橋姫(はしひめ)は、日本の伝承にある、橋にまつわるに鬼女・女神です。
水神信仰の一つとされ、古くからある大きな橋では、橋姫が外敵の侵入を防ぐ橋の守護神として祀られています。
嫉妬深い神ともいわれ、橋姫の祀られた橋の上で他の橋を褒めたり、女の嫉妬をテーマとした謡曲を歌うと、必ず恐ろしい目に遭うといわれています。
『平家物語』剣巻に詳細に記されており、生きて鬼神と成り果てた女性として描かれています。
宇治の橋姫(うじのはしひめ)
橋姫は、橋の女神として京都府宇治川に祀られています。 元は貴族の子女でしたが、嫉妬から貴船神社に詣でて呪術に邁進し、その果てに生きたまま鬼になったとされています。 その後、頼光四天王・渡辺綱に腕を斬られて鎮まり、宇治橋の袂の神社に御霊奉神されました。 宇治の橋姫の呪術は「丑の刻参り」の原型とされています。
橋姫伝説で最も有名な橋は、京都府宇治川の宇治橋に祀られる宇治の橋姫で、他に大阪市淀川の長柄橋、滋賀県瀬田川の瀬田の唐橋などに祀られています。
- 京都府宇治川の宇治橋
- 大阪市淀川の長柄橋
- 滋賀県瀬田川の瀬田の唐橋
宇治の橋姫伝説
『平家物語』の読み本系異本の『源平盛衰記』・『屋代本』などに収録されている「剣巻」に、嫉妬に狂う鬼としての橋姫が登場し、橋姫の物語の多くの原型となっています。
ストーリーは以下のようになっています。
宇治の橋姫 ストーリー
嵯峨天皇の御世(809年-825年)、とある公卿の娘が深い妬みにとらわれ、貴船神社に7日間籠って
「貴船大明神よ、私を生きながら鬼神に変えて下さい。妬ましい女を取り殺したいのです」
と祈った。
明神は哀れに思い
「本当に鬼になりたければ、姿を変えて宇治川に21日間浸れ」
と告げた。
女は都に帰ると、髪を5つに分け5本の角にし、顔には朱をさし体には丹を塗って全身を赤くし、鉄輪(かなわ、鉄の輪に三本脚が付いた台)を逆さに頭に載せ、3本の脚には松明を燃やし、さらに両端を燃やした松明を口にくわえ、計5つの火を灯した。
夜が更けると大和大路を南へ走り、それを見た人はその鬼のような姿を見たショックで倒れて死んでしまった。そのようにして宇治川に21日間浸ると、貴船大明神の言ったとおり生きながら鬼になった。
これが「宇治の橋姫」である。
橋姫は、妬んでいた女、その縁者、相手の男の方の親類、しまいには誰彼構わず、次々と殺した。
男を殺す時は女の姿、女を殺す時は男の姿になって殺していった。京中の者が、申の時(15~17時ごろ)を過ぎると家に人を入れることも外出することもなくなった。
そうした頃、源頼光の四天王の1人源綱(みなもと の つな)が一条大宮に遣わされた。
夜は(橋姫のせいで)危険なので、名刀「鬚切(ひげきり)」を預かり、馬で向かった。
その帰り道、一条堀川の戻橋を渡る時、女性を見つけた。見たところ20歳余で、肌は雪のように白く、紅梅色の打衣を着て、お経を持って、一人で南へ向かっていた。
綱は
「夜は危ないので、五条まで送りましょう」
と言って、自分は馬から降りて女を乗せ、堀川東岸を南に向かった。
正親町の近くで女が
「実は家は都の外なのですが、送って下さらないでしょうか」
と頼んだので、綱は
「分かりました。お送りします」
と答えた。すると女は鬼の姿に変わり、
「愛宕山へ行きましょう」
と言って綱の髪をつかんで北西へ飛び立った。
綱はあわてず、鬚切で鬼の腕を断ち斬った。
綱は北野の社に落ち、鬼は手を斬られたまま愛宕へ飛んでいった。
綱が髪をつかんでいた鬼の腕を手に取って見ると、雪のように白かったはずが真っ黒で、銀の針を立てたように白い毛がびっしり生えていた。
鬼の腕を頼光に見せると頼光は大いに驚き、安倍晴明を呼んでどうすればいいか問うた。
晴明が
「綱は7日間休暇を取って謹慎して下さい。鬼の腕は私が仁王経を読んで封印します」
