子ほめ
八五郎 | こんちわー、ご隠居さんいますか、こんちわー、長屋の連中にねぇ、ご隠居さんちにただの酒があるって聞いてきたんですけどねぇ、あっしにも呑ませてください。御隠居さん、ただの酒 |
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ご隠居 | なんだい、なんだい? 変なこと言ってんのは...ああ、やっぱり八っつぁんか...そうだろうと思ったよ。なんだい、その「ただの酒」ってのは。まあ、こっちへお上がり |
八五郎 | へい、じゃ、おじゃまします。で、ただの酒は? |
ご隠居 | うちには「ただの酒」なんてものはありませんよ。上方の親戚から届いた「灘の酒」ならあるが |
八五郎 | なんだ、「灘」か。ま、どっちにしろただ呑むんだからおんなじだ、はは。じゃ、その灘の酒ってやつを呑ませておくんなさい |
ご隠居 | ...まったく、お前さんくらい礼儀を知らないやつはいやしないよ。いきなり飛び込んできて「ただ酒呑ませろ」なんて、言語道断、ってやつだ。いいかい、人さまからお酒の一杯もご馳走になろうと思ったら、ウソでも世辞の一言も使わなくちゃだめだ |
八五郎 | なんですよ、その「せじ」ってぇのは |
ご隠居 | 相手を喜ばす一言だよ |
八五郎 | 喜ばす...はぁ、なるほどね...よっ、日本一の隠居! 色男、憎いよっ! 酒、呑ませろ! ...どうです? うれしかったでしょ |
ご隠居 | うれしかないよ。日本一の隠居ってのはいったいなんなんだい? お前さんねぇ...ま、わかりやすく言うとだよ、例えばねぇ、往来で誰か商売をやってる男の人に出会ったとするだろう。その時はこんな具合に言ってごらん。「しばらくお目にかかりませんが、どちらかへお出かけでございましたか?」 先方が「商用でもって南の方へ」と言ったら、「道理でお顔の色が黒くなりました」と、こう持って行くんだ |
八五郎 | へぇ、色が黒いって言われて喜ぶかねぇ |
ご隠居 | まあ、商人というものは炎天下、お得意様を回って歩くからそれだけ日焼けをする。つまり色が黒いということはそれだけ働いたということ、商いが繁盛しているということだな |
八五郎 | でも、色が黒いってのはあんまりいいもんじゃないな |
ご隠居 | そこなんだよ、このあとちょいと一工夫するんだよ。「しかし、ご安心あそばせ。あなたなぞは元々が色白。故郷の水でお洗いになれば、元どおり白くなります。そうやって商いにご熱心ですと、旦那の信用も篤くなる。誠におめでとう存じます」と。こう言えば向こうだっていい心持ちだ。「どうだい、久しぶりに一献」ってぇことになるだろう |
八五郎 | はあ、なりますかねぇ |
ご隠居 | なるよ |
八五郎 | もしならなかったら、御隠居さんがおごってくれますか |
ご隠居 | おごりゃしないよ! ま、もしうまくいかなかったら奥の手を出す |
八五郎 | はあ、奥の手。背中から? |
ご隠居 | そんな所から手が出るか。例えば、相手の歳をきいてごらん。「失礼でございますが、あなたのお歳はおいくつで?」 仮に、「四十五」と言ったら、「ほう、四十五とはお若く見える。どう見ても厄そこそこで」と、こう言うんだ |
八五郎 | はぁ、「百そこそこ」...百歳ってぇとうれしいもんですかねぇ |
ご隠居 | 百歳じゃないよ、「厄」だよ。厄年を知らないのかい? 八っつぁん、お前さん、もう少し物事を勉強した方がいいよ、いいかい、厄年ってのはな、人の一生のうち、災難に遭ったり、大病をしたりすることが多いから忌み慎まなければならないといわれている歳のことだ。男は数えで二十五と四十二と六十歳、女は十九と三十三歳だ。つまり「厄そこそこ」ってのは四十二歳のことだな。四十五と聞いて、四十二と返す。つまり、みっつ若くいうわけだ。こう言われりゃいい心持ちだろう。一杯おごろうって気になるじゃないか |
八五郎 | へぇ、みっつ若くねぇ。でもさ、御隠居さん、世の中に四十五の男ばかりならそれでいいけどさ、もし向こうで五十って言ったらどうします? |
ご隠居 | そうだな、その時は四十五、六と言っとけばいい |
八五郎 | なるほど、それじゃ六十は? |
ご隠居 | 五十五、六 |
八五郎 | 七十は? |
