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【壮絶な最後】死に方が悲惨な有名人58名 一覧

【かわいそうな最後】死に方が悲惨な有名人 一覧 人間の怖い話
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悲惨な死を遂げた日本の有名人、海外の有名人、歴史上の有名人たちを一覧に見やすくまとめました。壮絶な死を遂げた有名人たちとその死因をまとめています。

 

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【壮絶】悲惨な死を遂げた有名人

 

 

1. 尾崎豊

尾崎豊 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%B1%8A

1992年(平成4年)4月25日、早朝の足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見され、通報で病院に運び込まれる。
体が傷だらけだったが診察した医師は深酒のみという診断で尾崎は妻とともに自宅マンションに戻る。
しかし、午後になり呼吸が止まっているのに気がついた家族が救急車を通報したが、
搬送先の日本医科大学付属病院で死亡した。

他殺の疑惑

尾崎の遺体には暴行を受けたような傷やあざもあり、亡くなった日の状況がきわめて不自然であることから、他殺とする説もある。
しかし警察は、状況捜査や司法解剖を行った結果から「事件性なし」として調査を終結している。
尾崎豊が亡くなってから約2年後に、10万人近くの尾崎ファンの署名を集めた再捜査嘆願書が警察に提出されたが、受理されなかった。

7年後の1999年には写真週刊誌『フライデー』に蘇生措置を施している様子の写真が掲載され、当時の捜査員の証言などもあって、その死因の不可解さが深まった。
だが、検死をした支倉逸人の著書によれば、擦過傷と打撲傷をじっくり調べた結果、他殺をうかがわせるようなものはなかったとの記述がある。
またそれを裏付ける、転倒したり暴れて転げ回っていたという証言がある。
だが、はっきりしたことがわからないため、今までに尾崎の生涯を描いた多数の漫画作品やテレビ番組においても、尾崎が死んだ様子は全く触れられていない。

 

2. 香月弘美

香月弘美(かつき ひろみ、本名:小笠原 弘恵、1936年8月21日 – 1958年4月1日)は、宝塚歌劇団月組の元タカラジェンヌ(娘役・41期生)。神奈川県藤沢市片瀬出身。湘南白百合学園小学部、中学部の同級生で中学卒業後すぐ宝塚歌劇団に入った松島三那子の影響で、湘南白百合学園高等学校中退で宝塚音楽学校入学。愛称は「ヒロエちゃん」。初舞台は1954年(昭和29年)4月の「宝塚春のをどり」。

香月弘美 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%9C%88%E5%BC%98%E7%BE%8E

事故概要 (中略)

松島はトランプの国の場が終わった後、早変わりですぐ次の役に扮しなければならなかった。
そのため、姿が客席から見えなくなるとすぐに体をふりほどき、相手役に「オーキニ」と言った後背を向け、セリが下がりきるのを待たず
奈落に飛び降りて早変わり室に駆け込んでいた。

この日も飛び降りて三歩ぐらい走った時、「ヤメテー」という叫びがしたのと同時にバリバリという音、何かが飛び散る音がした。
驚いて振り返ると、蝋細工の人形のように無表情な香月の顔と、衣装ドレスの赤い生地がセリのシャフトにからみついて回っているのがみえた。
この間一秒程度であった。

松島の衣装の背中には、血しぶきがかかっていた。香月の衣装ドレスにはすそを広げるための幅2センチ、厚さ1ミリのスチールベルトが腰まわり、ひざ、すその三カ所にそれぞれ直径約60センチ、70センチ、1メートルの輪になって取り付けられていた。

衣装ドレスの裾がセリのシャフトに巻き込まれたため、セリ台のワクの鉄製ベルトと舞台を支える鉄製アングルの支柱の間に足を挟まれたまま引きずり込まれ、腰まわりのスチールベルトが香月の胴を締めつけ、身体が真っ二つに切断され即死してしまったのである。(朝日新聞1958年4月2日)
しかし香月の切断部は衣装ドレスで覆われていたため、松島は香月が死亡したことを認識できなかった。

動転した松島は、「トメテートメテー」と怒鳴りながら、早替わり場にかけつけた。
次の場もあるので、とりあえず衣装をつけたが、その時香月が死亡したことを聞き、松島はその後の記憶を失った。

