神風特別攻撃隊の編成
大西中将は昭和19年10月17日マニラに赴任した。19日午後にマバラカット飛行場に出向いた。そして、このマバラカット飛行場の第201海軍航空隊本部において歴史的な会議が行われたのである。
大西中将は遂に、 米軍空母を1週間位使用不能にし、捷1号作戦を成功させるために「零戦に250kg爆弾を抱かせて体当たりをやるほかに、確実な攻撃法はないと思うがどんなものだろう?」と体当り攻撃を部下達に提案した。
回答をすべき立場であった201空副長の玉井中佐は、責任者の山本司令が不在のため、自分だけでは決められないと大西中将に話した。しかし、大西中将は既に山本司令からは了解を得ており、そのことを玉井中佐に伝えた。玉井中佐は考える時間が欲しいと指宿大尉と共に会議の席を中座し、二人で話し合いを行った。人一倍温厚謙虚と言われた玉井副長であったが、戦況を考えるに体当り攻撃しか方法はないと決心した。そして、それを大西中将に伝えたのである。
ここに特別攻撃隊の編成が正式に決定された。玉井中佐は自らが手塩にかけて教育訓練を行ってきた、第10期甲種飛行予科練習生出身の搭乗員23名に相談した。この時、全員が両手を上げてこの作戦に賛成した。当時の戦況、そして搭乗員の士気というのはそのようなものであった。詳細については別のページで触れたい。
指揮官には海兵70期の関行男大尉が指名された。深夜、玉井副長から関大尉は呼び出された。関大尉は玉井副長から指揮官について相談された。関大尉は10秒前後、目をつむってうつむき、考えていた。最期に、「是非、私にやらせてください」と言った。ここで、最初の特攻隊である24名が決定した。この隊名を神風特別攻撃隊と命名し、その下に本居宣長の大和魂について詠じた、
「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」より、4つの部隊にそれぞれ隊名を選択し、敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊と名付けられた。
特攻隊出撃基地
特攻隊の若者達は、主に地図に表記してある基地から出撃していったという。万世、 知覧の陸 軍特攻基地を出撃していった特攻隊機は、開聞岳上空を西南に向かって出撃していった。開聞岳は標高922メートル、薩摩富士と呼ばれる円錐形の美しい山である。特攻隊員達は、日本最後の本土である開聞岳の姿を何度も何度も振り返り、祖国に別れを告げていたという。彼らのなかには、万感の思いで祖国への訣別の挙手の礼を開聞岳に捧げていた少年兵もいたという。
喜界島という島がある。この島は奄美群島の東に位置する。喜界島空港のなだらかな丘一面に、初夏の頃になると矢車草の花に似た群落が見られる。島の人々は言う。この花は喜界島を出撃した特攻隊員が訣別の思いを込めて上空から投げ落とした花束が、いつしか花を咲かせるようになったのだと。
参考:「今日われ生きてあり」
沖縄戦で陸軍の特攻機が出撃した飛行場
| 出撃地 | 人数 | |
|---|---|---|
| 鹿児島県 | 知覧 | 402名 |
| 徳之島 | ※ 14名 | |
| 喜界島 | ※ 23名 | |
| 万世 | 120名 | |
| 鹿屋 | 12名 | |
| 宮崎県 | 都城東 | 73名 |
| 都城西 | 10名 | |
| 新田原 | 38名 | |
| 熊本県 | 健軍 | 127名 |
| 菊池 | 1名 | |
| 福岡県 | 大刀洗 | 14名 |
| 蓆田 | 4名 | |
| 山口県 | 小月 | 2名 |
| 沖縄県 | 沖縄 | 20名 |
| 石垣 | 31名 | |
| 宮古 | 10名 | |
| 台湾 | 宜蘭 | 37名 |
| 台中 | 31名 | |
| 八塊 | 32名 | |
| 桃園 | 15名 | |
| 花蓮港 | 15名 | |
| 竜潭 | 5名 | |
| 合計 | 1036名 | |
※ 徳之島は(知覧→徳之島)、喜界島は(知覧→喜界島) をそれぞれ経由した数。
陸軍沖縄戦都道府県別特攻隊員戦死者数
| 都道府県 | 隊員数 |
|---|---|
| 北海道 | 35名 |
| 青 森 | 9名 |
| 岩 手 | 18名 |
| 宮 城 | 27名 |
| 秋 田 | 9名 |
| 山形 | 10名 |
| 福 島 | 22名 |
| 茨城 | 25名 |
| 栃木 | 28名 |
| 群馬 | 24名 |
| 埼玉 | 22名 |
| 千葉 | 27名 |
| 東京 | 86名 |
| 神奈川 | 31名 |
| 新潟 | 17名 |
| 富山 | 13名 |
| 石川 | 17名 |
| 福井 | 8名 |
| 山梨 | 6名 |
| 長野 | 30名 |
| 岐阜 | 21名 |
| 愛知 | 43名 |
| 静岡 | 22名 |
| 三重 | 18名 |
| 滋賀 | 10名 |
| 京都 | 26名 |
| 大阪 | 35名 |
| 兵庫 | 28名 |
| 奈良 | 8名 |
| 和歌山 | 14名 |
| 鳥取 | 9名 |
| 島根 | 8名 |
| 岡山 | 26名 |
| 広島 | 28名 |
| 山口 | 20名 |
| 徳島 | 13名 |
| 香川 | 17名 |
| 愛媛 | 13名 |
| 高知 | 6名 |
| 福岡 | 43名 |
| 佐賀 | 22名 |
| 長崎 | 18名 |
| 熊本 | 20名 |
| 大分 | 25名 |
| 宮崎 | 20名 |
| 鹿児島 | 40名 |
| 沖縄 | 6名 |
| 樺太 | 2名 |
| 朝鮮 | 11名 |
| 合計 | 1,036名 |
特攻に使用された戦闘機・航空機
陸軍機
一式戦「隼」 |
二式戦「鐘馗」 |
三式戦「飛燕」 |
四式戦「疾風」 |
97戦 |
99襲 |
二式複座戦闘機 |
四式重 |
99双軽 |
海軍機
零戦(654機) |
九九式(122機) |
彗星(169機) |
流星(16機) |
九七式(73機) |
天山(36機) |
銀河(108機) |
一式(51機) |
白菊(54機) |
桜花(55機) |

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