ご隠居 | 六十五、六 |
八五郎 | 八十は? |
ご隠居 | 七十五、六だ |
八五郎 | 九十は? |
ご隠居 | 八十五、六 |
八五郎 | 百は? |
ご隠居 | 百歳の人がいたら、九十五、六だ |
八五郎 | なるほど、それじゃ...二百二十五は? |
ご隠居 | そんな人はいやしないよ |
八五郎 | ははぁ、なるほどねぇ...いや、勉強になりやした。...あ、そうだ。勉強ついでにちょっと教えておくんなさい。いやね、竹の野郎んちで赤ん坊が生まれたってんでね、祝いを出せってんで長屋の割り前でいくらか取られたんでさぁ。その赤ん坊に出くわした時に、いま御隠居さんに教わった通りにポーンとぶっつけときゃぁ赤ん坊は喜んで酒をおごりますかね |
ご隠居 | 赤ん坊が酒をおごるかい? 赤ん坊の誉め方と言うのはね、コツがある。赤ん坊を誉めるような顔をしながらその親御さんを誉めるんだ。たとえばこんな具合だ。「失礼でございますが、このお子さんはあなたのお子さんでございますか。このようなお子さんがおいでになるとはついぞ存じ上げませんでした。昔から親に似ぬ子は鬼っ子などと申しますが、額の辺り、眉毛の辺はお父様そっくり、口元鼻つきはお母様に生き写し。総体を見渡したところは、先年お亡くなりになったお祖父さまに瓜二つ、長命の相がございます。『栴檀は双葉より芳し』『蛇は寸にしてその気を現す』 わたくしもこういうお子さんにあやかりたい、あやかりたい」と); |
八五郎 | はあ...なるほど...はぁはぁ、じゃ、どっかでやってきます |
ご隠居 | なんだい、もう帰っちゃうのかい |
八五郎 | へい、またこんどただの酒をもらいに来ます |
ご隠居 | まだ言ってるよ |
八五郎 | へっ、この道を誰か色の黒いやつが来るといいんだがなぁ、世辞をぶちかまして一杯おごらせてやるんだが...おっ、カモが来やがった...伊勢屋の番頭だ もし、番頭さん |
番頭 | おっ、よぅっ、どうした、町内の色男! |
八五郎 | ...向こうの方がうまいや。どうも、しばらくお目にかかりませんでしたが、どちらかへお出かけで? |
番頭 | なに言ってるんだい? 昨日、床屋であったじゃないか |
八五郎 | ああ、そうだ。昨日会ったんだ。じゃあ、床屋からこっち、しばらくお目にかかりません |
番頭 | 今朝、お湯屋であってるよ |
八五郎 | じゃあ、床屋とお湯屋は省いて、それ以外しばらくお目にかかりませんが |
番頭 | 何を言ってんだよ |
八五郎 | だからさ、番頭さん、どっか仕事でもって行ってたようなところはありませんか |
番頭 | ああ、そう言えば |
八五郎 | あるんでしょ、そこんところをさ、ありていに、包み隠さず |
番頭 | いや、別に隠すつもりは無いんだけどね、この間、半月ほど仕事で北の方へ行きましたよ |
八五郎 | 北? 北じゃないでしょ、南でしょう? |
番頭 | いいや、北だよ、越後へ行ってたんだ |
八五郎 | いや、越後って言えば東京からは南にあたる... |
番頭 | 当たらないよ、北だよ |
八五郎 | いや、そ、そこを...ね、番頭さん、南って言ってくださいよ、ね、一言「南」って言ってくれたら、あたしゃ番頭さんを誉めますから |
番頭 | いや、別に誉めてもらわなくていいよ...え、うるさいね、わかったよ、言うよ。あたしゃ南へ行きました。これでいいかい? |
八五郎 | よっ、引っかかりやがった |
番頭 | なんだい、その「引っかかりやがった」ってのは |
八五郎 | いやいや、こっちの話しで...ええっ、と...よっ、南ですか! 道理でお顔の色が真っ黒けだ! |
番頭 | おいおい、嫌なこと言うなよ |
八五郎 | だけど心配いりませんよ、番頭さんは元々が胆黒いんだから、故郷の水で洗ったら黒光りがしてつやつやだ。どうです、嬉しいでしょ。だから、さ、一杯おごれ |
番頭 | なんだよ、そりゃ。あたしゃ嬉しくないよ |
八五郎 | え? 嬉しくない? ははぁ、こりゃ一筋縄ではいかねぇな、こん畜生。じゃ、いよいよ奥の手にかからせていただきます |
番頭 | なんだい、そりゃ、その奥の手ってのは |
八五郎 | 失礼ですが、番頭さん、あなた、歳はいくつで? |
