『風船おじさんってどうなったの?』|本当にあった不思議な話
風船おじさんってどうなったの?
風船おじさんとは?
風船おじさんを知らない人用の簡単な説明
本名 鈴木 嘉和
生年 1940-(1992年以降は消息不明)
風船おじさんとして知られたピアノ調律師、経営者。自称冒険者。
1992年4月に風船をつけた椅子で飛び立って1時間弱飛行した末の不時着事故とニュースになる騒ぎを2度起こした。
同年11月に風船をつけたゴンドラでアメリカへ向けて出発したが2日後に連絡が途絶えてその後の消息は不明になった人。
一躍時の人となったが、 飛行実験でトラブルを起こすなど、だんだんとバッシングされるようになった。
実は、事業失敗で5億円前後の借金を抱えており、債権者には、「風船をつけたゴンドラ船で太平洋を渡り借金を返す」と語っていた。
風船おじさん
1992年11月23日、その日の夕方、風船とともに大空へ旅立ったおじさんの事。
当時NHKを除くすべてのマスコミ、新聞もテレビも大騒ぎしたことがあった。
飛び立った場所は琵琶湖畔、近江八幡。
1992年11月23日、琵琶湖湖畔を20個のヘリュウム風船をつけたゴンドラ「ファンタジー号」に乗って大空へ旅立った「風船おじさん」 このゴンドラは横2m縦70cmのヒノキ風呂を改造したもので、携帯電話、酒、酸素ボンベ、食料一週間分などを積んでいた。彼の最後の姿が見られたのは2日後の11月25日。
アメリカに向かったはずだが、何故か宮城県上空で海上保安庁の航空機に確認されている。
ということなので、2日間は確実に生きていたことになる。
しかし、その後、それっきり風船おじさんは行方不明となった。
確か、砂丘の鳴き砂?だかを、アメリカに届けようとしていたらしいね。
夢があって、とてもいいおじさんだったらしいけど・・・
オレも忘れられない出来事だったよ。
家庭とか人生とかに、いろいろあったみたいだよね。
一人の人間の人世として、何か寂しい記憶として残ってる。
決して奇行としてだけで語ってはいけないよ。
元々浮力テストやってる最中にその気になって勝手に飛び立ったって話だね。
かなりな夢想家だったらしいから、現実より夢想が勝ったんだろうけど・・・
確か琵琶湖畔ではどこかの大学の気球を研究している教授と共同で実験していたはずだよ。
風船おじさんはテストパイロット的な役割だったらしいんだけど、浮かび上がった時にこの時とばかりに気球を奪い取って飛んで行っちゃったんだって。
その教授は研究費用等かなり出費していたのに実験をめちゃくちゃにされたとかで激怒していたらしいよ。
おれの記憶だと、止めようとする警官を振り切っての旅立ちだった。
なぜそこに警官が居たかというと、このおじさんはこの件以前にも同様の騒ぎを起こして厳重注意を受けていたからだ。
専門家によれば、熱気球と違ってヘリウム気球はあまり飛行高度が取れないために、ちょうど雲の中を飛ぶ事となってしまい、風呂桶状のゴンドラでは猛烈な風雨に曝される事になる。
さらにヘリウムの抜けの速さから考えても、太平洋上に墜落するのは目に見えていたそうだ。
まさに自殺行為に他ならない危険な冒険だったと言える。そりゃ警察も止めに入るよ…(´・ω・`)
ゴンドラから手を振るおじさんを、「元気に手を振っていた」とニュースで述べられていたが、
おれには必死で助けを求めている様にしか見えなかった。
あーだめだ!!ここまで書いてなんか泣きそうになっちった。
支持者の人達が口汚く罵っていて、子供の頃にいやな気持ちでいた。
いっしょにTV見てたお袋に、
「人が死んだかもしれないのに、家族だっているのに、何故にこの人達はTVで、ここまで悪し様に?」
と言ったら
「人様の制止を振り切ってまで好き勝手やった馬鹿を罵って何が悪い? ゴミくずが。創作する必要なんかあるか。見放されて当然。世間様を騒がしたんだから家族は自殺して謝罪すべき」と言われ
我が母ながらゾッとした覚えが。
ちなみに、このお袋の性格は未だに変わっていないので、未だに折れともギクシャクしてる。
自分は絶対正しいと妄想世界で信じてるDQNだったが、正直、風船おじさんとは比べ物にならぬくらいに性質が悪いと思ってる。
しかし、自衛隊・・・救難信号で飛んでいったんだよな?
