」といった悲惨な状況であった。 

天保4年の晩秋、夜も更けた頃、この南村に異形の者が迷い込んできた。 
ふらふらとさまよい歩くその躰は人であるが、頭部はまさしく牛のそれであった。 
数人の村人がつかまえようとしたその時、 
松明を手にした隣村のものが十数人現れ、鬼気迫る形相にて、 
「牛追いの祭りじゃ、他言は無用」 
口々に叫びながら、その異形の者を捕らえ、闇に消えていった。 
翌日には村中でその話がひそひそと広がったが、 
誰も隣村まで確認しにいく者はいなかった。 
た、その日食うものもない飢饉の有様では、実際にそれどころではなかた。 
翌年には、秋田藩より徳政令が出され、年貢の軽減が行われた。 
その折に隣村まで行った者の話によると、すでにその村に人や家畜の気配は 
なかったとのことだった。それ以後、「牛の村」とその村は呼ばれたが、 
近づく者もおらず、今は久しく、その名を呼ぶ者もいない。 
重苦しい雰囲気の中で宿の主人は話し終え、そそくさと後片づけのために席を 
立った。役人はその場での解釈は避け、役所に戻り、 
調査台帳をまとめ終えた頃、懇意にしていた職場の先輩に意見を求めた。 
先輩は天保年間の村民台帳を調べながら考えを述べた。 

大飢饉の時には、餓死した者を家族が食した例は聞いたことがある。 
しかし、その大木のあった村では、遺骸だけではなく、 
弱った者から食らったのであろう。 
そして生き人を食らう罪悪感を少しでも減らすため、 
牛追いの祭りと称し、牛の頭皮をかぶせた者を狩ったのではなかろうか。 
おまえの見た人骨の数を考えるとほぼその村全員に相当する。 
牛骨も家畜の数と一致する。 
飢饉の悲惨さは筆舌に尽くしがたい。 
村民はもちろん親兄弟も、凄まじき修羅と化し、 
その様はもはや人の営みとは呼べぬものであったろう。 
このことは誰にも語らず、その村の記録は破棄し、廃村として届けよ。 
また南村に咎を求めることもできまい。 
人が食い合う悲惨さは繰り返されてはならないが、 
この事が話されるのもはばかりあることであろう。 
この言葉を深く胸に受け止めた役人は、それ以後、誰にもこの話は語らず、 
心の奥底にしまい込んだ。 
日露戦争が激化する頃、病の床についたこの男は、戦乱の世を憂い、 
枕元に孫たちを呼び寄せ、切々とこの話を語ったという。 
この孫の中の一人が、自分である。 
当時は気づかなかったが、祖父が亡くなった後に分かったことがあった。 
何の関係もないと思われた南村の者が、隣村の民全員を牛追いの祭りと称して狩り、 
食らったのが真実である。そうでなければ全員の骨を誰が埋められるものか・・・ 

それゆえ、牛の首の話は、繰り返されてはならない事だが、 
話されてもならない話であり、呪いの言葉が付くようになった。 
誰の口にも上らず、内容も分からぬはずであるが、 
多くの人々が「牛の首」の話を知っている。物事の本質をついた話は、 
それ自体に魂が宿り、広く人の間に広まっていくものである。

 

 

牛の首 6

「牛の首」というタイトルの話があると聞き、昔、奈良のひいじいちゃんから聞いた話を思い出しました。この話にタイトルはありませんが、もしかしたら関係があるのでしょうか?誰も「牛の首」の話を教えてくれないので、どんな話か知りませんが、もしかして同じ話だったらゴメンナサイ。

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戦前のある村での話だそうです。その村には森と川を挟んだところに隣村がありました。(仮に「ある村」をA村、「隣村」をB村としておきます。)B村はいわゆる部落差別を受けていた村で、A村の人間はB村を異常に忌み嫌っていました。
ある朝、A村で事件が起きました。村の牛が1頭、死体で発見されたのですが、その牛の死体がなんとも奇妙なもので、頭が切断され消えていたのです。その切り口はズタズタで、しかし獣に食いちぎられたという感じでもなく、切れ味の悪い刃物で何度も何度も切りつけ、引きちぎられたといった感じでした。気味が悪いということでその牛の死体はすぐに焼かれました。

しかし、首のない牛の死体はその1頭では終わりませんでした。その後次々と村の牛が殺され、その死体はどれも頭がなかったのです。普段からB村に不信感を抱いていたA村の人々はその奇妙な牛殺しを「B村のやつらの仕業に違いない」とウワサし、B村を責めたてました。
しかし同じ頃、B村でも事件が起きていました。村の若い女が次々と行方不明になっていたのです。いつもA村の人々から酷い嫌がらせを受けていたB村の人々は、この謎の神隠しも「A村のやつらがさらっていったのに違いない」とウワサし、A村を憎みました。
そうしてお互い、村で起きた事件を相手の村のせいにしてふたつの村はそれまで以上に疑い合い、にらみ合い、憎しみ合いました。
しかし、そのふたつの事件は実はひとつだったのです。