番頭 | なんだい、薮から棒に、いきなり歳の話しかい? 四十だよ |
八五郎 | 四十、四十とはお若く見える、どう見ても厄...あれ? 厄そこそこ...四十? えーと...ちょっと、四十五になってもらえませんか |
番頭 | あたしゃ四十だよ |
八五郎 | いや、そこを何とか |
番頭 | どうにもならないよ |
八五郎 | 弱ったなぁ、四十五から上は百まできいてきたんだけど、下とは気がつかなかった。ねぇ、四十五になってもらえませんかねぇ。いや、何も本当に四十五になれって言ってるわけじゃねぇンで。「四十五だ」って言ってもらうだけでいいんでさぁ。いや、決して後悔はさせません。ちゃんと喜ばせてあげますから |
番頭 | 何だよ、それは...わかったよ、まったくお前さん、今日はどうかしてるんじゃ無いかい? 言うよ、言うだけだよ。後で、あいつは四十五だ、なんてよそで言わないでおくれよ...四十五だよ |
八五郎 | よっ、引っかかりやがった |
番頭 | その「引っかかりやがった」ってのは何なんだよ、どうもそれが気になっていけねぇ |
八五郎 | いや、こっちの話しで...ええっ、と...四十五とはお若く見える |
番頭 | 若いんだよ |
八五郎 | どう見ても厄そこそこで |
番頭 | だから四十だって言ってるじゃないか! ばか野郎! |
八五郎 | あ、番頭さん、何で怒ってンの? あの、一杯おごって...あぁ、行っちゃった...どうしてだろうね、あの隠居やろう、いい加減なこと言いやがって。しょうがねぇ、大人はやめだ。そろそろ竹んちのガキにとりかかろう。 竹、おぅっ、竹公! |
竹次 | なんだなんだ、うちの前で大声だすんじゃねぇ! なんだ、八か、もうちょっと静かにしてくれ、赤ん坊がびっくりして引きつけちまったらどうするんだ |
八五郎 | おぅっ、その赤ん坊のツラを見に来てやったぜ |
竹次 | ああ、そうか、ありがとうよ。さっきから長屋の連中が来てなぁ、さんざっぱら誉めてってくれた。ま、おめえもちょぃと見てくんな |
八五郎 | へへっ、見せてもらうぜ。どこにいるんだ |
竹次 | 奥で寝てらぁ...おいおい、足元に気を付けてくれよ、踏んづけるンじゃねぇぞ |
八五郎 | えっ、あ、いたいた...でっけぇなぁ、これかい? これはでけぇなぁ。よくこんな大きいのがうまれたねぇ |
竹次 | みんなも驚いてたよ、「こんな大きな赤ん坊を見るのは初めてだ」って |
八五郎 | そらぁ驚くだろうなぁ。白髪が生えてて、シワだらけで |
竹次 | 白髪? おぃ、それはばあさんが昼寝してるんだ |
八五郎 | あっ、ばあさんか、そうだろう、そうだろう。目がね掛けたまま生まれてくるわけねぇと思ったよ。じゃ、赤ん坊は? |
竹次 | そっちに寝てる。ほら、おっかあといっしょに |
八五郎 | えっ? こっちに? あ、あぁ、いたいた。なるほど、これはやっぱり大きいや。だいいち威勢がいいや、鉢巻きしてうなってやがる。こりゃばあさんよりでかいぞ |
竹次 | それはおっかあの方だ。おめぇ、見てわからねぇか? 添い寝してるだろぅ? |
八五郎 | えっ? 脇で添い寝? あっ、いたいた、いたよ、こりゃまた小さいね、これは。あんまり小さいんで見えなかったよ。おい、心細い顔しちゃって、こんなんで育つかねぇ |
竹次 | おい、なんてこと言いやがるんでぇ |
八五郎 | こんなんでもちゃんと手があらぁ。へへっ、指も五本揃ってやがる |
竹次 | 当たりめぇじゃねぇか |
八五郎 | へへっ、「紅葉みてぇな手」って言うが、本当だねぇ。赤ん坊の手なんざ、可愛いもんじゃねぇか |
竹次 | おぅ、ありがとよ、そうだろ、可愛い手だろう |
八五郎 | 可愛いねぇ。この可愛い手で、おれから割り前取りゃがった |
竹次 | ...おめぇ、ケンカ売りに来たのか? |
八五郎 | さて、いよいよ仕事に取り掛かるから、覚悟しやがれ! |
竹次 | おっ、な、何かおっぱじめようってぇのか? 変なことしやがったら叩き出すぞ |
八五郎 | へっ、黙って聞きやがれ! ええ、っと、竹さん...失礼ですが、このお子さんは、確かにあなたのお子さんですか? |
竹次 | おぅ、変なこときくじゃねぇか。確かにも何も、おれの子だ |