なのに何故、手を振って助けを求めてる人を、助けが来て喜んでる人を、元気そうだと判断する?
子供の使いか? 貴様ら俺のお袋か?
そんなやつらは殺人罪には問えないのだろうか?
それはあんたが男だからだ。
男はなぜか風船おじさんの行動を理解できたりするもんだが、あんたのお袋さんに限らず、風船おじさんを理解できる大人の女は少ないと思う。
おじさんの最後の映像、すごい高い高度の場所におじさんがいて、たぶんジェット気流?とかに乗っちゃってる感じ。
おじさんは酸素ボンベはもってたようだけど、それでも軽装備だったから救助信号出したんだろうなと思う。
救助してもらえると思って飛行機に手を振っていたのに、そのまま飛行機はリターンしてしまって、どうしようもなくなり、おじさんは自分で高度を下げたのかもしれないと思ってしまう。
それでじわじわ高度が下がり、着水、檜風呂で作ったゴンドラはしばらくは浮いていたけど、じわじわと沈んでいってしまったんだろうな・・
世間を騒がしたっていっても別に世間に害を与えたわけでもなく海上保安庁や自衛隊に迷惑をかけたと言っても、彼らは傍観してただけで結局は助けてもくれなかった。
Fジテレビで当時放映されていた「お○よう○イスデイ」が絡んでいる、という話を聞いたことがある。
風船おじさん的には綿密な重量計算と飛行実験を元に装備を準備したのだが、出発直前に番組スタッフが取材機器などを積み込ませたとのこと。
Fジはスポンサーだったのかな?
おじさんは律儀な人だったらしいので、貸与された機械を捨てて高度を稼ぐことができなかったのではないかと邪推。
もしこの話が真実であれば、遭難後急に報道で取り上げられなくなったのもうなずける。
以前ちょっと検索してみたことがあって、ちょっとうる覚えなんだけど
確か風船おじさんは風船の重しに焼酎200本を積んで空へ飛び立った。
(これだけで十分アホアホ。なぜ焼酎なんだろうか)
目的は「音楽の種(といいつつも実は普通の花の種)をアメリカへ届けるため」
最初、どっかのえらい人が飛び蜘蛛?という日本からアメリカまで海を渡る。
蜘蛛に植物の種をつけて飛ばそう、という計画を立てたのだが、計画の途中で風船おじさんが
「蜘蛛じゃなくて私が種を届けます!」
と自ら立候補して風船に乗った。
おじさんの作った(どっかの偉い人+ボランティアの大学生も手伝った)「ファンタジー号」はあれはヒノキの浴槽を改造したものだ。
更にいうなら、当時は自殺の旅と言われていた。
風船はすぐにしぼむだろうし、しぼんでしまえば終わりなのは、誰が見ても明らかだった。
本人もアメリカに着けるなんて思っていなかったろう。
思い出したけど、周囲が必死で止めようとしてるのを振り切って、空を飛んでいくとき、死に物狂いで「やめなさい」と叫び、追いかけていく警官に向かって、笑いながら敬礼してたよね、このおじさん。
子供心に、世の中舐めてるなあ、と思ったyo。
アメリカに向かったはずでしたが、予想外の低気流の影響を受け北上、宮城県上空で海上保安庁の航空機に確認されています。
その際に、不時着を試みて割ったと思われる風船の破片が確認されたため事故死として処理されましたが、実はこの後、緩やかな上昇を続け、ジェット気流に乗り、東へと進路が変わったのです。
補足すると風船おじさんが持っていったE-PIRB(イーパブ)っていう救難信号発信器の信号を受信した仙台の第7管区海上保安庁の航空機が出動、金華山沖で風船おじさんを視認したが、元気に手を振っていたので航空機は遭難ではないと判断して引き返した・・・・
だったような・・
おじさんは目を真っ赤にして必死で手を振っていた。
だったような・・
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オーイ オーイ ガンバレ~
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ぼくらの夢を乗せて行った
ぼくらの希望を乗せて行った
風船は小さくしぼんだかもしれない
