生まれなくとも兄弟達
3~4年程前、不思議な夢を見た。
自宅の居間に子供が4人居て(みんな小学校1年~5年位だったと思う)なぜか自分を囲む形で話をしている(自分は今の年齢のままね)。
その4人とも顔は全然知らない子なんだけど、女の子が3人、男の子が一人。
何故だか判らないんだが、その4人は兄弟姉妹って感じた。
年齢的には
1女の子:小学校5年位。(顔の面影鮮明、しっかり者のお姉ちゃんって感じ)
2男の子:小学校4年位。(顔の面影鮮明、いたずら好きの弟って感じ)
3女の子:小学校3年位。(この子だけ顔が黒く塗りつぶされた感じだった大人しそうな女の子という感じ)
4女の子:小学校1年位。(恥ずかしがりな妹って感じだった)
で、何を話してたかほとんど覚えていないんだが、話の最後の方で”僕らはこっちの世界でも成長してるし、君とも(つまり私)兄弟だよ
こっちからはいつでも見てるし、元気にやってるから心配なく”って言って来た。
実際の話、自分自身は3人兄弟(姉・自分・弟)の真ん中なもんだから夢の中でも”はぁ?”って感じを持って話を聞いていたように思う。
いきなり見ず知らずの子供に言われたしね。
で、目が覚めてから母親に”面白い夢見ちゃったよ”ってな感じで話をしてたら、母親が”本当に4人?”とか、”年齢的にはどんな感じ?”
“顔の感じは?”とか聞かれたから、ありのままに喋ってると、その内に”それってあんたの兄弟だよ多分”と言う話になった。何でも自分が生まれる前に2回流産して、その後にも2回流産していたそうな。
“そう言う事ってあるんだねぇ・・・”と、ちょっと涙こぼしながら嬉し泣きの様な感じで母親が涙を流していたのは、いまだに
よく覚えている。
猫の置物
もう13年前になる。
祖母が動物を飼うのを嫌がっていたのに仔猫2匹を買ってきた。
真っ白だけど額にミッキーみたいな黒い模様があった猫と、黒いトラ模様の兄弟。
血筋は良いらしいが雑種だと判断されて、この2匹だけ格安だったらしい。
白はおっとりしていて家族にも可愛がられて美人だった。逆にトラはクールで近寄り難いオーラがあった。
だけど夜中に人肌が恋しいのか、小さく鳴いて布団に潜り込んでくる甘えも見せた。
飼ってから1年目の夏に白が私の誕生日の次の日に、目の前で轢き逃げされた。道路を駆けて、名前を叫んだ瞬間車に巻き込まれ、
トラは轢かれる所を私の後ろから見てて、息を引き取るまでずっと白の側に居た。
白が死んで1年位経った頃だと思う。
小さな白い猫の置物が机から出てきた。まだ生きてる頃に白に似てるからと買った物で、ずっと机の中にあったのにそれは妙に汚れてた。
じっと見てたら、轢かれた時に白が流してた血と同じ場所だったかもしれないと思った。額の模様も薄く汚れていて、白に似ていて。怖くて怖くて、又机の中にしまっておいた。
ある年トラが尿結石で入院をした。医者はほぼ助からないと言った。
ふと思い出して白そっくりな置物を久々に取り出した。染みは以前見た時より濃くなっていた気がした。
怖かった、だけど、根拠は無いけど白がまだ居てくれてる気がして、トラを助けてくれとそれを握り締めて泣いた。
願いが届いたのかトラが強かったのか、それから回復に向かい数年が経った。
置物の事も忘れ、いつの間にかトラは近所のボスに成り上がり、威嚇して私の頭に噛みついて顔に消えない傷を残したりと、かなり強く気性も激しくなった。(血がボタボタ垂れて死ぬかと思ったw)
死ぬ時はきっと家から出て行っちゃうよね、と皆で話した事もあった。ある時、日に日に痩せてく体を見て別れが近いのだと悟った。
何年も忘れてた置物をふと思い出して、机の奥から取り出して良く見てみた。
染みは消えていない。けど、怖いとは思わなくなった。知らずに涙が出てた。
弱って行くトラは抱き締めて連れ戻しても、それでも外に出ようと立ち上がった。何度も何度も。きっと死期を見せたく無かったのだと思う。
プライドの高い猫だったから。
老衰で息を引き取ったのは寒い冬。約10年振りに、白に会えたと思う。
今は白を埋葬した場所で一緒に眠ってる。
トラが死んですぐに置物を取り出したら、気のせいか汚れが少し薄くなっている気がした。
置物を最後に見た時から又何年か経ったから、今度見てみようと思った。