ある晩、村境の川にかかった橋でB村の村人たちが見張りをしていました。こんな事件があったので4人づつ交代で見張りをつけることにしたのです。夜も更けてきた頃、A村の方から誰かがふらふらと歩いてきます。見張りの男たちは闇に目を凝らしました。そして橋の向こう側まで来たその姿を見て腰を抜かしました。それは全裸の男でした。その男は興奮した様子で性器を勃起させています。しかしなにより驚いたのはその男の頭は人間のそれではなく、牛の頭だったのです。牛頭の男は見張りに気付き、森の中へ逃げ込みました。
牛頭の男はA村でも牛の番をしてた村人に目撃されていました。その牛頭の男こそ、ふたつの事件の犯人に違いないと、A村とB村の人々は牛頭の男を狩り出す為、森を探索しました。
結局牛頭の男は捕まりませんでした。・・・いえ、実際には捕まっていました。しかし、男を捕まえたA村の人々は彼を隠し、みんな口を揃えて「そんな男は存在しなかった」と言い出したのです。A村の人々のその奇妙な行動には理由がありました。

A村の人々は牛頭の男を捕まえました。その男は実際に牛頭なのではなく、牛の頭の生皮を被った男でした。A村の人々は男の頭から牛の皮を脱がせ、その男の顔を見て驚きました。その男はA村の権力者の息子だったのです。この男は生まれつき、知的障害がありました。歳ももぅ30歳ちかいのですが、毎日村をふらふらしてるだけの男でした。村の権力者である父親がやってきて問い詰めましたが、「さんこにしいな。ほたえるな。わえおとろしい。あたまあらうのおとろしい。いね。いね。」と、ワケの分からないことばかり言って要領を得ません。そこで男がよく遊んでいた、父親の所有している山を調べると、女の死体と牛の首がいくつも見つかりました。異常なのは女の死体の首は切り取られ、そこに牛の首がくっついていたのです。男は、B村から女をさらい、女の首を切り取り牛の首とすげ替え、その牛頭の女の死体と交わっていたのです。
権力者である父親は息子がやったことが外に漏れるのを恐れ、山で見つかった死体を燃やし、A村の村人に口封じをし、村に駐在する警官にも金を渡して黙らせました。そして息子を家の土蔵に閉じ込め、その存在を世間から消し去ったのです。

しかし、村の女たちが行方不明のままのB村の人々は黙っていません。特に、あの夜実際に牛頭の男を見た見張りの4人は、「牛頭の男など存在しなかった」と言われては納得いきません。村人みんなで相談して、その4人が警察に抗議に行くことにしました。

次の日、川の橋に4人の生首と4頭の牛の生首が並べられました。

A村の人々は真実が暴露されるのを恐れ、B村を出た4人を捕らえ、真実を知っているにも関わらず、B村の4人に全ての罪をかぶせ、私刑(リンチ)し、見せしめに4人の首をはね、さらし首にしたのです。一緒に牛の生首を並べたのには、「4人が牛殺しの犯人である」という意味(もちろんデマカセではあるが)と、「真実を口外すれば同じ目にあうぞ」という脅しの意味がありました。
この見せしめの効果は大きく、B村の人々はもちろん、A村の人々自身も「この出来事を人に話せば殺される」と恐れ、あまりの恐怖にこの事件については誰も一言も話そうとはしなくなりました。ふたつの村の間で起きたこの出来事は全て村人たちの記憶の奥深くに隠され、故意に忘れさられ、土蔵に閉じ込められた男と一緒にその存在自体を無にされたのです。
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これが私の聞いた話です。これが果たして実話なのか何処の話なのかは知りません。ひいじいちゃんももう居ないので今となっては知りようがありません。もちろんひいじいちゃんに聞いたのは十何年も前で、記憶も断片的ではありましたが、なるべくストーリーとして読めるようにまとめてみたつもりです。この話を聞いたときはスゴイ嫌な感じがしました。なんでこんな話を聞かされたのかも覚えてません。ひいじいちゃん、ちょっとボケてたのかも。年月が経って、自分の記憶の中でいくらか話を書き換えてるところもあるかもしれません。正確ではないところは許してください。ごめんなさい。だけど、「さんこにしいな。ほたえるな。わえおとろしい。あたまあらうのおとろしい。いね。いね。」という男の言葉だけは変に覚えていました。意味は未だに分からないけど。
「牛の首」と違って、「あまりの恐怖に聞いた人が死ぬ」「話した人には呪いが」なんていう怪談的な要素はありませんが、「この真実を他言すると殺される」という村人たちの恐れが現代まで残って、「聞くと死ぬ」という風に形を変えたと考えると、案外これが元ネタなのかもしれません。といっても「牛の首」の話自体をちゃんと聞いたことがないのでなんとも言えませんが。いかがでしょう?

 

 

 

以上、『都市伝説『牛の首』怪異一覧6選』を紹介しました。

この話は最恐の都市伝説として有名なお話です。これを読むと怪奇現象が起こったり、読んだ人は3日以内に死ぬとか言われているようですが いかがだったでしょうか?

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