と言ったので、その通りにさせた。
剣巻では橋姫の腕を斬った「鬚切」はこの事件により「鬼丸(おにまる)」と呼ばれるようになったとされる。
綱の羅生門の鬼退治(『酒呑童子』)や多田満仲の戸隠山の鬼退治(『太平記』)などで振るわれた鬼切(おにきり)と同一視されることが多い、鬼と縁が深い名刀である。
橋姫が浸った川は宇治川で、祭られているのは宇治川の宇治橋だが、綱が橋姫と出合ったのは堀川の一条戻り橋である。
歳月の経過は特に描写されていないが、源頼光・源綱・安倍晴明の時代は「嵯峨天皇の御世」の200年近く後である。
[出典]:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E5%A7%AB
源綱(みなもと の つな)
通称は渡辺源次。頼光四天王の筆頭。渡辺氏の祖。
源頼光に仕え、頼光四天王の筆頭として剛勇で知られた。大江山の酒呑童子退治や、京都の一条戻橋の上で鬼の腕を源氏の名刀「髭切りの太刀」で切り落とした逸話があります。
一条戻橋の鬼は橋姫とすることも多いようです。
宇治の橋姫 和歌
『古今和歌集』(905年)第14巻に以下のような詠み人知らずの歌があります。
『さむしろに衣かたしき今宵もや 我をまつらん宇治の橋姫』
歌の世界では伝説とは異なり、橋姫は愛らしい女性として表されたようです。
丑の刻参り
丑の刻参り、丑の時参り(うしのこくまいり、うしのときまいり)は、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込むという、日本に古来伝わる呪いの一種。
嫉妬心にさいなむ女性が、白衣に扮し、灯したロウソクを突き立てた鉄輪を頭にかぶった姿で行う。
連夜この詣でをおこない、七日目で満願となって呪う相手が死ぬが、行為を他人に見られると効力が失せると信じられた。
ゆかりの場所としては京都市の貴船神社が有名で、橋姫が行なった呪いの儀式が、丑の刻参りのルーツといわれています。
鉄輪
『平家物語』の「剣巻」を元に話を膨らませた能の演目『鉄輪(かなわ)』があり、橋姫が頭にかぶった鉄輪から名が取られています。
橋姫は、後妻に夫を奪われた女性となっている。元夫と後妻は、呪い殺される寸前で怪異に気づき、安倍晴明に相談すると、このままでは今夜までの命と告げられた。
晴明は夫婦に頼まれ、形代(身代わりの人形)を使った呪い代えを試みると、鬼女が姿を現わした。その姿は、川での儀式の時と同じ、鉄輪や松明をつけた姿であった。舞台では、嫉妬と復讐心に顔を歪める女性の能面「橋姫」が使われる。
橋姫は夫婦に襲い掛かるが、晴明と三十番神に撃退され、「時期を待つ」と言い残して消えていった。
[出典]:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E5%A7%AB
能面
出典:文化遺産オンライン
橋姫神社 怖い伝説が残る縁切り神社
橋姫神社は、宇治川に架かる宇治橋の近くにあります。正式には、上流から遷祀されたとされる瀬織津媛(せおりつひめ)を祭っていますが、『平家物語』などでの橋姫と同一視されています。
嫉妬から鬼神とかした橋姫が、源綱に討たれた後に橋の神になったという伝説も残っています。
この祭神である橋姫は、橋を守る女神として祭られていますが、縁切りの神でもあり、悪縁を切るご利益があります。また、逆に、恋人同士や婚礼の儀で、神社の前を通ったり宇治橋を渡ったりすると橋姫に妬まれて縁を切られるとされ、避けて通るようにする迷信も存在します。
【橋姫神社】
所在地 京都府宇治市宇治蓮華47番地
主祭神 橋姫/瀬織津媛
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