このスレッドを読んでて、何故か思い出した‥
置物が怖い物か良い物か分からないけど、捨てる気にはならない。多分思い出があるから。
もてなし
仏壇を掃除していた時ふと、じいちゃんが話してくれたんだけど。
昔、みなれないみすぼらしいお爺さんが一晩泊めてくれとやってきたんだと、近所の人はみんな乞食なんか家に入れられるか、と冷たく追いかえしたんだけど、じいちゃんの父はかわいそうにと思って、泊めてあげて、貧しいくらいだったけど精一杯もてなしたそうだ。
それから何年かたって夫婦で四国の八十八箇所?を巡ってて、あるお寺にはいったら正装をした坊さんに丁寧に出迎えられた。
わけがわからないまま通されて話をきくと、夢枕に寺の高僧がたって、この日にこれこれこういう人が参拝にくるから、手厚くもてなしなさい。私はその人に大変世話になった。といったんだと。
それでこうして来られるのをお待ちしてましたと、うちのじいちゃん普段そんな話する人じゃないからすごい驚いた。
でも俺も尊敬するくらい優しくていい人だからじいちゃんの父もほんとにそんな人だったんだろうと思う。
長生きしてくれじいちゃん。
赤ん坊の微笑み
この話、俺の体験なんだけど、記憶は無い。まだ腰も座ってない赤ん坊の頃の話。
母から聞いた話で、俺自身記憶が無いわけだから、信じがたい話だけど、信じたい。
ひい祖母ちゃんは生粋の関西人という感じの気は強いがカラッとした性格で、家族から相当信頼されてたらしい。
しかし、晩年は老人性痴呆症で俺が産まれるほぼ一ヶ月前に亡くなったらしい。
生前は俺が腹の中にいる頃の母が見舞いに行くたびに「生まれたのかい?」と聞かれたらしい。
家族の団欒でも、ひい祖母ちゃんは良く話題にあがり、その話を聞くたびに、俺は
「一目でいいから会いたかったな」って独り言を言うのが口癖だった。
でも、ある日、母と二人でドライブ中に↑の展開になり、その口癖を言った。
すると母は「ひいお祖母ちゃんは、ちゃんとアンタに会いに来とんさった」と言い出した。
俺は当然「…っ!!??」
母の話を要約すると、赤ちゃんってのは、一人でベビーベッドにいて、あやしてない時でも、ひとりでに笑うことがある。世界共通で赤ちゃんは視線を中空に向け
笑う様だが、アメリカや諸外国では「赤ん坊が天使を見ている」と表現されるそうだ。
俺も例に漏れず笑っていたそうだが、その頻度が、兄や妹より多かったらしい。
きっと、ひい祖母ちゃんが楽しみにしてた曾孫の顔を見に来ていたのだと。
俺自身、仏壇に飾ってあった、ひい祖母ちゃんの写真しか「ひい祖母ちゃん」の顔は知らないが、きっとひい祖母ちゃんは俺に会いに来てくれてたんだと思う。
そして、気さくなひい祖母ちゃんだったと聞いていたから、俺をあやしてくれていたんだと、そう信じたい。
これが『虫の知らせ』
先週の土曜日。茨城の実家の母親から電話があった。
母親の郷里である九州の大叔母が、前日に亡くなった…という知らせ。
母親の実家である九州のとある集落には、母親の親戚一同が住んでいる。
遠いので、私はあまり行ったことはない。今までに5回くらいか。
普段、そこの親戚達とはほとんど交流はなく、年賀状の遣り取りくらい。
電話なんて、去年の正月に本宅に1回したくらい。
それでも、たまに行った時には、みんな暖かくもてなしてくれた。
亡くなった大叔母は一族の中でも、取り分け穏やかな人だったのを憶えている。
亡くなる日の朝、元気にデイサービスに出かけ、みんなで温泉に入ったり歌を歌ったり、楽しい一日を過ごしたらしい。
夕方帰ってきて、水を一杯飲んで、疲れたから横になって…そのまま。
94歳。大往生。穏やかな人だった。
日常の生活に紛れて、九州の人達のことは、普段意識にのぼることもない。
ところが、『たまには九州に電話してみようかな…でも用事もないしなぁ…』
と、ふと思ったのが、まさに大叔母が亡くなった日。
これが『虫の知らせ』というやつか…
いくつかの波風はあったけど、総じて幸福な一生を送っただろう大叔母。
その大叔母が、あまり会ったこともない私のところに、最期に会いにきたのかなぁ…
と思ったら、少し泣けてきた。
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