八五郎 | 本当にあなたのお子さんですか |
竹次 | そうだよ、おれの子だよ |
八五郎 | 本当に? |
竹次 | そう念を押すなよ、自信が無くなってきちゃうじゃねぇか...おめぇね何か知ってンのか? |
八五郎 | このようなお子さんがおいでになるとは存じませんでした |
竹次 | ウソつけ、知ってるからノコノコやって来やがったんだろうが |
八五郎 | これ、お子さん、お子さん、しばらくお目にかかりませんでしたが、どちらへお出かけで? |
竹次 | よせよ、生まれたばかりなんだよ、どこへも行きゃしないよ |
八五郎 | あ、そうだ。これは商人のときだ。ええっと...お子さんよ、お子さんよ、あなた、お歳はおいくつで |
竹次 | おい、何を言ってんだよ。まだ生まれて七日目だよ |
八五郎 | ああ、初七日ですか |
竹次 | 初七日ってやつがあるか、お七夜だよ、お七夜); |
八五郎 | お七夜ってぇことは、お歳はおいくつで? |
竹次 | おいくつもなにも、ひとつだよ); |
八五郎 | ひとつ...ひとつ? ええっと、ひとつとはお若く見える...どう見てもただ同然 |
竹次 | なんなんだよ、それは、何が言いたいんだよ |
八五郎 | お子さんよ、お子さんよ |
竹次 | おぅ、もううちの子に何か言うな |
八五郎 | お子さんよ、親に似ぬ子は鬼ごっこと申します |
竹次 | なんだよ、誰が鬼ごっこをするんだよ |
八五郎 | このお子さんが |
竹次 | 生まれたてで、どうやって鬼ごっこなんがするんだよ |
八五郎 | いずれ大きくなればするでしょう |
竹次 | いや、そりゃぁ、まぁ、するだろうけど |
八五郎 | つまり、鬼ごっこをするということは、よく似てるんだ |
竹次 | 誰に |
八五郎 | よく見ろよ。このおでこがガバッと突出してるところ、眉毛がフニャッと下がってるところなんざ、親父そっくりだよ。口がでかいところ、鼻をごらんよ、つまんでギューッと引っ張っておいて、一気にピチャッと潰したようなところなんざ、母親に生き写し |
竹次 | それを言わねぇでくれ。気にしてるんだ。妙なところばっかり似るんだよ |
八五郎 | だけど、心配いりません。総体を見渡したところは、先年お亡くなりになったおばあさんに瓜二つで |
竹次 | おい、ばか言うなよ。ばあさんはそこに、昼寝してるじゃねぇか |
八五郎 | あ、そうか...お亡くなりになったおじいさまの方に似て |
竹次 | 表へタバコを買いに行ったんだよ。すぐに帰ってくるよ |
八五郎 | いや...お、大家に似て... |
竹次 | 大家!? なんだってうちの子が大家のくそジジィに似るんだよ...おめぇ、やっぱり何か知ってやがるんじゃねぇか? どうもあのジジィ、うちのカカァにちょっかいかけてるような気がしてならなかったんだ! |
八五郎 | おや、枕元に何か書き付けがあるねぇ |
竹次 | おい、誤魔化すなよ! |
八五郎 | なんて書いてあるんだ? この子の書き置きかい? |
竹次 | 生まれたてだって言ってるだろう、字なんぞ書けるか! おれの伯父さんが産着につけて祝ってくれたんだ。おれの名前が「竹次」だろぅ、だから「竹の子は うまれながらに 重ね着て」ってんだよ |
八五郎 | ああ、なるほど。何だか知らねぇけど、短い都都逸だなぁ); |
竹次 | 都都逸じゃねぇ、それは歌の上の句だ。だから下の句を誰かに付けてもらわなきゃならねぇ。そんなことより、今の大家のはなしだが... |
八五郎 | 下はおれが付けてやる |
竹次 | いいよ、お前なんぞにやられた日にゃぁ、何を言われるか分かりゃしねぇ、それより大家の... |
八五郎 | いや、いいじゃねぇか、友達じゃねぇか。ちょいとでいいからさ、やらせておくれよ。おれはこういうの好きなんだから。なになに、「竹の子は生まれながらに重ね着て」...ふーん...よし! |
竹次 | いいのできたか? |
八五郎 | 「育つにつれて 裸にぞなる」 |
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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