風船ははじけて割れたかもしれない
でもね、おじさんとぼくらのわくわくしたあの時の気持ちは
決して割れたりしぼんだりしないよ
いつまでもね・・・ 夢をありがと
誰もがやったことがない、出来るかどうか分からない事を
実現するには勇気と共に細心の注意が必要だ。
非常食代わりにスナック菓子と缶コーヒーだろ、確か。
遠足じゃねーんだから。
勇者と愚者の差は紙一重かも知れないが、おじさんは余裕で後者。
年に何回かはかならず風船おじさんのこと思い出して、悲しくなる。
このまえの気球がアメリカに行くのに失敗して着水したとき、また思い出した。
あの人達はすぐ助けてもらえたからいいけど、風船おじさんは、風船のガスがじわじわ抜けていって、じわじわ高度を落として、太平洋のどっかに着水して誰も助けが来なくて、しばらく浮いていたけど、海に沈んでいっちゃったんだろうな・・
と思うと、あの気球の人達の待遇の良さが羨ましいな。
風船おじさんがあまりにもメルヘンな見かけで可愛かったから、余計に悲しくてほんとに風船おじさんの事は一生忘れないだろうなって思う。
風船おじさんの娘さんが父はきっとまだ飛んでいるんだろうと思うようにしているみたいな事言ってたのをテレビで見たとき、ちょっと涙がでた。
海上保安庁が金華山沖で発見したときの写真では主力風船は2つだけ。
どうして?あとで分かったことだが、充填中に風船からヘリウムもれがあったので、彼は粘着テープを貼って「これでok. 君は人にいうな」と口止めされたとは作業を手伝った学生が、半月ほどあとからボソリ。
この学生は「たったひとりの河川敷で鈴木さんがかわいそうだ」 と彼と共に2夜を過ごしたよしみで秘密を守ったという。「鈴木さんは飛行のため星座を研究していて詳しいんだ。たのしかった」と。
荷物を降ろしたとはいえまだまだ重いゴンドラ。もし高速道路や人家に墜落したら、大人身事故になりかねない。彼が勝手に行ったのだが気になる。彼の携帯電話番号を聞いていたからその夜何度も電話したが、スイッチを切っているらしく、アナウンスだけだった。不安な夜だった。
そして11月25日 東京駅に下車するやFテレビカメラが私に近づいて「金華山沖で鈴木さんが発見されました」と。
「そう よかったね」としか言えなかった。
宮城県金華山沖で発見後のマスコミの動き(NHKは動かず、民放や週刊誌、新聞はほとんどが猟奇的で彼の本来の目的には触れず)
22日 風船夕方スタート
24日 昼過ぎ第三管区海上保安本部は最初の救難信号をキャッチしたが
イタズラと解し対処せず放置(日刊ゲンダイ12/10日)。
25日 朝 第三管区海上保安本部が捜索機発進、人が手を振って無事であることを確認
3時間ほど現場付近を旋回したが、ゴンドラの高度を下げて着水する気配も見世なかった。
そのうち救難信号も途中で切れたので、昼前には引き返した。(上記新聞記事)
そのとき何か物体を海に投下して軽くし、さらに上昇した。(ラジオ)
(ようやく追跡機が到着したとよろこんだのかも。)
Fテレビが金華山沖で発見したと私に知らせた。
翌月
12月2日 TBSテレビ、毎日新聞取材、大阪スポーツ新聞に風船おじさん北極圏漂流記事
おじさんが飛び立つ瞬間に、背広着たえらそうな人が「どうなっても知りませんよ!」と
怒鳴っていたのが印象に残っている。
俺が小学生の頃だよな風船おじさんは。
一度目は制御不能で100円ライターで紐を焼き切って民家に墜落していた。
良い時代だったなぁ・・・。
出典:http://hobby4.2ch.net/test/read.cgi/occult/1076306870/
『風船おじさんってどうなったの?』|本当にあった不思議な話まとめ
ネットで書き込まれていた不思議な体験談・怖い話を厳選し、読みやすくまとめました。ここでは実際にニュースなどで取り上げられた『風船おじさん』の話を紹介しています。
不思議,怖い話,ほん怖
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