後に松島が周囲にいた者に聞いたところでは、その時の彼女は泣きながら香月の名を大声で呼んだり
「私が代わりに死ねばよかった」
と叫んだりしながら暴れるなど、半狂乱だったという
(一部に「松島は鮮血に染まりながらゆっくりと香月の胴体が切断されてゆく様を、ただ黙って見ていることしかできなかった」とする記述があるが、松島の回想に拠れば事実ではない。

 

3. 多田かおる

多田かおる – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E3%81%8B%E3%81%8A%E3%82%8B

多田 かおる(ただ かおる、1960年9月25日 – 1999年3月11日)は、日本の漫画家。大阪府寝屋川市出身。女性。血液型A型。作品
愛してナイト
イタズラなKiss
など
『イタズラなKiss』連載中の1999年2月21日、引越し作業中に大理石製のテーブル下の床を雑巾がけしていて一息つこうと頭を上げたところ、そのテーブルに頭を打ちつけてしまう。夜になってから倒れて意識不明となり、18日後の3月11日急逝。38歳没。死因は頭部強打による脳内出血。

4. 保倉幸恵

保倉幸恵 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%80%89%E5%B9%B8%E6%81%B5

幼い頃から舞台女優として活躍しており、1960年代から1970年代にかけて「週刊マーガレット」などの少女雑誌に少女モデルとして頻繁に登場していたほか、週刊朝日でも1970年1月2日から1971年12月31日までカバーガールを務めた。若草時代の同期生に女優の桃井かおりがいる。高い人気を得るが、その後モデル業を引退。
映像メディアへの出演はモデル時代だった頃は1968年放送の「竜馬がゆく」や1971年放送の「天下御免」に出演。その後、モデル廃業後の1974年11月に芸能界に女優として復帰し、同年11月20日から放送が開始されたNHKの銀河テレビ小説「黄色い涙」で本格的な女優デビューを果たす。

女優業を休止して療養中だった1975年7月8日午前5時55分、東京都大田区の自宅近くにある横須賀線大森~蒲田間の跨線橋において1.2mの柵を越えて8m下の線路に飛び降り、そこを通りかかった久里浜発東京行きの普通列車に轢かれて即死した。享年22。

高速列車に轢かれたために事故現場は凄惨で、遺体は顔面が完全に粉砕され、胴体も手足が轢断して四方八方にバラバラに飛び散るなど損傷が酷かったと言う。
加えて身元を証明出来る所持品が一切無かった事から警察は身元確認に手間取り、当初は身元不明人として荼毘に付された。
その後、家族からの捜索願や着用していた衣類、血痕などから自殺者が保倉である事を
突き止めたのは7月10日になってからであった。

遺体の検視で暴行の兆候があったとされ殺害も疑われたものの、遺体の損傷や腐敗が酷く、すぐに火葬されたため結局再捜査はされず自殺と断定された。
自殺の動機については母親の病気の介護や当時出演していたドラマの俳優との性的な人間関係、ノイローゼからくる情緒不安定など諸説あるが、遺書が無かったため現在に至るまで不明である。
女優として順風満帆な活躍としていると思われていた矢先の突然の自殺だった事から、当時は「謎の自殺」と騒がれた。

 

5. 沖雅也

沖雅也 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E9%9B%85%E4%B9%9F

ある日、客からスカウトされファッション誌のモデルになるも、単発的なポジションだったためスナック勤めを続けながら業務をこなしていた。1968年、日活関係者が客として訪れ、縁あって入社、日活ニューフェース俳優として映画『ある少女の告白・純潔』で銀幕デビュー。翌1969年には早くもエランドール新人賞を受賞、その後は数々の日活作品に助演する。芸名の「沖雅也」の「雅」は当時の日活社長・堀雅彦の一字から採った。

テレビドラマ版「蒲田行進曲」(TBS)収録直後の1983年(昭和58年)6月28日、「おやじ、涅槃でまってる」という遺書を残し、新宿京王プラザホテルの最上階(47階)より警備員の制止を振り切って飛び降り自殺。31歳の若さで早世。突然の死は日本の芸能界に大きな衝撃を与えた。死後直ぐに密葬。一ヵ月後に事務所主催の葬儀・告別式が行われ、つかこうへいが葬儀委員長を務めた。ロミ山田、美輪明宏、二谷英明、柴田恭兵、坂口良子ら親しかった芸能人仲間が弔問に訪れた。坂口は遺影に向かって泣き崩れながら弔辞を読み、弔問客の涙を誘った。奇しくも「蒲田行進曲」後編は死の翌日(6月29日)に放送された。

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